櫻井、小動物と出会う
-2045年8月9日(水)21:20-
異邦の地へ出張中に会社が倒産し、再就職先には思いっきり足下を見られた櫻井。
仕方ないことだ。
どこの誰かも分からぬ異人を好条件で雇ってくれるほど、社会は親切ではない。
櫻井は、サカニア総合研究所に逆戻りである。
だが不幸ばかりではない。
櫻井の横を歩くジュリアは肉感的な美女で、櫻井のストライクゾーン、ド真ん中。
もっとも櫻井のストライクゾーンは、かなり広大である。
だが幸運ばかりではない。
せっかく州都まで出てきたのだから、とジュリアの買い物につき合わされ、櫻井はヘトヘトになった。
もっとも櫻井は女性の買い物に付き合うのは慣れている。
慣れてはいるが、ジュリアほど活動的な女性はそうそう居ない。
--脚が棒になった
研究所に戻る四駆の中、櫻井はカチコチになった脚を揉みほぐしていた。
ジュリアはベンチシートの運転席で、寝息を立てている。
そのボディラインを眺める櫻井の本性は、カチコチ。
--だが、ここがガマンのしどころだ
研究所は人が少ない。ぶっちゃけ櫻井が見かけたのは4人だけ。
そんな研究所で暮らすのに、最初からリスクは犯せない。
じっくりと外堀から埋めていかねばならない。
そこらへんは櫻井、経験豊富である。
本性は"Go! Go!"と叫んでいるが、涙を呑んで手を出さずにガマン。
色の道は、耐えることと見つけたり。
何か、悟りを開きそうな櫻井を乗せ、四駆は夜のアフリカをひた走る。
========
-2045年8月10日(木)04:15-
四駆がガレージに止まり、シャッターが下りてくる。
重い荷物を抱えた櫻井が四駆から降りると、なにやら研究所はあわただしい。
『どうしたのかしら?』
ジュリアも意外そうに眉をひそめる。
と、ガレージにデジレが飛び込んできた。
『あ、お二人さん。お疲れ』
『どうしたの? こんな朝早くに』
いやちょっと、とデジレはジュリアをガレージの隅に連れて行く。
デジレの口が動き、ジュリアは背筋を凍らせる。
櫻井の耳に、デジレの声は届かなかった。
『ちょっとサクライ、ここで待ってて』
そうジュリアは言うと、デジレと共に研究所の中に駆け込んで行った。
櫻井の耳に、デジレの声は届かなかった。
ただし、自動翻訳機のマイクはその声を拾い、有機EL眼鏡に反映していた。
『アルが逃げ出した』
グラスには、そう表示されていた。
「アルって、誰だ?」
もちろん返事は無かった。
========
櫻井は、ガレージに有った長ソファに座り、天井を仰いだ姿勢で居眠りをしていた。
夢の中で彼の指が、ジュリアの黒い髪に触れる。
柔らかな髪は、もふもふしており、とても手触りが良い。
--もふもふ?
ジュリアの髪はストレートで長い。もふもふしてない。
その違和感で櫻井は目を覚ました。
もふもふ、もふもふ。
夢から覚めたのに、指先はもふもふした感触を伝えてくる。
--これは一体
指先は、長ソファの影になって見えない。
櫻井がそっと覗くと、指先は謎の小動物の腹をもふっていた。
体長10cm弱。ただし、長い尻尾を除く。
茶色の毛が全身をふんわりと覆っているが、尻尾だけはふわふわではなく直毛。
そして特徴的なのが頭部。
頭が丸く、大きい。耳も大きい。
マンガに出てくる擬人化したネズミに似てる。
謎の小動物のきょとんとした目と、櫻井の目が合った。
もふもふ、もふもふ。
ジュリアもデジレも帰ってこず、手持ち無沙汰な櫻井は、小動物をもふる。
小動物も、もふられて満足そうである。
その内、櫻井はハタと気付く。
謎の小動物を抱き上げ、目線を合わせる。
「ひょっとして、お前が"アル"か?」
"アル"という言葉に、さっと目線をそらす小動物。
--こいつ、誤魔化そうとしてる!
櫻井は直感した。
--って、こいつ自分の名前が判るのか?
小動物の膨れた前頭部、デジレが書いた遺伝子操作の論文、それらが櫻井の頭の中で1つになった。
その時。
『いた!』
叫び声に振り向くと、サイムの姿があった。
小動物は身をよじって櫻井の手から逃れ、Yシャツの胸ポケットに隠れる。
ポケットから、そーっと顔を出す小動物。
サイムの連絡で集まった研究所の全員の視線が、そこに集中する。
さっとポケットの中に身を隠す。
実体としては、全然隠れてない。
全員の視線は、次に櫻井に集中する。
『貴方、見たわね?』
「ハイ」
『ちょっと姿が変わってるけど、ただのネズミよ?』
--何だよ最後の疑問符は
彼らも誤魔化せるとは思ってないだろう。そう櫻井は判断し、決定的な名を口にする。
「アルってのは、アルジャーノンの略か」
遺伝子操作により脳を、知能を向上させたスーパーマウス。
『気付いてしもたか』
デジレが厳しい目で櫻井を見つめる。
ジュリアが櫻井の横に腰掛け、彼の肩を抱く。
『さっき交わした契約書、守秘義務の項を良く読んでみて』
とんでも無いことが書いてあった。
「いっ、1億円!? 違約金が?」
『そうよ。守秘義務を破ったら、一生借金地獄よぉ』
残酷な微笑を浮かべたジュリアが脅す。
『でも大丈夫。貴方さえ秘密を守ってくれれば、何にも問題ナシ』
パチリとウインク。
とても魅力的なウインクだった。
『せやからな』
デジレが妙に強面な声で続ける。
『この件は、くれぐれもご内密に』