隷属は自由
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-2046年4月21日 20:00(UTC-1)-
悪魔――
其れは神に敵対する者。
其れは人を超えた力を持つ者。
其れは誰にも分かる印を持つ。
「悪魔が滅んだって、いつの話だよ。そんなモンはもう百年も前に滅んでる。”D”なんかいなくても、人類はやっていけるさ」
『そう、皆がそう思っていた。だが、今では無理だ』
死相が浮かんだ目で、No.5は櫻井を見上げる。
『人類が絶滅する手段を考えた事はあるか?』
「核戦争とかでか?」
『そう、そういう方法――いわゆる終末兵器のことだ』
核兵器は――
『安全だ』
とNo.5は言った。
『核兵器はコストがかかる』
莫大な予算を持つ国でなければ、作る事が出来ない。
それを運ぶための機構――ミサイルなども必要だ。
一個人が捻出できる金額では無い。
そして莫大な予算を持つ国は、その状況を変えようとは思わない。
『懸念すべきは、個人だ』
自暴自棄になった人間は、周りの人間を巻き込み死のうとすることがある。
個人が持ちうる兵器の火力が大きくなれば、脅威も大きくなる。
自動車は兵器となりうる。
銃火器も入手できる国ならば選択肢の1つだ。
だが、終末兵器と呼ばれるような兵器は、個人が持てる筈が無かった。
つい最近までは。
ゲノム編集システム――安価に、簡便に、遺伝情報を書き換えられるシステムが、全てを変えた。
『例えば、このサイトに情報が記されている』
No.5が有機ELコンタクトから、櫻井の有機EL眼鏡に情報を送る。
――ATGAACTGATGATACAGGTATTCACG…
「なんだこりゃ?」
『約18万5千塩基対の遺伝情報』
No.5は一瞬目を閉じ――
『天然痘ウイルスの遺伝情報だ』
発病後の致死率は30~50%。
非常に強い感染力。
放置され数年を経過してもなお、感染力を保持する耐久性。
余りの危険性に全社会が協力し、根絶した唯一の病原体。
根絶に伴いワクチン接種も行われなくなり、今では全く免疫を持たない人が多い。
そしてその場合、致死率は90%に上がる。
『この情報が流出したのは2027年』
アラビア半島戦争の前年。
その起因となったウイルスと”遺伝子操作技術を捨てろ。今すぐに”という手紙が各国へ届いた年だ。
『以来、終末兵器は、個人が入手できる状況になった』
ゲノム編集システムは、塩基配列の情報を与えればその通りのDNAを作る。
そしてウイルスは複雑な細胞を持たない。
DNAとそれを取り囲むカプシドからなる分子機械だ。
誰もが、容易に、安価に、終末兵器たる天然痘ウイルスを作る事ができる。
『誰か、偶然の不幸に囚われた者が人類滅亡を望んだら――サクライ、お前はどうする?』
「いや、それは、その」
どーしよーもナイ。
80億人を超える人類。
その一人ひとりが終末兵器を手にしうる。
人類全体と無理心中しようとする者が、80億人の中に1人でも居れば、人類社会は滅びる。
『防ぐ術は無い』
No.5の無情な言葉がキャビンに響く。
『各国は――全ての社会は絶滅を避けるべく様々な手を打った』
戦争は平和――バイオハザード発生という現実の改変
無知は力――ゲノム編集システムを使うための科学的思考の剥奪
『だが、それでは足りない』
社会システムだけでは制御できない不安要素。
『人間の心だ』
『だから、滅ぼされた悪魔の代わりを担う者が必要だ』
偶然の不幸に対し、責任を負う存在。
恐怖と嫌悪の対象。
『それが”D”だ』
何故だ?
その言葉が櫻井の口から出る前に、No.5の声が響く。
『此処に知恵が必要だ。賢き者は、その数字にどのような意味があるかを考えるがよい。コードは人間を指している』
そして――
『数字は獣の数字だ』
「お前は――
『何を言ってる?熱で頭がやられたか?そう言おうとしているな』
頷く櫻井を無視してNo.5は続ける。
『時間が無い。お前が理解する事が必要だ』
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-2046年4月21日 20:50(UTC-1)-
其れは社会に敵対する者。
其れは人を超えた力を持つ者。
『そして誰にも分かる印を持たねばならない』
悪魔が持つ蝙蝠の様な翼。
鬼が持つ角。
そして”D”の細胞に刻まれた製造番号。
『それが悪魔だと分かる印が必要だ』
その印は上書きされ、失われた。
『印が失われたことを、知られるわけにはいかない』
人類の未来を守るために。
そうNo.5は言うが、櫻井は全然納得しない。
『全ての人間に希望を与えなくてはならない』
不幸を回避する手段――希望が必要だ。
回避するための”何か”を行える対象が必要だ
『だから、悪魔が必要だ』
其れを倒せば全ての問題が解決する。
全ての不幸の原因たる存在。
偶然の、避けられない不幸の責任を背負う者。
『だから、”D”を悪魔たらしめる製造番号が必要だ』
『全ての人間の心を、我々への恐怖と嫌悪で縛らなくてはならない』
その恐怖と嫌悪無くして、人類は存続できない。
『人間は恐怖と嫌悪に囚われなければ、生きていけない』
人類は昔から――未だボノボやチンパンジと分科する前から、恐怖と嫌悪に隷属して生きていたからだ。
大型肉食獣への恐怖。
貧しい生活への嫌悪。
恐怖と嫌悪への隷属関係は、石器時代の人類には有効だった。
だが科学技術の発達により社会が安全に、生活が豊かになるにつれ、その関係は歪んでいった。
恐怖、嫌悪、それらの感情は、脳が産み出すホルモンが引き金を引く。
本来、恐怖や嫌悪を感じなくて良い環境に包まれても、人類の脳はそのホルモンの生産を止めない。それは進化の過程で得た脳の性能諸元だ。
状況に関わらず産み出される恐怖、嫌悪は、その向かう先を求める。
何らかの対策を取る相手を求める。
そのように人類は進化して来たからだ。
だから、人間は悪魔を生み出した。
不必要な恐怖や嫌悪を向ける対象。
漠然とした不安の責任を取る者。
この数千年間、人類は自らの不要な感情を悪魔に押し付け、悪魔に隷属して生きてきた。
『隷属は自由』
No.5が言った。
『悪魔に隷属する事は、不安を悪魔に背負って貰うことだ』
そうして初めて――
『人は自由になれる』
悪魔は永遠の存在でなくてはならない。
ウイルス如きで倒される存在であってはならない。
「でもな――
口を挟もうとする櫻井を、彼は止める。
『サクライ、ワイはあんさんが嫌いやった』
『何も苦労を知らんと女の尻追っかけよって、人に隠すことなく自分の感情を晒しよって』
彼の声は掠れ、次第に聴き取り難くなっていく。
『ジュリアもそうや。”D”である不幸を喧伝して、自分がどんだけ恵まれとるか知ろうともせんかった』
『あんさん達も、クリン達も、大っ嫌いやった』
その言葉を最後に、デジレだった男は息を引き取った。
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-2046年4月21日 23:10(UTC-1)-
『pSion:サクライ、彼は――
「わかってるさ」
櫻井は1人、デッキに用意されていた鉄の檻に彼の遺体を封じ込めた。
ヒトは嘘をつく時、多少なりと緊張する。
それは、専門家でなければ判らないほど微妙な差異。だが自動翻訳機は、その差異を検知し、妙な関西弁としてそれを表した。
彼は常に自分を偽り、”デジレ”を演じていた。だから彼の言葉は常に妙な関西弁に翻訳されていた。
「コイツが言ったことなんて、全部嘘っぱちだ」
だが――
「それに俺は悪魔が必要だなんて、思えない」
それでも――
「最期の言葉を嘘で固めてまで、成し遂げたかった事なら――
櫻井は歯を食いしばり、鉄の檻をデッキから押し出す。
大西洋外洋ならば、遺体を誰にも見つからぬよう処理する事は容易い。
遺体が見つからなければ、No.5の死は誰にも知られない。
彼は”悪魔”として不死の存在になり得る。
彼が望んだ通りに。




