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この件はくれぐれもご内密に  作者: tema
第十章 ワシントン流星雨の日
67/81

102号室

========

-2046年4月19日 22:30(GMT(グリニッジ標準時))-


--まさか、死んだわけではあるまいな?

弛緩した櫻井の身体を目にして、オブライエンの背を冷たい汗が伝う。

--この男は、今死んではならない

オブライエンの脳裏に、彼を再教育した男の言葉が過ぎる。


--世界の何処であっても、誤った思想の存在は許されない

たとえその者が無力であろうと。

その者が死を目前にしていようと。

その思想が秘密にされていようと。

誤った思想は、それを持つ者を再教育し、完全に否定しなくてはならない。


16世紀の宗教改革では、異端者は異端者のまま火刑場へ送られ、異端者として死んだ。

20世紀のロシア革命では、粛清の対象者は、反乱思想を脳内に忍ばせたまま、銃殺された。

それでは、異端も反乱思想も、根絶できない。


その穏やかな死に、身を委ねさせてはならない。

誤った思想は、死を待つ者の脳内にも存在してはならない。


専制君主曰く「汝、為すべからず」

全体主義者曰く「汝、()く在るべし」

それでは駄目なのだ。

だから我々は告げる。「汝、斯く(なり)」と

例え脳髄から外に出ることのない思想であろうと、社会に害なす思想は根絶しなくてはならない。否、社会を愛する思想で脳を満たさなくてはならない。


--サクライ、君はいずれ死刑となるだろう

——だが、今では無い

--君が死ぬ時、それは社会に対する愛に包まれた死だ

--誤った思想を抱いた者など、存在しない

--故に、全ての者は社会への愛の中、歓喜の中で死ぬのだ


「心電図、脳波計は正常値です」

看守の言葉に、オブライエンの思考は現実に引き戻される。

社会への反抗心を抱いたまま死ぬことは、認められない。

先程の言葉は、この男(サクライ)がまだ反抗心を抱いていることを示していた。


だが--

オブライエンの思考は、再び彷徨い出す。

3,000Vの電気的ロボトミにより、この男の前頭前皮質は重篤な損傷を負った筈だ--否、負った。

負った筈、などということは無い。

社会が定めたことは、全て成される。誰かが過ちを犯したのでない限り。


3,000Vの電流が流れるその時、瞬電が起きた--

その記憶はオブライエンの脳裏に浮かんだが、その記憶が櫻井の言動と関連づけられることは無い。

瞬電など起きるべきではない。

故に、それは起きなかったのだ。


前頭前皮質に損傷を負った者は、対立する考えを区別する能力を失う。

矛盾を矛盾と感じる能力を失う。つまり2+2=5を許容するようになる。

これは、二重思考(ダブルシンク)とは異なる思考だ。

二重思考は、矛盾を許容しながら論理的思考を行うテクニックだ。社会を尊重しながら論理的思考を行うために必要な技法だ。だが多くの者は、その技法を習得できない。

だから論理的思考を求めず、矛盾を許容させる。

前頭前皮質に損傷を負わせることによって。

3,000Vの電気的ロボトミによって。


今のオブライエンにとって許される現実は--社会に許容される真実は、さほど多くない。

この男(サクライ)は具現化された苦痛に襲われ、その恐怖により人格の中心が折れた。

それが"現実"だ

先日、この部屋で再教育されたウィンストン・スミスのように。

--以前の私(オブライエン)のように


--だが彼は、最期の叫び声は、私とは違った

ジュリアの存在を主張するものだ。

オブライエンの心に、恐怖が浮かび上がろうとする。

だが、彼の壊れた人格は恐怖を認識できない。


--この男(サクライ)は耐えられなかった。彼がこの世で最も恐れるネズミ(・・・)

そう社会が櫻井を定義したからだ。


========

-2046年4月19日 22:45(GMT)-


--なんで、拘束を外そうとしないんだろう?

厳重に固定された椅子の上で、櫻井は焦る。

直前に聞かされた計画では、"再教育"が終わった櫻井は自由の身になるハズだった。

だがオブライエンは拘束を外さず、無言で櫻井の前に立っている。


『pSion:軽くヤバい?』

--軽くねェよッ!

有機EL眼鏡(グラス)に映るアルのメッセージに、櫻井は叫びそうになる。

だが、焦燥感、恐れよりも大きな感情が櫻井を満たす。

——生きてやがった

——そうそう死ぬタマじゃないと思ってた

——アルも、アサラトも、おそらくみんな無事だ


一方、客観的に見て、櫻井は絶体絶命である。

たとえ脳の一部を損傷していても、鍛えられたオブライエンの身体は、櫻井など片手で縊り殺せる。


『pSion:残念だけど、ボクらの子供たちはそれほど強くない』

櫻井の目の前には、多数のネズミが--頭の丸い13世代のSマウスがうろちょろしている。

櫻井のマスクに繋がれたケージに、てんこ盛りに詰め込まれていたのだ。


櫻井にとって、この世で最も恐ろしい具現化された苦痛。

それは、櫻井にとってはゴキブリだが、社会にとってはネズミである。

Sマウスが、櫻井に対する調査資料を書き換えたからだ。


但し、櫻井が何処に囚われたか一時的に見失い、情報の書き換えは非常に際どいタイミングだった。

あと数分遅ければ、櫻井のマスクの中にはゴキブリの群れが蠢いていただろう。

--って件は、くれぐれもご内密に。


『pSion:それじゃ、B案で行く』

--B案?

『pSion:未来世紀ブラジルって映画、知ってる?』

——いや、観たことない。

その映画では、主人公が絶体絶命の窮地に陥った際、非合法の配管修理工が救助に現れる。


ドアが開く音がして、次にオブライエンの声が聞こえた。

『お前、なぜ此処に?』


次の瞬間、オブライエンがブッ飛ばされる音がした。


========

-2046年4月19日 22:50(GMT)-


「お前、なぜ此処に?」


拘束を解かれた櫻井が、非合法の配管修理工に言う。

その修理工は、デジレの顔をしていた。


『ジュリアに頼まれた』

彼の声、話し方は、デジレのそれでは無かった。

No.5と呼ばれた男のそれだった。

櫻井を”欠陥品であり、拭い去るべき汚点”と言った男だ。

ジュリアを見殺しにしたはず(・・)の男だ。


「そうか。彼女は--

無事か?そう聞こうとして、櫻井は口を閉じる。

彼の言葉を信じることができない自分に気づいたからだ。


「アル、ジュリアは元気か?」

『pSion:うん』

たとえ種が違っても、信じるに足る者は居る。

たとえ種が同じでも、信じられない者も居る。


櫻井が、コンゴで初めて言葉を交わしたのはデジレだ。

最初の内、慣れないコンゴでの生活で、何くれとなく世話を焼いてくれた。

ジュリアと恋仲になった後は、2人だけの時間を優先してくれ、偶に2人が喧嘩した時は間を取り持ち仲直りさせてくれた。

交わした言葉の量で測れば、最も親しかったのがデジレだ。

——否

椅子の上に立つ櫻井は、デジレを演じていた(・・・・・)男を見下ろす。


『pSion:櫻井、彼は--

『私はもう、長くは無い』

アルのメッセージを、その男の言葉が上書きする。


『pSion:対"D"ウィルスに感染している』

『今更、許せと言うつもりも無い』

『pSion:抗ウィルス製剤は開発済みだけど』

『だが、私が出来る願いなら、叶えよう』

『pSion:彼は投与を拒んだ』


彼の顔は、櫻井の拳が届く位置にある。

死の病に感染しているとはいえ、その男は明らかに櫻井より強い。

だが、拳を避けはしないだろう。


「とりあえず--

櫻井は、よろよろと椅子から降りる。

「こっから出て、メシでも食わしてくれ」

ビール(サッポロ)もつけよう』

その男がデジレの記憶を持つことが、櫻井には堪らなく嫌だった。

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