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この件はくれぐれもご内密に  作者: tema
第九章 101号室
64/81

社会、永遠の存続を目的とする

========

-日付不明 時刻不明-


何言ってんだこいつ。


櫻井の感想である。

戦争を始め、何十万人も殺し、何万ガロンもの燃料を消費した原因。

それはジュリアの――設計された人類(デザイナ・チャイルド)の絶滅が目的だったはずだ。

なのに、そのジュリアは存在しない。オブライエンはそう言う。


“今や”存在しない、では無い。

過去に於いても存在していなかった。

そうオブライエンは言う。


「証拠は有る。山ほどな」

視線と瞬きで、有機EL眼鏡(グラス)の記録をオブライエンの有機コンタクトに送信(ドロップ)する。

オブライエンと初めて会った時、ジュリアが彼にハグしている静止画だ。

ジュリアもオブライエン自身も、喜びに顔を輝かせている。

幸福だった頃の、過去の記録だ。


その画像は、オブライエンの視線と瞬きで削除された。櫻井の有機EL眼鏡からアクセス出来なくなる。

第3者による、櫻井の個人フォルダの操作。

有機EL眼鏡の製造元(クラウドベンダ)が”絶対に不可能”と保証した行為だ。

『もう存在しない』


『既に3大クラウド上から、彼女の記録は削除している』

だから?

「俺は覚えてるぜ。お前だって――」

『いや』

オブライエンがゆっくりと首を横に振る。

『私は覚えていない』


二重思考(ダブルシンク)

矛盾した状況を、矛盾したまま受け入れるテクニック。

『そして君も彼女など覚えていない』


だめだこりゃ。

そう思った瞬間、櫻井の身体に痛みが流れ込む。

その痛みの波は永遠と思えるほど長く、足の爪先から髪の先までを満たし、なおも注がれ続けた。


『今のが65だ』

櫻井の視線はオブライエンの手元、そのダイアルから外すことができない。

「判った、俺も――」

覚えてない。そう言おうとした櫻井の脳裏に、言葉が蘇る。


――全てを偽り(False)にしてはならない


彼女(ジュリア)の存在を否定するな。そうサイムは言った。

死を前にした彼の、最期の言葉だ。


「いくら権力を持ってても、彼女が存在した(・・)ってことは変えられない。タイムマシンでも無い限り、過去は変えられない」

『ふむ、その点についても君は誤っている』

オブライエンは櫻井目の前に立ち、両手を広げる。


『過去を制する者が未来を制する。現在を制する者が過去を制する』

社会学者が発見した知見だ――とオブライエンは説明する。

『正史とは、勝者が綴る歴史だ。その後、何者かに敗北すれば、その時点でそれは偽史となる』


『我々は勝利した。故に、我々が綴る過去が正しい過去だ』

「そうなんだろうな。お前の中では」

再び櫻井の身体に痛みが流れ込む。

『君も、まだ理解していないようだ。あの男――スミスの様に』

牢獄で一緒になった、化物めいた男だ。


『だがスミスも漸く理解してくれた。現実とは社会から離れて存在するものではない』

オブライエンの手が動き、櫻井から痛みの波が突然引く。

『真実とは人間の脳にだけ存在するものだ。それ以外のどこにも存在しない』

そして――

『多くの者の真実、即ち”社会”の真実こそが現実だ』


「だが、ジュリアが存在した過去は変えられない」

『それは誤っている。君は過去を実体のある事物のように捉えている。君は過去の存在をどう証明する?』

「記録が――

『我々は記録を変更できる』

「俺に!記憶が残っている。お前だって――

“覚えていない”そうオブライエンが言ったことを思い出し、櫻井は口を閉ざす。


『我々は記録を制し、記憶も制する。故に過去を制している』

「俺の記憶すら制して無いじゃないか」

『それは君の――君だけの真実だ。社会の真実とは異なる』

つまり――

『君は社会に於いて、ありもしない事を記憶している――そう主張している記憶障害者だ』


『1つ、助言しておこう。君の言う”過去”は事実に属するものだ』

そして――

『事実とは、脳の外側で既に起きてしまった事だ。それは確かに変えられない』

だが――

『変える必要も無い。現実にとって事実など関係ないからだ』

「そんな――

馬鹿な、と言う言葉は、櫻井の口から出ることは無かった。

オブライエンの手が動き、痛みの波が櫻井を満たしたからだ。


『地球は平坦で宇宙の中心に在る。そう信じる社会にとって平たい地球が現実だ』

宇宙は数千年前に神により生まれた。

人類は神により創られ、ボノボやチンパンジーとの共通祖先から進化したものでは無い。

人類が月に降り立った事は無く、救世主(キリスト)は死んだ3日後に復活した。

もし社会がそれを信じれば、社会の真実となれば、それが現実となる。


『”現実”は社会が観る幻想に過ぎない。だが、それが社会を動かしている』

「事実など不要ってワケか?それじゃ自然科学なんて発展しない」

『社会には最早、自然科学など不要だ』

自然科学、それに伴う技術は、ヒトの生活を豊かにした。

平均寿命は伸び、飢える事も渇く事も無くなった。

そのような社会を構築した。


人間は、その社会に適応した。

最早、人間は社会無くしては生きられない。

人間の為の社会は、いつしか社会の為の人間に変容した。社会が存続するなら、個々人の幸福は必要ない。

『例え、人間の一生が苦難に満ちた道のりになったとして、仮に人間が30才で老人になる社会だとして、それが社会の存続に何の関係がある?』


『社会という多細胞生物、人間はそれを構成する代替可能な細胞に過ぎない。君は爪を切る時、爪を構成する細胞の事を考えるかね?』

「だからと言って、わざわざ人々を不幸にする必要があるのか?」

『不幸など無い』


『人間は社会を愛する事で、幸福となる――否』

オブライエンは、穏やかな微笑みを浮かべる。

『社会を愛するよう、人間を変えていく』

教育、環境、経済。それらに社会を愛する者を優遇し、批判する者を不利となる様な淘汰圧を設定する。

数世代を経ずして、人間は社会のみを愛する存在へ変わるだろう。

それが、真理省(ミニトゥルー)の役目だ――そうオブライエンは言う。


『我々の神経学者は、性欲を滅ぼす研究を行なっている』

「な…」

『社会以外に愛情を向けない様にする為だ』

「それじゃ人口だって…」

『生殖は輪番制の義務となるだろう。相手や子供、ましてや己の欲望では無く、社会存続の為の行為となる』


「んな社会が長続きする訳無いだろう!」

オブライエンは爽やかな表情で首を横に振る。

『君は”マズローの欲求5段階説”を知っているかね?』

人間の欲求は段階的であり、低位の欲求が満たされない内は高位の欲求を求めない、という仮説だ。


『社会運動は3段階目、つまり2段階目以前に不満を持つ者は、社会に対し不満を持たない』

1段階目の欲求は生理。食欲、睡眠欲、排泄欲などだ。

2段階目の欲求は安全。不慮の事故に怯える者は、社会など考慮できない。

『だから、常なる不慮の危険、飢餓が社会を守る』

それは、愛情省(ミニルヴ)豊富省(ミニプレンティ)の役目だ――そうオブライエンは言う。


『性的欲求は、4段階目の欲求――承認に通ずる。故に無くさねばならない』

「そんな社会は、革命で滅ぶッ!」

『革命など起きない。社会は永遠に続く』


『庶民に期待しているなら、それは無駄だと言っておこう。彼らは愚鈍だ。愚鈍だからこそ庶民なのだ。もし愚鈍で無ければ、我々かその者を教育する』

新数学(ニューマス)も、その仕組みの1つ。

掛け算や足し算に順序など無い。そう主張する小学生は監視下に置かれ、教育を受ける。

社会を愛するための教育。そして、二重思考(ダブルシンク)の教育だ。


『出身、人種などは関係ない。全ての者に機会が与えられる』

二重思考を操れる者は、社会の中心に導く。

操れぬ者は要注意者として監視を続け、適切な”処置”を行う。

ある日、その子は失踪する。不慮の事故に遭う。


『科学は、武力を保つためだけに存在を許される。二重思考を身につけた社会の中心に居る者のみが、科学を扱う。抵抗勢力(レジスタンス)による社会の崩壊。君はそんな未来を予測していただろう。全て無意味だ。庶民は反乱など起さんよ。千年経とうが、百万年経とうがね。彼らには無理だ』

なぜなら——

『我々が庶民をそう導く。矛盾した情報を与え、科学的思考能力、論理的推論能力、それらを取り上げる』


「ならばッ!」

櫻井の瞳に炎が宿る。

「俺は社会など要らん!肉食獣に喰われても社会の外で生きる!」

『そんな存在は認められない』


『過去、専制君主は”汝、かくあるべからず”と命じた。全体主義者は”汝、かくあるべし”だった』

オブライエンは櫻井の前に壁の様に立ちはだかった。

『サクライ、我々が命じるのは”汝、かくなり”だ』


『君は今、社会からの自由を求めている。もしかすると、君は地上最後の自由な人間――否、自由なボノボなのかも知れん』

無論――とオブライエンは続ける。

『そんな存在は認められない』


部屋に、白衣を来た男が2人、入って来た。

オブライエンは、彼らを気にすることもなく囁く。

『我々は君の精神の全てを破壊する。君は空っぽになるのだ』

それから――

『我々の精神で君を満たす』


重い音を立て、櫻井の後頭部に何か装置が置かれた。頭部が動かぬよう固定される。

『3,000だ』

オブライエンの言葉に、白衣の男の1人が装置を設定し、もう1人が少し湿ったパッドを櫻井のこめかみに貼りつける。

櫻井の頬に恐怖の汗が伝う。

痛みが、新しい種類の痛みが来る。


『今度は痛みでは無い』

オブライエンが、いっそ慈愛を感じさせる口調で言った。

『肉体が何とか耐え、精神が崩壊する領域だ。君は痛いと思う事も出来ない』

オブライエンは、ふと天を仰ぎ、思い直すかのように首を横に振る。

『いや、その時は痛いと感じる”君”など居ない』


櫻井は助けを求め、動かせる目だけで辺りを見渡す。


次の瞬間、櫻井の視覚は闇に閉ざされた。

俺、後2話投稿したら、気楽な文章書くんだ…

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