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この件はくれぐれもご内密に  作者: tema
第九章 101号室
63/81

社会、再教育を施す

========

-日付不明 時刻不明-


櫻井は、ベッドのようなものに横たわっていた。

そのベッドは床から高く、彼はその上に動けないように固定されていた。

狭い部屋には多数のメータが並ぶコンソールが1台あり、その前に椅子があった。

関節を砕かれた右肘は、今も針で刺すような痛みを伝えている。

低い天井から照らされるLEDライトの光が眩しい。


逮捕状も見せられず、黙秘権も弁護士を呼ぶ権利も与えられない。

捕虜規定も、降伏も、ハーグ条約も無い。認められていない。

櫻井はおそらく、もう人間でほない。人間として社会に認められていない。

櫻井はこの場所に来る前、一時的に入れられた牢獄で一緒になった、化物めいた男を思い出す。


========

——3日前——


その男は櫻井と同じオーバーオールの残骸を纏っていた。

オーバーオールの下の体には薄汚い黄ばんだぼろ布が巻きつき、かろうじて下着の残骸であることがわかるだけになっていた。更にその下の肉体は、弓のように曲がった灰色の骸骨のようなものだった。


櫻井は最初、男が白髪だと思ったが、白く見えているのは頭皮だった。手と顔の周りを除くと彼の肉体は汚れで覆われていた。汚れの下にはそこかしこに赤い傷跡が走り、くるぶしの近くでは潰瘍が真っ赤に腫れ上がっていた。

そしてその肉体は、肋骨が骸骨のように浮き上がり、足はやせ細り太腿より膝関節の方が太く見えた。


背骨が曲がっているため、彼の顔は前に突き出されている。

禿げ上がった頭皮へと続く整った額、ねじ曲がった鼻、殴られた跡のある頬骨の上には恐ろしげで油断無い目が光っていた。


男はウィンストン・スミスと名乗ったが、口には歯が殆ど無く、不明瞭な発音は、強化された有機EL眼鏡(グラス)が無ければ判読できなかっただろう。

櫻井は覚えていないが、その名を彼は聞いたことがある。

ロンドンでハラムが真理省(ミニトゥルー)のサーバに侵入(クラック)した際、真犯人とされた男の名だ。


ここは刑務所では無い。

ここは捕虜収容所では無い。

もっと恐ろしい何処かだった。

だが、更に恐ろしい場所がある。そう男は言った。


外から重々しい軍靴の足音が聞こえ、鉄格子が音をたてて開くと、蝋人形のような顔の執行官が2人の兵士を従えて歩いてきた。


『101号室だ』執行官が言った。


スミスの顔が歪む。

その顔に、まだ歪む余地が残っていたことの方が、櫻井には驚きだった。

骨と皮だけのその肉体の何処に力が残っていたのか、スミスは抵抗し、吠えた。その声は最早、人の声とは思えぬ、意味を持たぬ音だった。


以後、櫻井はスミスの姿を見ていない。


========

-日付不明 時刻不明-


ベッドにようなものに固定された櫻井は悟る。


此処は101号室では無い。

まだ、其処ではない。

血と吐瀉物の匂いが立ち込める此処は、スミスを――おそらく普通の人間だったスミスを、あの姿に変えた場所だ。


少なくとも、まだ死ぬことはできそうだ。

櫻井は思う。

身体は固定されているが、舌を噛み切ることはできる。

絶対的な解決方法――死は、まだ櫻井の自由にできる選択肢だ。

それ以外の選択肢は、残念ながら多くない。


軍靴の音が近づいて来る。扉が開く。

見覚えのある姿が、背を屈めて部屋に入って来る。

足枷を鎖で繋がれたその男は、米軍人でジュリアの兄弟子だと紹介された男だ。


『オブライエンだ。覚えているか?』

「あんたも捕まったのか」

男は首を横に振る。

『もうずっと以前に私は捕まっているんだ』

落ち着いた、悲しげな、皮肉めいた声で言う。


彼の顔は疲れ切って荒れ、目の下はたるみ、背は曲がり、手脚は細くなり、以前見た力強さは失われていた。

彼はコンソール前の椅子に座り、上部にレバーが付いたダイアルに手を置く。

「すまない。ジュリアを救えなかった」

櫻井は言う。

『ああ』

オブライエンが言う。


オブライエンの手が僅かに動いた他は何の前触れもなく、痛みの波が櫻井の身体に流れ込む。

それは恐怖を覚える痛みだった。

櫻井は自分に何が起きたか判らず、ただ致命傷を負った気がした。


オブライエンがダイアルの目盛りを下げると、痛みの波はそれが来た時と同じくらい素早く引いていった。


『今のが40だ』

オブライエンが言う。

『このダイアルの目盛りは100まである。私がいつでも君に好きなだけ、痛みを与えられるということを覚えておきたまえ』

櫻井に、頷く以外の選択肢は与えられなかった。


オブライエンの声は、穏やかなままだった。

だが、それは異常だった。

『君は記憶障害だ。現実の出来事ではなく誤った出来事を記憶している』

少なくとも――

『そう思い込んでいる』


『私が君と初めて会った時、そこには他に誰が居たかね?』

「ジュリアと――若い兵士が」

『それが障害だ』

オブライエンが手を動かすと、痛みの波が櫻井に流れ込む。


『若い兵士とはカビラの事だろう。だが、他には誰も居なかった』

身体に、精神に流れ込む痛みの波に痙攣しながらも、櫻井の脳は疑問を浮かべる。

この男は、何を言っているんだ?

意志に関わらず首が捻れ、オブライエンの手元、55を示すダイアルが視界に入る。


『良いかね、ジュリアなどという者は存在しない』

それが――

『君の記憶障害の中枢だ』

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