櫻井、職をさがす
「それは、MDBが倒産したからだ」
藤田の言葉が、櫻井の脳裏でコダマする。
MDBが構築した投資判断AIがある。
それを顧客がネット証券に接続して、AIが直接売り買いさせるようにした。
投資上限額などは設定しておらず、結果として巨大な損失を被ったらしい。
「それは、ウチの責任じゃないだろ!」
「投資に失敗したのはウチのAIの責任だ、というのが顧客側の弁護士の言い分だ」
「裁判官は顧客側の言い分を認め、MDBの資産は全て損失補填に回された。ま、あっちの弁護士がスゴ腕だったんだ」
そんな無茶な。呆然と呟く櫻井に対し、あくまで冷静な藤田。
「AIがなぜこんな判断をしたのかってことは、誰も説明できない。それが裁判官には誤魔化しに思えたらしい」
AIの多くの処理は、なぜ動くかすら説明できない。説明できる部分も、高度に数学的な話となるため、裁判官には伝わらない。
裁判官に伝わらないことは、裁判では証拠として認められない。
だからAI絡みの裁判は、ベンダ側が圧倒的に不利になる。
「今は投資の多くをAIがやってるからな。おそらく今までの学習データが役に立たなくなったんだろう」
なんの慰めにもならない説明をする藤田。
ちなみに彼は、かなり以前からAIに投資をさせ、大儲けしたとの噂がある。
「裁判で不利だと知った瞬間に持ち株を売って、助かったよ」
「ちょっと待て! 今お前、なに言った」
櫻井の追求に、電話の向こうで藤田が詰まる気配がした。
「なんでお前が裁判の状況を知ってるんだ」
いやー、と藤田が口を割る。
「ほら、知っての通り俺の妻はアレだから」
大学時代に知り合った藤田の妻は、某財閥の末娘である。
法的には財閥の娘婿だろうが、独身のサラリーマンだろうが裁判の状況を知ることができない、という点は同じ。
ただし、そのタテマエと現実の間には、深い溝が横たわっている。
--ぢぐじょぉおお…
藤田との間にある深い溝を妬む櫻井。
「今回の件で俺は傷者になった。妻の実家からすればな」
彼をとりなすべく、藤田は言う。
「俺は家を追い出された。多分、離婚させられるだろう。もう、息子とも会えないかも知れない」
ゲスではあるが、息子を可愛がっていた藤田の姿を思い出し、櫻井はちょっと同情する。
多少の損得はあっても、職を失ったのは櫻井も藤田も同じだ。
「そうか、お前も大変なんだな」
「あ、そうだ。なぁ麗華、櫻井から電話が来たけど、話すか?」
「!?」
--イッタイ、オ前ハ、ドコデ誰ト話シテイル?
「べつにいいってさ。じゃあ日本に帰ってこれたら連絡してくれ」
ガチャン。ツーツーツー
「俺は、どうやって帰れば…」
改めて藤田に対する妬みを膨らます櫻井であった。
-2045年8月9日(水)16:55-
『大変な状況みたいね』
唖然と呆然、妬みと嫉みが心の中でコサックダンスを踊っている櫻井の前に、女神が舞い降りた。
空港まで送ってくれたお尻ちゃん--ジュリアである。
「あ、ああ。日本まで帰る旅費を捻出できるかどうか…」
『大丈夫。この国は職には事欠かないわ。暫くこっちで働いて旅費を貯めたらどう?』
なんて優しい人だ、特に藤田と比べて。と感動する櫻井。
ジュリアは櫻井の横に座り、携帯ディスプレイを広げる。
『貴方はスクリプトが書けて、AIの技術者でもあるわね』
ポン、ポンと、ジュリアはノートに映し出された項目を選択していく。
『他には、何ができるの?』
ジュリアのノートを見つめると、櫻井の有機EL眼鏡が映し出された文字を翻訳する。
ポン、ポン、ポン。
何件か選択すると、次に労働条件の画面が出た。
『住居と食事の提供は必要よね』
ジュリアが2つの条件を選択する。
『他に何か希望はある?』
ポン、ポン、のポン。
賃金欄を選択しようとすると、ジュリアが止めた。
『言葉が話せないのに、高給は望まない方が良いわ。危険だったりキツい仕事もあるから』
女神様の仰せのままに。櫻井は賃金欄に手をつけるのをやめた。
『今日泊まる処も無いんでしょ?』
ジュリアに指摘され、"今すぐ就職できる"という欄を選択する。
選択の都度、表示される企業が少なくなっていたが、とうとう1つだけになった。
『このボタンに触れれば、向こうの人事担当に繋がるわ』
色々ありがとう。と涙ぐみそうになった櫻井だが、ネクタイを直し、仕事モードに頭を切り替える。
--いざ。
ポン。
『やーどもども。まいどおーきに』
ノートに、見覚えのある笑顔が映し出された。
『ちょうど皿洗いや掃除、洗濯、その他もろもろの雑用を片付けてくれる人が欲しかったんや』
そこには、デジレが満面の笑みを浮かべていた。
『雑用の合間に、ちょこちょこっとスクリプト書いてくれる人なら大歓迎や』
--これは
『しかも、こないな低賃金で。これなら所長も大満足やで』
てへっ。
横で舌をぺろっと出しているジュリア。
--騙されたーーっ!
泣きっ面にストロングマシーン1号・2号。
渡る世間は鬼ばかり。
そのことを痛感する櫻井であった。