櫻井、出張する
-2045年8月6日(日)23:10-
『これより当機はルブンバシ国際空港への着陸体制に入ります。シートベルトをお締めください』
自動翻訳機が機内放送の声を変換し、有機EL眼鏡に日本語で表示する。
『現地の天候は晴れ。気温は28℃、気圧1,014hPa、風力2、南の風』
「意外と暑くねェな」櫻井は呟く。
首を回すと、盛大にゴキゴキ音が響く。
東京からエア・ジャパンで香港へ。そしてキャセイ・パシフィックでヨハネスブルグへ。さらに聞いたことも無い航空会社の機上である。
2日間の移動はすべてエコノミー。アラサーの身体には少々こたえる旅だった。
着陸後、手荷物を受け取り税関ゲートを潜る。と、色鮮やかな光景が広がった。
日本では滅多に見られぬ原色の服。それを纏う漆黒の肌。
ここは世界で最も活気に溢れた地。中央アフリカ、コンゴ民主共和国。
文明は西に回る。
19世紀の西洋、20世紀前半の米国、後半の日本、21世紀前半の中国とインド。
そして21世紀後半はアフリカの時代と言われている。
その中心地がここだ。
以前は汚職と贈賄、それに伴う内乱で疲弊していたコンゴ民主共和国。
国連軍が進駐し内戦を強引に収めたものの、幾度トップを挿げ替えても繰り返される汚職と贈賄。
世界的な不況の折、進駐軍のコストも無視できない国連は、汚職も贈賄も恫喝も効かない者に国家運営を任せることにした。
政策支援AI。
2020年代に、イタリアの政治家が政策及びスピーチ原稿を全てAI任せにしていたことがバレて失脚する、というスキャンダルがあった。
だがこのスキャンダルは、逆に政治におけるAIの有用性を示すことになり、結果として政策支援AIの発展と普及に寄与することになった。
政策支援AI、及び各種公共サービス用のAIを構築し、その指示の下で人間が働く。
人間による政府・公共に比べ効率は悪いものの、汚職も贈賄も恫喝すら受け付けないAI政府により安定したコンゴは、核融合炉による電力と豊富な地下資源により急速に発展した。
さて、そのコンゴで櫻井は途方にくれていた。
--迎えに来てくれるって話だったが
人ごみの中で、きょろきょろ視線を動かす櫻井。
と、人波を掻き分け近づいてくる男が目に留まった。
長身の男だった。183cmの櫻井が見上げるほど上にある顔が、笑いかける。
『サクライさんやね』
大きな手が握手を求める。
『ワイは、エマニュエル・デジレ・ムバラ。デジレって呼んでや』
なぜかトランス先生、彼の言葉を妙な大阪弁に翻訳する。
さらにデジレの名を検索したらしく、彼が分子生物学者であることや、彼が書いた遺伝子操作に関する論文一覧をグラスに表示する。
若いが、その道ではかなり有名な学者らしい。
「あ、櫻井和之です」携帯ディスプレイを広げながら言う櫻井に、デジレは手を振る。
ノートには仏語に翻訳された櫻井の言葉が表示されている。
『大丈夫や、有機ELコンタクト入れてるさかい』
黒い手が、櫻井の手を握る。
「よく私が判りましたね」
顔写真も何も渡して無いはずなのに、デジレは一直線に櫻井を捕まえた。
『それ着けてたら、どこに誰が居るかは一発や』
それ、とは入国の際に左手首に着けられたタグだ。
「え、でもそれってプライバシーの侵害じゃ…」
デジレは慌てて自分の口を掌で塞ぐ。
『ヤバっ。これ言ぅたらあかんのやった。この件はくれぐれもご内密にな』
ほなこっちや、とデジレは駐車場に向かった。
デジレが乗って来たのは4tトラックだった。
--なんじゃこの車
思わず心の中でツッコむ櫻井。
『折角ルブンバシまで行くんやからって、色々買い物を頼まれとってな』
--って、どんだけ買ったんだ?
とも言えず、曖昧な笑みを浮かべて櫻井はトラックに乗り込む。
『ほな出発』デジレがボタンを押すと、トラックはエンジンがかかり滑らかに発進した。
「自動運転なんですか」驚く櫻井に、デジレは意外そうな顔をする。
『日本じゃちゃうの? このトラック日本製やで』
確かに自動的に回っているステアリングには、見慣れたエンブレムが入っている。
「いや、日本じゃ自動運転は高速道路限定ですよ」
法整備や事故防止が難しくて、と櫻井は言い訳する。
『ま、こっちじゃ自動運転やないと、やっとれんからな』
そう言いながらデジレは座席をリクライニングさせる。
道路や外は見る気ナシ。
櫻井は気が気じゃないが、デジレは余裕である。
『あんさんも寝とった方がええよ。5,6時間かかるさかい』
--なんですとーっ!
櫻井は心の中で絶叫した。
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2人が目的地に着いた時には、夜が明けかけていた。
--もー何にも乗りたくねー!
櫻井の心の中で、魂の叫びが響いた。
トラックがガレージに止まり、シャッターが下りてくる。
重い荷物を抱えた櫻井がトラックから降り、よろける。と、黒い腕が彼を支えた。
その力に比べ細い腕はタンクトップを着た肩に繋がり、くっきりとした眼差しが櫻井を捕らえていた。
女らしい膨らみを持つ胸。
くびれた腰。
そしてアフリカの大地のように雄大なお尻。
--乗りてー!
櫻井の心の中で、魂の叫びが響いた。