サイム、対策を講じる
-2045年10月18日 20:00-
コンゴ民主共和国の窓口、ルブンバシ国際空港。
この日、ここを訪れた人々は幸運だった。
めったに見れぬ光景を目にしたのだ。
到着ロビーに、長い紙を持った男が3人並ぶ。
紙には特大フォントで"お帰り!ハラム"と書いてある。
真ん中で紙を持つ男が、ノーベル賞学者だった。
トマス・サイム。
英国が生んだ"知の巨人"だ。
人々の注目を集めながら、待つことしばし。
入国ゲートを通る美女に、何人かの視線が集まる。
胸に抱えてるのは、毛布に包まれた赤子だろうか。
彼女は足取りも軽く、3人が作る輪の中に飛び込んだ。
なお、その後ろで大きな荷物を抱えモタモタしてる黄色人種には、誰も目を向けない。
だがモンゴロイドの後ろから現れた姿に、到着ロビー中の視線が釘付けになった。
クレオパトラ・デートリッヒ。
英国が生んだ"美の女神"だ。
ふとサイムが目を上げる。
凍る。
英国の美が知と向き合う。
あ、知が逃げた。
捕まった。
コンゴ民主共和国の窓口、ルブンバシ国際空港。
この日、ここを訪れた人々は幸運だった。
知の巨人が美の女神に連行されるシーンなど、そう見れるものではない。
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-2045年10月18日 20:30-
サカニア総合研究所へ向かうトレーラ。
注目されぬよう、何人かは外からの目が届かぬ荷室にいる。
クレオパトラ、サイム、ハラム、そして櫻井。
櫻井は注目を集めないが、怯えたハラムが離れようとしなかった。
正しい判断である。
さすがは、地球上で2番目に知能が高い種である。
荷室では先程から、美の女神を中心に"おどろ線"が伸び、知の巨人の上から"たれ線"が降りている。
隅の方で、櫻井とハラムは怯えている。
なお、アルは櫻井を見捨てて助手席。
さすがは、地球上で最も知能が高い種である。
『なぜ彼女までここに?』
サイムが櫻井ににじり寄り、囁く。
クレオパトラが一緒に来るとは、まるで知らなかったサイムである。
興味が無いことは、徹底して知らない。
それがサイムという男だ。
彼は今、己のその性格を後悔していた。
「いや、CMの撮影はカサブランカなんで、彼女はそこで降りるはずだったんですが…」
『大丈夫よ』
と話に割り込むクレオパトラ。
『プロデューサも監督も、快く同行を許可してくれたわ』
なにせハラムを運ぶため、無理やり決めた撮影である。準備が全然整ってないのだ。
『彼女は、あー、どこまで知っている?』
更に声を落とすサイム。
「バレました」
『バレた!?』
大声で叫ぶサイム。
「いや、ハラムの知能のことが」
『そっちか』
『あなたがこっちで作った彼女のコトなら、まだ聞いてないわ』
ぎくー
音が出そうなほど、固まるサイム。
『だ・か・ら・』
と、艶然と微笑むクレオパトラ。
『こうして研究所まで行くんじゃない。直接会うために』
サイムの顔が青くなった。
櫻井の脳裏では行進曲が鳴る。題名は"大怪獣コンゴ大決戦"。
『さて、明日の決戦に備えて早めに眠るわ。お休みなさい』
暫く後、静かな寝息が聞こえてきた。
『ミスタ・サクライ』
一方、今夜は一睡もできそうにないサイム。
『このような状況をくぐり抜けた経験は?』
櫻井の脳裏を、コンゴに来る前週末の記憶が過る。
「もちろん」
デートがダブルブッキングした記憶だ。
正拳突きとハイヒールが関連する、それはもう痛い記憶である。
でもそれくぐり抜けてない。ブチ当たり、とっても痛い目を見た経験である。
「男なら、誰もが通る道です」
横でハラムが、うんうんと頷いている。
ボノボは乱交である。彼女のダブルブッキングは日常茶飯事。
なお、普通のヒトは通らぬ道である。
2人から対応方法を教示されるサイム。
さすがは人類最高の叡智。砂が水を吸い込むように、知識を吸収していく。
ただし、教師が悪かった。
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-2045年10月18日 5:45-
ガレージに停まったトレーラ。その荷台が開く。
部外者の目を気にして、毛布に包んだハラムを抱いて降りる櫻井。
外から直接見えない場所に、何十人ものSボノボたちが集まっていた。
櫻井の腕から飛び出したハラムが、目の前の母親に、アサラトに抱きつく。
息子を抱きしめたアサラトの腕が震える。
その2人に、カリンバが飛びついた。
それをきっかけに、その場のSボノボが全員抱きつき、後はもう団子状態。
「ありがとな」
左肩に乗ったアルに囁く櫻井。
『pSion:こちらこそ』
ぽんぽん。
アルが櫻井の肩を叩く。
櫻井は右唇を釣り上げ、ニヤリと笑みを浮かべる。
アルがどんな顔をしているかは、判らない。
ハツカネズミの表情筋は、あまり発達してないからだ。
『サクライ』
2人の前にアサラトが立つ。
その瞳から涙が溢れ、頬をすべり落ちる。
『ありがとう。本当にありがとう』
アサラトの両手が櫻井の腰に回され、きつく抱きしめる。
ボノボの腕力で。
「いでででででで!」
骨がきしむ、皮が裂ける!
はっと気づき力を緩めたアサラトは、だが腕を離そうとはせず。
櫻井の腹に顔を埋め、泣き続けていた。
そんな2人を、肌を寄せ合い温かい目で見守っているサイムとアトケ。
互いの腰に回した両手の指は、いわゆる恋人つなぎになっている。
そこに現れたのが、目を点にしたクレオパトラ。
--サイム、今あなたにとって大切な人は誰か。その人のことだけを想うように
昨夜、櫻井がサイムに与えた助言である。
--アトケもクレオパトラも大切な人なんでしょ?その想いに嘘をついちゃいけないよ
昨夜、ハラムが与えた助言である。
アトケのことだけを想う。
と同時に、クレオパトラのことだけも想う。
この矛盾した状況を、矛盾したまま受け入れる。
これが、二重思考というテクニックだ。
サイムは、二重思考を学んだことがない。
だが、それと似た矛盾許容論理--矛盾した情報を基に推論を行う技術は、自在に操る。
大切なのは、爆発律に陥らないことだ。すべてを真にし、すべてを偽にする論理破綻。
そこに陥らぬよう、特定の原理を排除しなくてはならない。
『その娘が、"彼女"なのね?』
クレオパトラが問う。
問いかけの形を取っているが、モチロン断定である。
サイムは雄々しく頷く。
『その娘か私か迷って、私を捨てた』
クレオパトラの視線が氷の刃と化した。
『そして、その娘を取ったのね』
『そうではない!』
アトケの目が点になった。
『クレオ、君が言ったのは選言三段論法だ』
ここがトリニティ・カレッジの講堂であるかのように、サイムは言う。
『矛盾許容論理を扱う場合、一般的にその原理は採用できない』
採用すれば、とサイムは唇を引き締める。
『爆発律が発生する』
論理の爆発は回避された。
その代わり、クレオパトラとアトケが爆発した。
2人の視線が、ガンマ線レーザーのようにサイムを貫く。
あのそのこれはつまり。
声にならない声を出すサイムの代わりに、アトケがクレオパトラに話しかける。
『こんな人のムリなお願いを聞いて頂き、ありがとうございました』
『いえ、このくらい何てことないわ。ときにちょっとサイムを貸してくださる?』
『ええ、喜んで』
強張った笑みのまま顎の一振りでサイムを促すと、クレオパトラは研究所の廊下を歩き出す。
その後に従うサイム。
「どなどなどーなーどーなー」
静まり返ったガレージの中、櫻井が唄う追悼の歌が響いた。




