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この件はくれぐれもご内密に  作者: tema
第五章 人類は三番目
34/81

英国、対策を講じる

-2045年10月16日 15:20-


18世紀に建てられた、古い館。

その奥の一室。

磨かれ、塵一つない大理石の床と、数世紀に渡る埃やヤニが固着した天井。

そのテーブルに5人の男たちが着く。


彼らは、30代に見える者から80代まで様々。

だが、いずれも官僚機構の頂点近くに上り詰めた者たちだ。

彼らに名前はいらない。


この席に座るは個人ではなく組織。

例え彼らが今この場で死を迎えようと、何ら問題はない。

重要なのは組織の--社会の永続。


これらの組織名は、真理省、愛情省、平和省、豊富省、そして貴族院。

このテーブルで、英国の現実が決定される。


ボーンチャイナのカップに紅茶が注がれる。

ティースタンドにはサンドイッチとスコーン、デザートが盛られている。


「先日の騒ぎは終結したのか?」

キュウリのサンドイッチを取りながら、軍服を纏った平和省が言う。

「無論、終結した」

と、愛情省。


よりによって真理省のシステムに侵入され、犯人と思しき者を取り逃がした愛情省は、傲然と終結を宣言する。

騒ぎが終結していない現実など、許されない。

故に、騒ぎは終結している。

それが英国の"現実"だ。


「犯人はウィンストン・スミス。真理省職員だった」

ハラムが侵入した部屋の主だ。

実際にシステムへ侵入したのは、彼ではなくハラム。

だが、それは"現実"ではない。

"現実"は、このテーブルで決定される。


「スミスは愛情省内で確保。昨夜の内に自供した」

無論、真理省の内部犯など許されない。

早晩、スミスはその存在を消される。


ウィンストン・スミスという男が生きていた。その全ての記録が消去される。

スミスは存在しない。

過去に遡って存在しなくなる。

彼は"蒸発"するのだ。


「外部への情報漏洩は?」

痩せぎすの豊富省が問う。

「無論、漏洩していない」

と、真理省。

情報漏洩など、許されないからだ。


「一方、クラウド上に機密情報と同一の情報が確認されている」

その口を拭う間もなく続ける真理省。

それらの情報を削除するため、現在の真理省は不夜城と化している。

いや、不夜"城"は言い過ぎだろう。

残業など無いという"現実"の下、部屋や廊下の照明は17時で消され、光っているのはモニタと煙草の火だけだからだ。


「ところで、スミスの部屋から奇妙な足紋が出た」

真理省が言う。

「人間の足紋ではない。専門家によればチンパンジーのものだ」


犯人はスミスである。一方で、システムに侵入した者の捜査は必要だ。

だから、"犯人はスミスである"ということを信じながら、"犯人は不明である"という認識を持つ。

この矛盾した状況を、矛盾したまま受け入れる必要がある。


これが、二重思考(ダブル・シンク)というテクニックだ。

このテーブルに着く者たちは、このテクニックを自在に操る。


「同じ足紋が、犯人の立ち寄った建物の屋上から発見されている」

愛情省が言う。

「スミスほか真理省に居た者たちは、チンパンジーが居たと証言している」

真理省が補足する。


発見されたワイヤー銃の掌紋も、チンパンジーのそれだった。

その指紋は、スミスの端末や窓からも検出されている。


「南アフリカ航空所有の機体から、同じ指紋が検出された」

痩せぎすの豊富省が言う。

「ヒースロー空港を閉鎖し、全ての旅客機を確認させた」

英国ハブ空港の閉鎖は各所に多大な影響を与えたが、それは後日、真理省が無かったことにする。


「つまり」

と、今まで口を閉ざしていた貴族院が言う。

「アフリカから来た猿がシステムに侵入し、ワイヤー銃を使って脱出したと?」

冗談を言っている口ぶりではない。


「無論、システムへ侵入など発生していないし、脱出も不可能だ」

と、真理省は言う。

「一方、犯人はそのとおり。猿だと考えられる」


常識的ではないことを、何の拘りもなく5組織は受け入れる。

現実感(リアリティ)とは、このテーブルで付与する属性だ。

このテーブルの上で、"現実"は決定される。


「現在、ペットショップ及び輸入業者を調査中だ」

豊富省が言う。

ちなみに2045年のロンドンに動物園はない。

そのような娯楽施設を賄える余裕は、無いのだ。


「だが、ハッキングできる猿を扱った業者は、未だ見つかっていない」

あたりまえである。


「ふむ」

と貴族院は、スコーンを取りジャムを付ける。

「スーパーチンプ、かも知れない」


========


21世紀初頭に、そのプロジェクトは始まったらしい。

資本家の夢を叶えるためのプロジェクト。

給料も人権も不要な、労働者だ。


遺伝子工学により、チンパンジーの遺伝情報(ゲノム)にヒトゲノムを組み込んだ種を創る。

人間並みの知能と人間を超える体力を持つ労働者。

一方、人間ではなく魂を持たぬ彼らは、人権も持たない。


遺伝子は神からの賜りもの。

人工の遺伝子を持つ彼らは、魂なき偽物。

神の御業を真似ようとして創られた、罪深き獣。

神の下の平等は、彼らには不要だ。


その夢はイスラエルで結実した。と伝えられる。


========


「無論、2016年にクローテン議定書が締結されたため、そのような生物が創られたことは無い」

貴族院が言う。

「一方、人間並みの知能を持つ生物が、完成したらしい」


「それが、真理省に忍び込んだと?」

と、豊富省。

「そんなことは、ありえない」

静かに真理省が断言する。

「真理省に外部の者は侵入できない」

それが英国の"現実"だ。


「一方、目撃証言や証拠とは整合する」

と真理省。

「その生物は、今もイスラエルで生きているのか?」

「否」

と、貴族院は首を横に振る。


「無論、"戦争は平和"作戦で全て処理された」

一方、と貴族院は続ける。

「遺伝学者が実験生物を盗み、脱走した」


逃亡先は?

4名の視線がそう訴え、貴族院が答える。

「コンゴ民主共和国へ」


「彼の国か…」

歯を食いしばった真理省が、呟きを漏らす。


英国で、全世界で決定された"現実"に従わぬ国。

賄賂も恫喝も脅迫すら受け付けない国。

逆に、変更前の記録を公開する、と全世界を脅迫した国。

その記録さえ無ければ、コンゴ全体を核の炎で焼き尽くすこともできたはずだった。


「彼の国は、カルタヘナ議定書を批准しているか?」

しばらくの後、貴族院が問う。

「無論」

反射的に豊富省が答える。


数瞬後、4名の顔に笑みが浮かぶ。


遺伝子組換生物(LMO)が、彼の国から英国に渡ったのか」

真理省が呟く。

事前通知協定(AIA)抜きで」

と豊富省が続く。

「第25条2項だ」

と平和省。


貴族院--トマス・パターソン貴族院議員が、もう一言添える。

「LMOの遺伝情報は、"D"に使われた可能性がある」

愛情省の唇が、上に釣り上がった。

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[良い点] ダブルシンク使っての会話が知性を感じつつ狂ってる感じも出てて最高です [一言] ここまで最高に面白いです。何故こんなに評価されてないのか不思議
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