人類、三番目になる
-2045年10月13日 18:50-
「あのビルに忍び込んでハラムと合流し、包囲網を突破して来て欲しい」
胸ポケットのアルに囁きかける櫻井。
ポケットの中で、つぶらな瞳が丸くなる。
アルはびっくりしている!
ジュリアはびっくりしている!
櫻井は、頬をポリポリ掻いている。
『いくら何でも、それは無理よ』
アルに見えないように、ジュリアが手話で言う。
『知能が高いと言っても、アルは私たちとは違う--私たちには遠く及ばない』
「ずっと考えていた」
ジュリアの手話をスルーし、櫻井は胸ポケットへ囁く。
「どうやって、付いてきたのかを」
水やペレットが入ったボトルは、結構重い。
小さなアルが準備できる物ではない。
誰か準備した者がいる。ネズミより大きく、力がある何者かが。
「アサラトだろ?」
「彼女が俺たちの部屋に忍び込み、ボトルをバッグに入れた」
それに、と櫻井は続ける。
「所長が言っていた。Sマウスが近くにいる間、研究所のドアは開かないようになっている」
だが、櫻井が研究所を出る時、ドアは普通に開いた。
「アトケが開けたんだろ?」
「おそらく、サイムも噛んでる。わざわざ空港まで送ってくれたからな」
サイムは送り迎えなど興味を持っていない。
そして興味がない事は徹底してやらない。それがサイムという男だ。
なのに今回だけは、2人の送迎を買って出た。
『でも、なぜ?』
思わず声に出したジュリアへ、櫻井は微笑む。
ジュリアは櫻井の耳元に唇を寄せ、囁く。
『どうしてそこまでして、アルを連れてこさせたの?』
「そう、それが2つめの謎だ」
そして、と櫻井はジュリアへ囁く。
「どうしてアサラトは、ハラム救出を俺に頼んだのか」
それが3つめの謎--否、謎を解く鍵だ。
「逆なんだよ。アサラトはアルに頼んだんだ」
いや、と櫻井は微かに首を横にふる。
「彼の本当の名前はアルじゃない。そうだろう?」
と、胸ポケットの彼に向け、櫻井はその名を口にする。
「pSion」
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知能は脳の大きさと--神経細胞数と比例する、わけではない。
もしそうなら、8kgもの脳を持つマッコウクジラは、ヒトより高い知能を持っているはずだ。
知能はどうやら、身体と脳の重量比で決まる。
Sボノボを創った--脳を複雑に、大きくする遺伝情報は、遺伝的アルゴリズムで求めた。
Sマウスを使って。
Sボノボ第3世代に導入されたのは、Sマウス第7世代のものだ。
そしてアル--アルジャーノン012Yは、その名の通り第12世代だ。
5世代分、進化した遺伝子を持っている。
アルの頭は、小さい身体に比べて異様に大きい。
その比率は人類より、Sボノボより大きい。
『pSion:バレちゃった』
櫻井の有機EL眼鏡に、文字が映る。
ジュリアの有機ELコンタクトにも同じ文字が映り、彼女の目が見開かれる。
「すぐに認めるとは思わなかった」
『pSion:サクライの心拍数や発汗状態は、タグを通して判るからね』
ネズミが肩をすくめる姿を、初めて見た櫻井である。
『pSion:自信があるのかハッタリか、そのくらいは判るよ』
もしかすると、ネズミが肩をすくめたのは、ネズミという種が生まれて以来、この瞬間が初めてかも知れない。
『pSion:判らないのは、端末も持ってないボクがどうやってグラスにアクセスしてると考えてるのか、くらいかな』
「アサラトが言っていた」
Sマウスには特殊なタグが埋められている。それが、脳活動の情報を研究所に送っている。
「つまり、脳がネットに直結してるわけだ。端末なんていらない」
『pSion:正解』
目が点になったままのジュリアに、櫻井は説明する。
「以前コイツはお前のタグに、おそらくはコンゴ警察官のタグにも、アクセスした」
各種セキュリティ対策を破って。
まだ2才なのに。
たとえ第3世代のSボノボでも、2才でそんな真似はできない。
「つまり、だ」
櫻井は肩をすくめる。
「地球で最も高い知能を持っているのは、ハツカネズミだ」
そして、と天を仰ぐ。
「人類は3番目だ」
まじまじとアルを見つめるジュリアの有機ELコンタクトに、文字が映った。
『pSion:この件はくれぐれもご内密に』
そして、pSionは続けた。
『pSion:ところで、ハラムを助ける策があるんだ。ちょっと手伝ってよ』
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『気づくべきだったわ』
ジュリアが呟く。
今3名--2人と1匹--は、閉店後の銃砲店にいる。
無論、不法侵入である。
厳重な電子ロックはいとも容易く解除され、ご丁寧なことに3人が忍び込んだ後に再度ロックされた。
『まだ2才なのに、言葉が判って意思疎通ができる』
そんなの、とジュリアも肩をすくめる。
『ヒトと同等以上の知能を持ってるに決まってるじゃない--あ、見つけたわ』
アルが指定した銃がラックに入っていた。
『本当は、ちゃんとお金を払いたいんだけど』
ジュリアが呟き
『pSion:後で、こっそり振り込んでおくよ』
5丁ほど拝借し、3名は屋上へ。
多少の仕掛けをした後、地上に降り、夜のロンドンに消えた。
そして5分後、屋上から銃声が響いた。
愛情省の警官が持ち場を離れることはなく、別働隊が、銃声の発生源を捜索した。
15分後にはビルを特定し、ドアを切断して屋上に辿り着いたのが30分後。
屋上は、もぬけのカラだった。
発射された特殊な銃は、銃砲店の屋上と包囲されているブロックとの間に、1本のワイヤーを張った。
そして数分の時間。
子供のボノボが逃げ出すには、それだけで十分だったのだ。
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対象者の逃走経路は、後日、愛情省が監視カメラの映像を解析し、判明した。
3丁のワイヤー銃を使って、対象はハイド・パークに逃げ込んだ。
徹底的な捜査の末、使われなかった2丁を含め、ワイヤーガン5丁がハイド・パーク北西部の樹上で発見された。
監視カメラによれば、ハイド・パークの北西出口から若い夫婦と思われる2人連れが出てきている。
2人は駐車していた車に乗り込み、走り去った。
女性の胸には、子供と思われる小さな姿が抱きかかえられていた。
車は盗難車とみられ、必死の捜索にもかかわらず、その後の行方は追えなかった。




