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この件はくれぐれもご内密に  作者: tema
第五章 人類は三番目
30/81

櫻井、初めてファーストクラスに乗る

-2045年10月13日 8:25-


『南アフリカ航空08:30発ロンドン行き、046便に搭乗されるお客様は、お急ぎください』

櫻井とジュリアが空港に駆け込んだ時には、既に搭乗は開始されていた。

慌てて手続きを行う。


荷物はそれぞれ手持ちカバンが1個づつ。

下手に預けて、盗聴器(バグ)を付けられるわけにはいかないからだ。

続いて税関チェック。この瞬間、アトケたちの魔法の杖が振られた。


櫻井が振り向くと、当然のようにジュリアが居る。

ジュリアの手が複雑に動き、櫻井の有機EL眼鏡(グラス)に文字が映る。

『上手くやってくれたみたいね』


ジュリアはコンゴ政府AI(B・B)から出国を止められている。

設計された人類(デザイナ・チャイルド)である彼女は、他国政府に発見されれば命が無い。

だから税関システムに侵入(クラック)し、ジュリアのIDを別人にすり替えた。


『重ねてお願いいたします。046便にご搭乗のお客様は、お急ぎ下さい』

アナウンスが流れ、櫻井はジュリアに抱えられるように旅客機に飛び乗った。


========

ポーン。


チャイムの音と共に、機長から放送がある。

『当機はこれより滑走路に向かいます。シートベルトをお締め下さい』

コンゴ国内便はAI操縦だが、国際便は未だに機長か副機長が操縦している。

AIの判断ミスにより墜落した場合、責任の所在が--誰を刑法で裁けば良いか、決まらなかったからだ。


『酔い止め薬を貰えるかしら、ダーリン』

ジュリアが言う。

--愛しい人(ダーリン)、良い響きだ。

いそいそと櫻井は、足元に置いたカバンを開ける。


閉める。


『どうしたの?』

薬を取り出さずに閉めた櫻井を、怪訝そうに見るジュリア。

指を1本唇の前に立ててから、そーっとカバンを開ける櫻井。

そーっと中から覗き返すつぶらな瞳。


『!』

驚きを隠せないジュリアに、カバンの中からアル(・・)が薬を渡した。


『知ってたの?』

手話で尋ねるジュリアに、微かに首を横に振る櫻井。

『水と、数日は持つ高栄養食(ペレット)も入ってたわ』

その代わり、入ってたはずの櫻井の下着などは消えていた。

ロンドンで購入することになるだろう。


「ペレットが無くなったら、ロンドンで買えるかな?」

ジュリアの耳元で囁く櫻井。

『ハツカネズミは雑食だから、しばらくは私たちの食事でも大丈夫』

Sマウスはペレットを好むだけで、ヒトと同じ食事でも大丈夫。健康には多少悪いが。塩分とか。


『当機はこれより離陸します。再度シートベルトをご確認下さい』

ロールス・ロイス製エンジンが吠え、2人の背中がシートに押し付けられる。

『V1…回転(ローテート)

ジュリアとアル、2つの爆弾を抱えた旅客機は、無事にルブンバシ国際空港を飛び立ったのである。


========

ポーン。


チャイムの音と共に、シートベルト着用サインが消える。

そそくさと席を立ち、トイレに向かう櫻井。

注意深い人がしげしげと見たなら、ジャケットの右ポケットが不自然に膨らんでることに気づいただろう。

幸いなことに、ファースト・クラスでそんな無作法をする者は居なかった。


アルのトイレを済ませて席に戻ると、ジュリアがブランケットを受け取っていた。

櫻井のシートをリクライニングさせ、さぁ寝ろと言わんばかりである。

シートに寝た櫻井にブランケットをかぶせ、CAにも乗客にも見つからないアルの遊び場を作る。

せっかくのファースト・クラスなのに、高級酒のサービスも受けれず、美人CA(スッチー)との会話も楽しめぬ櫻井であった。


========

-2045年10月13日 15:55-


ピンポーン。


ギクリ!

ヒースロー空港の税関でチャイムが鳴り、立ち止まる櫻井。

税関員にボディチェックされ、胸ポケットに忍ばせたブツを取り上げられる。


『上物のコニャックだな。これは金になる』

聞こえぬように囁いた税関員だが、櫻井のグラスは特別製だ。

櫻井が見ている者の声を、指向性マイクと口の動きを読み表示するようになっている。

『これは英国には持ち込めない。没収する』

税関員は櫻井の前に戻ってきて、そう言い出した。


櫻井と税関員が言い争ってる間に、ジュリアはアルが入ったカバンを受取り、税関を通過する。

先進国といえど、税関員は時折こうして小銭稼ぎをする。

万一、ジュリアやアルがその対象になれば、かなりマズい。

そこで、櫻井が囮になり税関員に捕まる作戦だ。


作戦はまんまと成功し、櫻井は所長秘蔵のコニャックをフラスクごと奪われた。

税関員も満足、櫻井のフトコロも痛まない。

これがWin-Win。

泣くのは所長だけである。


========

-2045年10月13日 16:10-


「さて、迎えが来てくれるという話しだったが…」

空港まで送ってくれたサイムが、信頼できる者を迎えに来させると言っていた。

どんな人かと問う櫻井に、いたずらっ子のような笑みを浮かべたサイムは言ったものだ。

『すぐ分かる。目立つ女だからな』


だがさすがにパンクロックの聖地。

目立つ格好した女性など、あちこちに居る。

「仕方ない。ブラック・キャブを捕まえよう」

と、タクシー乗り場を探そうとした櫻井の目が、1台の車に吸い寄せられる。


吸い寄せられたのは、櫻井の目だけではない。

周り全員の目が、その車に向けられていた。


6.5L V12自然吸気(NA)エンジンをカーボンモノコックの車体中央に積む。

最高出力652PS、最大トルク24Nm。

車体重量627kg。

馬力重量比(パワーウェイトレシオ)は実に0.96PS/kg。

世界に数台しか無いモンスターカー、マクラーレンQ1。


腹に響くエンジン音を纏い、その車は櫻井に近づいてくる。

左側のウィンドが少し空き、魅力的な声が聞こえた。

『四色問題を解いたのは?』


「ぞ、象さん(エレファント)…」

噛みながら、サイムから教えられた合言葉を返す櫻井。


『上に有界な実数は?』

頭が真っ白になった櫻井の代わりに、ジュリアが2つ目の合言葉を問う。

『空でない部分集合なら上限を持つわ。乗って』


ガル・ウィングが跳ね上がると、中央コクピットに座ったゴージャスな女性が言った。

バケットシートに包まれた魅力的な肢体。

タイトなスカートから伸びる白い太ももが眩しい。

コクピットの両脇後ろに置かれた助手席に座りドアを下ろすと、脚線美が誘惑して来る。


「シートベルトを締めて」

助手席もバケットシート。そしてシートベルトは5点式。

シートベルトを閉めた次の瞬間、背中がシートにめり込んだ。

V12エンジンが咆哮を上げ、後頭部を蹴飛ばすような勢いでその車は走りだす。


『あの人が頼むから、てっきり亡命希望の科学者かと思ったけど、違うようね』

「あの人って、サイ…痛ッ」

『しばらく口は閉じておいて。舌を噛むわ』

それは、噛む前に言って頂きたい。そう櫻井は思う。


それにしても、とステアリングを操りながら声がする。

『元カレから10年ぶりに連絡があったと思ったら、タクシー代わりに空港まで迎えに行けって、どういうコト?』

コクピットの美女が、サングラスの下から櫻井を睨みつける。

だが櫻井は、エライ勢いで後ろにスッ飛んで行く中央分離帯から目が離せない。

--俺じゃなく前見て!前!!


『しかも来るのは本人じゃなく知らない人よ。ホント、私を何だと思ってるのかしら』

リアの315/35タイヤを軽く鳴らしながら、右旋回。

横Gがかかり、櫻井の首が運転席を向く。

片手でステアリングを操舵しながら、サングラスを外す美女。

彼女のアイス・ブルーの目が、櫻井と合う。


一瞬、櫻井の頭から、横をスッ飛んでく中央分離帯も、左側の席に座るジュリアも吹っ飛んだ。

「ク!クレオパト…痛ェッ」

懲りもせず、舌の同じ部分を噛む櫻井。


サングラスを外したその顔は、映画館で、TVで何度も観たことがあった。

昨年ゴールデングローブ賞を受賞し、今年はオスカーも狙えるとウワサのハリウッド・ディーヴァ。

クレオパトラ・ディートリッヒ(年齢不詳)だった。


========

『しばらく直線だから、話しても大丈夫よ』

舌は噛まないかも知れないが、恐ろしい勢いで後ろに飛んでいく風景が、櫻井の舌を固まらせる。

『そう、カレ(サイム)の今の彼女の事とかね』

別の理由で、櫻井の舌は固まった。


『別れる直前、カレが妙に不機嫌だなって思ってはいたのよ。でも研究も大学も捨てて、突然コンゴに行くなんてッ!』

そそそそれは、今話さねばならんコトなのでしょうか?

こんな速度で飛ばしながら語らないで欲しい。そう櫻井は願う。


『カレが捨てたのは、それだけじゃないわ』

あなたのことですね、わかります。

『数週間後、カレから指輪が送られて来たの。私とペアで買った指輪』

ふつふつと煮えたぎるマグマのような怒りを、コクピットの方角から感じる櫻井である。


『"すまない"と一言だけ、書いてあったわ』

涙の雫が1つぶ、象牙細工のような頬を伝う。

その顔は、表情は、映画館で観たのならさぞかし心に残っただろう。

だが、300km/hで吹っ飛んで行く車の助手席から観た場合、そんな生易しいモノじゃなかった。

刃渡り30cmのナイフで、心臓に刻み付けられるような残り方だ。

多分、深夜に絶叫して飛び起きるトラウマ。それと同じ種類の残り方である。


『私とのことは、そんな一言だけで片付けられることだったの!?』

違います、と言いたいが言い切れない。

なにせ相手は変人で名高いサイムだ。


『だから、ね』

氷の微笑を浮かべ、コクピットの美女は言う。

『私を捨てさせるほど素晴らしい、その彼女のことを知りたいと思うのはイケナイことかしら?』

ごもっともでございます、ユア・ハイネス。


だが、その問いに答えられない幾つかの理由がある。

1.Sボノボのことは、極秘である

2.当時アトケは6才。それは法律的にもサイムの評判的にもよろしくナイ

3.実は彼女は毛深いお猿さんです、なんて言ったらもーどーなるか。相当な確度で予想がつく


気づけば既に高速道路(M4)を降り、いかにもな高級住宅地を走っていた。

信号待ちで止まる。

クレオパトラが身体ごと櫻井の方を向く。

口には出さないが、目が「吐け」と言っている。

それも大文字のゴシック体でだ。


『何?』

ジュリアの声がした。

前の方から人々が走ってくる。

それも、ただならぬ形相で。


『ちょっと!何があったの』

ジュリアがドアを開け、横を走る中年の男に叫ぶ。

『猿だ。動物園から逃げ出した猿が暴れてるらしい』

駆けてきた若い男が口をはさむ。

『猿じゃない、チンパンジーだ』


それはチンパンジーじゃない。

多分ボノボだ。名はハラムというはずだ。

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