サイム、来公の経緯を話す
-2045年10月13日 21:55-
ルブンバシ国際空港へ向かう四輪駆動車の中。
運転席に座るサイムの瞳は焦点を失い、ちょっと見には呆けているように見える。
だが、ここ数ヶ月でサイムの人となりを知った櫻井は、邪魔しちゃいけない時と判っている。
サイムがこの表情をしている時、その脳内では相当複雑な事を考えているのだ。
『ミスタ・サクライ』
ようやく現世に戻ってきたサイムが話しかける。
『私に何か聞きたいことがあるのだろう?』
--あるといえば、ある。
「くだらないことですよ」
『大丈夫。荷台は防音になっている』
荷台ではジュリアが眠っている。
彼女に聞かせたくない質問でも大丈夫。そうサイムは言っている。
彼女は関係無いんだがなぁ、と櫻井は話し出す。
「サイム貴方はなぜ、こちらに来たんですか?」
『君の推測は?』
「アトケのため?」
『彼女は、コンゴに留まる理由の1つだが、来た理由ではない』
「ミューオン触媒核融合炉建設のため?」
『それは公式な理由だ。そうは思えないからこそ聞いたのだろう?』
サイムは理論物理学者で、実際の融合炉建造には殆ど興味を持っていない。
そして興味がない事は徹底してやらない。
それがサイムという男だ。
『核融合炉視察のため、コンゴに来たのは本当だ』
世界初の新型核融合炉は、西洋諸国ではなくコンゴに造られた。
危険だったからだ。
暴走しないと証明できなかったからだ。
『だから、国際社会に"安全だ"と主張するために、私は連れてこられた』
サイムはウインクし。
『--ことになっている』
事実としては、と続ける。
『その2年前からコンゴに居た』
君も知っている通り。
--読まれていたか
研究所の記録と公式記録にずれがあった。
その多くがサイムに関することだった。
『その現実は、改変されている』
思わずサイムを見る櫻井。
『その顔は知っているな。ジュリアから聞いたか』
サイムは微笑み。
『ミスタ・ルムンバ、彼が私を引き込んだ』
所長のことだ。
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-2035年6月18日 17:40-
遺伝子操作禁止条約締結以後--否、"戦争は平和"作戦以後、科学は冬の時代を迎えた。
遺伝子工学だけではなく、生物学だけでもない。
全ての自然科学は予算を削られ、無駄な事務作業が増え、学生の瞳からは光が失われた。
ミューオン生成理論が認められ、ノーベル賞受賞を囁かれるサイムですら、自由な研究が許されない。
トリニティ・カレッジも、変人では認められなくなってしまった。
穴の空いたジーンズではなくスーツ姿の人間が増え、科学ではなく金融の研究が推奨される。
長時間の会議が何一つ新たなことを生み出さぬまま終わり、疲れ果てて研究室に戻ったサイムを男が待っていた。
大柄なネグロイドは、忙しいと叩き出そうとしたサイムに、数枚の紙を差し出した。
その紙を破り捨てようとしたサイムの目が、概要の1節を捉えた。
そこには、ミューオン生成理論--サイムが100頁以上を費やした理論--のエレガントな証明方法を示す、と記されていた。
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-2035年6月19日 20:10-
ガタンッ!
自分が倒した椅子の音で、サイムは我に返った。
「こんな…ことがッ!」
サイムを世界的な科学者にしたミューオン生成理論は--サイムの青春の結晶とも言えるその論文は、クソだ。
彼の目の前の論文は、そう告げていた。
サイムの証明方法より遥かに短い証明が、そこにあった。
そこに書かれた数式は、ミューオン生成に必要なエネルギィが、後2桁は下げられることを示唆していた。
大型ハドロン衝突型加速器どころか、カレッジ内の小型加速器でも実験可能だ。
事務処理を省けば、今日にでも論文の正しさは確認できる。
だが、サイムにとって確認は不要だった。
彼の脳が、才能が、知っていた。この論文の正しさを。
何よりその論文は、その数式は、美しかった。
たった1つの発想の転換、思考跳躍。それで全てが明らかになる。
論文を読んだ今となっては、なぜこの発想に至らなかったのか、不思議に思うほどだ。
これほどエレガントな論文は、読んだことがなかった。
「お忙しいところ、ずいぶんと熱心に読まれてましたな」
豊かな低音の声が響いた。
「君が…これを?」
首が横に振られる。
「ルブンバシ大学の学生が書いたものです」
「そうか…」
サイムは椅子に崩れ落ちた。
--次世代の者は、ちゃんと育っているのだな
--ロンドンではなくアフリカで
喜ばしく思うと同時に、急に老けた気になった。
「この論文を--」
名刺によればルムンバという名の計算機学者は、次の瞬間サイムの逆鱗に触れた。
「貴方の名で発表して頂きたい」
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「私を絞め殺すには、ちと腕力が足りないようですな」
ルムンバの首を締めようとするサイムの手は、盛り上がった筋肉に阻まれ、まるで効果がない。
「どうか落ち着いて頂きたい」
「これッ…ほど…愚弄され…て…」
「まぁ、そう言わずに」
なおも首を締めようとするサイムの手を外し、椅子に座らせるルムンバ。
「"彼"に会ってもらえれば、全て判ります」
「彼…とは…誰だッ」
「この論文を書いた学生です」
「会うッ!」
バネ仕掛けのように立ち上がるサイム。
今すぐにでも扉を開け、飛び出しそうになっているサイムを、ルムンバは抑える。
「彼に会うためには、コンゴまで来て頂かなくては」
「連れて来ていないのか」
「いささか事情がありまして」
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-2045年10月13日 22:35-
『その学生に会った時の私の驚きは、君にも判るだろう』
四輪駆動車の運転席から、いたずらっ子のような笑みを浮かべるサイム。
「"彼"ってのは…」
『パンロゴだ。まだ6才だったよ』
『10年前のミスタ・ルムンバは、なかなかにイタズラ好きでね』
そして理想主義者だった、とサイムは言う。
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-2035年6月22日 15:15-
ルムンバは言う。
「彼が査読に対応することは、できません」
当然だ。
論文の疑問点は、手軽にskypeで顔を突き合わせて聞ける時代だ。
ボノボの顔を見た査読者が、まともに相手をするとは思えない。
「だから、彼の代わりに発表する者が必要なのです」
「それで、君たちは何を得る?」
疑いの眼差しでルムンバとパンロゴを見るサイム。
「この国の、未来」
ルムンバが微笑む。
アフリカには地下資源がある。
土地も、自然も、世界中のどこよりも豊かだ。
だが、この地は貧困に喘ぎ、戦火が絶えない。
「なぜだと思います?」
「知らん」
興味がない事は徹底してやらない。
それがサイムという男だ。
だが、興味を持てば聞く耳を持っている。
「なぜだ?」
「この地は1つだけ、持っていないものがあります」
ルムンバのにこやかな仮面が綻び、その下に隠した牙をサイムは感じた。
「自尊心だ」
「16世紀に奪われたそれを取り戻さない限り、ここに未来はありません」
私たちが取り戻す。そうルムンバは言う。
「コンゴを、自然科学の中心地にします」
ルムンバはサイムの目を見据える。
「コンゴを中心に、アフリカを自然科学中心の社会に変えます」
ルムンバの瞳の中に燃える炎は、奪われ、押さえつけられたプライドの火種だ。
「あなたも判っているはずだ。もう英国は、西洋社会は、自然科学を必要としていない」
サイムは反論ができない。
「私たちが譲り受ける」
ルムンバが立ち上がる。
「そしてアフリカに未来を」
そのために、と唇が釣り上がり。
「サイム、あなたというブランドを使わせて欲しい」




