アトケ、今度こそ研究所の秘密施設を教える
-2045年10月9日(月)17:00-
「ピャアッ!」
アサラトが研究室のドアを開けた瞬間、付いてきた子供たちの1人ーーマセンコが中に居た女性のSボノボに飛びついた。
その女性ーーアトケは飛びついて来たマセンコをくるりと回し、そのまま横のダンボール箱に放り込む。
「ピャッ」
「ピャァッ!」
カリンバとハラムも飛びかかり、同じようにダンボール箱に放り込まれる。
『あなたたちはそこで大人しくしてなさい』
蓋を閉めるアトケ。
「おいおい大丈夫なのか?それ」
かなりの勢いでしまわれちゃった3人を心配する櫻井。
『大丈夫。いつものことよ』
母親であるアサラトは全く動じない。
『子供たちはダンボールが好きだから、あの中にいる間は大人しくしている』
サイムも慣れたものだ。
その言葉通り、大人しくしまわれている子供たち。
時折、蓋が持ち上がって覗き見する以外は静かなものだ。
ひょっとして、間違えてネコの遺伝子を混入させたのでは?
第3世代が少々不安になる櫻井であった。
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『ここが私とアトケの共同研究室よ』
モノトーンでデザインされたシンプルなオフィスだった。
普通の机と椅子。机上に置かれた端末。壁の1面は本棚になっており、高い天井まで本が詰まっている。
「他の人とは雰囲気が違うな」
先ほどの研究室はヒトのそれとは全く違う雰囲気だったが、ここは普通の研究室に見える。ただし、とても片付いている。チリ一つ落ちていない。
唯一落ちているのが、茶色のダンボール箱1つ。
『アサラトの研究対象が特殊だからな』
と、サイム。
「何を研究してるんだ?」
『我々だ』
「はい?」
『私の専門は人間行動学よ』
『ヒトと同じ環境で研究することで、色々ヒントが掴める…らしい』
「はー」
私は、とサイムは続ける。
『もう少し雑然としていた方がヒトらしいと…』
『貴方はもう少し部屋を片付けるべきね』
『この部屋まで貴方の部屋のようにしたら許さないから!』
16才の女の子たちにビシッと釘を刺される人類最高の叡智である。
「でも、こんな場所で人間の行動を研究できるのか?」
この研究所にいるヒトは5人だけ。
『もちろん』
アサラトが何かを操作すると部屋が暗くなり、次の瞬間、櫻井は夜のスクランブル交差点に立っていた。
歩行者用信号機が青になり、数千人の人々が櫻井の方に向かってくる。
「ここは…渋谷駅前!?」
『そう。通信の遅れがあるから3秒前の、ね』
櫻井の有機EL眼鏡に映された深夜の渋谷交差点。見慣れた黄色人種の顔また顔。一瞬、故郷への郷愁が胸を過ぎった櫻井だが、大変なことに気がついた。
「3秒前の渋谷だって?」
『そう。様々な人間の端末から情報を吸い上げて、景色を再構築してるの』
人々が持つ端末のカメラ。その視界は狭い。だが、その場にいる全員の端末の情報を統合すれば、3Dデータとして景色を再構築することは可能だ。
ただし、それを実時間でやるには、途方も無い計算力が必要になる。
「って、そうじゃなく!」
「個人端末の情報には、管理者権限でもアクセスできないはずだが?」
『あっ』
人々が持つ端末のカメラ、その情報はクラウドに上げられる。だが、その情報にはセキュリティ対策がされており、他人は見ることができないようにされている。はずだ。
ペロっと舌を出すアサラト。
顔には、“バレちゃった”と書いてある。
サイムは、夜の渋谷を熱心に観察している。フリをしてる。
『迂闊よ、アサラト』
アトケが言う。
『ヒト社会の暗号は、ほとんどがRSA暗号よ』
櫻井の凝視に耐えかね、アサラトが白状する。
『ショアのアルゴリズムで解けちゃう脆弱な暗号』
「だから、量子コンピュータの構築は禁止されたはずだが?」
“ショアのアルゴリズム”は、1994年にピーター・ショアが発見した特殊なアルゴリズムだ。これを量子コンピュータ上で動かせば、非常に大きな数の素因数分解が短時間でできる。
RSA暗号は、”非常に大きな数の素因数分解が困難”という理由で秘匿性を保証しているが、これが無効になる。Web上を流れる全ての情報が筒抜けになる。
このため量子コンピュータの構築は、2042年に国連決議で禁止されている。
『そこは大丈夫』
妙に自信ありげに請け合うアトケ。
『その国連決議は9月に施行されたけど、この量子コンピュータは6月に構築したから。突貫で』
『法の不遡及というヤツよ』
尻馬に乗るアサラト。
法令の効力は、その法の施行前に遡ることはない。9月に施行された国連決議は、6月に構築された量子コンピュータを縛れない。
だがしかし。
「もしこのことが、他の国々にバレたら…」
無論、国家機密は楕円曲線暗号など、RSA暗号より強固な方法で守られている。
だが、3秒前の渋谷の光景を地球の裏側で再現できるほどの計算力を持つコンピュータ。それを操るのは、ヒトを超えた知能を持つSボノボだ。
どんな暗号も安全じゃない。
「まさか、各国の軍事システムに侵入してみたりしてないだろうな?」
急に熱心に夜の渋谷を観察し始めるアトケとアサラト。
彼女らの目は、凄い勢いで泳いでいる。
いったいこの研究所には、どれだけ地雷が埋まっているのやら。
『ミスタ・サクライ』
頭を抱え椅子に座り込む櫻井は、サイムに肩を掴まれる。
『この件は、くれぐれもご内密に』
週1の更新に挫折しました。
次回は12/9頃に投稿




