櫻井、誘惑される
櫻井、誘惑される
-2045年10月8日(日)19:10-
ぽんぽん。
夕食のため食堂の列に並んでいたら、背中を叩かれる櫻井。
振り向くと、第1世代のオルトゥが、うんうんと頷いている。
さらに、とてもイイ笑顔でサムズアップ。
そして、ずらりと並んだSボノボたちが、一斉にサムズアップ。
--ジュリアが一緒じゃなくて良かった。
つくづく思う櫻井である。
ジュリアは第1世代の群れを引き連れ、フィールドワーク中だ。
『数日は戻らないからッ!』
黒い頬を真っ赤に染めたジュリアは宣言し、旅立って行った。
残された櫻井は、みんなの良い玩具である。
コック長は櫻井の皿にスタミナ料理を特盛にすると、素早く手話で話しかける。
『体力つけてね!』
櫻井が席につくと、隣にパンロゴが座る。
第2世代の彼は核物理学者で、最近サイムの名で発表されている論文の多くは、実は彼が書いている。
彼はそっと櫻井に小瓶を渡すと、手話を送る。
『こいつは効くゼ!!彼女だってメルトダウンさ』
いかにも怪しげな薬である。
『ボノボたちはイタズラ好きやからな、注意しときや』
先ほどデジレから忠告されたが、まさかここまでとは思わなかった櫻井である。
もしこの薬を飲んだ日には、どうなっちゃうか想像もつかない。
櫻井は小瓶をポケットの奥深くに突っ込み、忘れることにした。
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-2045年10月8日(日)20:25-
研究所が閉門されると、研究所のロビーにバーカウンターが現れる。
ベストにタイを締めたバーテンダーが支配する、静かな大人の空間。
ただしバーテンダーは第1世代のSボノボ。名をムベトという。
黒々とした毛皮にベストとタイ、そしてノーパンツ。その格好は、ファッション的にちょっと問題アリ。
そこにさえ目をつむれば、哲学者めいた風貌といい、気の利いた会話といい、カクテルを作る腕といい、申し分のないバーテンダーである。
彼が作るつまみも、ちょっとしたものである。
櫻井はスツールに腰掛け、注文する。
「シンバを」
シンバは、コンゴのブラシンバ醸造所謹製のビールである。
磨かれたグラスに、透き通った黄金色と真っ白な泡のコントラストが美しい。
配分は見事な7:3。
ぐびっ
冷えたビールが喉を滑り落ちる。
「ぷは~~~っ!」
ボノボ向けに、研究所の室温は高めだ。
その中で呑むビールは最高に美味い。
ため息と共に、今日玩具にされたストレスも放出されたようだ。
『やぁ、いいかね?』
隣から声がかかり、見ればサイムが立っていた。
どーぞどーぞ、とスツールを勧める櫻井。
元々、1人で呑むのは性に合わない男である。
サイムが席に着くと、絶妙な間を挟んでマティーニのグラスが置かれる。
"ヴェスパー"と呼ばれる英国秘密情報部職員考案のカクテルである。
さすがは大英帝国ロンドン出身。バーカウンターに座るサイムは、とてもサマになっている。
一方、東京都練馬区出身の櫻井は、そんなでもない。
『波乱万丈だった今日に』
「カンパイ」
暫く四方山話をした後、そういえば、と櫻井は今朝のことを思い出す。
『恋は良い。そう、とても良い』と言っていたサイムの姿を思い出す。
櫻井の野次馬根性が騒ぎ出した。
「貴方は、良い恋を経験したみたいですね」
『ああ、とびっきりのヤツをね』
微笑みながら応えるサイム。
大人の余裕を感じさせる笑みである。
『君と同じ、現在進行形の恋だ』
えっ、と驚く櫻井。
この2ヶ月、サイムが研究所から外に出たことは無い。
英国に恋人を残してきたんだろうか?
その櫻井の想像が間違っていたことは、直ぐに判明した。
『ああ、ちょうど彼女が来た』
サイムが振り向き、身振りでカウンターに誘う。
抱擁、そして軽い口づけ。
『もうサイムったら、1杯だけよ』
彼女はそう言って、サイムの隣に腰掛ける。
注文もなく、彼女の前にはヘミングウェイ・カクテルが置かれる。
そしてサイムの前には、2杯目のヴェスパー。
『私は、この年にして初めて真の恋を知ったよ』
隣に座る彼女が、いたずらっぽそうに目を閃かせる。
『どうだか。ロンドンでは色々あったんじゃないの?』
見詰め合う青い瞳と黒い瞳。
『事情が変われば己も変わるような恋だったよ』
『上手にとぼけてみせるのね。特殊な才能だわ』
ポカン状態の櫻井にだけ手話が見えるように、ムベトが囁く。
『シェイクスピアの言葉です』
いや、そういう意味じゃなくて。そう櫻井は心の中で叫ぶ。
サイムと額を寄せ合って話し合う彼女は、櫻井も知っている女性だった。
だが、まさかサイムの恋人が彼女だとは、想像もしなかった。
彼女の名はアトケ。
芳紀まさに16才。第2世代のSボノボだった。
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-2045年10月8日(日)21:05-
『ミスタ・サクライ。ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ』
そう言葉を残し、サイムはアトケと肩を寄せ合い、バーを去った。
目を見開いたまま見送る櫻井。ちなみに口も開いている。
しばらくの後、カウンターに向き直る櫻井の前に大きめのグラスが置かれる。
『そちらのお嬢様から』
ムベトの手話に左手を向くと、若い女性がウインクしていた。
『お隣、いいかしら?』
どーぞ、と条件反射的にスツールを勧める。
逆ナンの経験も無くはない櫻井である。
彼のストライクゾーンは広く深い。
だがさすがに16才は年下過ぎる。
それ以上に、種の壁は越えたくない。断じて。
櫻井の左腕に手を乗せたのは、アサラト。
第2世代Sボノボのリーダだった。
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-2045年10月9日(月)05:10-
「ファッ!」
何か危険な夢を見ていた櫻井が目を覚ます。
緊張した身体が、自室と気づき弛緩する。
右側にはアルが寝息を立てていた。
左手は裸の女性の背中を撫でている。
もふもふ。もふもふ。
--もふもふ?
耳元で携帯ディスプレイが開かれる。
「もう…まだ朝は早いわよ」
合成音声が囁き、櫻井の血が凍った。
混乱した頭で状況を整理する。
1.ジュリアはフィールドワーク中で、研究所にいない
2.研究所にはジュリア以外、女性のヒトはいない
3.携帯ディスプレイは、女性の声を合成した
4.机の上に、パンロゴから渡された怪しい精力剤の空瓶がある
ぎぎぎぎぎ。
きしみながら櫻井の首が左を向く。
彼の裸の胸に寄り添い眠る彼女の姿が見えた。
--ああ、状況に整理漏れがあった
5.ヒトの背中はもふもふしてない。断じて
次回投稿は11/4頃




