ジュリア、櫻井を買物に連れ出す
-2045年10月7日(土)06:00-
市場の朝は早い。
ルバンブシの朝市は、既に賑わいをみせている。
櫻井はジュリアと2人、猫車を押していた。
月1回の買出しである。
「あれだけの人数が居れば、買物が大変だよな」
猫車には肉や野菜、その他もろもろが山積み。
Sボノボが服を着ないことは幸いであった。櫻井の腰にとって。
市場とトラックの間を何往復もして、ようやく買出しは終わった。
『ようやく終わったわ。じゃ、次は買物に行くわよ!』
「なんですって!?」
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-2045年10月7日(土)14:10-
女性の買物は長い。
特にジュリアは長い。その体力にモノを言わせ、櫻井を連れまわす。
脚を止めたのは、ランチの時だけ。
櫻井の脚は既に棒、青息吐息。
『研究所では今まで、誰も買物に付き合ってくれなかったのよ』
当然である。
櫻井だって所長から『ジュリアと別行動は厳禁』と因果を含められていなければ、今すぐにでも逃げ出したい。
逃げ出して、美しいお嬢様との出会いを経験したい。
出会うだけでなく、もう1歩、2歩先まで進みたい。
コンゴに来て2ヶ月、女っ気ナシの櫻井の本性は、もー限界である。
やっぱり日本に帰りたい。そう思う櫻井であった。
『あら、そうなの?』
思っただけでなく、口に出していたようだ。
『技術者なら、日本よりアフリカにいた方が良いんじゃない?』
日本では、技術者の社会的地位が低い。
つまり、給料が安い。
日本だけではなく、先進国では次第に科学者・技術者の社会的地位が低くなっている。
給料は安く、訴訟時の判決は不利になる。
櫻井の元勤め先、MDBも裁判に負けて倒産した。
『アフリカでは、何より技術者が求められているわ』
そのワリに俺の給料の低さは何だよ、と心の中だけでツッコむ櫻井である。
『それにこの国は安全よ』
はて、と櫻井は首をかしげる。
「アフリカの治安は悪いって聞いてたけど?」
『コンゴは特別なの。B・Bが見ているから』
「B・B?」
コンゴ政府はAIが中心になっている。
行政サービスも、できるだけ効率的になるよう、AIが設計・計画している。
その結果、通貨は紙幣・硬貨ではなく暗号通貨となり、全国民の身体に埋め込まれた電子チップで管理されている。
タグは埋め込まれた者の脈拍等を感知しており、脅迫など異常時には金銭の受け渡しができない。
更に、通貨の流れは全て政府AIが監視できる。つまり、仮に詐欺・盗難・強盗が発生しても犯人は直ぐ見つかる。
タグは各個人の位置情報も政府AIに送っており、殺人・傷害などの事件が発生すれば、その時刻に現場にいた人間はすぐに特定できる。
容疑者の居場所もリアルタイムに分かるため、逮捕も容易である。
結果、コンゴの犯罪は激減した。犯罪が割りに合わない社会システムを、AIが実現したのだ。
「不正にタグを摘出する者が居るんじゃないのか?」
『簡単にできるわ。摘出は、ね』
タグは摘出できるが買物が出来なくなる。暗号通貨を管理しているタグを持ってない者は、無一文なのだ。
更に、タグを持たない者は要注意人物として、各個人の有機ELメガネや有機ELコンタクトに、その旨が表示される。
『だからタグを外したら、この国では暮らしていけない』
『その政府AIを、ビッグ・ブラザーって呼んでるの』
100年近く前、"1984年"というデストピア小説で、徹底的な監視社会が描かれた。
その社会の頂点に立つのがB・B--偉大なる兄貴。
『元々は、AIの政府に反対していた人たちがつけた"あだ名"なんだけどね』
散々ウインドゥ・ショッピングを続けたジュリアは、スカーフを1枚買った。
それ買うだけで、なんでこんな歩かなならんねん!
という櫻井の思いは、心の奥底に秘められる。ナンパ師なので。
店員が端末でスカーフのタグを読み取り、その端末をジュリアの肩に近づける。
ピッ
音が鳴り、これで清算は終わり。
『サクライも長期間こっちで暮らすなら、タグを埋め込んだ方が良いわね』
「!?」
『ちょうどあそこに病院があるわ』
「いいいいや、ちょっとそれは」
『大丈夫だいじょーぶ。痛くないから』
櫻井はジュリアに連れられ、いや引きずられ、病院でタグを埋め込まれてしまった。
手首に着けていた旅行者用タグは、情報を移行したあと廃棄。
『慣れれば便利よ。健康管理もしてくれるし』
「でも管理社会ってのは、どーも性に合わん」
『慣れよ慣れ。クリンたちだって使ってるんだから』
「フアッ!?」
『研究所の売店で必要だもの』
しゃーしゃーと言うジュリア。
「それは、政府AIは彼らの事を知ってるってことか?」
『コンゴ政府にとっては、彼らは"人間"よ。税金も払ってるし』
「税金払ってれば良いのか!」
ちょいちょい、とジュリアは櫻井を誘いカラオケ・ボックスに入る。
『1時間、呑み放題付きで』
ここはジュリアの奢り。太っ腹である。腰はギンギンにくびれているが。
『サクライ、貴方はクリンやイナンガを何だと思ってる?』
「ボノボだろ。遺伝子を改変された」
『それは、私を"黒人"と言うくらい大雑把な物言いよ』
『"白人"も"黄色人"も、ネグロイドと同じ人間。その差異は、ほんの少しの遺伝情報だけよ』
「それとこれとは--」
『ボノボとヒトの遺伝情報は、ほとんど同じよ』
一説によれば、98.5%が同じ遺伝情報らしい。
『何%以上差異があったら、人間じゃなくなるの?』
櫻井は答えることができない。
1%なのか0.5%なのか、人間か否かを決める閾値など、どこにも書かれていない。
その昔、コーカソイドにとってネグロイドは"人間"では無かった。
だが今、"ネグロイドは人間じゃ無い"なんて言えば、大問題だ。
ならば未来、Sボノボも人間だということが常識になるかも知れない。
『生ビールお待たせしました~』
カラオケ・ボックスの店員が扉を開け、沈黙を破る。
『ヒトとボノボは、確かに別種よ。生物学的には』
店員が去った後、ジュリアは話を続ける。
『でも"人間"って概念は生物学とは関係ない。昔、黒人は同種であっても"人間"じゃなかったわ』
「なら、"人間"って何だ?」
『"人間"の定義は人それぞれよ。私は、社会に能動的関与している者が"人間"と思ってる』
Sボノボは研究所で働き、論文を発表している。発表者名はサイムやデジレになってるが。
彼らは自分の意志で、社会に影響を与えている。ならばジュリアは彼らを"人間"と思う。
ちなみにアルは、受動的なので"人間"ではない。
『ま、そんなわけで』
とジュリアはジョッキをあおり、パチッとウィンク。
『コンゴ政府としては、問題なしなのよ』
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-2045年10月7日(土)16:20-
日本には"酒の上のフラチ"という言葉がある。
酔った勢いでヤっちまったコトは、許して貰えるという文化がある。
素晴らしい文化である。そう櫻井は思う。
カラオケ・ボックスは暗く、密室。
そんな場所に櫻井と美女が2人切り。
これが何を意味するか、おわかりだろうか?
専門用語で"カモネギ"という状態である。
歌ってるジュリアの肩が、櫻井の肩に触れる。
すかさずジュリアの肩を抱く櫻井。
その手は下に降りていき、しなやかな腰を抱く。
ジュリアの抵抗は無い。
--イケる!!
確信するクズ。
ボックスの残り時間は十分ある。
"Go!Go!"
叫び声を上げるクズの本性。
ぐにゃり
突然、櫻井の視界が捻じ曲がり、彼は床に崩れ落ちた。




