櫻井、髪を心配する
-2045年8月25日(金)07:15-
「おはよう」
アルを胸ポケットに入れた櫻井が、食堂に入る。
『おはようございます』
イナンガが手話で挨拶する。
彼女は陽気で料理上手な27才。ただし、櫻井のストライクゾーンからは大きく外れている。
黒い顔。
ふさふさした体毛。
小柄な身体に比べ、長い腕。
彼女は第1世代のSボノボだ。
知能指数は約80。アルより高く、ヒトとの違いは誤差の範囲だ。
彼女は料理だけでなく、食料の購入手続きや予算管理、各人の栄養状態を取り仕切っている。
『今日の朝食はオムレツよ』
「それは楽しみだ」
食堂はにぎわっている。その多くがSボノボだ。
部屋数が多かった理由はコレだ。
特に第1世代は、窓がある部屋を好む。
第2世代は引きこもる傾向があり、部屋は地下にあるらしい。
『おはよう、サクライ』
クリンが櫻井を見かけ、挨拶してくる。
彼の隣に腰を下ろす櫻井。
『後で端末室に来てくれないかな。ちょっとしたアイディアがあるんだ』
「いいぞ」
櫻井は、イナンガ特製のオムレツを口に運ぶ。
ふんわりとろとろ。中に入った野菜はしゃきしゃきしている。
『昨夜、娘と話してて思いついたんだ』
ブフォッ!
『サクライ、きたないぞ』
『大丈夫か?』
周りのSボノボから手話が来る。
咳き込みながら、台拭きでテーブルをぬぐう。
ようやく声が出るようになった櫻井は、クリンを問い詰める。
「お前、娘がいるのか?」
『もちろん』
ボノボはヒトほど表情筋が発達していない。
だが、クリンの顔に表れてる表情は見間違いようが無い。
きょとん
「16才なのに!?」
『ボノボの性成熟は、ヒトより早いのよ』
トレイを持ったジュリアが、櫻井の前に腰を下ろす。
『16才は、立派な大人よ』
どうしても不純異性交遊という単語が、頭にちらつく櫻井である。
『クリン、その話は急ぎなの?』
『ん~そうでもない』
『じゃサクライ、いつもの通り午前中は食堂の片付けと草刈りをよろしく』
櫻井がやっている雑用は、元々第1世代のSボノボがやっていた。
だが、研究所でインフルエンザが流行り、第1世代の多くがダウンして業務が回らなくなった。
そこに都合よく、職を求める人材が来た。
第1世代の多くは体調回復後、ジュリアの研究を手伝っている。
毎日のように、彼女と共にジャングルでフィールドワーク。
第2世代は主に研究。
デジレやサイム、時々所長の名で発表されている論文の多くは、第2世代が書いたものらしい。
もっとも、サイムの最大の成果であるミューオン生成理論は、彼が完成させたものだ。
その頃、第2世代はまだ生まれてもいなかった。
一方、デジレの論文は、殆どクリンが書いていた。
詐欺師である。
尤も、デジレ自身も極めて優秀で、発表した論文は十分以上に理解している。
優秀な詐欺師である。
Sボノボはそれぞれの仕事で忙しい。このため、櫻井の仕事はほとんど減らなかった。
唯一、洗濯は第1世代がやってくれ、櫻井は男の下着に触れずに済むようになった。
めでたいことである。
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-2045年8月25日(金)13:05-
『あ、サクライが来てくれたよ』
クリンが隣に居たデジレに言う。
櫻井が端末にログインすると、早速クリンは自分のアイディアを説明する。
理解が追いつかなくなった時、助け舟を出すのはデジレの役目である。
試行錯誤の上、クリンが求めるプログラムが完成した。
『ほな早速試してみよ。ちょいと失礼』
「いてっ」
デジレが櫻井の髪の毛を、1本引っこ抜く。
髪の毛をビニール袋に入れ、端末室を出て行く。
暫くすると『準備OK』と連絡が入る。
クリンがコマンドを叩き、暫くするとモニタに赤ん坊の姿が映る。
「不細工な男の子だな」
男には辛辣な櫻井である。
『10年経過させてみる』
クリンがコマンドを叩き、暫くすると大きくなった子供の姿が映る。
「ん?」
何か見覚えのある顔だ、と櫻井は思う。
『更に20年経過』
「なんじゃこりゃ?」
『さっき取った毛根のゲノムから、成長した時の外見を推測しているんだ』
得意げにクリンが言う。
モニタには、現在の櫻井に似た姿が映っていた。
『更に20年経過』
「ちょっと待ったッ!」
端末室に、櫻井の大声が響き渡った。
「心の準備をする。ちょっと待ってくれ」
『大げさだなぁ』
深く深呼吸。もう1度、深呼吸。
「よし、やってくれ」
画面に、50歳の櫻井が映る。
「良かった…有った…髪の毛…」
崩れ落ちるほど安堵する櫻井。
『でもこれは推測だからね。今回は30才までは合ってるようだけど、もっとサンプルを増やさないと』
今度、所長の毛根で試してみよう、と言うクリン。
「所長の毛根は許してさしあげろ」
『どうして?』
「貴重だからだ。もう1本たりとも無駄にはできんのだ」
納得いかないクリン。
『だって人間は、僕らより毛が少ないことを自慢してるじゃないか』
「髪は特別なんだ。所長のDNAを取るなら、別の箇所で」
この時、櫻井が止めなければクリンの命は無かった。かも。
優秀な男なのだ。クズだが。
今度ジュリアの毛根を入手してヌードを拝もう、と密かに思う櫻井であった。
次回は10/7頃




