9.知られざる過去
家々が炎で包まれている。その光景はまさに地獄だった。聞こえるのは炎が家を焼き尽くす音と、つい耳を塞ぎたくなるほどの人々の悲鳴や泣き声だ。
「あぁ………」
私の住んでいた家はとうに壊れ、お母さんは突如飛来した龍から弟を守って死んだ。しかしそんな弟もすぐに、龍に食われてしまった。これでは、お母さんが報われない。
お父さんは、私の代わりに死んだ。私を生かすために、命を使って私を逃がしてくれた。しかし、そんなお父さんの最期はそれはそれは酷いものだった。腕はもがれ、全身を火傷していた。
「私のせいで…………」
私があの時ちゃんと自力で逃げる事が出来ていれば、お父さんを死なせることはなかった。
ああ、なんでこんな事になったんだろう。
「アイリス!ちょっと森へ狩りに行ってくるから、ちゃんとお留守番しててね。」
「えー。私も行きたい!お母さんとシンが家にいるから大丈夫でしょ?」
「でも、お母さんは風邪を引いてるし、シンはまだ5歳だろう?12歳のお前が家に残ってくれれば頼もしいんだけどな。お願いだ。」
「うーん。分かった!じゃあ、家に残ってるよ!」
「おう。じゃあ、行ってきます。」
「行ってらっしゃい!」
ここは国の中でも端っこの方にある、森に囲まれた村だ。そこに私と、お父さんとお母さんと弟のシンの4人で住んでいる。
お父さんは、村へ襲ってくる魔物の量を減らすために、こうして時々狩りへ行く。でも、私を一緒に行かせてくれたことは一度もない。
それが仕方のない事だというのはよくわかっている。なにしろお母さんは生まれつき病弱な体質で、いつもなにかしらの病気を抱えている。そしてシンは5歳でやんちゃなので、とても世話が焼ける。そうなれば、お父さんが狩りへ行った時に家を守れるのは私しかいなくなる。
それでも、お父さんが短時間しか狩りへ行かないのなら私が家にいなくても問題はないのだが、お父さんはいつも長い時間狩りへ行ってしまうのだ。
そうして留守番を始めた私は、いつものように本を読み始めた。読んでいる本はいつも同じだ。『英雄譚』という名の絵本。この世界には珍しく赤い髪の生えた主人公が、圧倒的な力でもって悪を成敗していく。そんなお話だった。そしてそんな主人公に私は憧れていた。むしろ恋心さえ覚えていた。
こんな正義の味方がいれば。この本を読み始めてからは毎日そんな事を考えるようになった。そして彼のような強い人の役に立てるようになりたいと思った。彼はいわば、お父さんが家にいない時の、心の拠り所であった。
そんなことをまたいつものように考えながら本を読んでいると、お父さんが帰ってきた。しかしお父さんが家を出てから、まだ1時間も経っていない。
「アイリス!いるか?」
お父さんは汗を大量にかいていた。それに、こんなに狩りから早く帰って来るのは初めてのことだ。何かあったのだろうか。
「どうしたの?今日は早いんだね。」
「ああ、この村の近くにサラマンダーが現れた。このままだと俺らの命が危ない。すぐに避難するぞ!」
どうやらサラマンダーという魔物が現れたらしい。
それは名前だけなら私でも知っている、炎に身を包んだ龍のことだ。しかし半分伝説のような存在で、実在するかどうかも分からない魔物だったはずだ。お父さんは冗談でも言っているのだろうか。そんな疑問が頭をよぎったが、お父さんの決死の表情を見て確信した。これは決して、冗談なんかではないんだと。
そこからの行動は早かった。私達はすぐに荷物を纏め、家から飛び出した。幸いな事にまだ、サラマンダーは来ていないようだった。
「よし!今のうちに………!」
そう呟いた私は少しの安堵感を覚えていた。しかしその安堵感は一瞬で消え去ることになってしまう。突然、私たちの家の目の前にある森から、サラマンダーが顔を出したのだ。タイミングが悪すぎる。あと少しでもサラマンダーが来るのが遅ければ、私達は出会うことが無かっただろうに。
そして、目の前に現れたサラマンダーは口を大きく開け、炎のブレスを吐きだした。たったそれだけで、村が炎に包まれていく。
「そ、そんな…………」
私は怖くて体が動かなかった。逃げなければいけないのは頭では理解しているが、体が動いてくれない。
「おい!母さん!」
そのとき、お父さんが出した大声によって、私は少し冷静さを取り戻した。
「お母さん!」
お父さんの方を見ると、そこには龍のブレスによって全身が焼けただれた、お母さんが倒れていた。おそらく、さっきのブレスを、シンを守るために受けたのだろう。そしてその当人であるシンは涙を流しており、絶望で顔を歪めている。
しかしサラマンダーは状況をしっかりと整理するための時間は与えてくれなかった。おそらく3人のなかで最も弱いであろうシンをめがけて口を大きく開けると、その大きな一口でシンを食べてしまったのだ。
「「シン!!!!」」
お母さんとシンを目の前で殺され理性を失ったお父さんは、サラマンダーに向かって突進していく。
「よくもっ、よくも俺の大事な家族をっ!!」
しかしそんなお父さんは、サラマンダーの周りにある炎のせいでサラマンダーに近づく事は出来なかった。
そしてサラマンダーは、残った2人の中で一番弱い私のことを狙ってくる。だが、サラマンダーと私には少し距離があった。おそらく、死ぬ気で走れば、サラマンダーから逃げ切る事ができるだろう。
しかし、逃げなければいけない状況なのに私は、足がすくんで逃げる事が出来なかった。目の前で家族を殺した相手の前で、何もする事ができなかった。
サラマンダーが大きく口を開け、私の事も食べようとしてくる。時間がとてもゆっくり感じた。このあと私もシンのように食べられてしまうのだろう。抵抗する気力も起きなかった。
「アイリスは殺させない!!」
私を守るために戻ってきたお父さんが、サラマンダーに向かって剣を振るった。
「お父さん!」
そしてその剣はサラマンダーに少しだけだが、傷をつける事ができた。しかし、傷を付けられた事がサラマンダーを怒らせたのか、身を包む炎はどんどん大きくなっていく。
「アイリス。お前だけでも逃げるんだ。いいな?」
「そんな!お父さんも一緒に……」
「それはできない。あいつは俺の事を狙っている。おそらく、俺はここで死んでしまうだろう。だから、最期のお願いだ。必ず、生き残ってくれ。」
そう言うとお父さんはサラマンダーの気をひくために私から離れていく。
「おいクソ蛇!俺はこっちだぞ!!」
私は今度こそ逃げるために足を動かす。お父さんのためにも、絶対に死ぬわけにはいかない。お父さんが命を懸けて助けようとしてくれているのだ。もうこれ以上迷惑はかけられない。
しかし、動き出した足は再び止まってしまった。
私の目はお父さんの最期を捉えていた。
「お父さん!!!」
それはそれは酷い死に方だった。お父さんは抵抗する間も無く腕をもがれ、炎で焼かれた。
そしてサラマンダーはこちらを向き、私と目が合った。実際に目が合っていた時間はほんの一瞬だと思うが、私には何時間もの事のように感じた。
私はもう何も出来なかった。泣く事も、悲鳴をあげる事も、逃げる事も。全ての感情が恐怖で埋め尽くされていく。今度こそ殺される。心からそう思った。しかしサラマンダーは、お父さんを殺した事で気が済んだのか、森の中へと帰って行った。
この村の生存者は、私ただ1人だった。
あの事件のあと、私は王都にいる親戚の元へと向かった。そして、もう私を守るために誰かが傷付かなくて良いように、強くなろうとした。あの時だって私が強ければみんなが死ぬことはなかったかもしれない。
強くなりたい。そう決意した私は冒険者になった。そして何年も修行をして、自分の身は自分で守れるくらいの強さを手に入れる事ができた。どんなに辛い修行でも、あの時の事を思えば耐えられた。あの時より辛い事などこの世には存在しない。私はそう思っていた。
私が冒険者になった後、私の住んでいた村に関する情報をいくつか聞いた。
あの後村は無くなり、村があった場所にも木が生えたらしい。そして、大きな森が形成された。その森は「亡者の森」と呼ばれ、その森に入る人がほとんど死んでしまう事からその名が付けられたらしい。おそらく森に入る人々を殺しているのはあのサラマンダーなのだろう。
しかし、私がそこに行く事はもうない。そこに行けば私の家族を殺したサラマンダーがいる、という事を考えると、行きたいとすらも思わなかった。
サラマンダーは確かに憎い。私から家族を、村を奪ったのだ。しかし自分では、何もすることができない。出来るのはせめて、もう誰にも迷惑をかけないように、強くなろうと努力することだけ。
そんな私が冒険者になってから、数年が経過し、その時の私はある町を拠点として活動していた。
ある日、私は冒険者ギルドへと出かけた。まだDランクだったため、ランクを上げるために依頼をこなしに行ったのだ。普通は、冒険者を始めて数年経つような人だと最低でもCランクにはなっている。しかし私は、依頼をあまりこなす事無く身を鍛える事ばかりしていたため、ランクの上がり方がとても遅かったのだ。
「おいおい、てめえ随分と舐めてるようだな?」
突然、聞き覚えのある声がしたので前方を見てみると、そこには王族のゴルドと、おそらく冒険者成り立てであろう青年が立っていた。
その青年は私と同じくらいの歳に見える。しかし、災難だ。よりによって冒険者になったその日から、王族であるゴルドに絡まれるとは。
ゴルドの被害者はかなり数が多い。もっとも、王様からはゴルドを殴れ、という依頼が出されているが、ゴルドが絡む相手はは例外なくゴルドよりも弱いのだ。よって、その依頼が達成されることは無かったのだ。それもそのはずだ。Sランクであるゴルドよりも強い者なんてこの町には存在しない。
普通ならば、ゴルドにケンカを売られた者はすぐに謝って、事態の沈静化を図る。だがもちろんそれで終わるわけがなく、大抵はゴルドに1発殴られて終わる。
しかしあろう事か、青年はそのケンカを買った。しかも、ゴルドに負けず、かなり挑発している。周りの冒険者たちはそれを見て青年に忠告をしているようだが、その青年が忠告を受け入れようとする様子はない。
そうして、ケンカが始まった。実際はケンカと言ってもそれほど優しいものではない。1番適した言葉を使うならば、やはり殺し合いとなるだろう。
その殺し合いは、ゴルドの一方的な暴力によって終わるとみんなが思っていた。青年には気の毒だが私たちには何も出来ない。そう考えいたのだが、私達は全員、目の前で起きた出来事に目を見開くことになった。
そこには、余裕な笑みを浮かべる青年の立ち姿があったのだ。
Sランク冒険者に、冒険者成り立ての青年が勝つ。そんなあり得ない事態に、そこに居合わせた誰もが、歓声を上げていた。
しかし青年はそんなことを気にする素振りもなく、ギルドから出て行ってしまった。しかし私は、その青年から目を離す事ができずにいた。
彼の姿が、いつも読んでいた本の主人公の姿と重なる。同じ赤い髪を持ち、悪を成敗できるほどの強さを持つ。そんな2人。気づけば私の胸は激しく波打っていた。
私の村が消えて以来、私の唯一の心の拠り所であった絵本の主人公。その彼が絵本から外に出てきたかのように思われた。
彼のそばに居たい。無意識に心を埋め尽くしていたのは、そんな感情だった。
自分の気持ちに気づいた私はすぐさま、受付の人に彼の名前を聞いた。
「彼はアルさんというらしいですよ。」
こうして私に初恋の相手ができた。