27.声
気づけば俺はただぼんやりとした空間の中にいた。
目の前で俺に向かって微笑みかけているのは誰だろうか。ここはどこなのか、何故ここにいるのか。
分からない事はたくさんあったが、俺の心は幸せで満たされていた。
「一体、誰なんだ?」
目の前にいる彼女は、俺の質問を受けて困ったように笑う。その笑みはとても綺麗で、それでも見ているこちらが泣きたくなるほどに、悲しそうだった。
「ーーまた、会おうね。」
彼女のその一言で、俺の意識は静かに薄れていった。
「ーールさん!アルさん、起きてください!」
俺の目を覚ましたのはアイリスだ。そして起こした本人であるアイリスは、珍しい物でも見たかのようにこちらを見ている。
「珍しいですね。アルさんが寝坊するなんて。」
「確かに、そうだな。」
「何かあったんですか?」
「何か、あったっけ………」
なんだか忘れてはならない重要な事を忘れてしまっているような気がする。どうもモヤがかかったようで思い出せない。
それにしても、いつも早起きして朝飯を作っている俺が寝坊するなんて、やはり余程の事があったのだろう。
「…………アル、いつになく変。大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。悪いな。」
そう言って俺は立ち上がり、空を眺めた。変わる事のない青く広い空だ。
「本当に大丈夫かしら?」
普段は決してしないような事をしているのがそんなにおかしいのか、イシスも本気で心配そうな顔をしている。
そんなふうに空を見ていると、イムホテプの塔から魔力が漏れ出している事に気づいた。塔からここまではかなり離れているだろうから、おそらく相当大きな魔力だ。
「なあ、塔から感じる魔力に気づいたか?」
「うん。でも師匠、この魔力って塔からのものなの?私はなんか違う気がするんだけど………」
「違う?どういうことだ?」
「うーん、私もよく分からない。」
どうにもよく分からないが、ルンは何かに違和感を感じたようだ。これは一見何でもなさそうな情報だが、この情報を出したのがルンだというだけで、重要性が大きく変わってくる。
今いるこの中で一番この地上に長く住んでいるのはルンだ。そんなルンの言葉なら、ただの直感と言えどバカにできない。
「とりあえず塔に向かってみよう。もしかしたらゼウスが何か情報を掴んでるかもしれない。」
「…………わかった。」
そう決断するとすぐに、俺らは塔に向かって進みだした。
「まさか、これほどとはな。」
「予想より多くてびっくりだよー。」
「でもこれくらいなら大丈夫じゃない?」
王都の前に広がる草原に立つのは1人の男だ。しかし彼は1人ではない。彼の周りには5人ほどの妖精族が飛び回っている。
その男は見たところ50歳くらいだろうか。鋭く先を見据えるその目から、只者ではないことが窺える。
彼は妖精王フィオンの命令によって王都を守るために派遣された人間だ。実は彼も昔は王都に住んでいたのだが、冒険者の仕事をするために外に出るとすぐに、貧血で倒れてしまったのだ。そこを偶然通りかかった妖精族が助け、それ以来彼は妖精の森に住み、妖精族を守っている。
「これほどの魔物を使役できるとは……」
「さすが神ってかんじだね?」
「そうだな。これじゃあ本気でやるしかなさそうだ。」
そう言うと、先程までとは比べ物にならないほどに空気が張り詰め、緊張感が漂う。
「はぁ、全く俺も不運なものだ。」
彼がそう嘆くのも仕方がない。
なにせ円形状に作られた王都の周りに、約100万もの魔物が押し寄せているのだから。
「ゼウス!いるか?」
イムホテプの塔へたどり着いた俺たちは、ゼウスがいるのかを確認した。
しかしゼウスやイムホテプの姿は見えない。その代わりにあったのは、少し大きめの、魔力を持った鏡だった。
「これは、通信用の魔道具ね。」
「魔道具、ねぇ。」
魔道具とは、道具に魔力を込める事によってより便利に使えるようにした物だ。その中にはこの鏡のように、本来とは違う使い方が出来るようになったものもある。
ちなみに魔道具は、使用者が魔力を通す事によってその間だけ使えるようになるものと、製作者が魔力を通す事によって魔力が切れるまで使えるものの二種類に分かれる。この鏡は前者だ。
おそらくこれで通信しろ、という事だろう。早速俺は魔力を込めて、魔道具を使い始める。
すると、自分の顔が写っていた鏡に、ゼウスの顔が映った。
「アルか。早速だがお前らに情報を伝える。」
「ああ、頼むぜ。」
「まず、我らはシヴァの居場所を突き止めた。場所は大陸の中央にある山の上だ。」
「山って、龍族がいる山か?」
「いや、それとは違う。そこからはかなり離れている場所にある、地上で一番高い山じゃ。まあ突き止めたのはいいのじゃが、今地上にいるお主らを除いて、神は今回の件に手出し出来なくなってしまったのだ。」
「なんでだ?事態の収拾くらいならいいはずだろ?」
「実は維持神ヴィシュヌにバレてしまっての。」
「ったく何やってんだよ。それでも全能神か?」
維持神ヴィシュヌは、神回トップ2の神だ。ゼウスたちと違って非常に厳しく、地上の出来事に神が直接関わる事を嫌う傾向がある。それは、問題を起こしたのが神であった場合でもだ。おそらく地上にいる俺らは、神であって神でないような存在になっているため、大目に見てくれたのだろう。
「ってことは、シヴァを止めるのは俺ら5人だけって事か?」
「ああ、そうなるな。あともう1つじゃ。今王都に向かって約100万もの魔物が押し寄せている。」
「!?なら、さっきルンが感じた違和感ってのはそれの事か。それで、その対処はどうするんだ?」
「現在、妖精族の者らが対応しているが、それだけでは足りないだろう。よって我が龍族に連絡をしておいた。」
「いいのか?龍族に頼んでも。」
「この際仕方がない。我から伝えられる情報は以上だ。頑張ってくれ。」
「無責任だな、まったく………」
当初の計算よりはだいぶ辛い状況になってしまった。しかしやらなければいけない事は変わらない。
「行くぞお前ら。逃げたい奴がいれば今逃げても構わない。」
「師匠、私たちの事を甘く見てもらっては困るよ?」
「その通りです!もう覚悟は出来てます!」
「…………こんな事に巻き込まれるなんて、ラッキー以外の何物でもない。」
「ふふ、みんな大丈夫そうよ、アレス。」
俺の質問に対して、それが無駄であるとでも言わんばかりに彼女らが俺の事を強く見つめてくる。それを見た俺はフッと笑うと、大声をあげた。
「俺らの目的は破壊神シヴァによる破壊の阻止だ!誰も死ぬなよ?」
「「「「もちろん!!」」」」
俺はこいつらに出会ってから少し変わったかもしれない。昔の俺ならこんな事は絶対にしなかった。おそらく誰がなんと言おうと1人で戦いに行っていただろう。
「ーー成長、したね。行ってらっしゃい。」
「ん?誰か今何か言ったか?」
「え?何も言ってないですよ?」
「じゃあ、空耳かな。」
俺はそう言ったが、空耳ではない事くらい俺が一番よく分かっている。確かに誰かが俺に話しかけた。しかし返事をする手段を俺は持たない。
「行って、くるよ。」
俺は、誰に話しかけるでもなく、そう呟いた。




