誘蛾灯
今年もクリスマスのイルミネーションは私を嘲笑っていた。
人工的な輝きはきらびやかで、街を鮮やかに彩っている。公園の中心にある大きなモミノキも電飾の憂き目にあっていた。可哀想な樹は誘蛾灯の役割を果たしているのだろうか、その周囲には複数のカップルたちが群がっていた。
積もった雪は踏みしめられて硬く鈍い光を放っている。
モミノキの隣にあるベンチにはやはり男女二人組みが座っている。二人とも幸せそうに微笑んでいた。
周囲の人から見ると、私も待ち合わせをしているように見えているのだろう。
――確かに私も待ち合わせをしていたの。
腕時計を見ると、約束までまだ一時間以上あった。あの日と同じ、一時間以上前。
びゅるりと風が吹いた。真冬の寒さが骨に凍みるように痛い。手袋をしていないからか、私の両手は寒さで麻痺し、感覚が朧になってきている。明日にはきっと霜焼けになっていることだろう。
まぁ、それはもう取るに足らないことのなのだけれど……
*
私は彼とクリスマスイブにイルミネーションが奇麗な公園で待ち合わせをしていた。田舎ではあるが、商店街の住人が客を呼び込むために気合を入れて電飾をしているのだった。
その甲斐あって、公園には数多くの人達がおり、商店街もにぎわっていた。普段は暗く寂れかけた商店街の近くにある、一筋の大きな輝き、住人の希望がいっぱい込められた公園だ。そんな公園に、私は待ち合わせの一時間以上前に着いていた。
彼とのデートに待ちきれなくなってついつい早く家を出てしまったのである。もちろん、昨日は今日が楽しみでほとんど寝ることができなかった。
公園の中心にある大きなモミノキは鮮やかに電飾されて輝いている。その周囲には光に集う蝶のように何組ものカップルがいた。それぞれの表情を見ると、誰もが幸せそうに笑っていた。
私もこれからそうなるのだ。真冬の公園の中、手袋を忘れてしまったせいでかじかんだ両手が痛い。
――そうだ、彼の手で温めてもらおう。私は彼の手が大好きなのだ。白く細い指に、少し肉刺のある手のひら。骨ばって硬いその手は私の手をいつもふんわりとつつんでくれていた。
たまに強く握ってくれるのも嬉しかった。何となく、彼に求められている、そんな気がして……。握っては握り返す、所謂ラブノックの感触も好きだ。思い返してみるだけで嬉しいけどどこか恥ずかしい妙な気分になる。私の体を今、サーモグラフィで見たらどんな風になっているのだろうか、結果なんてわかりきっているから絶対に知りたくはない。
自分で妄想して勝手に恥ずかしくなっていた。熱さと恥ずかしさにいてもたってもいられず、私は公園を適当にふらつく。積もった雪を踏みしめる度にシャリシャリと心地良い音が聞こえた。そうして幸福な公園を歩いて顔の火照りを鎮めると同時に、彼を待っていた。
待ち合わせの丁度十分前午後四時五十分、横断歩道の向こう側に彼が見えた。真白な息を吐いて信号の色が変わるのを待っていた。
――服装はおかしくないだろうか。笑顔で話すことができるだろうか。楽しい時間を過ごすことができるのだろうか。
久しぶりのデートで私の心は初めて手を繋いだときのように緊張していた。何せここ一年間私達は就職活動や卒業論文を仕上げることと、資格習得活動に忙殺されていたせいで、デートらしいデートをするのは久しぶりだからである。お互いが落ち着くまで会う回数を減らそうと約束していたがそれも解禁だ。
――あぁ、やっと、彼に会えるんだ。
信号がやっと青に変わる。私は顔を熱くしながら、歩き始める彼を見つめていた。心臓の鼓動は一層速く強くなる。商店街や公園のスピーカーから流れるジングルベルは祝福の鐘だ。
『誰がために鐘は鳴る』
自惚れだとはわかっている、浮かれているなんてこともわかっている。けれども、高揚した私の心にはこの鐘が私と彼のために鳴っていると信じて疑わずにいた。
冷たい手が今は嬉しかった。彼に握ってもらえるのだから。
早くここまで来ないだろうかと胸が躍る。
何を話そうか。とりあえず、人目もはばからず思いっきり抱きついてみようか。そうだ、今日はクリスマスイブだからそれくらい許されるはずなのだ。
『誰がために鐘は鳴る』
周囲からクリスマスソングは聞こえなくなった。
――別れは突然訪れるものである。
それは、誰もが知っている何かのフレーズだ。ただ、それが、自分にも当てはまるなんて、 思わなかった。いや、訪れて欲しくはなかったと言うほうが正しい。
そして、彼の目が、もう二度と、開くことがなかったのも、現実だった。
あの時はまだ現実が理解できなくて、理解したくはなくて、ただひたすらそうしているだけだった。彼の葬儀が終わった後、私は自宅のベッドの上で彼のことを考えていた。
*
彼と親しくなったきっかけは、地元の図書館での出来事だった。当時、私は近くの国公立大学の文学部英文学科に在籍していた。外国文学以外にも個人的な興味で日本文学の講義をいくつか受講していた。その中の一つに、宮沢賢治を取り扱ったものがあり、課題のレポートがあった。それを書くた めに、書架から何冊もの本をとり、読書スペースに持ち込み 、全集に収録されている『銀河鉄道の夜』を読んでいた。
『銀河鉄道の夜』にはブルカニロ博士というセロのような声 をした、黒い帽子をかぶった青白い顔の瘠せた大人がいる。いや、正確には『いた』というほうが正しいのだ。何故なら、彼は第三次稿(旧版)には存在するが、第四次稿(新版)には存在しないからである。
何故彼がいなくなってしまったのかを、いくつかの資料を横に置きながら考え始めていた。
『あらゆるひとのいちばんの幸福をさがしみんなといっしょ に早くそこに行くがいい、そこでばかりおまへはほんたうに カムパネルラといつまでもいっしょに行けるのだ』
ブルカニロ博士のこの台詞がひとつのきっかけとなって、気弱だったジョバンニは強く成長するのだ。そこで『ほんたうのしあわせ』を探すと誓う。自分のため、カムパネルラのため、母のため、そしてみんなのために決意するのである。私はブルカニロ博士の台詞が大好きであった。しかし、考えても考えても何故博士が改稿でいなくなってしまったのかがわからな かった。
第四次稿では、ブルカニロ博士の代わりにジョバンニの父親が登場している。ブルカニロ博士がいなくなってしまったせいで、ジョバンニは大きく成長するきっかけを失い『ほんたうのしあわせ』を求めることがなくなってしまう。
思い悩んでいたそんなとき、後ろから声をかけられた。
「すみません、この本をお借りしてもいいですか」
それは図書館だから小さな声だった。しかし、私の耳にしっかりと聞こえ、そしてどこか優しさを感じさせるものだった。私は振り返りその人を見る。なんとなく彼に見覚えがあり、数秒考えるとわかった。
――そうだ、確か同じ講義を受講していた人だ。
話したことはなかったが、受講人数の多くない講義だったのでなんとなく顔を覚えていたのだ。
「いいですよ」
私はそう答えていた。それは意識的ではなくほとんど無意識の返答だった。私は普段、人に何かを頼まれると断ることができない場合が多い。幸いにも、彼が指差した宮沢賢治の生涯について書かれた本は既に読み終えていた。
「何なら、私がまとめたのもついでにお貸ししましょうか」
これは完全に無意識に口から出ていた。さらにおかしいことに、私はルーズリーフにまとめたものを自然と彼に差し出していたのだ。
後から振り返って考えれば考えるほどに不思議な行動だったと思う。平生の私はおとなしい人物であり、人から頼まれてすることはあっても、自分から自分の書いたものを相手に見せようと提案することはありえなかったからである。
「いいんですか」
彼はきょとんとした顔で私を見ていた。彼の表情は驚きに満ちている。と言っても、失礼なほどひどくはなかったが。
彼の驚きは当然だと思った。知り合いですらなく、初めて話をした女からいきなり紙を差し出されたのだ。驚くなというほうが無理なことである。 「ええ、どうぞ」と、 私は自分でも違和感を抱くほど、自然にそう言っていた。
--何故だ、何故私の口はこんなに動くのだ。
そんなことを思っても、言ってしまったことを取り戻すことはできない。
「ありがとうございます。これも読ませてもらいますね」
彼はふんわりと微笑み優しい声でそう言った。そして私の右斜め前のところに座って私のまとめたものと、資料を読み始めた。私はその姿を見て、また『銀河鉄道の夜』についての考察を始めるが、三分程たつと、集中が切れてしまった。そもそも集中することができていなかった。彼のことが気になったからである。
彼のことを観察することで、何故あんな行動をしたのかがわかるかもしれないと考えたのだ。私は彼に気づかれぬようできるだけ慎重に彼のことを観察し始めた。
座っていてもわかる細身の体、資料を持つ白くて男性にしては細い指。あまり長くはないが、真っ直ぐで艶のある柔らかそうな黒髪。
そして、何より全てを吸い込んでしまいそうなほどに深く澄んだ真黒な瞳。
資料を読む彼の表情は真剣でいて、しかし穏やかであった。
「どうかしましたか」
彼に囁かれてしまった。どうやら私はいつのまに彼のことを見つめてしまっていたらしい。彼に気づかれないように慎重にというのは忘れ去られてしまったのだ。私はただ挙動不審になるばかりで、え、あぁ、はい、とかわけのわからない反応をした。顔だけではなく、全身が一気に熱くなる。今なら額で水を沸騰させることくらいできるかも。と、全く冷静になれない頭でそんな阿呆なことを考えていた。
変な私を見て、彼は微笑み何事もなかったかのようにまた資料を読み始めた。
--穴があったら入りたい。いや、穴を掘ってでも入りたい。
結局、彼のことを観察しても私が恥ずかしくなるばかりで、私が謎の行動をとった理由を知ることはできなかった。
私は真赤な顔を隠すために宮沢賢治全集を使った。それからはまた静寂な時が流れる。無理やりにでも集中して落ち着きたかった。羞恥心から今度は彼のことを見ることはなく、 案外全集やその他の資料を読むことに集中することができた。 『銀河鉄道の夜』の主人公であるジョバンニやカムパネルラにはモデルがいる。それは宮沢賢治自身と、彼の妹であるトシだ。宮沢賢治には四人の弟妹いるが、そのなかでもトシは特別だった。
トシは兄の歌稿を筆写しまとめたりするなど、兄の創作活動を手伝っていた。トシは宮沢賢治のよき理解者でもあった。しかし、その最愛の妹は若くして亡くなってしまう。その後、残された兄は傷心旅行として樺太鉄道を利用して北へ向かう。
天国にもっとも近いと思っていた場所、北極に少しでも近づきたかったのである。この傷心旅行こそが 『銀河鉄道の夜』の元となる。登場人物のジョバンニとカム パネルラは生きた宮沢賢治と亡くなったトシである。
次に私はトシについて書かれた詩の『永訣の朝』を読み始めた。
『Ora Orade Shitori egmo(私は私で一人いきます)』
宮沢賢治が何故この言葉だけをローマ字表記にしたのかを考察し始めた時、彼にまた声をかけられた。
「ありがとうございます」
いつの間にか時間は過ぎ去っていたようで、彼は資料を読み終えていた。
「これもすごくわかりやすかったです。それと、この本は書架に戻しても大丈夫ですか」
「どういたしまして。戻してくれるとちょっと助かります」
今度はなんとか自然と言葉を返すことができた。資料を戻しに行く彼の身長は、私よりも頭ひとつぶん大きく、歩く姿もしゃんとしていた。彼と書架の組み合わせを切り取ると、 完成された絵画のようになるのではないだろうか。
ふと窓から外を見ると、あたりは既に暗くなっていた。時計を確認すれば午後六時十九分だった。今日はこれくらいにして帰ろう、ある程度は進んだし、考えることは別に図書館でなくともできる。資料を何冊か借りて自宅で紅茶でも飲みながらゆっくりとやればいい。レポート提出日までまだ二週間以上もある。そう決めた私は店を広げた状態の机上を片付けバッグにしまう。そして三冊の資料を受付に行って借りることにした。
資料を借り、図書館の外に出る。ぐーっと大きな伸びをして凝り固まった体を軽くほぐした。重かった体が軽くなるこの感じが大好きだった。
「すみません」
そこでまた優しい声がした。
「なんでしょう」
振り返るとまた彼がいた。何か用があるのだろうか。もしかして、私が借りた資料の中に彼が借りようとしたものがあったのかも。いやいや、そうだとしても、流石に今渡すことはできない。いくら頼まれたことを断れない私でも、断ることがたまにはあるのだ。
「あの、もしよろしければ、一緒に夕食を食べに行きません か。さっきのお礼がしたいんです。ただ言葉だけで感謝を示 すのじゃ足りないかなって」
「え、……あの」
私が思ったこととは全く関係がなかった。というか、こんなことは想像することができるわけもない。 彼の声は言えば言うほどに小さくなっていった。最後にいたってはなんとか聞こえた程度である。彼の頬には薄く朱が さしていた。
――きっと恥ずかしいんだろうな。
ぼんやりとそんなことを思った。
「……だめですか」
俯きながら、消え入りそうな声で彼はそう言った。その姿はまるで捨てられる寸前の子犬だった。男性にこんな表現をするのは失礼だとは思うけれど、素直に可愛いと思ってしまった。
彼は顔を上げ私を見る。その真直ぐな瞳はやはり何もかも 吸い込んでしまうそうなほど澄んでいた。
とくり、と心臓が跳ねた。
「いいですよ」
無意識に私はそう答えていた。今日の私は何かが変だ。普段の私は人付き合いが苦手で、頼まれたことは断れない性質ではあるが、知り合いですらない、いや知り合ったばかりの男性から食事に誘われたとしてもなんとかして断っている。
それなのに今日は、断らずにいた。不思議と嫌な気持ちはなく、むしろ今は楽しみとさえ思いはじめていた。やっぱり、今日の私は変である。
「ありがとうございます。遅くならないうちにさっそく向かいましょう」
そう言って彼は歩き出した。私を見ず歩くその横顔にはまだ朱がさしていた。
これが私と彼が親しくなったきっかけであった。図書館の出来事のあと、たまに私と彼は話すようになり、牛歩の速度ながらも確実に距離を縮めていったのである。この半年後に彼から告白された。もちろん、私は断るはずなどなく、二文字の答えを返した。
*
彼が死んでしまってから、もう五年が過ぎていた。心にできた虚は縮まることなどなく、むしろ拡大していった。毎日はただ漠然と過ぎていくだけ。
大好きだった小説を読んでも、甘いものを食べても無感動で無味、何も思わなくなっていた。彼の存在は私の構成要素の中でもっとも比重が高かったのだと今になってまた思う。
いつになっても喪失感が消えることはなかった。
大学を卒業してからは運よくとある企業の事務職に就くことができた。感情を偽ることは彼が亡くなってからずっとしていたので、愛想の良い明るい事務員と上司からは思われていたらしい。二年前に退職したときはささやかながらも送別会を開いてくれた。そのときに私が思ったことはただひとつ 、今辞めておいてよかったと。 友人とは少しずつ距離を置いていった。
誰もが「きっと新しい恋に出遭ったら忘れることができるよ」とか、「時間がきっと解決してくれる」などという無責任な慰めを言うだけだった。彼がいたことを忘れろと言うだけだった。そしてそれは彼が本当に死んでしまったことを再確認させるだけでもあった。
--もう、うんざりだ。
彼の存在は『銀河鉄道の夜』のブルカニロ博士のように最初から存在しなかったかのごとく消されてしまうのだろうか。消してしまうのだろうか。いや、嫌だ、私は彼のことを絶 対に、忘れない。彼がいないことにも耐えられそうにもなかった。
私はジョバンニとカムパネルラのモデルとなった宮沢賢治とトシのように強くなれなかったのだ。
『Ora Orade Shitori egmo』
――私は私で独り生きます。
『Ora Orade Shitori egmo』
――私は私で独り逝きます。
彼等のように私はこんなことは絶対に言えない。こんなにも前向きに死を乗り越えることなどできなかったのだ。
『おまえがたべるこのふたわんの雪に、わたくしはいまここからいのる。どうかこれが天上のアイスクリームになって、おまえとみんなとに聖い資糧をもたらすように、わたくしのすべてのさいわいをかけてねがう』
私には、宮沢賢治がトシの最期の願いを叶えるため、知らない誰かのために自分の幸い全てを懸けて祈りを捧げるようなことはできなかった。
私がもし祈りを捧げるならば、それは利己的なもので「あなたが生き返りますように」とただそれだけだ。
寂しいのは嫌だから、彼が今でも好きだから、彼がいないなんて耐えられないから。そう、私は彼らのように強い人間ではない。私は、私と彼、たまに他の誰かがいればそれで満足できるような人間なのだ。
そもそも、神様なんて私は信じていない。神様は乗り越えられない試練は与えないというが、それは全くの虚構だ。クリスマスイブという幸せなはずの日に、私を絶望の深海に沈めた神なんて、いらない。
――この五年間は煉獄だったの。
夢の中で彼と何度も会った。図書館の記憶、初めてのデートで電車の遅延で待ち合わせ時間を盛大に過ぎてしまったのに、笑って許してくれた彼の顔。数え切れないほどの幸せの風景。しかし、その幸せな夢以上に多く見たのがあのクリスマスイブのことだった。
眠ったようなのに二度と開くことはない瞳。
現実のように鮮明に再生された。何度も、何度も、何度も、何度も。
夢から覚めれば悪夢は消える。しかし、夢から覚めたそのときに、ここにはもう彼がいないことをまた再確認するのだ。
それならばいっそ、ずっと眠っていたかった。そうすればたとえ夢でも、悪夢の中からたまに現れる幸せの風景を見ることができたのに。それだけが私の心の支えだった。
現実こそが真の悪夢なのかもしれない。昔は鮮やかに見えた日常が今では何処か色あせていて、自分の目で見ているものが真実か嘘かわからなくなっていた。
もう、全てに疲れてしまった。空虚な私には何も残っていない。心にはどこまでも暗く深い穴があいていて、それを満たす術はここにはなかった。彼が好きだったものを蒐集して、彼の足跡を辿ろうとして、彼のことを深く知って記憶に刻み、喪失感を埋めようとしたけれど、何の効果もなかった。いや、ひとつだけわかった真理があった、彼に代わるものなどないということである。寂しさは癒えることがなく、また落ちるばかりであった。足掻けば足掻くほど落ちる底無し沼。
どれだけ追い求めても彼を捕まえることはできない。ひらひらと舞う蝶を捕らえたと思っても、網の中は空っぽだった。
羽化した後の蛹の欠片を集めても、中身である蝶はそこにいないのだ。
彼は蝶になって遠いところに旅立ってしまった。まだ幼虫の私は、まだ飛ぶことのできない私は彼に追いつくことができないでいた。
今年もクリスマスのイルミネーションは私を嘲笑っていた。
公園の中心にある大きなモミノキは誘蛾灯の役割を果たしていた。
あぁ、そこにいってたまるものか。蛾になどなってたまるものか。
私は、蝶になるのだ。
今から、あなたに会いにいくよ。蛹なんて過程は一足飛びにしてしまうから。
午後四時五十分、私は祝福の鐘を聴きながら、赤を示した横断歩道を渡ることにした。
引用
宮沢賢治
「銀河鉄道の夜」
「永訣の朝」
参考文献
アーネスト・ヘミングウェイ
「誰がために鐘は鳴る」
堤中納言物語
「虫めづる姫君」
森鴎外
「舞姫」




