追憶
両親は僕らが生まれて間もなく離婚した。そして母は姉を引き取り、父は僕を引き取った。
姉の名前は〈レン〉。僕の名前は〈カオル〉。僕らは一卵性双生児だ。
僕らは中学二年の夏休みの合宿で初めて出会い、鏡の向こうの自分に驚愕し、お互いを知り合った。
顔も姿も声も同じ。別れた両親がそれぞれ家庭を持ってからは、置かれた状況までもがそっくりだった。
レンは継父から、僕は継母から虐待を受けていた。
父は仕方なく僕を引き取ったのだと公言していた。
僕が学校でいい成績をとったときだけは上機嫌で、僕に恥ずかしくない一流の大学を出て、恥ずかしくない一流の人間になることを強く望んだ。
家から追い出されたくなかった僕は父の期待に応えようと必死だった。
僕が〈いい子〉でいたときは〈いい父〉だった。だが出張が多く、家にほとんど帰らない。
継母は僕を見るたび、「顔が気に入らない」と癇癪を起こして暴力を振るう。顔の傷も身体の痣もこの人がつけたものだ。彼女は僕が学校でいい成績をとると「女のくせに」と激怒し、必ず折檻するのだ。
それでもまだ小学生の頃はマシだった。
少なくとも父は、ひとりしかいない子供に親としての義務を果たそうとしていた。
……自分の跡を継ぐ男の子が生まれるまでは。
継母は息子を産むと勝ち誇ったように笑った。
「どんなに必死になっても、あんたは男に勝てないの。女のあんたはいらない子なのよ」
――いらない子。
父の関心は、家へ後からやってきた弟に一心に注がれた。
今までは滅多に家にいなかったのに、いそいそと帰宅して弟をあやしている。
“カオアザ”ニ サワルト ビョウキニナルゾ。
身体の傷のことでいじめられたくなかった僕は、スカートを履くことができなくなった。
「あのね〈僕〉、フタバ中学を受験することにしたんだ」
娘が突然男の子のように振る舞うようになり、父は怪訝な顔をした。
そんな言葉遣いはやめなさい、きちんとした服装をしなさい、と不快そうに言う。おかしくなったのだと思われた。
彼の僕に対する評価は〈恥ずかしくない子供〉から〈恥さらし者〉に変わっていった。
何も知らない僕はピアノ線の上を道化の格好をして歩いてく。
女の子だといじめられる。男の子みたいになればすべてがうまくいく。それなら女の子なんてやめてしまえばいい。
学校ではみんなからアタマのおかしい奴だとバカにされた。
ひとりだけ制服を着ない、体育の授業をサボる。誰とも口をきかずに絵を描いている変態だと。
でも、他人が僕を〈気の毒な者〉と認識するようになって、あからさまないじめは以前よりも減った。
「ほら、やっぱり。女の子じゃ駄目なんだよ」
僕は誰からもうるさく言われない海辺に立ち、スケッチブックに〈友だち〉を描いた。……手しかない友だちを。
レンと出会ったのは進学塾の受験強化プログラム合宿のときだ。
自分に産みの母と双子の姉がいることは知っていた。別れてから一度も会っていないが、すぐに姉だとわかった。
フィクサーは、〈エデン〉のシンボルとして祭り上げるアイドルをレンと僕とのセットで考えていたらしい。
だが、僕は初対面の人間をけっして信じない。だから、同じ顔を持つ姉のレンを僕に差し向けたのだろう。
そんなことは夢にも思わなかった僕は、自分と同じ顔をした奴がいかにも女らしい格好で座っているのを見て、吐き気がした。
「なんでそんな格好をしているの」
僕らは同時に同じことを言った。
僕は彼女に、そんな格好をしたらみんなからいじめの標的にされるよ、と言った。
すると彼女も、綺麗にしていれば男の人がちやほやしてくれる、と言った。
レンはレンで制服代わりの小汚いジャージを着て、男言葉を話す僕が気に入らなかったらしい。
彼女は、学校でクラスメイトの男子がいかに自分に夢中かを誇らしげに話した。
「最強の番犬よ。彼がいるから私はいじめられないし、バカ女たちも黙ってるの」
「そんな、ヒトを利用するようなことして……。僕は絶対に嫌だ」
番犬だなんて、その人かわいそうだよ。きっとレンのことが大好きなんだよ。
そんな僕を見てレンは憎々しげに言った。「カオルはいいね。綺麗な身体のままなんでしょう」
「痣だらけ傷らだけの身体のどこが綺麗なのさ」
僕はレンのいう〈綺麗〉の意味がわからなかった。
レンは継父から乱暴され続けていると言った。世界中の男が憎いという。
「男なんて、いやらしいことしか考えてないのよ。でもいいの。私はそのバカたちを利用しまくってやるつもり。カオルだって人嫌いなんでしょ?」
「そうだね、嫌いだ。いつか誰もいない場所へ行くつもりなんだ」
レンは僕のやせ我慢のなかの絶望を見抜き、僕はレンの強がりの向こうの渇望を見抜いた。
僕らは何もかもがそっくりなのに、向いている方向も目指す道もまるで正反対の鏡の中の自分。
だから僕らは〈鏡〉に向かって自分の決意を話したかったに違いない。
※※※
合宿の間、僕らはいつも二人一緒にいて、いろんな話をした。
「カオルは、どうして男の子になりたいの?」
「別に。こっちの方が強そうで、人から舐められないかな、と思って」
「ふうん……」
ジュースをすすっている僕の顔を覗き込んでいたレンは不意に微笑んだ。
「ねえ。服貸したげる。お化粧してみない? 絶対に似合うから」
「いらない。鏡でも見てなよ」
僕は自分の姿を見るのが大嫌いだった。
「絶対に似合わない。レンも見たでしょう。僕の顔には傷があるんだ。身体中、汚い痣だらけだよ」
レンは僕の顔の傷はそれほど目立っていないと言った。
「目立たないよ、ホントに。それに傷があるなら余計に綺麗にしてなきゃ」
僕が半信半疑で黙っていると、レンに手を引っ張られて彼女の部屋に連れていかれた。
宿舎は相部屋が普通なのに、レンは個室を使っていた。親しくしている先生に頼んで個室にしてもらっているのだという。
姉の処世術は僕にはとてもマネできそうになかった。
レンは双子の妹という着せ替え人形を見つけて大喜びだった。
「うそ。そんな大きな胸でブラつけてないの」レンは僕の上着を脱がせて大げさに驚いた。
「どうせ誰も見てないよ」
「バカね。見られてるに決まってるでしょ。今までよく痴漢にあわなかったものだわ」
他人を追い払うのは簡単だ。「うぜえ、消えろ」と噛み付いてみせればいい。
いかれたフリをすれば相手は次からは寄り付いてこなくなる。
レンは僕に花柄のワンピースを着せると、今度は僕の顔にクリームを塗りたくり、ピンクの粉を刷毛につけてコチョコチョと撫でた。僕はむず痒くなって大きなクシャミをした。
「中学生でお化粧って早過ぎない? かなり抵抗があるんだけど」
「身だしなみにトシなんて関係ないんだってば。ほら、すごく似合うよ。それあげる。私は〈パパ〉から新しいのを買ってもらうから」
レンは僕の着替えを済ませると満足そうに言った。
「パパ?」たしかレンは継父を憎んでいると聞いたけど……。
「そ。私にとっては親以上の人。私を連れ出してくれて、今は一緒にすごい豪邸に住んでる」
レンは中学に入学する前、その〈パパ〉と一緒にこの街にやってきたという。
今はピアノやダンスを習い、毎日お姫様のような暮らしをしているのだそうだ。
「お化粧の仕方はもちろん、マナーや綺麗な笑顔の作り方とか。オンナには磨かなくちゃいけないことがたくさんあるのよ」
僕は急に自分が恥ずかしくなった。レンに比べたら、僕はまるで雑巾みたい。
「なんかこの格好、落ち着かないよ。着替える」
レンが膨れっ面をした。
「駄目、そっちの方がかわいいのに。それ着て授業に出ようよ」
かわいいの、これ。違和感しか感じないんだけど。
「嫌だよ。無防備すぎ。何かあったときどうやって自分の身を守るの」
石を投げられたり机を蹴られたり、取り囲まれたりいろいろあるじゃない。
敵に襲われたときにこんな格好じゃ逃げられない、と僕が言うと、レンは唖然とした。
「カオルも今まで相当悲惨だったのね」
「僕はレンと違ってかわいくないから。少々薄汚いくらいが丁度いいんだよ」
レンは眉を釣り上げた。「それ、私のこともかわいくないって言ってるのと同じ。ひどい」
「ちょ、違うよ。僕は見た目に関して努力とかしてないからさ」
「カオルは私を努力でブスを誤魔化してる女だと言いたいのね」
しくしく泣かれてしまった。「そういう意味じゃない。泣かないでよ……」
僕は罰として無防備な格好のまま授業に出るハメになった。
緊張のあまり授業がまったく耳に入らず、他人から見られているような気がして生きた心地がしなかった。
「ね、ね。レン、なんか周囲から視線を感じるんだけど」
「そりゃあね、こんなに美人な双子姉妹だもの」レンは朗らかに微笑んだ。
自分のことを美人だと言い切れるレンを僕は凄いと思った。「いや、殺気を感じるんだよ」
「オンナたちの嫉妬でしょう。美しさって罪なのよ」
「……」――ホント、いい根性してる。
「声かけてこいよ、あの双子の美人の方に。ブスの方はイラネ」
授業が終わり、いつものように二人でお茶を飲みに行くと男子たちの声が聞こえた。
やっぱり、第三者から見ればわかるものなんだ、と思った。わかってはいるけど、少し胸が痛い。
話をしていた男子数名がこちらへ近づいてきた。すると一人が素っ頓狂な声を上げた。
「あっれえ、誰かと思ったら男女じゃん。何、オマエ女装してんの?」
げ。嫌なときに嫌な奴に遭ってしまった。学校の同級生で、僕の顔を見るたび絡んできて、名前を知らない男子だ。
彼もやはりこの合宿に参加していたのだ。……本当、誰だっけ。
「無視しよ、カオル。あっちへ行きましょう」
部屋に戻ってすぐに普段着に着替え、服をレンに返した。
「ひどいよね。でも、男なんてみんなあんなものよ。気にしたら駄目だからね」
「は。はは……」僕は笑ったつもりだったが、失敗したかもしれない。
※※※
それから僕らは月に一度くらいのペースで会うようになり、お互いの近況を報告しあうようになった。
レンの話はいつも華やかだった。彼女はいつも誰かしらから愛を告白されており、さばくのが大変だとぼやく。
僕よりずっとしっかりしていて、したたかそうに見えた。
僕はレンの話を別世界の夢物語のように聞いていた。
「レンの話は面白いね。もてるんだね」
何も知らない僕は脳天気に言ったものだ。
新しい絵のテーマができそうだった。犬や猫たちの恋の季節。シャム猫姫を巡る犬の騎士たち……。人間は描きたくないんだ、個人的に。
だが、レンはため息をついていた。
「……嬉しくない。寄ってくるのは下心のある男だけだもの」
下心があっても好かれるだけいいじゃない、僕は思った。
「でも、好かれてることに変わりないでしょ? タケル君ていう人とはどうなってるの」
レンと初めて会った日に、彼女が自分の番犬だと言っていた。
いつもレンの近くにいて、彼女の周囲を見張っているのだそうだ。お調子者で暑苦しいけど、スポーツ万能でかっこいい男子だと珍しくレンは褒めていた。僕は、レンはタケルに好意を持っているんだと察した。
「嫌いじゃないけど、あれは番犬どまりね。子供っぽくてダメ」
「レンも子供っぽいとこあるじゃない。すぐはしゃぐし」僕は苦笑した。
「私には最愛の人がいるからいいの。彼はカオルの方が合うんじゃない? タイプだと思う」
同性の友だちすらできないのに、異性から好かれるなんて想像もできなかった。
〈フタバ高校など受けても無駄だ、また落ちる。なぜなら、お前は無能だから〉
頭の中に耳障りなノイズが落ちてくる。
ノイズは定期的にやってきて、僕の心を破壊する。頭が割れるように痛かった。
シネヨ クズ キャハハハ ハハハ
秋が過ぎ冬が来て、学校での嫌がらせは日増しにひどくなっていく。
僕はタケルのことを忘れていき、毎日絵も描かずに海に来てぼんやりと死について考えることが多くなった。
彼が毎日僕に手を振っているとはまったく気づきもしないで。
※※※
レンから〈ある野望〉を打ち明けられたのは、僕らが中学三年になったばかりの春だ。
「カオル、顔色悪い。ちゃんと寝ているの?」
頭に響くノイズがひどくてあまり眠れていなかった。「あまり。勉強のしすぎかな」
「何か辛い悩みがあるのではない?」
「いつも悩んでるよ。背がもう少し伸びないかなあ、とかさ」
僕はおどけて言った。深刻なことは他人に打ち明けられない性分だった。
わかりやすく説明するのが面倒くさい。説明してわかってもらえないとがっかりするし。
レンはそんな僕をじっと見て言った。「ねえ。カオルはこの世界のことをどう思う?」
「どうって。別になんとも思わない」――ただの風景、それだけだ。
「なんとも思わないって、不満がないってこと? どうなってもいいということ?」
「どうなってもいい。僕には関係のない世界だ」
その頃は僕も夢の実現を胸に秘めていた。誰もいない場所へ行くつもりだった。
高校、大学、社会人。寿命で死ぬまでに、どれほどの長い時間を僕は人になじられながら暮らさなくてはならないんだろう。
そう思ったら何もかもが嫌になって、吹っ切れた。
「関係なくないよ。世界が歪んでいるから私やカオルみたいな不遇な子が生まれるのよ」
不遇、か。僕らの不遇の原因は明白だよ。両親が愛という一時的な情熱に浮かされて、考えなしに子供を作ったからさ。でも、人々はそういう風潮を美談と捕らえるんだ。愛があればすべて大丈夫、なんだよ。
だから、〈愛〉なんて言葉は大嫌いだ。それは神という名のペテン師の口上さ。
「私ね、実はある組織に参加しているの。既存世界を滅ぼして〈正しい世界〉を築くのよ」
レンは十二歳のときに知り合ったある人物の思想に惹かれ、その人物が建国した〈エデン〉という国の国民になったのだという。
そして、僕にも仲間にならないかと誘ってきた。
「正しい世界って何。世界に正しいとか間違ってるってあるの」僕は尋ねた。
「あるよ! こんな不平等な社会。出身、容姿、性別、知能の程度でその人の価値が決まる。ほんの一握りの人間だけが幸せになれる社会システム。こんなの歪んでいると思わない?」
「不平等なのは人間だけじゃないでしょ。動物だって弱い者から死ぬんだよ」
レンは眦を吊り上げた。
「動物は食べて寝て死ぬだけよ。そこにエゴはない。でも、人間はエゴという罪を背負って生きている。他人を蹴散らしてでも自分だけが幸せになりたい、得をしたい、そんな人間ばかり。現に私たちはそんなエゴイストたちの犠牲になってるでしょ」
レンは、そんな風に世界に不平等が蔓延しているのは国境や言語、宗教、価値観が異なるからだと言う。
人々を分断しているそれらの壁を取り払い、ひとつの価値観のもとに統一することで世界中の人々を幸福にするのが組織の理念であり目標であるというのだ。
「でもね、実践してみせなければ誰も信じてくれない。だから、まずは国民から〈幸福〉にしていくの。友だちがたくさんできたり、健康になったり。諦めていた夢を叶えてくれるのよ。そして自分が幸せになったら、今度は他の人に幸せを分けてあげるの。いいシステムだと思わない? 私、カオルちゃんに幸せを分けてあげたい」
「わかんない。ついていけないよ。世界規模、とかさ」
僕は話を聞いて目眩がしてきた。
「そうでもないよ。現に今はインターネットを通じて世界中と繋がることができるでしょう」
僕は笑った。「まあね。でも、隣に住んでいる人の仕事すらよく知らなかったりするんだ」
レンはとても悲しそうな顔をして言った。
「信じてないの? 他の連中みたいに〈バッカみたい〉とか思っているの」
「そこまでは思ってないけど。カルト教団でよくある話だなと思って」
理念でも理想でもない、連中の目的は利益じゃないか。
レンはしっかりしているのに、どうしてそんな胡散臭い話をあっさり信じるのだろう。
世の中にはいろんな連中がいるものだ。自分を神だと思い込んでる奴。世界を滅ぼしたいという奴。
自分が世界に影響を与える〈何者か〉であることを信じて疑わない奴。
詐欺師はそういった人々の願望をたくみにくすぐって獲物を取り込んでいく。
最近、ネット上で噂になっている〈エデン〉という新興国家のことは僕も少しだけ知っている。
自分たちを〈特別〉だと思っている変わった連中だが、兵器とお金をしこたま持っているともいわれている。
彼らは本当に〈既存世界の滅亡〉を実行する気なのかもしれない。
「カルト教団なんて言わないで。崇高な慈善奉仕団体よ。お金なんか一円も取らないよ?」
「……興味ない。レンもそんな団体抜けなよ」
金より心を捧げる方が苦痛だよ、レン。
「抜けないってば。以前、カオルに私のパパの話をしたよね。実は、パパが組織の長で〈エデン〉の代表なの。私、正式に養女になっちゃった。ね、パパに会ってみない? 彼に会えばカオルの人生もきっと変わる。明るくてかわいい〈本当の自分〉を取り戻せる」
僕はびっくりして目を見開いた。〈パパ〉というのはそんな人だったのかと驚いた。
「何を考えてるのレン。なんて馬鹿なことしたの」
「バカなこと……?」レンは信じられない、という顔をして僕を見た。
「パパに救われなかったら、私は今でもあの家で貧乏してて、いやらしいことをされていたのよ。助けを求めても誰も助けてくれなかった。……誰も。そんな地獄から抜け出すことがバカなことなの」
「レン、違うんだ。ごめんね」
僕は泣き出してしまった姉の背中を撫でたが、レンに強く振り払われてしまった。
「カオルだって助けられなかったじゃない。同情なんていらない!」
病弱なのに辛い虐待を受けていたレンは、〈エデン〉の代表フィクサーの差し伸べた手を簡単に取ってしまったに違いない。
そして布教活動の尖兵となるべく徹底した英才教育を受けた。
これまでと違って自分の思い通りになる夢のような生活をし、最先端の治療を受け、レンはフィクサーを恩人以上の存在として崇拝していた。
「パパに会って、養女にしてもらって私は変われた。そうでなかったら自殺してたか、あの男を殺していた。パパはね、カオルのことも養女にしたいと言ってるの。傷が気になるなら最高のお医者にも診せるって。養女になろうよ、女の子にもどりたくないの?」
「もどるも戻らないも、これが素の僕だよ」
厄介者がいなくなったら家族は飛び上がって喜ぶだろうなと思いつつも、心のどこかで人なんて信用するなと警告している自分がいる。僕がうだうだと悩んでいるとレンは言った。
「カオルならわかってくれると思って誘ったのに。そっか、あんた人間不信だものね。信用してないんでしょ、私のこと」
事実だけど、単刀直入に言われてショックだった。
レンがすごく怒っているようなので、仕方なく僕は自分の決意を打ち明けた。
「養女にはなれないんだよ。僕、夏までに死ぬつもりだから」
するとレンは眉を釣り上げた。
「なぜカオルが死ぬ必要があるの。何か悪いことをしたの? カオルは〈選ばれし者〉なのよ。貴方はその才能を世のために使う義務がある」
レンはときどき、僕を〈選ばれし者〉などという。僕にはまだ目覚めていないヒーラーのチカラがあるとかなんとか。
でも、冗談じゃなかった。世のために才能を使う?
僕のために何もしてくれない世の中や人間どものために、なぜ僕が役に立ってやらなければならないのだ。
もし、僕にそんな才能があるなら腐らせて死んでやる。いい気味だった。
僕は自分の気持ちをレンに理解しやすく噛み砕いて説明した。
「誰が悪いとかじゃなくて、疲れたんだ。余計なことは考えたくないんだよ」
クジを引くと当たりとハズレがあるでしょう。僕は単にハズレな人生を引いただけ。
ハズレ人生なんか要らないから捨てるんだ。……簡単なことだよ。
レンは僕に吐き捨てた。「いつも綺麗事ばっかり。本当は憎くてたまらないくせに」
――そうだよ。憎いよ。人間なんて大嫌いだ。
暇さえあれば他人のアラを探している〈善良〉な人々。嘘と欺瞞にまみれた〈平等〉なムラ社会。
人々は版で押したような白々しい愛を謳歌し、犠牲者を足蹴にして平和を叫び、より不幸な人間を見つけては〈自分はあいつよりは幸せだ〉と自分に言い聞かせて自己満足に浸る。
バカな人間。バカな連中。そんなバカどもからバカにされる大バカな僕。
「カオルがそんなにかたくななのは、愛されたことがないからね」
愛だって、バカバカしい。僕は口を歪めた。「……いいね、レンは。愛されたことがあって」
「ふざけないで。あんたなんか、好かれる努力すらしたことないじゃない!」
レンは僕という人間を誤解していた。僕はこの世で愛を知りたいとは思っていない。
愛は自分以外の誰かのもとにあり、幸せは知らない誰かのもとにそっと訪れる、だ。
だけど僕はそれでよかった。現実世界で甘い期待を抱いて裏切られるより、最初から手を伸ばさなければ何も失わない。
だから僕は道化の格好をしてソロをしながら歩いてく。
人と触れ合わないように、情が移らないように、泣き顔を誰にも見られないように。
「そう。でもいいんだ、別に。もうどうでもいい」
レンは苛々としながら席を立った。
「少しだけ考える時間をあげる。でも、パパも私も忙しいの。あまり余裕はないから」
それ以来、レンの方から連絡してくることはなかった。もともと、連絡をしてくるのはいつも向こうからだったと気づいた。
彼女は、僕が実家や学校での嫌がらせに音を上げて、泣きついてくるのをずっと待っていたのだ。
※※※
僕は物心ついたときから自分をひとりぼっちだと思っていて、ひとりが普通だった。
どれだけ孤独を感じても、他人にすがりつくという発想自体がない。
だから、レンと組むことでどんなに輝かしい未来が約束されたとしても、僕はレンとは連絡を取らなかった。
誰も知らない場所で、誰にも知られずに消えてなくなるのが僕の夢。
恨みがましく遺書を書いたり痕跡を残したりして、あとで誰かのお茶の間で僕をかわいそうな子だとしみじみ語られるのも、甘えたガキだと偉そうに評価されるのもゴメンだ。
あの日、家族は毎年恒例の海外旅行に出かけていていなかった。
僕はシャワーを浴びて身を清め、できるだけ新しいシャツを着てジーンズを履いた。
部屋の中を綺麗に整頓し、〈お世話になりました。探さないで下さい〉とメモを残して、十四年間育った家を後にした。
「最後だから、思い切り遊んでやる」
リュックサックにお弁当やお菓子を詰め込んで、生まれて初めて繁華街をうろついた。
喧騒と人ごみがひどく、あまりの不快さにゲンナリした。
結局、ネットカフェに入ってマンガを読みながら夜を過ごした。不思議と今夜は例のノイズが響いてこない。
夜が明ける前に海辺へ行った。ここは朝のうちは誰もやってこないのだ。
いざ飛び降りようとすると足がすくみ、数時間ほどためらっていた。
そんなときに、タケルが崖をよじ登ってやってきた。わざわざ向こう岸から泳いで来た、僕を助けるために。
僕はとっさに前髪で顔の傷を隠した。……どうしてそんなマネをしたのか自分でもわからない。
「なにしてんの、お前」
「……べ、別に」
彼が僕をレンと間違えているらしいことは後で気づいた。でも、真実を告げる余裕も勇気もない。
僕らは猛火の中を逃げ回った。地面から黒い溶岩が噴出し、あちこちで火災が起きている。
〈ヨコハマ市からのお知らせです。現在、臨海区にて大規模な地下噴火が発生しております。
救助活動中ですので、皆様すみやかに避難所へお越しください。騒がぬように移動願います〉
マヌケなアナウンスが響き渡り、生き残っていた人々が怒り出した。
「ふざけんな、騒ぐに決まってんだろ!」
「救助活動って、建物をぶっ壊しまくってるだけじゃねえかよ。奴らナニモノなんだよ」
すると銀色の悪魔たちがやってきて、彼らを網で生け捕りにする。
「モルモットを施設へ運べ。十字型の注射痕のある子供と女は絶対に見逃すな」
網に絡め取られた人々は悲鳴を上げながら連れ去られていった。
僕とタケルには、肩に同じ十字型の注射痕がある。
街の出口はどこも〈エデン〉の兵士たちによって封鎖されているか、溶岩が噴出している。僕らに逃げ場はなかった。
「ねえ、どうして銀色の服を着た人たちが子供や女を探してるの」
僕は震えながらタケルに聞いた。彼は難しい顔をして言った。
「わからない。あいつらに捕まらないように隠れよう」
彼は相変わらず鈍くて、明らかにレンよりも男の子っぽい格好で雑に話す僕に気づきもしなかった。
だって、僕は自分のことを〈僕〉と称していたくらいだから。
「街の方でテキが女狩りをしてるから、オマエはそのまま変装してろ」だって。
いつ本当のことを話そう、いつかバレるんじゃないか、不安でいっぱいだったけど……、タケルとの旅は楽しかった。
最初はツレがいるのが鬱陶しくてケンカばかりしてたけど、いつの間にか背中を預けられる相棒になって、僕は彼をだんだん好きになっていった。
どうも、タケルは僕が学校ではネコを被っていると思っていたようだ。
「女の子らしくなくてがっかりでしょ。あ、クマのアップリケつけとく?」
僕は持ってきたソーイングセットでタケルの破けたズボンを繕いながら言ったものだ。
料理も裁縫も自分でやるよ。ずいぶん前から自分のことは自分でやるようにしてるんだ。
ぼーっと僕を見ていたタケルは顔を赤らめた。「いや、こっちの方がいい」
「え。つけなくていいの?」
「学校だとムリしてる感じがするし。うん、ムリしてない方が全然いい」
タケルはしきりに照れていた。
「え?」
クマのアップリケの話ではないのか。
たしかにレンは大人びてしっかりしている自分を必死で演じていた。タケルはそれを「辛そうだ」とずっと思っていたみたい。
よく見てる、それほどレンが好きなんだ。僕は感心した。
それなのに僕がレンでないと気づかないのはやっぱりヘンだけど。
……たぶん、あんな過酷な状況下に置かれて人恋しかったのかもしれないな。
僕らは銀色の悪魔たちの追跡を避けるため、人気のない海へと落ち延びていった。
明日こそ彼の前から去ろう、今度こそ去ろうと思いながらたどり着いた。それがあの小さな浮島。
タケルは僕のことが好きだと言って、〈たまたま見つけた〉四葉をくれた。
でも、四葉なんてそんな簡単に見つかるはずないよ。十万枚にひとつあるかないかだもの。
レンにあげるために持っていたんだよね。それをもらったとき、嬉しかったけど悲しかった。
その頃、レンは躍起になって僕とタケルの行方を探していたという。
僕を〈エデン〉へ連れ去り洗脳するために、タケルを〈エデン〉の兵士としてスカウトするために。
〈選ばれし者〉である彼のことは最後まで迷っていたようだが、最終的に彼女は彼を自分のそばに置きたいと望んだ。まさか僕らが一緒にいるとは夢にも思わなかったみたいだけど。
レンとタケルは想い合っていたんだ。僕の入り込む隙などないくらい。だから、あのとき僕は海に飛び降りた。
でも、誤解しないでほしいんだ。
……僕は、〈彼〉との友情が壊れることを何より恐れていた。
※※※
「ねえ、レン。君は、本当はタケルが好きだったんでしょう?」
うすらぼやけた夢を振り払い、僕はやっとの思いで通信機を握りしめているレンからそれを奪い取った。
「な……。カオル、何を言っているの。通信機を返しなさい」
「……そう、実はレンとは双子なんだ。騙していてごめん。レンは君に会いたがってる。今までのことは許してあげて」
僕は河童にこれまで正体を隠していたこと詫びた。
「そうだ、僕の工房の近くに鉄の扉があって、中に温泉がある。そこに僕の狩り場を記したメモがあるんだ、使ってほしい。助けにはこなくていいよ……じゃあ、さようなら。親友」
僕が君に近づいたのは、友と呼んでくれた君の役に立ちたかったからだ。
「君から友だちと言われて嬉しかった。……本当に、泣きたいくらいに」
僕は笑った。笑ったつもりだったけど失敗したかもしれない。
〈カエル頭、カオル。待ってくれ。お前、本当にレンの……〉
僕は通信機を切ってレンに投げてよこした。
「まだそんな綺麗ごとを!」
レンが真っ赤になって怒り出した。
「それで私に詫びたつもり。どこまで思い上がって生意気な女なの。あんたはこれからこの塔でケダモノたちの慰み者になるの。命乞いしなさい。タケルにすがりついて助けを求めなさいよ」
僕はやっとわかったんだ。〈海〉で僕が選ばれた理由が。未来を作る者と言われた理由が。
「いいよ、何人だって相手してやる。そして子供を産んで教育するよ。お前たちはモルモットじゃない、〈海〉を渡って街から出ろ、僕らの世界を滅ぼした〈エデン〉に報復しろって教えるよ」
この街に女がいなかったのは、僕らの未来を塞ぐためだ。
街に子供が生まれたら、自暴自棄に暮らしている男たちだって未来のことを考えるだろう。
僕は、その未来への礎になるのだ。
レンは僕をあざ笑った。「まだそんな夢を語ってるの。ジュニア!」
ルイが大げさにお辞儀をしながら現れた。
「何か御用ですか。ミストレス」
「この女を殺して。死体を冷凍保存するわ。あの試薬はどうしたの?」
「ああ、あれ。僕はあの薬が嫌いなもので、残らず焼きました」
ルイはにやっと笑った。




