sister
「ただいま」
ドブネズミのように薄汚れた僕が玄関のドアを開けると妹の茜が立っていた。
「おかえり、お兄ちゃん」
ふと遠い昔の幼少期を思い出させるようなあどけない笑顔で茜は僕を迎えてくれた。
小さい頃、僕と茜は何をするのも一緒だった。茜は2歳年下の妹である。一緒に虫を捕りに出かけ、一緒に木に登り、泥だらけになって帰ってきては一緒に母に叱られ、一緒に風呂に入りご飯を食べ布団に入っていた。
あの頃、茜は僕の一部であり、僕は茜の一部だった。
僕が中学生になり、サッカーに打ち込みだしてからは、茜と一緒に過ごす時間は減ってきた。それでも茜も僕に影響されてサッカーが好きになり、休日に一緒にJリーグの観戦に行ったり、夜に2人でウイイレで盛り上がったりもした。
今年、僕は大学生になり、茜は高校2年生になった。
しかし、相変わらず茜は僕に宿題を手伝ってくれだの、買い物に付き合ってくれだの言ってくる。
シスコンだと思われるかもしれないが僕は妹が大好きだ。長年一緒に生活してきたことで、物の捉え方や笑いのつぼなんかも全く同じなのだ。
顔は大人になったが茜の笑い方は2人でカブトムシを探しに行った頃から全く変わってない。だが、今その顔は真っ赤に染められている。白いワンピースも所々赤いシミがついていた。
僕は茜の目をまっすぐに見つめた。
「父さんと母さんは?」
茜は左手で斜め後方を指差す。右手には果物ナイフが握られている。そのナイフの先端から床に血が滴り落ちる。
「リビング」
僕が靴を脱ぎ、玄関に上がって茜の指さす方を目を凝らして見ると、リビングの中に血の池ができており、その中心で父と母と思しき人物が折り重なるようにして倒れているのが見えた。
父は絵にかいたような完璧主義者だった。自分の人生を自分の思い描いた通りに進めることを唯一の目標としているかのような人物だ。母は容姿は整っていたが、その内面は周囲の目しか気にしないような器の小さな人間だった。父の人生設計では子どもは一人しかつくらない予定だった。自分の遺伝子を一つでも残せたらいい。そういう考えの持ち主だ。母は親戚や近所の目しか気にしないから夫の完璧な人生設計に乗れれば満足だった。そうしてできた子どもがこの僕だ。
では、なぜ茜は生れたのか。
「殺したのか」
茜はいかにも興味ないといった様子で頷いた。
「うん」
僕は茜の前に立つ。
「おれも殺すのか?」
茜は悲しそうな目を僕に向けた。
「…あたしとお兄ちゃんはどっちかしか生きられないじゃない」
僕は心臓に先天性の病を持っていて、僕が生まれた日に医者から20歳までしか生きられないと診断されていた。
父と母は愕然とした。
数日後、父はもう一人子どもをつくることを決意した。
父は完璧主義者だった。
自分の人生設計にミスは許さない。
父は僕のドナーとして茜をつくったのだ。
昨日、家族会議が開かれ、その事実を知らされた。僕と茜は愕然とした。父は冷徹に茜に
「幸一のために死んでくれ」
そう告げた。僕は家を飛び出した。自分の余命が残り1年だということ。助かるには茜の心臓が必要だということ。父と母はこの事実を知りながら今まで幸せな家族を演じてきたこと。僕は走った。夜通し走り続けた。気付けば海に身を投げていた。自分の心臓が弱いせいで、家族が狂った。暗いくらい海の中で自分を責め続けた。しかし、薄れゆく意識の中で狂っているのは両親だと考え至った。息絶え絶えに浜にたどり着いた僕は家に向かった。ずぶ濡れになった姿の僕は閑静な住宅街の一角にある我が家にたどり着いた。僕が昨日まで世界で一番愛した場所。今は世界で一番吐き気を催す場所。
僕は茜の顔についた血を自分の濡れた服の袖で拭った。
「それをおれにくれ。あの屑たちはおれが殺したことにする。おれは自殺するから、お前は生きろ」
茜の目に涙が浮かんだ。
「ダメだよ。嫌だよ。そんなの…。だって、お兄ちゃんは悪くないじゃん」
「ああ。おれは悪くない。悪いのはおれの心臓だ」
「でも、あたしの心臓があったらお兄ちゃんは生きれるんだよ」
「茜の心臓は茜のものだ」
茜はしばらく黙ったのち顔をあげた。その顔にはいたずらっぽい笑みが浮かんでいる。
「そうだ。ウイイレで決めよう」
僕がサッカーを始めて以来、毎晩のように茜とウイイレをしてた。戦績はほぼ五分。ウイイレで負けた方が家の近くの自販機まで行き、勝者の分までジュースを買ってくる決まりだった。
呆然としている僕に構わず茜は続ける。
「負けた方が生きて、勝った方が死のう。最後のウイイレなんだからお互い本気を出したいじゃん」
僕は思わず笑った。負けた方が生きて勝った方が死ぬ。同じことを言おうとしたからだ。
「仕方ねえな。手加減しねえからな」
そして、僕と妹は血に染まるリビングへと向かい最後の試合を始めた。




