表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/30

一章 5


   5


 翌朝――

 小澤は件の川沿いの道、キツネの目撃現場へ向った。目的はキツネの実在確認。

 暇だった。仕事が一段落してしまうと、何とも手持ち無沙汰になってしまった。しばらくのんびりしようと思っていたのだが、いざのんびりすると――何もしないでいると、思考がマイナス方面へ急落する。

 死にたくて死にたくて堪らなくなる。

 それを煩わしいと、客観視はまだできる。だから――だから取敢えず、キツネを探してみることにした。幽霊は気になるが怖いので、手を付ける気になれない。実在を確認したいと言っても、夜行性のキツネ(生態についてもそれなりに調べた)が昼日中から人里をうろついているとは思っていない。だが、見ておきたい場所があった。

 住宅地の只中に在る笹薮。

 幼い頃、よくここで遊んだ。有刺鉄線で柵をされているが、昔と変わらず、いや、老朽化の進行で昔よりもさらに進入防止の役に立っていない。

 途中のコンビニエンスストアで購入した虫除けスプレーを身体中に振り掛け、密生する細い笹竹を掻き分けて奥へ進む。徐々に上りの傾斜になってゆく。植生も直径が一〇センチを超える孟宗竹へと代わっている。

 そこは笹ヶ丘と呼ばれる、箕都竹みつづき山へ続く丘陵地帯。


 息が切れる。暑さのせいもあるだろうが、消耗が早い。硬い落ち葉で足が滑り、体力が無駄に削がれてゆく。子供の頃は同じこの場所を、延々何時間も駆け回っていたと言うのに。年だとは思いたくない。だが、運動不足は認めなければならないだろう。

 ――ああ、ガキの活力ってのは何を源にしてンだろうなぁ……

 したたる汗を拭い進んで行くうちに、記憶の中に触れるものがあった。それが何か思い出そうとしたが、曖昧で雑然としたものに埋もれ込み、上手く行かない。

 ――ま、関係ないか。

 記憶の復元を早々に諦め、竹林をしばらく進む。青緑の檻と黄色い床の狭間に、素朴な丸木を組んだだけの鳥居が見えた。そして、あまり大きくはない塊り。一見ただの岩かとも思えるそれは、荒い石造りの祠。

 正面には一対の小さな――やはり、石造りの狐、阿吽。狛犬ならぬ狛狐。荒削りで素朴だが、何とも愛らしい。

 しゃがんで合掌。小さく拍手を打つ。御無沙汰の挨拶のつもり。

 何故この場所を訪れたかと言えば、おそらく単純な連想だったのだろう。キツネ=御稲荷様と。だがこうして拝んでみると、必ずしもそれだけでは無かったらしいと気付く。

 ――これ以上、怖い目に遭いませんように。

 人気ひとけの無い竹林の中とは言え、やはり日中ではキツネとの遭遇など考え難い。それが解かっていてここまで来た理由は、勿論郷愁に誘われたからでもない。所謂超常現象が怖いのなら、神頼みは有効かもしれないと殆ど無意識に思っていた様だ。

 ――油揚げでも持って来るべきだったかな。

 そんなことを考えながら立ち上がった時、かつての遊び場のもう一つの顔を思い出した。すぐ近くに戦時中の防空壕と謂われる、小さく狭い横穴が在った。実際にそれが防空壕だったのかは解らないが、兎に角、そう呼ばれていた。

 キツネは穴に住む。

 昨晩仕入れた知識ではそうだった。もしかして自分は無意識にそのことに思い至り、それでここへ来たのではないだろうか。そんな都合の良い解釈まで浮かび上がってきた。

 記憶を辿り、鳥居と祠の左手の斜面に廻る。一帯はなだらかな丘陵だが、そちらにはやや急な傾斜と、抉れた様なオーバーハングが出来ている。そこに、横穴の入り口が在ったはず――だった。

 無い。場所は間違っていないはずなので、どうやら埋もれてしまったらしい。

 思い起こせば、数年前に子供が昔の地下壕で遊んでいて事故死したという事件があった。その際、各地の自治体が地下壕跡を調べ、塞ぐことになったともニュースで流れていた。これも、その結果なのかも知れない。

 ――つまらない世の中になったね、どうも。

 命を落とした少年達には悪いが、やはり思い出のある場所が消えるのは寂しいし、今の子供達の遊び場が無くなる事も面白くない。その内、同じ様な理由で公園からは一切の遊具が消えてしまうのではないだろうか。老朽化等、メンテナンスに不備があった件を除けば、遊具による事故は大半が誤使用によるものだ。故意に危険な使い方をされた場合もあれば、その行為が危険に繋がるとの認識が全く欠落していた場合もある。どこまでが安全で、どこからが危険か。子供は遊びを通じてそれを理屈よりも先に体で学ぶ。そもそも好奇心の旺盛な子供は危険を好むものだ。過保護な安全の中で育つと、危機回避の勘は発達しない。ブランコも、シーソーも、滑り台も、砂場も、ジャングルジムも、雲梯も、のぼり棒も、使い方によっては危険な物なのだ。

 で遊ぶ子供が少なくなったとも言うが、屋外で遊べなくなった事も大きな理由だと小澤は思う。携帯型も含む家庭用ゲーム機の普及も理由の一つではあるだろうが、それ以上に安全の名の下に屋外の遊び場が少なくなっている。

 昔、小澤と友人達のお気に入りだった[探検隊ごっこ]は今、その大半が禁じられた行為となっている。尤も、この街の自治体に危険行為と見做された原因の内の幾つかには、当時の小澤自身が直接関わってもいるのだが。

 ――おうッと、こんなとこでノスタルジーに憤っていても仕方ないな。

 穴が無い以上はここに居ても仕方が無い。

 斜面を登る。折角来たのだから祠を一周してみたくなった。心のどこかに、これで見納めとの思いもあった。本当なら、ここはもう二度と訪れるはずの無い場所だったのだ。

 傾斜を登り切り、祠の裏手に立つ。その時身体がぐらりと傾いだ。足元をすくわれる様な、不安定な不快感。

 ――眩暈か?いよいよ運動不足が祟ったな。

 いざという時の逃げ足が鈍ってしまっては、それこそ命に関わる。久しぶりにジョギングでもしようかと考えていると、今度は本格的に倒れそうになった。足の踏ん張りが利かない。と言うより、本当に地の底に吸い込まれる様な感じがした。

 ヅッ……――

 ――何だ、今度は耳鳴りか?

 一瞬そう思った。だが、すぐに違うと気が付いた。これは耳鳴りではなく、地鳴りだ。

「――!?」

 まともに悲鳴を上げる暇も無く、文字通り地の底に吸い込まれた。


「ッつぅ……」

 呻きを洩らしながら上体を起す。実際には痛いと言う程の事は無かった。落下距離も二三メートルはあるだろうが、地面には落葉が厚く積もっていたし、崩れた土も硬くはない。ただ無防備な状態で落ちたので、内臓や脳が衝撃で揺れた。

 ――落下距離……落ちた。

 地面が陥没したのだ。どうやら横穴の天井が抜けたらしい。真上に立っていた小澤は当然一緒に落ちた。状況からみて、埋まらなかっただけ運が良かったのだろう。

「成る程こりゃ危険だ……じゃなくて、塞ぐんなら奥までちゃんと埋めろよ!」

 ――クソッ、どこぞの役所か警察か知らんが、イタ電でもしてやるか?

 腹立ち紛れにそんな事を考えながら立ち上がり、どこか上れそうな所はと探す。そして、嫌な可能性に思い至った。

 ――まさか一人じゃ上れないなんてことは。

 上を見る。まずは幅二メートル程の穴の縁。そして覆い被さる様に林立する竹の向こう、僅かながら蒼穹が覗いている。真夏の晴天でこれから昼になろうと言う時間なのに、暗い。 しょわしょわと蝉の鳴き声が、妙に遠くに聞こえる。

 ヒップバッグから携帯電話を取り出す。嫌がらせの電話をするつもりが、助けを請うことになりそうだ。溜息を吐き画面を見て、右上に浮かぶアイコン――電波状態表示を目にして心が凍った。

 圏外

 独力で脱出できず、救助も望めなければ、じわじわと、誰にも知られずここで死ぬ。

 ――て、やめやめ、マジで死にたくなっちまう。大体まだ何も解かっちゃいねえ。

 携帯電話のモードを切り替え、スポットライトを点ける。ちょっとした懐中電灯ではあるのだが、夜中に鍵穴を探ったり、暗い部屋で手元を照らす程度のものでしかない。探検のアイテムとしては論外だ。つまり、現在の状況では無いよりマシ程度。

 ――そういや、奥はどうなってんだ?

 ふと気になり、そちらに淡い光芒を向ける。元々それ程深くはなかったので、位置的にはすぐ突き当たりのはず――

 そこまで考えた時、黄ばんだ薄明かりが何かを照らし、そこに視線は吸い寄せられ、思考は中断された。数歩歩いて跪き、天井の低い狭い空間ににじり寄る。妙な胸騒ぎがする。それはどこか逸る様な気持ちに近い。スポットライトを当て、顔を間近に寄せて眼を凝らす。そして、息を呑んだ。

 それは、長い髪の狭間から首を傾げる様にしてうつろなうろでこちらを見る、髑髏。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ