五章 3
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銃声は花火の様に鳴り響き、小屋の壁を穴だらけにしてゆく。
辰野は傍らに置いてあったバッグから丸い物を取り出す。米軍M67型の手榴弾。勿論正規品ではないが、そんな事は問題ではない。リングの付いたピンを抜き、大きなモーションでそれを投げた。空中でクリップの外れた手榴弾は小屋の窓に吸い込まれ、ほんの一瞬、周囲は小屋から溢れた閃光に染まった。散々銃の発砲音に晒されていた耳に、音はさして大きく感じられなかったが、爆圧、爆風は衝撃的だった。小屋は大量の粉塵を周囲に放出する。だが、山間の闇ではそれも見えない。舞い戻った静寂の中で、辰野だけが獣の様に荒い息を吐いていた。
「おい、中ぁ見てこい」
部下に指示を下す。だが、動く気配が無い。再度感情が激発しそうになったその時、肩に手を置かれ、喉元に冷たい感触が走った。
「いい加減満足だろう」
辰野は頸に当てられた刃物の感触をものともせず、振り解き暴れようとした。しかし、すぐに押し倒され、両腕を後ろに固められる。周囲が仄かに明るくなる。辰野は漸く気が付いた。複数人の者がライトを点けて、自分を取り囲んでいる事に。
「お疲れさん。いや、本当に御苦労様」
飯尾の労いの言葉には答えず、小澤は短機関銃と拳銃を差し出した。拳銃は原口が小野の散弾銃に撃たれた時に落としたものだ。
「指紋べったり付いてますから、そのまま警察の手に渡るなんてのは無しですよ」
ヘルメットに暗視ゴーグルを装備した男がそれを受け取る。飯尾はスーツ姿だが、他は皆黒尽くめの野戦服。
「それと、小屋の裏に男を一人転がしてますから、そっちも宜しくお願いします」
小澤と俵藤は、辰野が部下を殺したのを見てすぐに、小屋の裏側の窓から脱出した。気狂いには付き合っていられないと思った。退路を断った訳でもないのに、自分達の事に掛かり切りになる時点で正気ではないのだ。こちらには銃もあった。その時反撃されていたらどうするつもりだったのか。そんな事も考えられない程、辰野は怒りに狂っていた。
――狂わせたのは、俺なんだけどさ。
気が重い。原口が殺された時、飯尾達はすぐ傍に居て、事態を見守っていたのだ。もう少し早く出てきてくれていれば、あの男はあんな死に方をせずに済んだだろう。
――いや、どうなるかなんて、知れたもんじゃないな。
放心の態で座り込む田村と、後手に縛られ、猿轡の上、頭から袋を被せられたやくざ達を見て、小澤は感傷を止めた。小屋を逃げ出す時にアオと呼ばれた男を連れ出した事すら、骨折り損に終りかねないのだから。
「じゃあ、後の事はお任せします」
小澤は飯尾に頭を下げ、踵を返した。
「ああ、送って行くよ。御友人も――」
飯尾は言いかけて、止めた。小澤の背中は明らかに拒絶を示している。いつもなら言葉を繕って体よく断るだろうが、今はその余裕も無いらしい。
「部長に何か、伝えておく事は?」
追い討ちを掛けるとは、我ながら人が悪いと飯尾は自嘲の笑みを浮かべた。
「いえ、僕からは特にありません」
小澤は背中を向けたまま、硬い声で答え、歩き出した。
「実の兄弟なんだから、もう少し仲良くすれば良いのに」
――本当に人が悪いな、俺は。
立ち去る小澤の背中に呟き、飯尾は悔いた。
ふと、小澤が立ち止まり、こちらに駆け寄ってくる。流石に怒らせたかと思って身構えたが、小澤は頭を掻きながら、
「すみません、何か上に羽織る物と、ヘルメット一つ貸してもらえませんか」
「済んだのか」
黒いシャツを羽織り、ヘルメットを抱えて戻って来た小澤に、俵藤は疲れた声を掛けた。俵藤は朽ちた切り株に腰掛け、巨体を闇に沈ませている。この場所は、飯尾達の居る小屋の前からは死角になっていて、たとえ明るくとも、お互いを視認する事は出来ない。
肯いて、小澤は疲れた笑みを浮かべた。二人ともやくざの持ち物だった懐中電灯を手にしている。
「結局、どういう事なんだ」
小澤は携帯電話を取りだし、振って見せた。
「GPS機能だよ」
飯尾達は小澤の携帯電話の位置を追跡していた。事前に申し合わせておいたのだ。山間で電波が途切れても、相手が鬼丸組と判っていれば場所の察しは付く。俵藤自身、そうしたのだから。
「最初から最後まで、おまえの仕込みか」
俵藤の声は、暗く、重く、澱んでいた。
「そうでもない。やおいかんもんさ」
「俺は、人を死なせちまった」
「俵藤――」
「あの二人は怯えていた。当然だ。仲間を一人やられ、銃を奪われているんだからな。だから、少し脅かせば逃げ出すと思った。近寄ってはこないだろうと思った。それが――」
「お人好しも大概にしろ」
吐き捨てる様な小澤の声に、俵藤は言葉を切って固まる。
「殺したのは辰野だ。あんなやくざの罪を被るなんざあ、お人好しにも程がある」
「俺がお人好しなら、おまえは何だ。自分を餌にしてまで滅私奉仕か。自殺願望かよ?あいつらはおまえに何を求めている」
小澤の言葉は俵藤の憤りに火を点けた。あいつらとは、無論飯尾達のこと。飯尾とその組織の存在は一応俵藤も知っている。飯尾とは何度か顔を合わせた事もある。だが、その組織の実態はさっぱり解からない。様々な面で高度に訓練された民間の、営利目的の非合法団体――その程度の事しか解からない。そして、訊いても小澤は絶対に答えない。
「今回はね、僕のミスでクライアントを怒らせちまったんだ。損失補填て訳じゃないけど、それなりに片を付けとかないと、この世界じゃ遣って往けないからさ」
「おず屋の沽券に関わるってか」
「違う、そんなもんじゃ――」
「その貢物は何だよ。鬼丸組か?県議の鳥海か?それとも、おまえの命か?」
ある意味そのどれもが正解だった。小澤が自ら餌にならなければ、飯尾も組織を動かせなかった。その結果小澤が死んだとしても、それは組織の関知するところではない。
「俺に一一〇番の事を訊いたのは、通報されてちゃ困ると思ったからだな」
もし一一〇番通報が入れば、鳥海が圧力を掛けていても、市民の訴えを完全に握り潰す事は難しい。だから一一〇番センターの責任者は、形だけのものとして、全てが片付いた頃合を見計らって警官を調べに向かわせることになっただろう。そうなると、警官と飯尾達が鉢合わせする危険性が高くなる。
小澤と飯尾達の仕掛けにとって、俵藤は完全に、そして大きなイレギュラー要因だった。
「おまえはお人好しと言うが、俺は――俺は自分が、余計な手出しをした挙句、人死にを出した間抜けとしか思えない」
「君が来なくても、人死には出てたよ。真っ先に死んだのは、まあ間違いなく僕だ」
俵藤は小澤の顔に目を向けた。お互いに懐中電灯は暗く絞って足元を照らしているだけなので、その表情を窺う事は出来ない。
「また、君のせいで死に損なった」
溜息まじりの小澤の声は明るかった。本当に可笑しく思っているのだと、俵藤は感じた。
「……清々しく言う事か馬鹿」
俵藤は立ち上がり、鬱蒼と生い茂る樹木の枝葉に覆われた夜空を見上げた。暗くて何も見えはしないが、夜空がそこに在る事だけは判る。
「なあ、落ち着いてからで良いんだがな」
「何?」
「平山美貴――だったか。その娘の事、おまえが関わり、調べた限りで良いから、ちゃんと教えてくれないか」
小澤は肯き、持っていたヘルメットを差し出した。
「近くに僕のカブが置いてある」
「……あいつらが持って――いや、まさか前もって隠してたのか!?」
「さ、男と二ケツはぞっとしないけどね」
秋は緩やかな進行を始めているが、夏が終わるまではまだ間がある。夜明けはもう、遠くなかった。
「さて、参りましょうか」
男は朗らかに言った。田村はゆっくりと顔を上げ、そちらを見る。銃器こそ持たないが、素人目にも軍用と解かる装備の一団の中で、その男だけが仕立ての良いスーツを着ている。四十がらみの固太りの男。おそらくこの場の責任者なのだろう。辰野が言っていた、小澤の背後に在る組織の者。
「私を、どうするつもりだ」
傍らを、ブルーシートとガムテープで梱包された死体が運び去られて行く。拘束された鬼丸組の男達は、ろくに抵抗も出来ずに連れ去られた。それをただ呆然と見送るしか出来なかった田村に、今更ながら、恐怖が憑く。
「少しお話をさせて頂きますが、ちゃんと先生の下へお返し致しますよ」
訝る田村を、男は穏やかに見下ろす。
「我々としても、先生にはもうしばらく、頑張って戴きたいと考えていますから」




