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五章 2

   2


「畜生痛かったよ!死ぬかと思った!」

 端布で鼻を押さえ、小澤は泣きながら文句を言った。実際、辰野に蹴られて鼻骨を折った時の数十倍痛かった。

「鼻血で溺れたり、失血性ショックになるよりマシだろ」

 俵藤はうんざりした顔で血に濡れた手を自分のシャツで拭った。

「他に怪我して無いか?」

「いいよ大丈夫だよ。それより、電話で思い出したんだけど、君一一〇番した?」

「あ、いや……その余裕は無かった」

 携帯電話が普及した現在、公衆電話はその数を減らしている。俵藤の様に携帯電話を持たない者には勝手が悪くなる一方だ。それに車が信号待ちで停まっている時は、追い付くために必死にペダルを扱がなければならなかった上、目的地の見当が付いた時には、非常電話すら撤去された山中の旧道に入っていた。

 申し訳なさそうに詫びる俵藤を宥め、小澤は圏外と表示された携帯電話を眺めた。おそらく、通報はしたとしても無駄に終わっただろう。パトカーや白バイ、機動捜査隊の警官全ては無理だろうが、一一〇番センターの責任者に圧力をかけるくらいの事はしているはずだ。だから仮にこの山に今、善意の第三者が居て、銃声を不審に思って通報してくれたとしても、警察は当分・・動かない。

「なあ、聞いてもいいか」

 俵藤の問いかけに小澤は顔を上げた。

「いいよ。君はもう関係者だ」

「これは、あの幽霊の件の結果か?」

「半分は正解。これは結果じゃなくて、未だ経過だよ」

「ここで終わるつもりは無いって事か」

「勿論」

 ――ああ、言わされちまった。

 痛いの苦しいのは嫌いだが、死ぬ事は怖くない。どの道野良犬の様な人生だ。いつ終わったって構いはしない。だが、こうして駆け付けてくれたお人好しを巻き添えで死なせる訳にはいかない。そしてこのお人好しは、野良犬を死なせないために必死に体を張るだろう。これまで何度もそうだった様に。

「だったら、これからどうする」

 重い声で問う俵藤に、小澤は努めて明るく答える。

「ああ、当面はじっとしてりゃいいのさ」

 小澤は昨日、同じ山の少し離れた場所で交わした一之瀬葉菜との会話を思い出していた。夜間に山狩りは無理だ。相手は六人。一度に相手にする人数としては厄介だが、山狩り要員としては絶対的に不足している。懐中電灯も人数分は無い。それに、待っていれば――

「……しまった。ここに居ちゃ拙い」

「何だ?」

 いきなり立ち上がった小澤につられ、俵藤も腰を浮かせる。

「ここは炭鉱の関連施設の跡だよ。さして離れてないんだから、道で繋がっていてもおかしくない。連中が真っ先に探すのは――」

 その時、窓の外に光が走り、一瞬小屋の中を照らして過ぎった。

「こんな場所か。道理だな」

 体を屈め壁に貼り付きながら、俵藤は押し殺した声で後を継いだ。そもそも廃墟周辺の地理は鬼丸組の方が詳しい。奥深い森林に伏せるなら兎も角、小屋の中は拙かったと、俵藤も痛感した。

「居やがったぁ!ここだッ!」

 窓の一つから光線が射し込み、男の影が現れた。その影は右手に四角い塊りを持っている。小澤はそれが自分の方に向けられるのと同時に、隣で風が巻くのを感じた。俵藤はその巨躯全身を弾機ばねにして跳び、男の両腕を掴んで小屋の中に引き摺り込んだ。その際、男が右手に持っていた物は破裂音を発し、瞬く様に火を噴いて小屋の中を明るく染めた。男は俵藤の肘を顎に喰らい、昏倒する。

「俵藤!?」

 俵藤は身体を起こすと、男の右手から奪った物を小澤に振って見せた。

「大丈夫だよ。それよりサブマシンガンたあ、どこまで物騒なんだ」

 小澤は拾い上げた懐中電灯の光量を絞ってそれに当てる。イスラエル製UZIウジの中国版デッドコピー。交換弾装も二本、ズボンのポケットから出てきた。

「アオッ!どうした!?」

 外で声が響く。小澤は灯りを消し、俵藤はアオと呼ばれた男の腰からベルトを抜き取り、前屈状態にして両腕両脚を纏めて縛った。

「さて、敵はすぐ傍まで迫っている。武器とライトが手に入ったが、どうする」

「僕はこんな物騒な物使えないよ」

「そりゃ残念、俺もだ」

「アオッ!返事しろッ!」

 焦燥に駆られた怒鳴り声。

 小澤と俵藤は暗闇で耳をそばだて、外の気配を窺った。足音らしきものは聞こえるが、近付いて来る気配は無い。

「向こうは他に何人いる」

「五人。内一人は県議の秘書」

「ケンギノヒショって……あ、鳥海のか?」

 銃声――それは唐突で乱雑な重奏だった。爆竹や癇癪玉を連発で鳴らす感じに似ている。そして、無数の銃弾が朽ちた木製の板壁を貫く音。二人とも慌てて床に伏せたが、延々舞散る木っ端に生きた心地がしなかった。

「小澤ぁゴラァッ!聞こえるかぁッ!」

 それは鬼丸組若中頭辰野の胴間声。

「てめえ、青木あおきを殺りやがったな!」

 ――生きてるよ。今の流れ弾が中ってなきゃ。

 誤解かつ理不尽な言い掛かりだが、暴力団員が相手な事を思い出し、言うだけ無駄だと小澤は諦め、黙っていることにした。

 再び銃声――盛大に木屑が舞う。それが止むのを見計らって、小澤は壁に開いた穴の一つから外を覗いた。

「三人しか居ない!」

 背筋に冷たいものが走り、素早く俵藤へ告げる。内一人は眼鏡が光って見えたので秘書の田村だ。では、やくざ残り二人は――

 俵藤は小澤の暗視スコープを受け取って、小屋の隅に埃まみれで転がっていたジュースの空き瓶らしき物を数本拾い、反対側の窓へ向かった。右手の入り口は入る時に確認したが、南京錠と鎖で施錠されていて、蹴破ろうとするとそこにだけ穴が開きそうな感じだった。窓から外を窺うと、懐中電灯の絞られた灯りが近付いて来るところだった。暗視スコープで見てみると、及び腰の男が二人。武装は一人が散弾銃、もう一人は自動拳銃らしい。拳銃持ちの方が懐中電灯を携えている。俵藤は指の股に瓶を挟み、スナップを効かせて二本を同時に放った。

「ぎゃッ!」

 空き瓶の一本は拳銃の男の顔に当たった。もう一本は、散弾銃の銃身に当たって硬く甲高い音を経てる。散弾銃の男はその感触と相棒の悲鳴に驚いて、大仰に銃を逸らし、

「うあッ!?」

 発砲音――絶叫。

「どうした原口はらぐち小野おのぉッ!?」

 それは暴発だった。トリガーは弾みで引かれた。拳銃の男――原口は、両足に至近距離から鉄の散弾を撃ち込まれ、倒れ、もがいている。筋肉も血管も骨も、ぐずぐずになっているはずだ。俵藤は顔を顰め、吐き気を堪えた。俵藤にとっては、相手を追い払い、近付かせないために放った礫でしかなかったのだ。

「辰野さんやられた!原口が撃たれた!」

「小澤ぁッ!」

 小澤は釈明したい衝動に駆られたが、今は黙っていた方が相手が混乱してくれそうなので、やはり静観する事にした。

 小野と呼ばれた男は自分で撃った相棒を引き摺って、辰野達の下へ戻って行く。辰野の傍らに居たもう一人が、その手伝いに駆け出す。引き摺られる原口は狂った様に悲鳴を上げ続けている。

「てめえもぎゃあぎゃあ煩えぞッ!いつまで泣いてやがる」

 激怒した辰野は当り散らす対象を選んでいない。半泣きの小野は狼狽の態で、おろおろと原口をかばう。

「辰野さん、俺車取ってきます」

「ああッ!?何言ってんだてめえ!?」

「こいつ、早く病院に連れて行かないと」

「ふざけろド阿呆!トウシロウに撃たれる様な間抜けは放っておけ!」

「でも」

 小野は辰野に蹴飛ばされ、転がった。

「てめえら、あのトウシロウの糞野郎になめられてんだぞ!?落とし前も付けずに引下れるか!」

「でも若中頭、こりゃ確かにヤバイですよ」

 もう一人の男も取成そうとするが、沸点を超える勢いの辰野はそれを受け付けない。いや、別の意味で辰野は冷めていっていた。手にした短機関銃を原口に向け、その場の誰もが止める間も無く引金を絞った。数発分繋がった銃声が止むと、沈黙が降りる。原口はもう、苦痛を訴えなくなった。

「うわああああああああああああッ!!」

 叫んだのは田村だった。辰野は弾装を交換し、初弾を薬室に送り込むと、その銃口を田村に向ける。

「あんたもぎゃあぎゃあ煩えなあ」

 低く静かな辰野の言葉に、田村は後退りし、尻餅を突いた。だが、おとなしくはなった。辰野はそれに満足し、三人を睥睨する。

「原口を殺ったのは小澤だ。そうだろう」

 誰も何も答えなかったが、その沈黙を肯定と受け取って、辰野は凶暴な笑みを浮かべる。

「さあ、覚悟しろ糞野郎」


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