枝葉 4
枝葉 4
「僕はね、先生、警察官でも検事でもないんです。根拠、証拠なんて、ぶっちゃけどうでもいいんですよ」
高荷良忠は布団の中で、闇に溶けた天井を見詰めながら反芻していた。数日前に聞いた、昔の教え子の言葉を。
自分の話しは飽く迄主観に基いたもので、裏付け――法的根拠は何も無いと告げた事に対する答えが、それだった。
昔の教え子は、昔と変わらぬ少年の様な面差しに、闇を呑んだ様な暗い瞳をしていた。
「随分と乱暴だな。それではまるで」
「そうですよ。僕は連中――馬鹿ぼんや、そのクソ親父が使ってる鬼丸組のクソ達と同じ社会に住んでるんです。だから、連中とまるで同じロジックを持ってたりもするんです」
疲れているのか、憑かれているのか、奇妙に歪んだ薄笑いを浮かべ、そう言い放つ昔の教え子に、高荷は息苦しさを覚えた。
「それで――彼女が浮かばれるためにと君は言ったが、どうするつもりなんだ」
根拠も証拠もどうでもいいと言い切るからには、法の下での裁きを加えるつもりとは、とても思えない。
「数日後か、数週間後か、数ヶ月後かに、身元不明の変死体が出る――かもしれません」
闇の報復――高荷の脳裡を占めたのはそんな言葉だった。
「その死体、僕自身かもしれません」
暗い瞳をして、俯きながそう言った昔の教え子は、やはり薄笑いを浮かべていた。それは少しだけ、愉快そうに見えた。
「何を馬鹿なことを!?やめろ!自分を粗末にするな!」
思わず腰を浮かせ、高荷は口走っていた。
自分で言っていて、何と陳腐な台詞だろうと感じた。しかし、それを言わせた相手の思考の方が、余程おかしい。自分の命を危険に晒してまで、犯罪を手段とした復讐を行う。そんな考えが透けて見えた。まるでヒーロー気取りの子供だと思った。狂気が滲んでいる。そんな気がした。
「そんな気違いを見るみたいな目、止めてください。でも、まあ、これ以上は流石に先生に迷惑をかけてしまいます。僕はこの辺で。今日の事は全部忘れてください」
ひょいと頭を下げ、昔の教え子はその場を去ろうとした。本人は何気なさを装ったつもりだろうが、その所作はどこか重く、僅かによろめきが見て取れた。高荷の目にそれは、あまりにも儚く、頼りなげに映った。
「くだらん事を言うな。それより、君が法を犯すことも、君が犠牲になる様なやり方も許さんぞ。他にも遣り様があるだろう」
相手が何を考えているかも解からないのに、他も何も無いものだが、この時は何としても止めなければならないと思った。
「法に則った制裁ですか?まあ無理ですよ」
「何故だ」
「法手続きを行うって事は、連中に時間と情報を無駄に与える様なものです。第一それが出来れば、先生がとっくの昔にやってたんじゃないですか?」
これには、返す言葉が無かった。
「すみません、先生を責めるつもりで言ったんじゃないんです」
責められても仕方ない。確証が無い事を理由に、長い年月口を噤み続けていたのだから。
「まあ、何れにしろ、まだ色々調べなきゃならないですけどね」
高荷の姿があまりに萎れて見えたのか、昔の教え子は、言い訳の様に呟いた。
「君は、それが自分のためと言ったな」
本当にそうなのか?哀れな平山美貴が浮かばれるため――それだけのために、自ら危険を冒すと言うのか。そんな思いから口を突いて出た言葉だった。
「ねえ先生。平山さんは、二二才で、あんな場所で骨にならなきゃいけないような罪を、犯したと思いますか?」
――思わない。思う訳がない。
「嫌だった、最初は。柵なんか、作りたくなかった。でも、知っちまった。そうすると、彼女みたいな夢も希望もあっただろうコが理不尽な死を迎えているのに、僕みたいなクソが未だのうのうと生きている事が、堪らなく嫌になる。だからって、もう代りに死んでやる事は出来ないし、実際にそうする程、御人好しでもない。だから、せめて、です」
危うい。暗い瞳でそう言った若い男の危うさに、高荷は訳も解からず圧倒された。
胸騒ぎがする。
高荷は薄掛けをはぐと、布団の上で胡坐を掻き、枕元の水差しを手に取った。温んだ水を一口含む。口中に苦い味が広がる。
――若い者に先に逝かれるのは、老いぼれにとって堪らなく嫌なことなんだぞ、小澤。




