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四章 5


   5


「糞野郎が、大した度胸だな」

 辰野は前に進み出て、小澤の顔を靴底で蹴った。ぼたぼたと鼻血が零れ落ち、柔らかい土の地面に吸われた。

「だがな、てめえの口を割らせるのに大した手間ぁ掛けるつもりは無えんだよ。痛い目に遭わせるのも、そのためじゃねえ」

 猫が捕らえた獲物をいたぶる様に辰野は言う。周囲の男達も嗤いを漏らし、小澤を見下ろしていた。しかし小澤は場違いに明るい声でそれに応える。

「クスリでも使いますか?バルビツール酸系とか?ありゃぁ、まともな情報は引き出せませんよ。それがどんな物か知ってる奴に使う場合は、特にね」

 精神科の医師は、睡眠鎮静薬を用いて心因性や解離性の健忘症の治療を行う事がある。この工程が、自白誘導に悪用される。しかし、薬剤を使った自白誘導は使われる側が対薬物の処置、訓練を積んでいる場合は万全とは言えない。秘密と定めた情報を吐かせるには、施術者は被術者をリラックスさせて、慎重かつ巧みに誘導しなければならない。そうでなければ、情報を被術者ごと破戒してしまう。

「時間と労力の無駄を省きたいってンなら、僕はお勧めしませんね」

「てめえ、何様のつもりだ」

 拉致されておいてその立場を弁えない振る舞いに、男達は怒気を膨らませて行く。それでも小澤は態度を変えず、言葉を続ける。

「僕は情報屋です。情報で商売してンですよ。ビジネスはスマートにッてのが信条で」

 辰野は鋭く舌打ちし、小澤の首を刈る様に足の甲で蹴り、その顔を地面に打ち付けた。後ろの男は慌てて握っていたナイフを退いたが、僅かに遅く、皮膚が裂け、血が迸った。

「やったか?」

 退屈そうな辰野の問いに、後ろの男は慌てて小澤の傷を覗き込む。

「いえ、この程度なら」

 辰野は倒れたままの小澤の頭を踏み付ける。

「聞いたか?良かったな。その程度なら、まだ死なねえとよ」

「良かったのはそちらさんでしょう」

 半ば顔を土に埋めたまま、小澤は言う。

「迂闊ですね。僕が何の手も無く捕まると思いましたか?まだそこまでの評価は得てないってことですかね」

「何だと」

「僕に何かあったら、鳥海先生も終わりって言ってンですよ。地方議員としての権力は失われ、社会的にも抹殺状態。そうなったら大きな後ろ盾を失う鬼丸組さんも――推して知るべし、ですよね」

「待て、それは困る」

「あんたは黙ってろ」

 光の外から響いた声を、辰野は遮った。

「俺らは俺らで、この餓鬼に訊きたい事があるんだよ。それが終わるまで口出しは止してもらおうか」

「しかし――」

「口車に乗せられてんじゃねえ。こいつが先生の致命的な情報を掴んでるって確証はまだ出てねえだろ?ブラフで踊らせるのがこいつらの手口なんだよ」

 六番目の男は尚も抗議を続けようとしたが、辰野はそれを黙殺した。

「成る程、商品サンプルを御所望で。県警の福田警視長、県教委の太田教育長に原審議官らとのお付き合いの件はどうです?流石に諳んじる事は出来ませんが、各々引継ぎも含めてここ五年間の記録は、ばっちりですよ」

 小澤は流れ続ける鼻血と顔面を圧迫する土で、少し喋り難そうではあるが、それらをものともせず声を上げる。闇の中で驚愕に引き攣る息遣いが聞こえる。辰野はそれに舌打ちをし、小澤の頭を踏む足に力を込めた。

「先生程長くやられてる方は古いのになると時効ですしね。まあそれでも社会的には結構な問題ですが。何ならその金の出所たる企業、団体の方も、あ、集金担当の鬼ま――」

 側頭部を蹴られ、小澤は呻きで言葉を途切れさせた。

「うるせえ黙れ」

「ちょっと、辰野さん」

 闇の中の男の声が焦燥で上擦る。

「言ったろう。こっちにも訊きたい事があるんだよ。たとえば、こいつを雇っている組織だ。どこぞの経済やくざか総会屋の出城なんだろうが」

「しかしそんな事をしていては、肝心な事を訊き出す前に死なせてしまう」

「この位じゃ死なねえよ。余計なお喋りしねえ様に血の巡りを良くしてやっただけだ」

 そう言って、辰野はさらに小澤の頭を蹴る。

「つれないですねえ若中頭。このまま貴重な時間を無駄にするおつもりですか?」

 殆ど地中から聞こえる様な声に、闇の中の男はまたも反応する。

「余計な事ばかり、ベラベラと良く喋りやがるな。ああ?がたがた震えながら大口叩いても説得力無えぞ、糞餓鬼」

 事実、靴底を通して震えが伝わってくる。辰野はせせら笑い、小澤の頭を踏み躙る。

「そりゃ、痛いの苦しいのは大嫌いですからね。こんな扱い受けりゃあビビりもしますよ。でもね、それと仕事は別でしょ?」

「飽く迄仕事と言いやがるか」

「ホントは若中頭も解かってンでしょ」

「ああ?」

「大の男を四人も手持ち無沙汰で突っ立たせておいて、一番お偉い若中頭が自らってのは普通無いでしょ?僕の商品じょうほうに価値があると判断してるから、袋にして、うっかり死なせちゃあ拙いとお考えだ」

「口の減らねえ、いけ好かねえ餓鬼だな」

 ――こいつは厄介だ。

 辰野は車のヘッドライトに照らし出される、地面に這い蹲った男を見下ろして思った。見た目通りに腕っ節は弱いが、暴力に耐性が無い訳ではなく、それなりに腹が据わっている。中々に賢しらで、強かな男だ。配下の者達も、この男の得体の知れなさに中てられつつある。理解し難いものに触れると、まず攻撃対象として捉えるのがこの世界に生きる者の習性だ。気味が悪いからと怯えを見せては付け込まれるし、周りの者にも示しがつかない。保身のためにあっさり攻撃抑制を外す。

 ――こいつはそれを解かっていて、周りを煽っていやがる。

 若中頭である自分がそれをさせないと計算しているのだろう。癪に障るがそれは事実だ。

 ――こいつの言う時間が無いってのも、おそらく本当だろうな。

 小澤は鳥海征一郎の県議会議員生命と社会的抹殺を口にした。小澤が一定の時間までに戻らなければ、致命的な情報が暴露されると言っているのだ。緊急の対応を取らせないために、複数の報道機関に送り付けられるのだろう。何より不気味なのは、この男が盗み出したはずの力也の悪行の証について、まだ一言も口にしていない事だ。よもや父親の悪行の方を言い立てられるとは思ってもいなかった。全く癪に障るが、そろそろ、乗ってやるしかないだろう。辰野はしゃがみ込むと、小澤の頭髪を掴み、頭を持ち上げた。

「おい、自分が何でこんな場所に連れてこられたか解かってるのか。ああ?」

「事務所の床を汚したくなかったから、ですか?それとも心理的効果優先ですかね」

 小澤は苦痛に顔を歪め、息を荒げながらも、強気な口調を変えない。

「ここがどこだか解かってるって口振だな。……いや、知っているのか?」

「橘・箕都竹山の炭鉱跡でしょう」

 それは橘・箕都竹連山の山間に在る廃墟。採鉱されていた期間は二〇年に満たない小さな炭鉱だが、コンクリートや煉瓦で築かれて残る遺構はかなりの規模になる。

「地元の者でここの事を知らない奴はいませんよ?ガキの頃は探検隊ごっことか言って、薬莢拾いに忍び込んだりしてましたし。何で暴追キャンペーンの人達はここに来ないんでしょうねえ?あぁ、先生の私有地だからか」

 小澤はからからと笑ったつもりだったのだろう。しかし、周りを囲む男達からは、鼻から口から血を飛ばし、時にえづく様に咳き込みながら笑うその姿が狂気に憑かれている様にしか見えなかった。

「そうそう、ここで銃の空薬莢が拾えるって自慢げに教えてくれたのが鳥海先生の御子息でしたよ。力也君、今どうしてますかね」

 辰野の拳が走り、それを顔面で受けた小澤はもんどり打って転がった。だが、笑い声は止まない。血と泥に汚れた小澤の顔は、そうなる前から既に凶相の隈取で覆われていた。それに気付いた者はこの場には居なかったが。

「いい加減にしやがれこの野郎」

 辰野は小澤の胸倉を掴んで引き起こし、歯を剥き出して唸った。小澤は笑い疲れたとでも言いたげに顔を引き攣らせて痙攣している。

「いいだろう、茶番は終いだ。おい、てめえの言う時間ってのは後どのくらいだ」

 小澤は胡乱な眼を辰野に向ける。

「惚けんな。てめえが戻らなきゃあ仲間が情報を――」

「仲間なんていませんよ」

「ああ!?」

「タイマーアップロードって御存知ですか?他人様のブログに勝手にリンクを貼って廻るロボットは?世の中便利になったものですよね。ネット時代様様?」

「何だと!?」

 男が叫んで、闇の中からへッドライトの照明の中に駆け込んでくる。その顔に光る眼鏡を見て、小澤は唇を曲げて笑った。

「おやぁ、秘書の田村たむらさん」

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