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四章 1

   四章  1



「はい小澤――ああ、うん、うん。どうもどうも、ありがとねぇ。いや後は仕込みだけだから。うん、そんな事ないって。今度のは全部僕の奢りって事で一つ。でもホッシーには内緒ね。はは、あ、それとミハルッチにも宜しく言っといて。うんじゃ、毎度ぉ」

 携帯電話の通話を切り、小澤は煙草を咥え、火を点けた。風に流された紫煙に弄られ、思わず目を瞑る。

 道端で煙草を燻らせながら再び携帯電話を取りだし、画面を開く。橙色の陽射しに濃く長い影が路地を彩る中、待ち受け画面を睨む。

 ―ふん、脅しが足りなかったかな?

 舌打ちして画面を閉じようとした時、メールの着信を告げる振動が手に走った。送信者を確認し、メールを開く。セブンスターを貼り付かせた唇がニタリと笑みの形を作った。

「三下が一丁前にじらしてんじゃねえよ」

 ぱちりと音を経てて携帯電話を閉じ、小澤は夕暮れの路地を歩き出した。

 狭く入り組んだ路地を抜けると、凪浜海岸の堤防が見えてくる。潮の匂いが鼻をくすぐり、潮騒が耳を撫でる。

 傍に建ち並ぶ安アパートの一つ、その一階の扉の前に立ち、鍵束を取り出した。

 解錠し、部屋に入る。

 室内の空調は効いていて、肌寒い程。狭い部屋には数多の電子機器がひしめいていて、その殆どが通電、または稼動していることを示す光を点している。そして今は、複数のディスプレイが映し出す光が部屋を仄かに染めている。それらの前に陣取る部屋の主が、回転椅子を回して振り向いた。

「何ぞ用?」

 一之瀬葉菜はブリックパックのコーヒー牛乳をストローで啜りながら訊いた。

「ん、ちょいとお誘いに」

 そう言って小澤はコンピューターの山、ハッカーの巣を眺めた。この部屋中を埋め尽くす機材とそれらを詰め込む什器は、葉菜が得体の知れない通販や、自らジャンク屋に赴いて厳選し、集めたものだ。アパートの二階、ちょうどこの部屋の真上にある葉菜の居住用の部屋の鍵は小澤は持っていない。しかし、借りたばかりの頃の部屋代と莫大な電気代は小澤の払いだったため、今でもここの鍵の所有を許されている。ケーブルや工具が散らばり、ろくに座るところも無い部屋だが、小澤はガラクタを足で払い除け、床に胡坐を掻いた。幾つモノ空冷ファンが低い唸りを上げ、部屋の中は重く低い騒音に包まれている。

 お誘い?何の?と、気怠げに葉菜は問いを返す。しかし、

「ああ、そう言えばこの前のあれ、どうなった?」

 声のトーンを上げ、別の問いを重ねた。この前のあれとは、小澤が依頼した、心霊動画のアップロード主を調べる件――それ自体は既に終了して、一週間前小澤に報告済みなので――その顛末についてである。

「ああ、それはまだ進行中」

 答えてから身震いし、それよりここ寒いよと、小澤は付け加えた。

「そか、じゃ、上に行こか」

 そう言って、葉菜はクッションを敷き詰めた椅子から立ち上がり、大きく伸びをした。そして、先の質問を思い出す。

「ああ、で、お誘いって何?」

「うん、キツネ狩りにね」

 小澤も立ち上がりながらそう答えた。

「キツネって――はあッ?」

「狩りって言ってもハンティングじゃないよ。ウオッチングね」

 開いた口の塞がらない葉菜を他所にそんなことを言い、続けて小澤は、葉菜も一緒に行こうよと、朗らかに笑った。



 次の日の夜――

「あんたホント暇やね」

 運転席の葉菜は助手席で玩具を弄る小澤に向けて、溜め息まじりの言葉を漏らした。車まで出してその暇人に付き合う自分とは、一体何なのだろうと思いながら。

「はいこれ、葉菜の分」

 そんな言葉などどこ吹く風で、鼻唄まじりの小澤は持参の鞄から取り出した物を差し出した。漆黒の表面にはキリル文字と英語の表記。一見小型双眼鏡の様だが、接眼レンズは一つしかない。対物レンズの隣に有るのは赤外線照射装置。それは暗視スコープだった。小澤自身は葉菜のそれより小型でシンプルな、単眼鏡と一目で解かる物を片目に当てていた。だがそれにも赤外線照射装置は付いている。どちらも、結構な値のする精密光学機器オモチャ。葉菜に渡されたものはビデオ出力端子を持ち、撮影にも使える。電源を入れると星明り程度の光源で、モノクロではあるが克明な画像を映し出す。光源の無い真闇でも、赤外線照射により視力を得る事が出来る。

 こんなところを絶対他人には見せられない。交通違反も事故も、絶対におこせない。世間に恥じる様な行為をしてなくとも、そんな物を持って夜中にうろついている時点で十二分に怪しいのだ。窃視症で盗撮癖のある者と思われても仕方ない。警官の巡回にで出くわそうものなら職質間違いなしで、しかも言い逃れは難しい。

 デバガメカップル

 不意にそんな低俗誌の冴えない見出しの様な言葉が浮かび、葉菜は悪寒を覚えた。

 小澤はこの手の小物を何処からともなく仕入れてくる。ただその殆どは自分の持ち物ではなく、借り物らしい。

 本業の実入りは不安定で、常に小博打で糊口をしのぐ経済状況のくせに、不思議と顔は広く、物品の調達には不自由しない。それに葉菜もこの手の機材を弄るのは嫌いではない。だからいつも呆れはするが、それなりに楽しんでもいる。今も内心興味深げに暗視スコープを眺めていた。

「それで、どの辺流すの?」

 暗視鏡をグローブボックスに入れ、小澤に訊ねた。そして、愛車VWフォルクスワーゲン Type2(仕様の国産軽)のアイドリングを上げる。

「そうだね、けづく川沿いに箕都竹山まで行ってみようか」

 ん、と頷き、葉菜は車を発進させた。厄介な道筋を辿らされるかと思っていたが、小澤が指定したのは、何の事はないドライブコースだった。

 箕都竹山は頂上展望台に到るまで、車なら二筋のルートを選ぶことができる。一つはけづく川上流、近隣の水源たる[いづきダム]と、そのダム湖を一望する[みつづきのうみ公園]を周る道。もう一つは[みつづき山霊園]を周る道。

「ダムの方?」

 自他共に認める怖いもの好きの葉菜だが、自ら心霊ポイントを巡るまでの事はしない。季節を問わず、夜のドライブに墓地の傍を通るなど考えたことも無かった。だが小澤は、

「いや、今の時期ならお供え物なんかあるよね?霊園の方にしよう」

「はあ?」

「だから、これは動物ウオッチングなんだって。お供え物の饅頭をタヌキが食べに来るとか良く聞くでしょ?」

 さも当然の様に小澤は言った。

 これは幽霊ウオッチングの間違いではないのかと葉菜は思ったが、口にすると本当に出そうな気がして言えなかった。実際、本物を見たいとは全く以って思わない。

 つくづく自分の付き合いの良さに呆れる。後で何か奢らせようかと思いもするが、こんな訳の解らない事をしている男の財布はあてに出来ないことも解かっている。

「そう言や、今月仕事は?」

 葉菜の知る限りでは、小澤はここしばらく金にならない事ばかりしている。それでいて葉菜に低価格とは言い難い依頼をしたり、こうして機材を借り出してきているのだから、いつもの事ながら少し気になる。

「ノルマは達成済み」

 小澤は自慢げに鼻を鳴らした。どうせまたパチスロだろう。麻雀パチンコから競輪競馬。小博打で小さくこつこつと中て、それを公共料金の支払いに充てる。一回の稼ぎこそ少ないが、ある意味博徒と言えなくもない生活。本業にむらがあるので仕方ないとも思うのだが、これでノルマが達成出来ないと葉菜の部屋に転がり込んでくるのだから始末に負えない。口さがない者は小澤と葉菜の関係を、ヒモと情婦と言う。実際には全く違うのだが、そう見られても仕方が無いとも思う。

 ――はッ、ホント腐れ縁やね。

 隣でセブンスターに火を点けた小澤に、葉菜はあたしもと、催促する。咥えていたそれを、小澤は葉菜の唇に運んだ。自分はよれたソフトパックから新たに一本抜き出して火を点ける。

 腐れ縁で、始終呆れさせられてはいるが、この男の隣は意外と退屈しない。

 肺一杯にニコチンの煙を吸い込み、葉菜は盛大に吐き出した。

「あんたさ、怖いの苦手なくせに、こんな夜中に山中の墓場とかは何とも無い訳?」

 小澤は一二度瞬きして不思議そうに、何でさ?と、問い返す。

「肝試しじゃないんだし。あの手のは、仕込みだって解かってるから余計に恐いんだよね。出るの確実だからさ」

 照れ笑いを浮かべながら答えた小澤に、葉菜はゆっくりと頭を振った。

「あんたのそういうトコ、時々ちょっと感心するわ」


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