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三章 5


   5‐a


 呼び鈴が鳴る。

 インターフォンの通話ボタンを押す。

『こんにちはぁ、ピザラットでぇす』

「ああ、はいはい」

 ――今日は早いな。

 そんな事を考えながらドアを開ける。

「毎度ぉ」

 ドアの向こうに立っていた人物は、そう言って微笑んだ。だが、その人物はピザの配達員ではない。はっとして、慌ててドアを閉めようとしたが遅かった。その人物は、ドアと入り口の間に頑丈なワーキングブーツを差し込んでいた。脛を蹴って押し出そうとすると、ドアノブを掴んでいた手に爆発の様な衝撃を受け、それは全身を走り抜ける。ノブを掴んだまま身体を仰け反らせ、半ば飛ばされる様に後ろに倒れた。

 ――スタンガンか!?

 玄関に倒れたまま顔を上げると、ドアを開けて人物がゆっくり入ってくるところだった。

「どうもどうもすんませんねえ。でもまあ、お互い様だよね?安全靴履いてたってスチールドアに挟まれたら痛いんだよ?」

 僕のこれ、オサレブーツなんだからと、人物は芝居じみた苦笑を浮かべる。

「だ、誰だあんた」

「ありゃ、そりゃあ無いでしょ?つーか、お互い自己紹介なんて今更じゃない」

「知らない!俺はあんたなんか――」

「もうじきピザ屋が来るでしょ?ああ、御相伴に預かりたいんで、勝手ながら追加注文しときました。ささ、中へ中へ」

 尚も非難を続けようとすると、人物は小首を傾げて微笑み、口を開いた。

「ポテマヨグラタンのLにチーズフォカッチャ、チキン2ピース。豪勢だねえ。僕はベーコンマッシュルームのMにビール頼んじゃった。あ、因みにログインIDは――」

 淡々とそれらを諳んじ、光を返さない暗い瞳で見詰め、言葉を繋ぐ。

「何ならパスワードも言おうか?」

 宅配ピザの注文は電話ではなく、ネットのケータイサイトで行っている。つまり――

「ハッキングしたのか……」

「だからあ、お互い様でしょ?それと、これ以上の抵抗は止めてね。僕、荒事は苦手なんだから」

「……だから、何なんだよ、あんた」

「あれ、しらばっくれンのもいい加減無しにして欲しいンすけどねえ」

 薄暗い玄関で見上げる侵入者は、背こそ高くないが不気味で威圧的に見える。残念そうな口調も、気味の悪さに拍車をかける。荒事に自信の無い者程、こういった状況で何をしでかすか解からない。

「いや、だから、何しに来たって訊いてるんだよ、俺は」

 慌ててそう告げると、人物はやはり少し残念そうな顔で言った。

「まあね、確かに来意は告げちゃあいませんが。その辺は既にお察しの事と思ってましたがねえ」

 声のトーンが低くなった。それでも普通に聞けばそこに脅している様な響きも雰囲気も無いのだろうが、気味の悪さは格段に増した。息を飲む。その時、再び呼び鈴が鳴った。

 人物はTシャツの裾の下に手を入れると、そこから黒い塊りを取り出した。それは対象に電撃を与える非殺傷兵器スタンガンではなく、傷だらけで不恰好な中国製自動拳銃トカレフ――殺傷兵器だった。銃口をこちらに向けると覗き窓から外を伺い、そのままドアを開ける。

「こんにちはぁ、ピザラットですぅ」

 配達員の軽い声が聞こえる。人物は無造作に応対している様に見えるが、外からは、銃はおろか、玄関に転がったままの自分もドアの影になっている。人物は笑顔でピザを受け取りつつ、片目と銃で巧みにこちらを牽制している。支払いはカード引き落としなので、財布を出す様な手間も無い。

「どうもありがとぉーございましたぁ」

 人物はにこやかにドアを閉じ施錠すると、受け取った荷物を掲げて見せた。

「さあ、届いたよぉ」

 もう片方の手には、拳銃を持ったまま。

「どう、ちょっとは落ち着いた?」

 人物は憐れむ様な眼でこちらを見る。

「今、僕はピザ屋の兄ちゃんに素顔を晒しました。解かるよね?ここで君を殺すつもりなんて無いんだよ」

 無言で肯く。何度も、激しく。

「でも、この銃が玩具かどうか試そうなんて思わないでね。撃つつもりは無いんだけど、ほら、不慮の事故ってあるでしょ?」

 それは尤もだ。肯くことしか出来ない。

「じゃ、会食といこうか。お互いに親睦を深めるためにも」


   5‐b


「みつからないたあ、どういうことだってきいてんだよお!おおッ!?」

 怒声が響き、テーブルが舞う。それは床に打ち付けられて轟音を経て、ジャンクフードの欠片や袋、飛沫と転がるビールの缶等と共に、荒んだ部屋、荒ぶる住人の精神を演出するオブジェとなる。

 これは一種のまじないの儀式。

 空気は氷結、かつ帯電する様な緊張感に飽和し、その場に居る者達は皆、己が不徳不明を恥じ、眼を泳がせ、おろおろと謝罪の言葉を口にしなければならない。だというのに、皆、しらけた眼で呪いの主を見ていた。

「ンだぁてめえら、わかって―」

「やめましょうや、力也さん」

 さらに虚勢を張ろうとする男の言葉を、取り巻きの一人が遮った。

「俺らあんたの部下でも舎弟でもねえ。元々命令される謂れなんざあ無えンすよ」

「お坊ちゃまがよお。いつまでもパパの脛齧って、他人に尻拭いさせてンじゃねえよ」

 苦笑、失笑、嘲笑、下卑て粗野な嗤いがその場を満たす。

 男は解かっていなかった。もう随分前から自分が疎まれている事を。否、昔から疎まれてはいたが、今程ではなかった。根が小心者故に、周囲の人心の変化には敏感だった。今は、いつからそうなったのかも解からない。

「駄目だぁ、力也君ヤクやり過ぎなんじゃぁねぇのぉ?」

「ああ、脳が溶けちまってんなぁ」

 解からない男は尚も暴れようとする。それが自分の正当な権利だと主張する様に。

「ちいいぃくぅそおぉおおぉがぁッ!」

 だが、そんな権利は既に無い。

「うぜえ」

 一人が男を蹴倒す。

「簀巻きにして転がしとくか」

 一人がそんなことを言う。

「それがいいかもな」

 一人はそう言って、転がる空き缶を蹴り上げた。空き缶は弧を描いて男の頭に当たる。

「なあ力也さん、あんたの御父上はもう、あんたの行状は勘弁ならんとさ」

 男は涎を垂らし、犬の様に荒い息遣いで取り巻き達を睨み付ける。

 ――ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう。

 探している。ずっと探している。見付からない。いつまで経っても見付からない。大切な物が無くなった。大切な物が奪われた。

 ――あいつがうばったにちがいない。

 唯一、手掛かりと思しき者が居た。そいつの事は子供の頃から知っていた。嫌な奴だった。弱くて、口ばかり上手くて、そのくせ言う事を聞かない。嫌な眼をした奴だった。

 ――おれのまわりは、むのうばかりだ。

 迂闊には手が出せないと、取り巻き達は言った。得体が知れないと、そいつは信管が露出したまま動き回る地雷の様な奴だからと。そいつが雇われている組織も問題だと、輪を掛けて得体が知れないと。だからずっと監視していた。付かず離れず。何と温くまだるこしいことをする奴等だと男は思い、罵った。そしてそいつは消えてしまった。とろ臭い事をしているから逃げられたのだ。

 ――まったく、やくたたずばかりだ。

 悔しくて情けなくて、涙が出る程お粗末な展開。男は自分が涎どころか涙と鼻水まで垂れ流していることも判らない。

 ――ちくしょう、なんでみっちゃんは、あんなやつを――

「ああ、やってらんねえなあ」

「ほんと、勘弁して欲しいッすねえ」

 口々にそんな言葉を残し、取り巻き達は部屋を出た。御丁寧に照明まで消して。男は独り暗い部屋で、芋虫の様に身体を丸めた。

 怨嗟と憤怒が呪詛の様に体中を駆け巡り、内側から蝕んでゆく

 ――しね、しね、しね、しにやがれ!クソジジイも、クソオヤジも、おにまるぐみのバカどもも、みんなしにやがれクソやろう!しなねえならおれがころしてやる、おれがおれがおれがころしてころしてころして――

「――さ……――キヤさん」

 男の閉じた思考に割り込むモノがある。

「あの、力也さん」

 目を向けると、上から覗き込む様にしてこちらを伺う者が居た。

「力也さ……、――いてますか」

 取り巻きの一人、一番若い、三下のカス。カネモトとか呼ばれていたか。

「――ず屋が見付かりました。俺その――」

 男は手を伸ばし、カスの襟首を掴んだ。

「おれが、じきじきにつかまえてやる。ほかのやつらはやくたたずだ。つかえねえ。おれをあのクソのところへつれれていけ。おれがつかまえる。おれが――」

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