三章 1
三章 1
路面のひび割れた、二車線ぎりぎりの細く長い道。その左右には、まるで道行く者を抑圧するかの様にフェンスが走っている。だが、当然それらが囲っているのは道路ではない。片側はJRの操車場。その向かいは、金網の内側をさらに木立で囲う校庭。小澤逸郎は確認のため目を走らせていた携帯電話を閉じ、木立の隙間から覗く光景を眺めた。
県立箕都竹高等学校――通称箕都高。
二学期が始まって間もない放課後のグラウンドでは、女子ソフトボール部とサッカー部が強い日差しの下で砂埃を上げながら練習に励んでいる。懸命に走る学生を脇目に、小澤は正門から来客用のエントランスホールへ向かった。しかし、校舎へ辿り着く前に、
「おいこら、おまえ何してる」
声の方向に目を向けると、白Tシャツに短パンの男が、グラウンド隅の木陰からこちらを睨んでいた。髪は短く刈り込み、筋肉でなで肩になった、体育教師を絵に描いた様な男だと小澤は思った。
「失礼、こちらに御在籍の高荷先生に所用が在って参りました。面会の申し入れも御了承戴いております」
小澤は意表を衝く素早さでするりと近寄り、丁寧に腰を折り、饒舌に申し出た。
男は、訝しげな顔のまま目を丸くした。
おいこら口調こそ引っ込めたものの、信用した訳ではないと言いたげな男に同道され、小澤は漸くエントランスホールの事務所窓口まで辿り着いた。再度来意を告げると、程なくして開襟シャツを着た初老の男が現れた。
「ああ、来たかね。小澤君」
それを受けて、”体育教師”は顔を赤らめ、何か詫び言の様なことをぼそぼそと言って立ち去った。小澤は思わず鼻を鳴らしそうになったが、目の前に立つ人物が重たげな瞼の下で、自分以上に冷たい眼を立ち去る男の背中に向けている事に気付き、止めた。
「お久しぶりです、高荷先生」
かつて古文を教わった教師、高荷は白髪の量こそ増えたものの、頭髪そのものは減ずることなく、ひょろりとした長身痩躯もそのままに、ほぼ昔と変わらない姿だった。
応接室へ連れて行こうとする高荷教師に、結構ですからとそれを固辞し、結局二人して校舎の軒下の日陰に腰を下ろした。
小澤は先に渡した手土産の菓子折りとは別に、自販機で買った缶コーヒーを高荷に手渡し、自らも冷たい缶を振って攪拌する。
「ちゃんとアポ取って来てんですから、いきなり不審者扱いは無しですよ」
「ああ、申し訳ない、不愉快な思いをさせてしまったな。あれで人にものを教える立場に在るかと思うと泣けてくる。まあ、昔からあの類は居たがなあ」
老教師は溜息を吐き、いただきますと言って缶のプルタブを開けた。
「だが君は不審者と思われたのではなく、生徒が私服で何しに来たのかと思われた様だ。変わらんなあ君は。血色は前より悪いか?」
先生は眉毛が伸びましたかと、笑いながら返し、しばらく旧交を温め合った。
「それで、十年以上経った今、担任でもなかったこの私に何の用だね」
「いやぁ、十年以上経っちまうと元担任どころか、知ってる先生がことごとく居なくなってますからね。高荷先生がまだ居てくださって助かりました」
「まあそうだな。私くらいのものだなあ」
「でも先生こそ、担任じゃなかった生徒の事、よく憶えていてくださいましたね」
「ああ、君の代はいささか特殊だったし、ほら、あの失踪して中退扱いになった生徒、海を渡って画家になっていたとはなあ」
その生徒は故郷に錦を飾り、今や地元の名士である。小澤は肩を揺すって笑った。
「ま、中でも君は特殊な部類だったなあ」
「嘘ですよ。僕は優秀でこそなかったけど、至って普通な生徒でした」
ああ、確かになと、高荷は笑った。しかし、その眼の奥には鋭い光があった。
「君の名が問題になったことは表向き無かった。だが、君が幾つかの問題の裏に居た事に、気付いている者も居たのだよ。極少数ではあったがね」
小澤が目を丸くすると、何をわざとらしいと、高荷は鼻で笑い、
「まあ、問題にしない方が賢明だと皆、判断したのだがね」
「そりゃあ、どうも」
笑いで返し、コーヒーを啜る。
「ところで先生、その、僕の代は特殊だったって事ですが」
「ん?」
「あの当時、一番の問題は何でした」
高荷は立膝に肘を付き、頬杖にして横目に小澤の顔を凝視した。
「そんな事を訊くために、わざわざここまで来たのかね?」
「十年一昔って言うでしょ?つまり、今は昔で語れることですよ」
今昔かねと、呟き、高荷は視線を外した。
「君は確か調査業をやってると言ったか」
「ええ、御迷惑になると思いますんで、名刺はお渡ししませんが」
「そんなものはいらんが、何故それを私に訊く。立場は違えど、あの時ここに君も居た。何がどう問題だったか、憶えてないのかね」
視線を外したまま、高荷は問いを返す。
「忘れちゃあいませんがね、僕としちゃあ、先生おっしゃるところの、違う立場の意見をお聞かせ願いたかったんですが」
へらへらと暢気な顔で笑う小澤に、高荷は沈黙で応える。
「では、ちょいと話を変えましょうか」
小澤は、これも高荷の方を見ることなく、膝を抱える様に座りなおした。
「さっき、失踪した生徒の話が出たでしょ?僕やそいつの一年下になるんですが、失踪したコがいましたよね。まあ、そっちは在学中じゃなく、卒業後でしたが」
「――平山君のこと、か」
「平山、そうそう、そんな名前でしたねえ。そのコも最近になって消息が」
「無残な結末を迎えていたと、解かっただけだ。消息が掴めたとは言い難い」
「御尤も。これは失言でした」
「何故そんな――いきなり彼女の話になるんだね。さっきの話と何か関係あるのか」
「いきなりってこたぁないでしょ。今何かと話題だし、彼女ここの卒業生だし、さっきも言いましたが僕の一個下な訳だし。それと、話を変えると前振りはしましたよ」
「しかし何故私に――」
「高荷先生、一、二年次の彼女の担任だったそうですね」
「――調べたのか」
高荷は驚愕と困惑の入り混じった複雑な表情で小澤の顔を見た。
当時の学級内連絡名簿が卒業アルバム同様に流出していたのかとも思ったが、一つ違いの卒業生なら、当時の生徒関係に直にあたったと考えた方が妥当だと気付いた。少なくとも、この学校の事務に訊ねた訳ではないはず。
「どんな生徒でした?彼女は」
それまでとは違う静かな声で、小澤は問う。
「君は何を、何のために調べている」
吹奏楽部が練習しているのだろう、トランペットやクラリネットの調子はずれな音が校舎の中から散発的に響いてきて、それは時に聞き覚えのあるメロディーを奏でる。体育館からのホイッスルがそれに交じる。
「先生」
「何だ」
「何か、御存知なんですか」
「何を言っとるんだ君は」
「彼女の話が出た途端、様子が変わりましたね。ベテラン教師としちゃあ、ちょっと如何なものかって感じです」
「――巫山戯るな」
高荷の声には、隠し様の無い苛立ちが滲んでいた。
「失礼しました」
頭を軽く下げ、小澤は笑顔を高荷に向ける。しかし、高荷はそれを受け止める事ができず目を逸らした。
「ええっと、何を何のために調べてるってことでしたか。ここんとこ、よくそれを訊かれるんですよ」
こりを解す様に首をぐるりと回し、小澤は空になった缶をコンクリの床に置いて立ち上がった。
「何のためにって訊かれりゃあ、そりゃ自分のためです。何をって訊かれりゃあ、彼女が浮かばれるために必要な事を、です」
空が朱く染まり、法師蝉の声が間遠に響く中、小澤は重い足取りで校舎を後にした。操車場の線路を跨ぐ長い陸橋を渡り、咥え煙草の憮然とした顔で私鉄の駅へ向かう。
――ああ、まいったな。
整理が付かない。今しがた入手した情報があまりに重要だった事もあるが、それよりも感情が頭の回転を阻害している。
少し話題に乗せるだけのつもりで振ってみると、妙に様子がおかしくなった。つい、いつもの調子でハッタリをかますと、予想外に喰い付いてきた。そして――
――畜生、何なんだよこの胸糞悪さは!
煙草のフィルターを噛み潰し、苛立ちまじりの溜息と共に煙を吐き出す。
重い足を投げやりに持ち上げた時、膝のポケットの中で携帯電話が着信を告げた。それは、仕事専用端末の振動だった。




