パンティージャムジャムおじさん
ユーレイドレシア地方各地に伝わる童謡
夜の街に現れる
不思議なおじさん。
その名は――パンティージャムジャムおじさん。
「パラダイス~☆♪♡」
と歌いながら、石畳を軽やかに踏む。
背中の小さな鈴が、風もないのにちりん、と鳴った。
街灯の下、彼の帽子はどこか異国の道化師みたいで、
長い外套の裾がふわりと踊るたび、
見えない光の粉がひとひら舞う。
子供たちは不思議そうに彼を見つめる。
目が合うと、おじさんはにっこり微笑んで、
「ムッフン☆♪♡」
と答えた。
そして胸を張るように、
「パンティージャムジャムだよ!」
その名を聞くと、みんなが笑い声を上げる。
笑ってしまう。なぜだか、声が弾んでしまう。
“パンティージャムジャム”という音が、
口の中でころころ転がって、くすぐったいから。
「パンティージャムジャムおじさんだよぉ」
おじさんは、おどけるように両手を広げ、
街を練り歩く。
その後ろに、いつの間にか小さな列ができる。
最初は二人。次は四人。
気づけば十人。
「キミもジャムジャム?」
そう声をかけられると、子供たちはつい手を取ってしまう。
手は温かい。けれど、温かさの奥に、
夜の冷たさが一枚挟まっているような、
妙な感触があった。
「ムホホ~☆♪♡」
笑い声が響く。
それだけで、街が少し明るくなる。
怖いことなど何もない、と言われた気がして、
子供たちは一緒に踊り出す。
石畳の上で、くるり。
街灯の輪の中で、くるり。
影が重なって、ほどけて、また結び直される。
――でも、その姿に潜む謎を、誰も知らない。
大人たちはどこかへ消えていた。
家の窓は閉じ、店は看板を裏返し、
遠くで犬が一度だけ吠えたきり。
夜の街は、子供の足音とおじさんの歌声だけで満ちていく。
「パラダイス~☆♪♡」
「ムッフン☆♪♡」
「パンティージャムジャムだよ!」
その言葉は、歌というより、合図だった。
合図が響くたび、列は少しずつ伸びる。
家の前を通り過ぎ、
いつもの角を曲がり、
いつもなら行かない路地へ入っていく。
「ねえ、どこまで行くの?」
誰かが聞くと、おじさんは振り向いて、
「ジャムジャムは、遠いほど楽しいよぉ」
と、さらりと言った。
その声が、なぜだか胸の奥まで届いてしまう。
道は、少しずつ変わっていく。
街灯は間隔が広がり、
石畳は土に変わり、
店の明かりは遠くの点になった。
それでも、おじさんの背中だけははっきり見えた。
消えない光が、背中に縫い付けられたみたいに輝いているから。
ふいに、おじさんが足を止める。
「つ・か・ま・え・た☆」
囁き声。
それだけで、みんなが驚き、笑い声が止まった。
風が一度、列を横切る。
鈴が、ちりん、と鳴る。
「みょだぁ」
おじさんは、変なつぶやきを落とす。
まるで、言葉の鍵穴に、別の音を差し込むみたいに。
その時、列の一番後ろの小さな子が、
遠慮がちに手を挙げた。
「おじさん、パンティーってなに?」
問いは、針のように夜を刺した。
おじさんは一瞬黙り、
それから、ゆっくり優しく微笑む。
「それはね……」
間を置く。
その“間”が、やけに長い。
長すぎて、子供たちは息を合わせるのを忘れた。
「パンティーはね、魔法の布なんだ。
それをジャムジャムすると、幸せになれるんだよぉ」
魔法の布。
幸せ。
子供たちは不思議そうに、その言葉を聞きながら、
夢を見る目でおじさんを見つめる。
“幸せ”って言われると、
なんだか足が軽くなる。
もう少し行けば、もっと楽しいことがある気がしてしまう。
「パラダイス~☆♪♡」
再び歌い出し、
おじさんは歩き出す。
列も歩き出す。
笑い声は戻らない。
代わりに、みんなの口が同じ言葉を覚え始める。
「パンティージャムジャム♪」
「パンティージャムジャム♪」
歌は、笛の代わりに道をつくる。
歌の通りに足が動く。
曲がり角は自然に曲がり、
橋は自然に渡り、
街の外れの古い水路へ、列は吸い込まれていく。
水面に街灯が揺れる。
そこだけが、妙に暗い。
暗いのに、おじさんの背中の光だけが、
ゆらゆらと頼りなく、けれど確かに導いている。
「ムッフン☆♪♡」
おじさんが振り返り、
にっこり笑った。
「パンティージャムジャムだよ!」
その瞬間、歌が少し高くなる。
鈴がもう一度、ちりん。
光がひとひら、落ちる。
そして――次の瞬間。
夜の街は、急に静かになった。
翌朝。
パン屋がシャッターを上げ、
牛乳屋が瓶を並べ、
猫が路地を横切った。
「……あれ?」
最初に気づいたのは、
いつも一番早起きの母親だった。
「起きなさい」と呼んでも返事がない。
布団は温かいのに、そこにいるはずの“子”がいない。
次々と、同じ声が上がる。
窓が開く。
戸が開く。
通りに人が出てくる。
「昨日、うちの子、夜に……歌って……」
「“パンティージャムジャム”って……」
「まさか、あの……」
誰かが言いかけて、黙る。
言葉にすると、音が消えてしまいそうで。
笑ったはずの名を、
今は誰も笑えなかった。
その時、街の外れの古い水路の柵に、
小さな光がひとつ残っているのが見つかった。
鈴でも、星でもない。
ただの、ひとひらの――“布”の切れ端。
朝日を受けて、きらり、と光った。
風が吹く。
切れ端は、ふわりと揺れ、
まるで歌うみたいに、かすかな音を立てる。
――パラダイス。
聞こえた気がして、
誰もが顔を上げた。
けれど、そこにはもう何もない。
ただ、遠くのどこかで、
笑い声が一度だけ、ころん、と転がった。
「ムッフン☆♪♡」
それは夢だったのか。
それとも――新しい夜が、もう始まっているのか。
街は今日も動き出す。
けれど、誰かの口がふと、無意識に歌いかけてしまう。
「パンティージャムジャム♪」
歌いかけて、はっと止まる。
止まった声の先で、
見えない誰かが、にっこり笑った気がした。
パンティージャムジャムおじさんの謎は、
深まるばかり。
それでも、その歌声は――
夜の静けさを破り、
街の闇を照らし続ける。
そしてまた、どこかで。
「ムッフン☆♪♡」
「パンティージャムジャムだよ!」
また新たな夜が、始まる。
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