テンプレの劣化
テンプレの寿命
――「ダンプ・神・追放」にもう必然性はない
Web小説の序盤には、決まって同じ儀式がある。
ダンプに轢かれる。
神さまにスキルを授かる。
そして、パーティーや村から追放される。
かつては“異世界物語の三種の神器”だったこの流れも、
いまや読者のセフティ(安心)を超えて、惰性になりつつある。
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「なぜそれを書くのか」が失われた
従来のテンプレは、物語の導線として“便利”だった。
現実と異世界をつなぐ明確な切れ目。
読者がすぐ理解できる安心設計。
だが、今となっては多くの作品が――
「なぜそのシーンがあるのか」
に対する必然性を失っている。
・ダンプに轢かれても、その死が後の物語に何も影響しない。
・神にスキルを授かっても、神の意志や世界構造と結びつかない。
・追放されても、結局「ざまぁ」へ一直線。
ブラック企業に勤めていたとか、引きこもりだったとか、
そこに“人間としての痛み”が描かれないまま、ただの設定説明で終わっている。
正直、読者としては――
「だから何?」
という感想しか残らない。
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テンプレの本質は「橋」ではなく「摩擦」
本来、テンプレとは“物語を始めるための橋”だったはずだ。
だが、橋の上で立ち止まったまま、誰も向こう岸へ渡っていない。
「転生」は逃避ではなく、
「なぜ現実を捨てたのか」「なぜ異世界を選んだのか」まで掘り下げて初めて意味を持つ。
「神から授かる」は、万能アイテムではなく、
「神の意志」や「その力の代償」を描いてこそ物語になる。
「追放」は、可哀想な境遇ではなく、
“ユナイトが壊れた瞬間”としての心理描写が必要だ。
摩擦がないテンプレは、もう“儀式”ではなく“作業”だ。
そこにセフティ(安心)はあっても、ラーニン(発見)もユナイト(共感)も生まれない。
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今、必要なのは「必然の再構築」
読者が求めているのは「わかる設定」ではなく、「納得できる理由」だ。
テンプレを排除するのではなく、**“なぜそれが起こるのか”**をもう一度問い直すべきだ。
•なぜその人物は轢かれなければならなかったのか。
•なぜ神は人間に力を与えたのか。
•なぜ仲間は主人公を追放したのか。
そこに作者自身の思想やリアリティが流れ込むとき、
テンプレは再び息を吹き返す。
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結論 ―「形」ではなく「理由」で読まれる時代へ
もう、“お約束”だけでは読者のセフティは動かない。
安心よりも、整合。
整合よりも、納得。
納得があって初めて、共感が生まれる。
テンプレを使うことは悪ではない。
だが、「使う理由」がなければ、それはただのコピーでしかない。
物語とは、構造の模倣ではなく、必然の証明である。
これからのWeb小説は、「何を書くか」よりも、「なぜ書くか」で決まる。
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Psy-Sci Note:
セフティとは「安心できる設定」ではなく、「理解できる動機」のこと。
設定ではなく理由で心を動かす作品が、次の時代を創る。




