表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
web小説を極めたい  作者: シンリーベクトル


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

一人称と3人称

一人称は「読者との最初の握手」──サイサイセオリーで読み解く物語の始まり方


Web小説を読んでいて、最初の数行で「なんか入りやすい」と思う作品と、「説明っぽくて重い」と感じる作品がある。

その差は、**“文体”ではなく“読者の心理エネルギー”**の違いにある。


サイサイセオリー的に見ると、これは「どの欲求ベクトルから物語を始めるか」という設計の問題だ。



■ 読者がページを開いた瞬間の心理状態


読者は最初、まだ作品世界に安心していない。

登場人物も作者も信頼していない。

つまり、セフティ(安全欲求)=ゼロの状態だ。


このときに「メロスは怒った」と三人称で始まると、

読者はまず“情報処理モード”に入る。

誰?どこ?なぜ?──ラーニン(理解欲求)が動き出す。


一方、「俺は怒った」で始まると、

読者は一瞬で“感情同期モード”に入る。

つまり、**ユナイト(共感・同調)**が発動する。



■ サイサイセオリーで見る導入構造


まず必要なのは、“安心して読み進められる状態”=セフティの確保だ。


そのセフティを最短で生み出すのが、一人称視点。

「俺」「私」と語られた瞬間、読者は“誰の目を通して見ればいいか”を即座に理解し、

感情を委ねる準備が整う。

それが最初の“ユナイト”だ。



■ 三人称は「構造理解」に強いが、序盤では不利


三人称視点は、世界観や複数キャラの関係を描くのに向いている。

だが、導入からいきなり俯瞰的な視点で始めると、

読者は“登場人物に帰属する前に説明を読む”ことになる。

これは、セフティとユナイトが発動しないままラーニンを起動してしまう構造だ。


結果として、

「説明っぽい」「感情に入りづらい」

と感じられてしまう。



■ 一人称でつかみ、三人称で広げる


だからこそ、最初の1話~2話は一人称で“感情の入口”を作るのが有利だ。

読者のセフティを確保し、ユナイトを成立させてから、

中盤以降に三人称で世界や構造を広げる。


これは心理学的にも自然な流れだ。

•一人称:体験の共有セフティとユナイト

•三人称:構造の理解ラーニンとランク


そして物語の終盤で再び一人称に戻せば、

「この主人公と一緒に生きてきた」というライフエネルギーが発動する。



■ 書き手が意識すべき“最初の握手”


最初の1行は、読者との握手だ。

「俺は」「私は」で始まる瞬間、

読者は作者ではなく“登場人物の目”を信じ始める。


セフティが生まれ、ユナイトが走り出す。

物語とは、その最初の安心のうえに築かれる冒険だ。


一人称は「語りの形式」ではなく、

読者のセフティを回復させる心理装置だ。

物語の最初に手を差し出すかどうかで、

その先に読者が歩く距離が変わってくる。


三人称で始まっても“冷たくならない”物語構造


──サイサイセオリーで解く「ユナイト誘導」の理論


多くの書き手が感じる疑問。

「三人称で始めると、どうして読者が入りにくいのか?」

そして、もっと難しい問題がある。

「では、三人称のままでも“感情的な接続”は作れないのか?」


答えは、作れる。

ただし、そのためには**読者の欲求構造ベクトル**を理解して設計する必要がある。

ここでは、サイサイセオリーの枠組みでその仕組みを理論的に解説していく。



■ 三人称導入が“冷たく感じる”理由


読者が最初に触れる文は、作品への心理的入口である。

この瞬間、読者はまだ世界にもキャラにも信頼を持っていない。

つまり、**セフティ(安全欲求)**が未充足の状態にある。


一人称では、


「俺は走った」

の時点で、“誰の目で世界を見るか”が即座に確定し、セフティが満たされる。


一方、三人称では、


「メロスは走った」

と提示された時点で、読者は“外部観察モード”に入る。

セフティより先に**ラーニン(理解欲求)**が起動してしまう。

そのため感情ではなく思考が先に立ち、「冷たい」印象が生まれる。



■ 三人称でもユナイトを誘発する条件


三人称導入の本質的な課題は「ラーニン起動前にセフティを通す経路を持たない」こと。

では、その経路をどう設計すればいいのか。

答えは、“感情の痕跡”をラーニンの中に埋め込むことである。


▪ 方法①:感情の残滓を先に置く


例:「風が泣いていた。」

  「少女は、もう笑わなくなっていた。」


これらは事実描写でありながら、

“感情的な空気”を読者に先行して伝える。

サイサイ的には、ラーニン文体にセフティ波(情動情報)を重ねる行為。

結果として、読者は観察しながらも感情を同時に投影できる。


▪ 方法②:動作によるセフティ誘発


例:「男は息を詰め、拳を握りしめた。」


ここではまだ“誰か”を説明していないが、

動作そのものが緊張/恐怖/決意といった情動を暗示する。

つまり、「感情の予測値」を読者に与え、

セフティ→ユナイトのベクトルを事前に起動する。

■ 応用例:三人称でのユナイト設計


(悪例)

「少女は森を歩いていた。鳥の声が聞こえる。」

→ 情報のみ。セフティ未発動。


(改良例)

「少女は森を歩いていた。鳴かぬ鳥の声が、静かに世界を満たしていた。」

→ “鳴かぬ鳥”という比喩で情動の残滓を提示。

→ 読者が「何かが失われている」と感情予測し、セフティが起動。


■ 一人称と三人称の再定義


サイサイセオリー的に見れば、

「一人称」「三人称」は文体ではなく、読者の欲求ベクトル設計の違いである。


言い換えれば、

三人称で始めるとは、感情ではなく“理解を通じて共感を生成する”構造実験なのだ。



■ 結論:三人称は「観察」ではなく「再構成」へ


三人称導入の目的は、情報提供ではない。

読者の内部で、ラーニン→セフティ→ユナイトを再構成させることだ。


一人称が「感情の直接回路」なら、

三人称は「理性経由の共感回路」。

どちらもユナイトに至るが、通る経路が異なる。


ゆえに、


三人称=冷たい

ではなく、

三人称=“構造的に温める”文体

と再定義すべきだ。



三人称でも読者は共感する。

ただし、その共感は理解を通して生まれる共感だ。

それを設計できる作家は、文体を超えて心理構造の技術者になる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ