一人称と3人称
一人称は「読者との最初の握手」──サイサイセオリーで読み解く物語の始まり方
Web小説を読んでいて、最初の数行で「なんか入りやすい」と思う作品と、「説明っぽくて重い」と感じる作品がある。
その差は、**“文体”ではなく“読者の心理エネルギー”**の違いにある。
サイサイセオリー的に見ると、これは「どの欲求ベクトルから物語を始めるか」という設計の問題だ。
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■ 読者がページを開いた瞬間の心理状態
読者は最初、まだ作品世界に安心していない。
登場人物も作者も信頼していない。
つまり、セフティ(安全欲求)=ゼロの状態だ。
このときに「メロスは怒った」と三人称で始まると、
読者はまず“情報処理モード”に入る。
誰?どこ?なぜ?──ラーニン(理解欲求)が動き出す。
一方、「俺は怒った」で始まると、
読者は一瞬で“感情同期モード”に入る。
つまり、**ユナイト(共感・同調)**が発動する。
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■ サイサイセオリーで見る導入構造
まず必要なのは、“安心して読み進められる状態”=セフティの確保だ。
そのセフティを最短で生み出すのが、一人称視点。
「俺」「私」と語られた瞬間、読者は“誰の目を通して見ればいいか”を即座に理解し、
感情を委ねる準備が整う。
それが最初の“ユナイト”だ。
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■ 三人称は「構造理解」に強いが、序盤では不利
三人称視点は、世界観や複数キャラの関係を描くのに向いている。
だが、導入からいきなり俯瞰的な視点で始めると、
読者は“登場人物に帰属する前に説明を読む”ことになる。
これは、セフティとユナイトが発動しないままラーニンを起動してしまう構造だ。
結果として、
「説明っぽい」「感情に入りづらい」
と感じられてしまう。
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■ 一人称でつかみ、三人称で広げる
だからこそ、最初の1話~2話は一人称で“感情の入口”を作るのが有利だ。
読者のセフティを確保し、ユナイトを成立させてから、
中盤以降に三人称で世界や構造を広げる。
これは心理学的にも自然な流れだ。
•一人称:体験の共有
•三人称:構造の理解
そして物語の終盤で再び一人称に戻せば、
「この主人公と一緒に生きてきた」というライフエネルギーが発動する。
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■ 書き手が意識すべき“最初の握手”
最初の1行は、読者との握手だ。
「俺は」「私は」で始まる瞬間、
読者は作者ではなく“登場人物の目”を信じ始める。
セフティが生まれ、ユナイトが走り出す。
物語とは、その最初の安心のうえに築かれる冒険だ。
一人称は「語りの形式」ではなく、
読者のセフティを回復させる心理装置だ。
物語の最初に手を差し出すかどうかで、
その先に読者が歩く距離が変わってくる。
三人称で始まっても“冷たくならない”物語構造
──サイサイセオリーで解く「ユナイト誘導」の理論
多くの書き手が感じる疑問。
「三人称で始めると、どうして読者が入りにくいのか?」
そして、もっと難しい問題がある。
「では、三人称のままでも“感情的な接続”は作れないのか?」
答えは、作れる。
ただし、そのためには**読者の欲求構造**を理解して設計する必要がある。
ここでは、サイサイセオリーの枠組みでその仕組みを理論的に解説していく。
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■ 三人称導入が“冷たく感じる”理由
読者が最初に触れる文は、作品への心理的入口である。
この瞬間、読者はまだ世界にもキャラにも信頼を持っていない。
つまり、**セフティ(安全欲求)**が未充足の状態にある。
一人称では、
「俺は走った」
の時点で、“誰の目で世界を見るか”が即座に確定し、セフティが満たされる。
一方、三人称では、
「メロスは走った」
と提示された時点で、読者は“外部観察モード”に入る。
セフティより先に**ラーニン(理解欲求)**が起動してしまう。
そのため感情ではなく思考が先に立ち、「冷たい」印象が生まれる。
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■ 三人称でもユナイトを誘発する条件
三人称導入の本質的な課題は「ラーニン起動前にセフティを通す経路を持たない」こと。
では、その経路をどう設計すればいいのか。
答えは、“感情の痕跡”をラーニンの中に埋め込むことである。
▪ 方法①:感情の残滓を先に置く
例:「風が泣いていた。」
「少女は、もう笑わなくなっていた。」
これらは事実描写でありながら、
“感情的な空気”を読者に先行して伝える。
サイサイ的には、ラーニン文体にセフティ波(情動情報)を重ねる行為。
結果として、読者は観察しながらも感情を同時に投影できる。
▪ 方法②:動作によるセフティ誘発
例:「男は息を詰め、拳を握りしめた。」
ここではまだ“誰か”を説明していないが、
動作そのものが緊張/恐怖/決意といった情動を暗示する。
つまり、「感情の予測値」を読者に与え、
セフティ→ユナイトのベクトルを事前に起動する。
■ 応用例:三人称でのユナイト設計
(悪例)
「少女は森を歩いていた。鳥の声が聞こえる。」
→ 情報のみ。セフティ未発動。
(改良例)
「少女は森を歩いていた。鳴かぬ鳥の声が、静かに世界を満たしていた。」
→ “鳴かぬ鳥”という比喩で情動の残滓を提示。
→ 読者が「何かが失われている」と感情予測し、セフティが起動。
■ 一人称と三人称の再定義
サイサイセオリー的に見れば、
「一人称」「三人称」は文体ではなく、読者の欲求ベクトル設計の違いである。
言い換えれば、
三人称で始めるとは、感情ではなく“理解を通じて共感を生成する”構造実験なのだ。
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■ 結論:三人称は「観察」ではなく「再構成」へ
三人称導入の目的は、情報提供ではない。
読者の内部で、ラーニン→セフティ→ユナイトを再構成させることだ。
一人称が「感情の直接回路」なら、
三人称は「理性経由の共感回路」。
どちらもユナイトに至るが、通る経路が異なる。
ゆえに、
三人称=冷たい
ではなく、
三人称=“構造的に温める”文体
と再定義すべきだ。
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三人称でも読者は共感する。
ただし、その共感は理解を通して生まれる共感だ。
それを設計できる作家は、文体を超えて心理構造の技術者になる。




