4.マリーの話③
そんなジェイクが真実を知ったのはその数日後のことである。
ここ数日でジェイクは地道に聞き込みを続けていた。当初は非常に難航するかと思われたこの作業は、しかし意外なことに思ったよりもスムーズに進んだ。
実は『悪い噂』は非常に局所的にしか発生していなかったのだ。
噂を知っているのはセントラル学園の生徒、それも同級生の間だけであり、そこから派生して一部同年代の学園に通っていない貴族の子女も知っているようだったがその数は非常に少なかった。
つまり、発生源はセントラル学園内である。
そこからさらに聞き込みを続けた結果、その噂を聞いた先がある一人の人物に集中していることが発覚したのだ。
「オリビア」
ジェイクは『その人物』にそう声をかけた。
場所は学園の中庭の木陰である。周囲には他に人影はない。
「どうしてこんなことを?」
実を言うと噂を集める過程でジェイクはオリビアに対する噂も知ることになった。
いわく、『彼女は複数の男性に言い寄っている。それも婚約者や恋人のいる男性にばかり』。
マリーの時の反省も生かし、その噂を鵜呑みにはせずにその噂についても聞き込みを行った。そしてその噂の方の発生源は非常に多く見つかった。
実際に彼女に婚約者や恋人を奪われた女生徒が何人も出てきたのだ。
それ以外にも婚約者のいる男性と彼女がデートしている姿の目撃証言が複数人から出てきた。その内容のいずれもが詳細で複数人からの証言でも齟齬のない共通の話としてつながっているものだった。
それはジェイクは知らないものだったが学園内ではそれなりに、特に女生徒の間では有名な話だったようだ。
「ジェイク様『も』彼女とは親しくされているようでしたけど、どうかお気をつけて」
とは実際に婚約者を奪われた女生徒から告げられた言葉だ。
そしてジェイクにそう問いかけられたオリビアは、ただ気まずげにうつむいて唇を引き結んで立っていた。
正午の風が彼女のピンクブロンドの髪を優しく揺らす。しばらく黙って待ってみたが、彼女の桃色の瞳はジェイクの顔を見ない。
「マリーと君には面識があったのかな?」
「……」
「それとも僕が何か気に障るようなことをしたのだろうか?」
そう口に出して言ってみてからジェイクはそれが真相のような気がした。いつも仏頂面で不器用なジェイクだ。気づかずにオリビアに無礼を働いてしまった可能性があってもおかしくはない。
「馬鹿じゃないの……」
しかしそう口にした瞬間、彼女はそうぽつりとつぶやいた。それに驚いて顔をあげたジェイクの視界に彼女の強い桃色の瞳が写る。
それはいままで見たことのない彼女の表情だった。彼女だけではない。いままで穏やかなマリーくらいとしか女性とは関わったことの無かったジェイクには、ここまで強く険しい表情を女性に向けられた経験はなかった。
その花のように美しい顔を岩のように険しくゆがませて彼女は叫ぶ。
「そんなわけないでしょ! あたしはただあんたのことをそのマリーとかいう女から奪いたかっただけよ!!」
「……、なぜ」
あまりに初めての出来事すぎて呆気にとられながらジェイクはそうぽつりと尋ねるのがやっとだった。その呆けた返事に彼女はさらに強くきっと彼のことを睨む。
「あんたのことが好きだからよ!」
「は?」
「でももういいわ! もう嫌い! あんたのことなんかいらない!!」
(そんなおもちゃか何かみたいな……)
『好き』という言葉も衝撃的だったがその後に続いた台詞も衝撃的すぎてジェイクはぽかんと口を開ける。そんな彼にオリビアは馬鹿にしたような顔をして笑った。
「あんたってほんと鈍くさいわよね! 学年一の秀才だっていうから近づいてみたけど勉強以外はからっきしなんだもの! それでも見た目も悪くないし気は利かないけど乱暴者じゃあないしいいかと思ったけどもう無理だわ。あたしの言うことよりも他の女の言うことを信じるだなんて!!」
「いや、それは……」
どちらの言い分も信じてそれなりに精査したつもりだ。その上で今回の結論に至ったのだ。
そしてそもそもジェイクはマリーの噂に戸惑って素っ気ない態度を取ってしまったもののそれだけだ。別にその件でマリーのことを嫌いになったり具体的にどうこうと思っていたわけではなかった。
ただどうしたら良いかわからなかっただけである。
それが問題といえば問題だったのだが、と内心で自戒している間に、
「じゃあもうあんたとは話さないから! もう関わってこないでよね!!」
そう一方的に告げるとオリビアは足音荒く立ち去っていってしまった。
「……まぁいいか」
その後ろ姿を見送って、ジェイクはぽつりとつぶやく。
『もういい』ということは今後はマリーの悪い噂を流されることはないということだろう。
そして今回情報収集をすると共にジェイクが直接その噂を否定したことによりマリーに対する『悪い噂』は徐々に沈静化しつつあった。
一件落着とみていいだろう。
そう一人合点してうなずくと、ジェイクもきびすを返して歩き出した。
マリーへの謝罪を行うためだ。
授業が終わってすぐ、ジェイクは街の花屋へと赴くとそこで色とりどりのガーベラの花束を用意してもらった。以前話した時にマリーがガーベラの花が好きだと言っていたからだ。
それを持ってマリーの屋敷へと伺い、そして、
「うーん」
ジェイクはうなる。
とりあえず唐突な面会の申し込みだったが許可が出たようで侍女がいつものように案内をしてくれた。進む方向からして場所は以前彼女と友人が『悪い噂』について話していた中庭に設置されたテーブルだろう。ここまで来て、ジェイクは彼女になんと声をかけるべきかを悩んでいた。
いや、言うべきことは決まっている。そんなことは分かっているのだ。
「ジェイク!」
日の光の中で彼女は名前を呼んで微笑んだ。
美しい琥珀の髪が風になびいて輝き、翡翠の瞳が光をはらんでジェイクのことを嬉しそうに見つめる。
そこに宿るのは確かな愛情だ。
これまでずっと側にあった。当たり前で当たり前ではない温かな気持ちだ。
「今日はどうしたの? 急に……」
「ごめん」
ジェイクはそう告げると顔を隠しながらガーベラの花をマリーへと押しつけるように差しだした。それに彼女は戸惑ったようにぱちくりと目を瞬かせる。
「……君の『悪い噂』を聞いた」
「え……っ」
「あと、君が友人とその『噂』について話しているのも……」
「……っ」
息を呑む彼女に、再びジェイクは今度はしっかりと頭を下げて「ごめん!」と伝えた。
「最初その噂を聞いた時、本当か嘘か僕には判断がつかなかった。だから君への接し方がわからなくて避けるような真似をしてしまった。でもそのせいで君のことを傷つけてしまった。……こんな僕を許してくれるかい?」
「……今は?」
「え」
その問いかけにジェイクは驚きに目を見開き顔をあげた。視線の先では彼女がこわばった顔で、しかし静かにこちらを見つめている。
「今も、わたしが本当にそんな『悪いこと』をしたと思っているの?」
「まさか!」
ジェイクは思わずそう叫んだ。その途端に彼女のこわばっていた肩から力が抜けて、安心したように口元が緩むのがわかった。
それにジェイクは唇を噛みしめる。
まただ。
またジェイクは言葉が足りなかった。
「その、調べたんだ。その噂について。噂が本当だったところでそれだけで僕が君のことを嫌うだなんてことはない。けど本当だったとしたらやめた方がいいと言ったほうがいいんじゃないかと思って……。それで……」
「それで?」
彼女は優しく微笑む。いつもそうだった。口下手なジェイクが話しやすいように彼女は待ってくれていた。
ジェイクの肩からも自然と力が抜けて、わずかにその口の端を笑みに緩ませる。
「その噂は『デマ』だということがわかった。その噂を流している人物がいて、今日その人にもうやめてくれと伝えてきたよ。あと流れてしまった噂についても否定しておいた。だから時機にこの噂は消えてなくなるよ」
「まぁ、ジェイク。一体どうやってそんな魔法みたいなことを?」
大げさに驚いてみせる素直な彼女にジェイクは微笑む。
「君と友人が話していただろう。名探偵キャサリンのことを。その真似をしたんだよ」
その言葉に心当たりがあったのだろう。彼女は口元を驚きで手で覆うと「あなたったら!」と笑った。
「大変だったでしょう。まさか一人でやったの? キャサリンだって助手に手伝ってもらっていたわよ?」
「基本的には一人でやった。友人にも噂を知っている人がいないか聞いたりして手伝ってはもらったけど。思ったより手間はかからなかったよ」
「もう本当に不器用なんだから! ああ、このまま立ち話をするのも疲れてしまうわね。さぁ座って! あなたの武勇伝を聞かせてちょうだい?」
二人は微笑み合うとゆっくりとテーブルへと着いた。紅茶とクッキーを間に挟んでジェイクが一体何をしたのかを話し出す。その話に彼女は静かに耳を傾けながらも時々驚いたり笑ったりと表情をくるくる変えて見せた。
久しぶりに穏やかで優しい空気が二人のことを包んでいた。
「ジェイク」
「なんだい、マリー」
一通り話し終わって、落ち着いた頃合いで彼女はそう名前を呼んだ。
その翡翠の瞳がうるんでジェイクのことを真っ直ぐに見つめる。
「わたしのためにありがとう」
「いや、元はと言えば僕が……」
「いいの」
にこりと彼女は微笑む。長い話に日が傾き、あたりは橙色に染まり始めていた。
その柔らかな日の光の中で彼女の微笑みがはっきりと照らし出される。
「わたしのために頑張ってくれたことが嬉しいの。ねぇジェイク。また同じようなことがあったら、わたしのことを助けてくれる?」
その泣き出しそうな微笑みに、ジェイクはゆっくりとうなずいた。
今思うと何を悩んでいたのかと数日前の自分を殴ってやりたい気分だ。突然の悪評に驚いてジェイクは逃げ出した。彼女が一人で苦しんでいるのに見捨てたのだ。
あともう少しでこの微笑みを失うところだった。
(もう絶対に間違ったりしない)
ジェイクは立ち上がると不思議そうに首をかしげる彼女の側へと近づき、その身を引き上げて抱きしめた。
「……っ!?」
「もちろんだ」
力を目一杯入れる。もう離さないと伝えるように。
「今度はもっと早く。ちゃんと助けるよ」
「……ありがとう、ジェイク」
そうつぶやくと彼女もジェイクの肩に手を回して抱き返してくれた。
夕焼けの光の中で、二人は静かに口づけをかわした。