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15.シェリルの話④

 シェリルは伺うようにちらりとヴィンセントのことを見上げた。

 その視線に気づいて、またもや驚きに目を丸くしていたヴィンセントはシェリルへと向くと安心させるように笑いかける。

「驚いたよ。君はとても顔が広いんだな」

「……皆さんがわたしのことを気遣ってくださりまして」

「これだけ声をかけてくれるというのは気遣いだけではないだろう。君の人徳だな」

 シェリルは照れ臭さに頬を赤らめるとうつむいた。

「……ありがとうございます」

 その様子をヴィンセントは優しく目を細めて見つめると、

「シェリル」

 その頬に手を触れようとして、

「ヴィンセント様……っ!!」

 突如響いた金切り声にその手を止めた。

 その騒々しい声に一体何事かとヴィンセントだけではなくその場にいた人々は声の方を見る。

 そこにいたのは一人の美しい女性だった。

 見事なブロンドの髪を結い上げ、その青い瞳を怒りで燃やす女性は確かに美しかった。

 身に纏う真っ赤なドレスがまるで彼女の激情を代弁するかのようだ。

(あのドレスは……)

 見覚えがあった。なぜならそのドレスにもシェリルが丹精込めて縫い上げた『Sのイニシャルの蝶』が踊っているのだから。

 それは昨年にシェリルが刺繍を施したドレスだ。

「アイリス」

 ヴィンセントは険しい顔をして彼女の名前を呼んだ。

「一体なんの用だ? 君は今回招待されていないはずだ」

「聞いてください! ヴィンセント様!!」

 その詰問を彼女は無視して叫ぶ。

 おそらく入場を阻止しようとしたのだろうドアマンがその両脇で近づくのを制止していたが、無防備なドレス姿の女性に強行手段は取れなかったのだろう。彼らはなんとかアイリスの胸に触れぬように気をつけながら、彼女を取り押さえようとその肩を掴んで跪かせるのがやっとだった。

 床にうずくまるようにして崩れ落ちた彼女は、その顔にまるで真珠のような涙をはらはらと流す。

 嫌な予感がした。

 その芝居がかった美しさはいつだってシェリルや周りを振り回して来たのだ。

「……君から聞くことなどもう何もない」

「シェリルのことなのです!!」

 そしてその予感は的中した。

 彼女は悲劇のヒロインだった。大粒の涙を美しく撒き散らし、わぁっ、と声を上げて両手で顔を覆う。

「シェリルが、わたしの可愛い義妹が! 陰でこそこそと後ろ暗いことをしているという噂を聞いてしまったのです!!」

 その発言に周囲がどよめいてシェリルのことを見た。

 シェリルは天を仰ぎたい気持ちをなんとか抑えてアイリスを静かに見つめる。

 両手で覆われた顔の中で、その真っ赤なルージュの引かれた唇だけがわずかに吊り上がっているのが確かに見えた。

「『後ろ暗いこと』……?」

「ええ! そうです!! ヴィンセント様!」

 ヴィンセントの問いかけにアイリスは顔を覆うのをやめて座り込んだまま彼のことを見上げた。その表情は真剣そのものでまるで妹を心配する健気な姉のようだ。

「義妹が『恋の妖精』と呼ばれているのをご存知ですか?」

「……ああ」

 彼は渋面で頷いた。話を聞かずに切り捨てたい気持ちと一体何を言うのかという好奇心がせめぎ合っているようだ。

 それにアイリスはしたり、と頷くと、

「どうやらシェリルは『恋を叶える』という名目で裏で人々の心を弄んでいるようなのです」

 そう言って再びさめざめと泣いた。

「『弄ぶ』?」

「ええ。例えば相談をした相手がその意中の人と結ばれるためにわざと芝居をうってみせたり、好きな人を婚約者から奪うために悪質な噂を流したりしているようなのです」

 シェリルは平静を装いながらも内心では動揺した。どれも心当たりのある話だ。

 というかした。確かに事実を言葉で並べられるとその通りである。

(自覚はしていたけど結構アレだな……)

 シェリルは遠い目をする。

 我ながらやばいな、と。

 とはいえ今の問題はシェリルのやった事自体ではなく、なぜそれをアイリスが知っているのかということである。

 ふと思い立って周囲を見渡すと、驚きの顔で突如始まった茶番を見つめる人々の中にその姿を見つけた。おそらくどさくさに紛れて入って来たのだろう。それは義弟のウィリアムだった。彼はシェリルの視線に気づくとにこりと微笑んでひらひらと手を振って見せる。

(あいかわらず……)

 ふざけた少年である。

 シェリルは舌打ちしたいのをなんとか堪えた。今回のこの件もおそらく彼の差し金なのだろう。

 視線をアイリスへと戻すと、彼女は懸命にシェリルの悪行を訴え続けていた。

「わたしが婚約を破棄された時、わたしはシェリルに『ざまぁみなさい』と言われました!」

 その言葉に周囲が騒めく。

「きっとその件も同様に、シェリルが悪どい手を使ってわたしを陥れたのです! ヴィンセント様はシェリルに利用されたのですわ!!」

「なにを……」

「シェリルがハンカチを落としたのは本当に偶然でしたか?」

 その問いかけにヴィンセントは目を見開いた。

 それにアイリスは目を細める。

「シェリルはわざとあなたの目の前にハンカチを落としたのではありませんか? あなたのことを利用するために」

 周囲はざわざわと喧騒に満ちていた。皆がアイリスとシェリルのことを見比べながら、口々に何事かを囁いている。

(やられた……)

 これはただの疑惑だ。根拠などどこにもない。しかしそのような噂が立ってしまうだけでも元々不安定なシェリルの立場を揺らがせるには十分である。

(やっぱり、勝ちすぎるものじゃないわね……)

 シェリルは小さく息を吐く。

 目立ちすぎれば恨みを買う。前回のシェリルはあまりにも完璧に『勝ちすぎた』のかもしれない。

 可能ならば、もっとうまいこと相手の立場を残しておくべきだった。

 そうしたならば、きっと彼女達はその手元に残った立場をなんとか守るためにこのような強行手段は取れなかっただろう。残ったものだけで妥協して、シェリルのことを見逃してくれたかもしれない。

(わたしも馬鹿ねぇ)

 義姉をやり込められるのが嬉しくて、ヴィンセントが自分のものになるかも知れないと期待して、少しはしゃぎ過ぎてしまったようだ。

「シェリル……」

 ヴィンセントが心配するような瞳でシェリルに声をかけてきた。それにシェリルは弱々しい微笑みを返す。

(けど……)

 その手が通用するには、少し時が経ちすぎた。

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