悪役令嬢は妖精よりも賢い
「姉上、いやオーレリア。僕はあなたのことだけは絶対に許さない」
ジェイラス・レッドフォード公爵は舞踏会のさなかであるのも意に介さず、背中にエイヴリル・リヴィア侯爵令嬢を守るように隠しながらそう叫んだ。
「ジェイラス! この私に向かってなんて口の利き方をするの? あなたが我がレッドフォード家に養子に来てからどれだけ面倒を見てきたか。恩を仇で返すとはこのことね」
「面倒を見る? よくもそんなことが言えたものです。それに僕の”最愛“のエイヴリルに対しての日頃からの嫌がらせの数々、僕が気づいていないとでも?」
エイヴリルはジェイラスが言った、最愛という言葉に反応し頬を赤らめ、目を潤ませながらジェイラスを見上げた。
その反応を見たオーレリアは嫉妬と怒りに身を震わせながらエイヴリルに詰め寄り、嫌がらせとはなんのことか問い詰めようとした。
その時だった、触ってもいないのにエイヴリルが弾かれたように後方に尻もちを着く。
オーレリアが呆気にとられていると、ジェイラスが急いでエイヴリルの横に膝をつき手を取って優しく顔覗き込んだ。
「エイヴリル、大丈夫か? 怪我はないか?」
「は、はい。大丈夫ですわ、ジェイラス様。急なことで驚きはしましたけれど」
ジェイラスはエイヴリルを抱えて立ち上がらせるとオーレリアを睨みつけた。
「あなたは大衆の面前でこんなことをして恥ずかしくないのか?」
「は、恥ずかしいもなにも私はなんにも……」
「こんなに目撃した者がいるというのに、まだ白を切るつもりですか?」
「ジェイラス様、私は本当に大丈夫です」
エイヴリルはそう言ってジェイラスを止めると、瞳を潤ませながらオーレリアを見つめて言った。
「オーレリア様、こんなことをなさるなんて。私はとても悲しく思います。それに、オーレリア様はとても寂しい方なのだとも」
「なんですって?! あなた、今なんて言いまして?!」
そこでジェイラスが心底軽蔑したと言わんばかりのがっかりした顔で二人の間に割って入ると言った。
「やめてください。これ以上言い返せば言い返すだけ恥をかくのはオーレリア、あなたです。もう終わらせましょう」
ジェイラスがそう言うと、背後に控えていた従者二人が示し合わせたかのようにオーレリアを捕らえ押さえつけた。
「こんなことをして、どうなるかわかっているの?」
「オーレリア、僕はあなたのやった所業の数々の証拠を押さえています。悪あがきしても無駄です」
そうしてジェイラスの合図とともに、オーレリアは連行され投獄されてしまった。
その後正式に公の場で裁かれることとなり、次々とその悪事の証拠を突きつけられ最終的に極刑が言い渡される。
無実を叫びながら断頭台に登り、処刑人がオーレリアの首を落とそうとその剣を振り上げた瞬間、オーレリアは目を覚ました。
気がつけば全身に玉のような汗をかいていた。
「今のは夢?」
オーレリアはそう思いながら今見た夢の事を考えていた。
そうしているうちに段々と記憶が蘇り、ここが昔読んだ小説の内容であることに気づきハッとする。
「もしかして、私『レッドフォード家の指輪』の世界に転生してしまいましたの?!」
そう呟くとベッドから抜け出し、慌てて姿見にうつる自身の姿を見つめた。
『レッドフォードの指輪』は、レッドフォードに受け継がれる呪いの指輪にまつわる悲恋の話だった。
レッドフォード家は昔、下級貴族でありその日の食事に事欠くことすらあるぐらい貧困にあえいでいた。
使用人を解雇し家財を売り払うとなんとかしのいでいる日々の中、庭に光る蝶が舞い込む。
あんな蝶は見たことがない。
レッドフォード家の当主は驚いてその蝶を捕まえると、瓶に入れ中を覗いた。だが中を覗いて驚くことになる。それはそれが蝶ではなく森の妖精だったからだ。
当主は妖精を見て、これを売れば富と名声が手に入ると大喜びしていると、その様子を見いていた妖精からある提案を受ける。
『ここから私を出してくれれば、一生に一つだけ願いが叶う指輪を渡そう』
当主はその話を怪しんだ。本当なのかもわからなかったし、そんなにうまい話があるわけがないと。
すると、妖精は観念したかのように言った。
『確かに、その指輪はただ願いを叶えるだけではなく、願いを叶えると願った者の生命力を奪う』
それを聞いた当主は、最初そんな危険な指輪はいらないと受け取るのを断る。
だが、妖精は『この指輪をある方法で使えば、レッドフォード家は子々孫々に至るまでずっと栄え続けられる。その方法も教えよう』と甘言を囁いた。
そうしてそそのかされた当主は、最終的にその指輪を受け取る条件で妖精を瓶から解き放つと、教わった方法で指輪を使うことにした。
その方法とは養子を取りその子が変な知恵をつける前に家督を継承し、その指輪をつけさせレッドフォード家の繁栄を願わせるというものだった。
こうして代々レッドフォード家は秘密裏に同じ方法を繰り返し、ついに公爵の位を叙爵するまでのぼり詰めた。
この物語は主人公のジェイラスがレッドフォード公爵家の養子になったところから始まる。
ジェイラスは物心ついた頃から親に邪険にされ、誰からも愛されずに生きてきて、四歳になったその誕生日にレッドフォード家に買われてきた。
屋敷に連れてこられたジェイラスは、自分は使用人として生活するのだろうと思っていたが、当主であるハンフリー・レッドフォード公爵には驚くべきことを言われる。
「我が家には娘のオーレリアしかいない。お前を買ったのは使用人にするためではなく、家を継いでほしいからだ」
ジェイラスは最初それを貴族たちのゲームかなにかだろうと思っていた。
優しくしておいて、こちらがハンフリーを信用しきったところで打ち捨て笑い者にするに違いないのだと。
ところが予想に反し、ハンフリーは一年以上過ぎても我が子のようにジェイラスに愛情を注ぎ続けた。
そんなハンフリーの態度に、ジェイラスは徐々に心を開いていくようになった。
だが、姉であるオーレリアはジェイラスの存在を認めず、見下し嫌がらせをし続けた。
ジェイラスは立派になり、いつかこの姉を見返してやろうと思っていた。
そうして過ごしているうちにあっという間に二年がたち、気がつけばジェイラスは七つになっていた。
その誕生日を盛大に祝ったその席で、ハンフリーからジェイラスに家督を譲ると宣言される。
もちろん、家督を継いだからといって本当に当主としての仕事をするわけではない。レッドフォード家では代々六つか七つになると儀式的に家督を継承するのだと説明を受けた。
ハンフリーの期待に応えるためにも、ジェイラスは必死に儀式の練習を重ね準備を進めていた。
そんな中、ジェイラスはハンフリーが指輪についての秘密をオーレリアに話しているのを聞いてしまう。
そこでジェイラスは今までハンフリーに騙されていたことにショックを受け絶望した。
やはり、自分は誰からも愛されることはないのだと。
儀式の当日、ジェイラスはせめてもの抵抗で指輪にレッドフォード家の繁栄ではなく『誰かに心から愛されたい』と願をかけた。
いつもなら指輪に願った者はすぐに生命力を奪われ死んでしまうのだが、ジェイラスの願いは生きていないと叶わない願いだったため死ぬことはなかった。
その代わり、すぐに倒れ一ヶ月間ベッドの上で苦しむこととなった。
ハンフリーはジェイラスが他のことを願ったとも知らず、しっかり看病し続けた。
それは良心の呵責からくる行動だったのかもしれないが、用済みだからと見捨てることはなかったのだ。
ジェイラスが全快すると、ハンフリーはその生命力に驚き指輪がジェイラスを生かしたにはなにか理由があるのではないかと考えるようになっていった。
そうして結局、そのままレッドフォード家の跡取りとして育てることにする。
回復したジェイラスはハンフリーに今までと変わらぬ態度で、何食わぬ顔をして過ごした。
だが、このときいつかレッドフォード家を破滅させようと心に決めていた。
姉のオーレリアは、儀式のあとから突然態度を変えた。
いつも機嫌をとるようになり、年ごろになると色仕掛けを仕掛けてくることもあった。
そんなある日、ジェイラスは運命の出会いをする。ヒロインであるエイヴリルとの出会いだ。
エイヴリルは純真無垢で、レッドフォード家の地位や富に惹かれてジェイラスに言い寄ってくる他の令嬢とは違っていた。
二人は最初、お互いに名前も知らなかったが少しづつ近づき距離を縮め愛を育んでいった。
たが、そこには一つ障害となる存在があった。それは言わずもがなオーレリアの存在だ。
物語の中でハンフリーはジェイラスに家督を継がせるかわりに、オーレリアとジェイラスの婚約を望み事実二人を婚約させていた。
当然オーレリアはエイヴリルに嫉妬し、嫌がらせを繰り返しては二人の仲を邪魔した。
ジェイラスはまず、ハンフリーに従順なふりをしその裏で弱みをつかむとオーレリアを公の場で断罪、最終的にハンフリーとオーレリアの二人を失墜させる。
そうして愛するエイヴリルと婚約。これから幸せになろうというその瞬間に、指輪に生命力を奪われ命を落とすのだった。
そうして最後に妖精が指輪を取り戻しにきて物語は幕を閉じる。
物語には欲をかくとろくなことにならないという戒めが込められていると言われていたが、とにかく指輪に関わるとろくなことにならないのは確かだった。
オーレリアが今見た夢は、物語の中でジェイラスがオーレリアを追い詰めるシーンだった。
「そんな、せっかく転生したっていうのによりによってオーレリアに転生するなんて……」
そう呟くと、これから今見た夢のように実際に断罪されるのかと思い、気が重くなった。
だが、そこでなにも運命に従いそのとおりにする必要はなく、自分で未来を変えてしまえばいいと考えなおした。
そもそも前世でこの物語を読み終わったあと、何度も何度もジェイラスを助けられないのかと思ったものだった。
実はジェイラスは生きていましたという展開で、次回作を書いて欲しいという要望の手紙を作者に書いたこともあったぐらいだ。
よし! ならば私が話の内容を変えジェイラス! あなたのこと幸せにしてみせますわ!
オーレリアはそう決意を新たにした。
幸いにして、まだジェイラスは養子に来ていない。
なんとしてでもハンフリーの気を変えさせ、それでもなおハンフリーがジェイラスを利用しようとしたらそれを阻止するよう頑張るのみだ。
とはいえ、ジェイラスがまだ来ていない今オーレリアができる努力はあまりなく、ハンフリーに贅沢をせず平凡に暮らせればそれで満足だと事あるごとに言うぐらいしかできなかった。
それから時間が流れ、この世界での物語が動き始めた。
ついに、ハンフリーがジェイラスを家に連れて来たのだ。
「この子は遠い親戚の家の子なんだが、レッドフォード家で引き取ることになった。オーレリア、今日からお前の弟になる。優しくしてやりなさい」
ハンフリーはジェイラスのことをそう紹介した。
連れてこられたジェイラスは、やせ細り落ち窪んだ目で周囲の大人やオーレリアを鋭い眼差しで見つめていた。
その姿を見ただけでオーレリアは胸が締め付けられるような思いだった。
ハンフリーはジェイラスにまず食事をさせるよう指示すると、そっとオーレリアだけ書斎に呼んで言った。
「あの子は……ジェイラスは虐待されていてね。可哀想な子なんだよ。だから打ち解けるまではお前にもひどい態度をとるかもしれないが、見守ってやってほしい」
それを聞いてもちろんだと言いたいのをこらえると、ここまでは物語の話と同じ展開だと思いながら、オーレリアはこれからハンフリーをどう説得するか考えていた。
それからハンフリーはとても愛情深くジェイラスを育てた。オーレリアとジェイラスを差別することなく、同じように接しなにかやらかせば同じように叱った。
端で見ていても、ハンフリーがジェイラスを犠牲に欲望を成就させようなどと思っているようには見えなかった。
だが、それは物語の中でも同じだったので油断はできなかった。
オーレリア自身はジェイラスに嫌がらせこそしないものの、あまり仲良くなることは避けた。
仲良くなりすぎてしまえば、ハンフリーが二人の婚約の話を持ち出しかねないからだ。
これから先、ハンフリーと共に断罪を逃れることができたとしても、オーレリアがジェイラスの恋の妨げとなっては意味がない。
そう考え、ジェイラスとは付かず離れずの距離を保った。
その一方でハンフリーに対してはジェイラスを褒めちぎり、あれほど素晴らしい跡取りは二度と現れないだろうと力説した。
だからといって、ジェイラスとの婚約だけは絶対に嫌だと言うことも事あるごとに付け加えて伝えた。
その裏で指輪が屋敷のどこにあるのか探ったり、ハンフリーにその存在の探りを入れることも忘れなかった。
できれば、さっさとみつけてそんな指輪は処分してしまいたかったからだ。
だが、指輪がどこに保存されているのか、そもそもその指輪が本当に存在しているのかすらわからなかった。
どうすることもできないと思ったオーレリアは、並行してもしも自分が断罪されたときの逃亡資金も確保することにした。
使用済みのドレスやアクセサリーなどを払い下げある屋敷を買い、そこに資金を隠しておくことにしたのだ。
これで最終的にどうにもならなくなったとき、その屋敷に逃げ込むことができる。
こうして迎えたジェイラスの七つになる誕生日、ハンフリーはジェイラスに家督を譲ると宣言した。
本当にその儀式の中で指輪を使うかどうかはわからなかったが、指輪を使うならそれを止めなければならない。
しびれを切らしたオーレリアは、ハンフリーに直接問いただすことにした。
「お父様、聞きたいことがありますの!!」
そう勢い込んでハンフリーの書斎へ入ると、ハンフリーは手に持っていた物を急いで机の下に隠した。
おそらくまた隠れて焼き菓子を食べていたのだろう。
日頃からあまり甘い物を食べ過ぎないようオーレリアに怒られているハンフリーは、書斎でこっそりと焼き菓子を食べるようになった。
なぜ知っているかというと、最近書斎に入ったあとタイに焼き菓子のカスをつけて出てくることがあるからだ。
「た、食べていないぞ! お父様は今大切な仕事をしていたんだからな」
ハンフリーはそう言って真剣な顔したが、部屋には甘い香りが漂いタイには焼き菓子のカスらしきものがくっついている。
オーレリアはチラリとそれに視線をやったが、今はそれには目をつぶることにして本題に入った。
「焼き菓子を隠れて食べていたことは、今はどうでもいですわ。それよりジェイラスのことです!」
ハンフリーは一瞬ホッとした顔をしたが、すぐに真剣な眼差しに戻って答える。
「ジェイラスのこと? ジェイラスがどうかしたのか」
「今度の家督継承の儀式のことですわ。私は指輪のこと知ってますのよ? あの指輪は願いと引き換えに命を奪うんですのよね。まさかお父様、ジェイラスを犠牲にするつもりではありませんこと? だったら私許しませんわ」
するとハンフリーは真っ青な顔をし、隠し持っていた焼き菓子を床に落とすとそれにかまわず、オーレリアに駆け寄り両肩をつかみすごい剣幕で言った。
「誰だ、誰に聞いた? それとも、思い出したのか?!」
「えっ? 思い出した?! な、なんのことですの?」
オーレリアは前世のことを言われたのかと一瞬驚くが、誰にも話したことがないのにハンフリーがそのことを知っているわけがないと考えなおす。
では一体なんのことだろうと不思議そうに見つめていると、ハンフリーはあからさまに失敗したと言わんばかりの顔をしたが、取り繕ったように笑顔になると言った。
「そうか、あの事を思い出したんじゃなければいい」
「あの事? なんですのお父様。思い出したってどういうことですの?」
「お前は気にすることはない。それより、指輪のことなんて誰から聞いたんだ」
「それはえっと、亡くなったお母様からですわ」
「なんだって? あれが? うん、そうか。そういうことだったのか。ベリンダならお前にその話をしかねんな」
そう答えハンフリーは妙に納得したような顔をした。
オーレリアはあまり母親のベリンダのことを覚えていなかったが、酷く嫌われていたのは記憶に残っている。
一度、体が弱く自室にこもりがちだったベリンダの元へ、母親恋しさで訪ねた事があるのだが『お前の顔なんて見たくない』『あっちへ行け』と追い払われたことがあったのだ。
なので、こんな内容の話をベリンダが我が子にしたと聞いても、ハンフリーが納得したことにオーレリアは驚かなかった。
ハンフリーは話を仕切り直すように続ける。
「聞いてしまったのなら仕方がない。あの指輪のことはお前たちには言わないで処分するつもりだったのだが……」
「そうだったんですの?」
「そうだ。あんな指輪、曽祖父もお祖父様だって使っていない」
そう答えると、ハンフリーがなにかに気づいたようにオーレリアの顔をまじまじと見つめて言った。
「おいおい、まさか、お前はもしかしてジェイラスは私がそのために連れてきたと思っていたのか?」
「違いますの?」
「そんなおぞましい理由で養子を取るわけがないだろう。それにジェイラスは家族だ、そんなことができるほど私は冷酷じゃないぞ?」
確かに、娘に怒られないように書斎で隠れて焼き菓子を食べるような人間が、そんな残酷なことをするように思えなかった。
「本当ですのね?」
「本当だ。あの指輪は儀式のときに持ち出しはするが、使うことはない」
「嘘だったら許しませんわよ」
「もちろんだ。そんなことをしたらお前に一生口を聞いてもらえないだろうしな。それにしても……」
「なんですの?」
「いや、お前は本当に弟思いなのだな」
「それは、もちろんジェイラスはもう家族ですもの。あ、勘違いしないで! 好きとかそういうとことではありませんのよ? だから無理に婚約とかはさせないで下さいませ」
「わかった、わかった。『ジェイラスに本当に好きな人ができたときに恨まれるから』だろう? まぁ、お前がこれだけ美しく成長すれば、ジェイラスの方が放っておかないだろうがな」
「それだけはありえませんわ」
「私はそうは思わないが?」
「お父様が信じなくとも、本当のことですもの。とにかく、そういうことでしたら私なにも文句はありませんわ」
そう答え満面の笑みを向けると、オーレリアは書斎をあとにした。
こうしてハンフリーと話し、納得はしたもののもしものことを考えると不安が残ったオーレリアは、念押しでジェイラスにも注意をすることにした。
「ジェイラス、少し話がありますわ」
「オーレリアが僕に? 何の話でしょうか」
夕食後、部屋へ戻るところを廊下で引き止めるとジェイラスはとても驚いた顔をした。
オーレリアから話しかけることが滅多にないからだ。
無駄話はしないよう、オーレリアは手短に用件を切り出した。
「今度の家督継承の儀で使う指輪、あの指輪着けたら死ぬわ。呪われてるの、死にたくなければ着けないことね」
それを聞いて、一瞬ジェイラスは面食らった顔をしたが優しく微笑むと頷いた。
「はい、お父様からも聞いています。決して着けたりいたしません」
オーレリアは胸をなで下ろした、ハンフリーはちゃんと話していたのだ。
自分が言うだけでは説得力がないが、ハンフリーが話したのならジェイラスも信用するはずである。
「ならいいわ。用件はそれだけよ」
ジェイラスはもう少し話をしたい素振りを見せたが、オーレリアはそれを無視して部屋へ戻った。
こうして迎えた家督継承の日、緊張しながら一日中ジェイラスのことを心配していたが、何の問題もなく儀式は終了した。
このときオーレリアは、自分が動いているからということもあるだろうが、それ以前に物語とは話の内容が少しずつ違っているのを不思議に感じ始めていた。
平穏に月日は過ぎ、気づけばジェイラスとエイヴリルが出会う時期が迫っていた。
その出会いは、ハンフリーに『リアトリスが綺麗だから』と出かけるのを勧められるところから始まる。
ジェイラスは嫌々ながらもオーレリアと植物園へ出かけ、そこでエイヴリルとの運命的な出会いをするのだ。
だが、リアトリスの見頃である六月が終わろうとしている今も、そのきっかけを作るハンフリーからその話題が出ることがなかった。
オーレリアはハンフリーがいつその話をするかと待っていたが、ハンフリーは美味しい菓子についての話題ばかりで花の話などする様子がない。
それどころか、花になど全く興味がないようだった。
これでは二人が運命的出会いを逃してしまうかもしれない。焦ったオーレリアは一計を案じ自分がその舞台を用意することにした。
物語の中でのエイヴリルは、毎日植物園を散歩しているという設定だった。だが、これだけ話が変わってしまっているとそれも違っているかもしれない。
オーレリアはまず、エイヴリルを植物園へ呼び出す無記名の手紙を書いた。
もしもエイヴリルが来なければ来ないで、また作戦を立て直せばいい。
そう思いながら手紙で指定したその日の朝、ジェイラスに声をかける。
「今はリアトリスが見頃だそうよ。たまには外にでも行ったら?」
そう声をかけられたジェイラスは、嬉しそうにオーレリアを見つめる。
「そうなんですか? リアトリスがまだ咲いているとは、珍しいですね。もちろんご一緒させてください」
「は? なんで私があなたと一緒に行かなくてはなりませんの?」
「お誘いくださったのかと……」
そう答えジェイラスは寂しそうな目でオーレリアを見つめてきたが、オーレリアはその瞳に懐柔される前に素早く視線を逸らした。
「誰があなたとなんか出かけるもんですか。ただ、家に居られると鬱陶しいから出かけてほしいだけ。言われた通り、ちゃんと植物園に行きなさいよ。それにしても、一緒になんて言われて気分が悪いわ。私部屋へ戻らせてもらいます」
そう答え、久々に話したことでジェイラスを愛おしく思う気持ちが溢れ出てしまいそうになるのを抑えると、その場を離れた。
「あ〜、今日のジェイラスのあの表情はヤバかった〜!!」
部屋に戻るとそう叫んでクッションに顔を埋め、しばらく先ほどのジェイラスの反応を思い出しぼんやりしていた。
「お嬢様、今日はお出かけになるのでは?」
メイドにそう声をかけられハッとする。
二人の出会いのシーンを確実に見届けるためには、先回りしなければならない。オーレリアは慌てて準備をはじめた。
エントランスを覗き込むと、ジェイラスが言われた通りに植物園へ出かける準備をしていた。
本当に素直ないい子よね、こんな姉の言うことを素直に聞いてしまうんだもの〜!
そう思いながら、オーレリアは裏口からこっそりと屋敷を出て植物園へ先回りする。
そうして出会いのシーンを思い出しながら、リアトリスの花壇がよく見える垣根に隠れると二人が来るのを待った。
「もうほとんどリアトリスは咲いてないわね……」
そう独り言を呟いていると、背後から声がかかる。
「そこから花を観賞しているのですか?」
ここで立ち話をして目立つと二人に見つかってしまうと思ったオーレリアは、振り向きもせずに声をかけてきた男性をあしらうことにした。
「そうですけれど、あなたには関係ありませんでしょう?」
「そんなことを言わずに、一緒に美しい花をもっと近くで見ませんか?」
「いいえ、結構ですわ。それより今は大切なところですの、どこかへ行ってくださらない?」
「そんなことを言って、本当は一緒に見たかったのでしょう? 本当に強情ですね、オーレリア」
その言葉に驚いてゆっくり振り返り見上げると、ジェイラスが満面の笑みでこちらを見下ろしていた。
「ジェイラス、なぜここに……」
「なぜって、植物園に行けと仰ったのはあなたではありませんか」
「そ、それはそうですけれど……。あっ! そんなことより、ジェイラス。早く、リアトリスの花壇のところに行きなさい!」
すると、ジェイラスは嬉しそうにオーレリアに手を差し出した。
「ではご一緒に」
「いい! いいの私は。あなた一人でお行きなさい。お姉様のことは気にしなくていいから」
そう答えてジェイラスの体を花壇の方へ向けると、その背中をグイッと押した。ジェイラスは不思議そうな顔をしたが、花壇の方へ向かって歩き始めた。
「あっ、ちょっと待ってちょうだいジェイラス。花壇の方と言っても私に会話が聞こえる距離にいてちょうだいね」
するとジェイラスは少し振り返り、こらえきれないとばかりにクスクスと笑い出した。
「はいはい、わかりました。オーレリアお姉様がそう仰るならその通りにいたします」
「わかったならいいわ。笑ってないで早く行きなさい」
馬鹿にされているような気になり、ムッとしたオーレリアはジェイラスを追い払うようなゼスチャーをした。
するとその時、ちょうど向こうからエイヴリルが歩いてくるのが見えた。
なんてタイミングがいいの? やっぱり二人は運命で結ばれているのね!
オーレリアは慌てて垣根にしゃがみ込むと、興奮しながらオペラグラスを覗き込みガッツポーズをした。
すると物語の内容の通り、エイヴリルが花に見とれてつまずく。
あぁ、ここでジェイラスがエイヴリルを抱きかかえるのよ!
オーレリアはそう物語の内容を回想し、うっとりしながらその成り行きを見守っていたが、エイヴリルをキャッチするはずのジェイラスがあろうことかひょいと体をかわした。
当然、エイヴリルはそのまま地面に倒れこむ。
ジェイラス! なんてことをーーーー!!
そう思っていると、空をつんざくようなけたたましい叫び声が聞こえた。
「いっったーーーい!! 酷いじゃない! なに避けてるのよ!!」
その声に驚いたオーレリアが、本当に叫んだのがエイヴリル本人なのかとオペラグラスを覗きこんで確認すると、それは確かに間違いなくエイヴリル本人だった。
呆気にとられながら事の成り行きを見守っていると、ジェイラスがエイヴリルに微笑みかける。
「これはこれは、確かあなたはエイヴリル・リヴィア伯爵令嬢でしたね。すみませんが、こうやって出会いをしかけてくる令嬢が後を絶たないもので、失礼した」
そう言って手を差し伸べた。
エイヴリルは驚いた顔でジェイラスを見上げると次の瞬間顔を真っ赤にし、恥ずかしそうに俯きながらその手を取り立ち上がった。
「ごめんなさい、あまりにも痛かったから思わず端ないことを言ってしまいましたわ。どなたか存じませんけれど、ご迷惑をおかけしました」
そう言ってペコリと頭を下げた。
「まさか、僕をご存知ないと仰るのですか?」
「は、はい。勉強不足で申し訳ございません」
オーレリアは固唾を飲んだ。
このあと、物語の中ではジェイラスがエイヴリルの耳元で『では次に会うことがあれば、その時に名前を教えましょう』と囁く。
するとエイヴリルが耳を真っ赤にして恥ずかしそうに去っていくのだ。
ジェイラスがエイヴリルの名前を知っているのは物語と違っているが、話の展開は大筋で同じだし成功するだろう。
そう思っていると、ジェイラスがエイヴリルの耳元で、なにかを囁いた。
するとエイヴリルは驚き、目を見開いてジェイラスの顔をしばらく見つめたあと走り去っていった。
やった、成功した!!
オーレリアは二人の出会いが成功したことに喜びつつ、少し余韻に浸った。
それにしても、なんだかんだ言って物語の中のジェイラスはエイヴリルに一目惚れしたのかもしれない。
でなければ、あんなにモテるジェイラスがこんなきっかけでエイヴリルに興味を持つはずがないのだ。
そんなことを考えていると、気づけば目の前にジェイラスが立っていた。
ジェイラスは不機嫌そうにため息をつくと言った。
「オーレリア、あれで満足ですか?」
「ん? あ、うん。満足しましたわ」
「なら、ご褒美下さい」
「は? ご褒美?」
「植物園を一緒に回りませんか?」
「な、なんでよ!」
「はい、僕は今日一日をオーレリアと一緒に過ごしたいのです……」
そう言ってジェイラスは、捨てられた子犬のように寂しそうにじっとオーレリアを見つめる。
「いい……、いやよ。なんであんたなんかと」
危ない、うっかり『いいわ』と言ってしまうところだった。
オーレリアは、今の自分の立場がジェイラスにとって『養子に来た自分を嫌う偏屈な姉』であることを思い出す。
一緒に植物園を回ったりすれば、きっと嫌味の一つでも言われるに違いないのだ。そう考えながらジェイラスに背を向け歩き出した。
屋敷に戻ると今後のことについて思いを馳せる。まずは今日、二人の出会いのきっかけを作ることができた。
物語の中での今後の展開は、来月開かれる舞踏会で二人が再会し、その場でジェイラスはエイヴリルにダンスを申し込む。
それから、お互いの気持ちを確認するように逢瀬を重ねていくのだ。
なのでここまでくれば、二人のハッピーエンドは約束されたようなものだろう。
オーレリアはこれで肩の荷が下りたと一安心し、来月の舞踏会を心待ちにして準備をすることにした。
舞踏会ではオーレリアは目立ってはいけない。なぜなら、ジェイラスに放っておかれる立場だからだ。
そんな人間が着飾れば着飾るほど、逆に悪目立ちしてしまうだろう。
そう考えたところで、オーレリアはベリンダが残したドレスがあったのを思い出す。
あまり派手なものを好まなかったベリンダのドレスは、今度の舞踏会にはうってつけである。
それに中には一度も袖に手を通さなかったドレスもあったはずだ。あれらをお直しして着れば節約にもなる。
だが、それらは今ハンフリーの所有物となっている。着る許可を取らなければならないだろう。
オーレリアは早速ハンフリーにドレスを着てもよいか確認した。
「オーレリア。ベリンダのドレスを着るだなんてとんでもない。新しいドレスならいくらでも新調してやるぞ? 遠慮する必要はない」
困惑したような顔でハンフリーはオーレリアにそう勧めた。
それでもオーレリアは揺るがずに言い返す。
「お父様、でもドレスをお直しして着れば節約にもなりますわ。それにお母様のドレスを着れば供養になると思いますの」
「う〜ん、供養か……」
「それに、素敵なドレスがたくさんありますもの、それらが一度も日の目を見ないなんて勿体ないですわ」
「そうか? お前は若いのだから、明るくもっと派手なドレスがいいと思うが……。まぁ、お前自身がこれだけ美しいのだから、派手なドレスなどいらんのかもしれんな。だが、せっかくの晴れ舞台なのに……」
そうぶつぶつと呟くと、ハッとしたように言った。
「そうだ、ならばうってつけのドレスがある。後で出して部屋へ持っていくよう言っておこう」
「はい、宜しくお願いいたしますわ!」
その後部屋へ届いたドレスは薄紫とブルーのドレスで、装飾が少なく落ち着いた雰囲気のドレスだった。
「素敵! お母様はなぜこんな素敵なドレスを着なかったのかしら……」
そう言いながらドレスのデザインをくまなくチェックする。袖とスカートの部分をはやりのものにお直しすれば十分着られるだろう。
ハンフリーがドレスのことは任せなさいと言ってきたので、オーレリアは思い切ってすべて任せることにした。
舞踏会当日、お直しされたドレスに身を包み鏡の前で自分の姿を眺めた。
派手ではなく、それでいて体のラインが見え美しく自分を引き立てるそのドレスにオーレリアはとても満足していた。
「オーレリア! やはり思っていた通り、この色はお前に合っている。だが、少し体のラインを強調しすぎたかな?」
「お父様、この形は今の流行りですの。この方が無難ですし、みんなこの形のドレスを着てるはずですもの。私のことなんて、誰も見ませんわ」
「そうは思えないが……。それにしてもベリンダが着てくれなかったドレスをお前が着てくれて、私は嬉しいよ」
「それなんですけれど、お母様はなぜこのドレスを着ることがなかったんですの?」
そう質問するとハンフリーは目を泳がせながら答える。
「たぶん、質素だからじゃないか? ベリンダは派手なものを好んだからな。さぁさぁ、そんなことはどうでもいいじゃないか。エントランスでジェイラスがまってるぞ」
なんだか誤魔化されたような気もしたが、オーレリアはジェイラスを待たせないよう急いでエントランスへ向かった。
「ジェイラス、待たせたかし、ら……」
ジェイラスの姿を見てオーレリアは息を呑む。なぜならオーレリアと揃いの色味の衣装を着ていたからだ。
「どういうことですの?!」
思わずそう叫ぶと、ジェイラスは嬉しそうに答えた。
「どういうことって、なにがです?」
「なにがです? じゃないわ。私のドレスと揃いじゃない!!」
「そうですよ? そもそもオーレリアが着ているそのドレスですが、お父様がベリンダ様とそろいで作ったんだそうです。でもベリンダ様はそれを嫌がって着なかったとか」
「はぁ?」
「揃いになるのを了承してくれたなんて、僕はとても嬉しいですよ」
「ち、違いますわ。私そんなこと了承なんて……。んもう! お父様もあなたも私を騙したのね!」
「騙したなんて人聞きの悪い。お父様は『揃いのドレスをオーレリアが着てくれると言ってくれて、本当に喜しい』って仰られていましたよ」
そこまで言われては、今更ドレスを変更したいなど言えずオーレリアは黙り込んだ。
「さぁ、もう時間もありませんし、行きましょう」
オーレリアは騙し討ちされたような気持ちになり長等も、逃げられないと覚悟を決め渋々馬車に乗り込んだ。
馬車の中では、このドレスを見てエイヴリルが誤解してしまったらどうしようと少し動揺した。
だが、エイヴリルに見られる前に隠れてしまえばいいのだと考え直しているうちに馬車は目的地に着いた。
ジェイラスが馬車を先に降りオーレリアに手を差し出すと、オーレリアはその手を振り払い一人で降りた。
「あなたの手を借りるまでもありませんわ」
「でも、エスコートだけはさせてください」
ジェイラスはそう言ってオーレリアの手をしっかりつかむと、一気に自分の方へ引き寄せ腰に手を回した。
「ちょっと、ジェイラス。あんまりくっつき過ぎじゃなくて?」
「なにを言うんです。まだ婚約の発表をしていないんですから、誰かに言い寄られないようにこうしてくっついていた方が安全です」
「婚約?! ジェイラス、もしかしてもう婚約の話を?!」
「はい、お互いに適齢期ですし。僕としては遅すぎたような気もしますが」
「だから初対面なのに名前を知っていたのね。私がお膳立てする必要なんてなかったわね」
「はい? 何の話です?」
「いいのいいの、なんでもありませんわ。それにしてもいつ発表するつもりですの?」
「実は今日、この場で発表する予定なんです。驚かせようと思って言っていませんでしたけれど。でも、僕も嬉しくて黙っていられませんでした」
「そうですの。私も本当に嬉しいですわ」
そう返すと、ジェイラスがレッドフォード家に来てからのことを色々と思い出していた。
今日この場をもって、ジェイラスが更に手の届かない場所へ行ってしまうと思うと少し胸の奥が痛んだが、それでもジェイラスが幸せになるならそれで十分だった。
「オーレリア、あなたがそんなに喜んでくれるなんて……。僕もとても嬉しいです。僕はレッドフォード家の家督を継いでからずっと、あなたのことを姉と呼ぶのが嫌なぐらいでしたから」
そう言うとジェイラスは満面の笑みを浮かべた。
強烈な嫌味だと思いながら、めでたい席での喧嘩は止めようとオーレリアも笑顔を返す。
「もちろん私も嬉しいに決まってますわ。さぁ、行きましょう」
ホールへ入るとオーレリアはまずエイヴリルの姿を探した。だが、その姿を見つけることはできなかった。
もしかするとまだ来ていないのかもしれない。
そう思いほっとすると、今のうちに少しジェイラスと距離をとったほうがいいだろうかと考えながら、他の貴族たちからの挨拶を受けていた。
そうしてある程度挨拶が済んだところで、オーレリアはジェイラスに言った。
「ジェイラス、一つお願いがあるわ」
「オーレリアが僕にお願いですか? 珍しいですね、なんでしょうか」
「少し化粧室に用事がありますの。だから、少しの間あなた一人で挨拶まわりしててちょうだい」
「そんな、オーレリアが化粧室に行くのなら僕も一緒に行きます」
「あなた、私に恥をかかせるつもり?!」
オーレリアがそう返すとジェイラスはなにかを察したように、それを了承した。
このままジェイラスがエイヴリルをみつけてくれるといいのだけれど。
そう思いながら、ジェイラスから離れ手に持っている空になったグラスを給仕に渡した瞬間だった。
斜め前から誰かにぶつかられ、相手は弾かれるように後方へ尻もちをついた。
え? そんなに激しくぶつかっていないけれど?
困惑しながら相手の顔を見て、それがエイヴリルだと気づくと血の気が引く思いがした。
その光景が以前見た、あの恐ろしい夢の中の光景とまったく同じだったからだ。
ハッとして思わず周囲を見回すと、騒ぎに気づいたジェイラスがこちらを鋭い目つきで見つめている。
結局こうなってしまうの?
そう思っていると、ジェイラスがこちらに向かってまっすぐに駆け寄ってくる。
「オーレリア!」
「あの、違いますの。私……」
そう言ってオーレリアは、エイヴリルとジェイラスを交互に見ながら後退った。
と、次の瞬間オーレリアはジェイラスに抱きしめられる。
「は、えぇ? あの、ジェイラス?」
予想外の展開に混乱しジェイラスの顔を見あげると、ジェイラスは心配そうにこちらの顔を覗き込んだ。
「オーレリア、大丈夫ですか? 怪我は」
「私は大丈夫ですわ。それよりエイヴリルが……」
「エイヴリル? あぁ」
そう答え、ジェイラスは後ろでまだ尻もちをついて立ち上がろうとしないエイヴリルを一瞥すると、こちらに向きなおり微笑む。
「なんともなさそうですよ」
するとエイヴリルがその瞳を潤ませた。
「ジェイラス! 私のことはいいから、早くエイヴリルを起こして差し上げて」
「なぜ僕が……」
「泣きそうじゃない!」
「分かりました。オーレリアがそこまで仰るなら。それに確かに、いつまでもこんなところで座られると目立ちますしね」
そう言うと、ジェイラスは大きくため息をつき振り返りだるそうにエイヴリルに手を差し出した。
だが、エイヴリルは駄々っ子のようにそこから動こうとしない。
「ほら、早くつかまって。あなたがそうしていると、僕のオーレリアに迷惑がかかるってわからないのですか?」
そう言われると、エイヴリルはやっと顔を上げ差し出される手を取り立ち上がった。が、バランスを崩しジェイラスに寄りかかる。
ジェイラスは軽くエイヴリルを支えるとしっかり立たせたのち、その体を突き放した。
オーレリアは二人は婚約するというのに、なぜこんなにジェイラスはエイヴリルに冷たくするのだろうと、不思議に思いながら言った。
「もっと優しくしてあげなさい!」
「無理を言わないでください」
ジェイラスはそう答えて苦笑すると、オーレリアのもとへ戻り耳元で囁いた。
「僕が守り優しくすべき存在はあなたなのですから」
「なっ!」
オーレリアは驚き耳を押さえながら身を引こうとしたが、ジェイラスにギュッと抱きしめられる。
するとエイヴリルが後ろからジェイラスのジャケットの裾をつかみ、必死になにかを訴えるような眼差しで言った。
「誤解を解きたいのです!」
ジェイラスはため息を吐くと、ふりむきもせず鬱陶しそうに答える。
「本当にしつこいな君は。で、なにが誤解なんだ?」
「先日の植物園でのことですわ。ジェイラス様は『君がいつも僕を待ち伏せしているのは知っている』と仰られました」
「その通りだろう?」
「はい。確かにその通りです。でも、本当に私はあなたがジェイラス様だと知らなかったのです」
「意味が分からないが?」
「はい、お名前は存じ上げておりましたけれど、お顔を存じあげませんでした」
ジェイラスは何度目かのため息をつくと、エイヴリルの方を向き呆れたように答える。
「だとしても、だ。君が僕を待ち伏せしていたのには変わりないだろう。そういうことをされるのは嫌いなんだ」
「はい。ですが、そんなことをしたのには理由があるのです」
エイヴリルはチラリとオーレリアに視線をやると、意を決したように言った。
「これから話すことを、ジェイラス様は信じてくださらないかもしれません。ですがジェイラス様には真実を知っていてほしいのです」
「真実だって?」
ジェイラスは怪訝な顔をすると、エイヴリルは申し訳なさそうに話し始める。
「はい。その、とても言いづらいことなのですけれど……、オーレリア様のことですわ」
「は? 君がオーレリアのなにを知っていると言うんだ」
ジェイラスがそう言って鋭い目つきでエイヴリルを睨むと、エイヴリルは青ざめた顔をして身震いした。
「す、すみません。ですが、私はお話ししなければならないのです」
そんなエイヴリルに、ジェイラスは仕方なさそうに答える。
「わかった。言ってみろ」
「ありがとうございます」
そう答えると、おずおずと話し始めた。
「オーレリア様は、その、男性関係に奔放なところがあるようですわ」
「なんだって?」
「す、すみません。申し訳ありませんけれど、事実ですわ。相手を取っ替え引っ替えしていたという噂を何度も耳にしましたもの」
「そんなことあるわけがない」
「ですが、植物園に一人でこっそりと出かけ、そこで色々なかたと逢瀬を重ねていたそうですわ」
そう答えてエイヴリルは悲しげに目を伏せた。
「植物園……?」
ジェイラスはそう呟くと、少し考えるような顔をし自嘲気味にフッと鼻で笑うと答える。
「だが、そんなのは所詮噂話だ。そんな事実がないことは僕が一番よく知っているからね」
「ジェイラス様、そう思いたい気持ちはわかります。ですが、オーレリア様についてのよろしくない話はこれだけではありません」
「これだけではないだって? 君はまだこんなくだらない話を続けるつもりなのか?」
「ジェイラス様、公爵ともあろうお方が話も聞かずに最初から『くだらない話』と決め付け、これ以上話を聞かないというのですか?!」
泣きそうな顔で必死にそう訴えるエイヴリルの声は、少し震えていた。
その様子を見てジェイラスはため息をつく。
「わかった、最後まで話を聞こう。だが、そこまで言うのなら聞く価値のある話なんだろうな?」
するとエイヴリルは暗闇に希望を見いだしたかのように瞳を輝かせた。
「はい、もちろんです。ありがとうございます! ジェイラス様ならそう言ってくださると思っていました」
「そういうのはいい、早く話してくれ」
「はい、すみません。えっと、オーレリア様についてですが、今までおかしいと思ったことはありませんか? オーレリア様が散財したときそのお金がどこから出ているのか、と。それにそのドレス」
「このドレスがなんだと言うんだ?」
「そのドレスのお直しを手がけたのが誰かはご存じですか? 新進気鋭のデザイナーで、最近は主に王女殿下のドレスのデザインを手がけている、ファニーというデザイナーですわ」
「だから? それがどうしたと言うんだ」
「はい。彼は変わったデザイナーで、自分が気に入った相手のドレスしか手がけません。失礼ですが、そのデザイナーがオーレリア様を気に入ったという話を聞いたことがありませんわ」
「それは君の耳に届いていないというだけでは?」
するとエイヴリルはゆるゆると首を振りながら答える。
「殿下のお気に入りのデザイナーです、そんなことがあれば必ず社交界で噂になりますわ。それが私の耳に入らないということはないと思います」
「そうかな? では百歩譲ってそうだとして、だからなんだと言うんだ」
「はい。そんなデザイナーに無理矢理デザインをさせるのですから、相当な対価を払わなければならなかったはずです」
ジェイラスは呆れたように答える。
「ドレスにお金をかけるのは公爵令嬢として当然のことだろう」
「ですが、そのドレスを喉から手が出そうなほど欲しがる令嬢は数多くいるでしょうね。払い下げればきっと莫大な利益を生むに違いありません」
「話がよく見えないな」
「はい、ではオーレリア様が密かにサウスリーブに屋敷を購入し、所有しているのはご存知ですか?」
そう言って、連れてきた従者から書類を受け取るとそれを差し出す。
ジェイラスはその書類を受け取り無言でざっと目を通すと、書類から顔を上げオーレリアを見つめたが、すぐにエイヴリルのほうに視線をもどして言った。
「貴族ならこういう個人的な屋敷の一つや二つ、所有していてもおかしくないだろう」
「本当にそうでしょうか? オーレリア様はドレスや宝飾品に大金を使い、それをそのサウスリーブの屋敷に隠しているようですが……」
ジェイラスはイライラしたように答える。
「それで?」
「オーレリア様がなぜそんなことをしているのか、その理由はこちらをみていただければわかると思いますわ」
そう言うと、もう一部書類を差し出して話を続ける。
「これは、オーレリア様がとんでもないことをしていた重要な証拠です。読んでいただければわかりますけれど、オーレリア様は私腹を肥やすために身寄りのない子を引き取る施設を運営し、奴隷として隣国へ送っていたようですわ……」
オーレリアはそれを聞いてゾッとした。もちろんそんなことはしていないのでゾッとした理由は悪事がバレたからではない。
物語の中でオーレリアとハンフリーが断罪される理由がまさにこれだったからだ。
ジェイラスは最初、胡散臭そうにその書類を見ていたが、読み進めるうちに次第にその目は真剣なものに変わっていった。
オーレリアが恐る恐る横からその書類を覗き込むと、その内容は一見しただけでは偽物のようには見えなかった。
しかもその書類には、至る所にオーレリアの署名がされている。
これを見て、ジェイラスが信じてしまったらどうしよう。
そう思いながら、もう一度ジェイラスの顔を見るとその瞳には怒りが宿っていた。
レッドフォード家に養子としてやってきたジェイラスにとって、この書類の内容が琴線に触れたのは容易に想像できた。
オーレリアはジェイラスが書類の内容を信じてしまったのだと思い、頭の中が真っ白になった。
そのとき不意にエイヴリルと目が合う。
エイヴリルは一瞬だけ勝ち誇ったように笑ったが、次の瞬間には真剣な顔に戻りジェイラスに問いかける。
「オーレリア様はこのような施設を運営してできた資金も、サウスリーブへ運びこんでいます」
「だから?」
「この屋敷は表に出せない資金を隠し、万が一のときに逃げ込む場所のようにしか見えません。少なくとも私にはそんなふうに見えましたわ」
そこまで言うと、エイヴリルはまっすぐにオーレリアを見つめながら言った。
「これはオーレリア様が良からぬことをしていることのなによりの証拠です」
そこまで話を聞いたジェイラスは、しばらく考え込むように無言になった。
確かに、オーレリアは断罪されたとき用の屋敷をサウスリーブに保有しているが、それ以外はなにもかも出鱈目だった。
だが、今はジェイラスがエイヴリルの言うことに耳を傾け始めてしまっているように見える。どんな出鱈目でも信じてしまうかもしれなかった。
オーレリアは、これからどう動くか目まぐるしく考えを巡らせていた。
その時、オーレリアの腰をしっかりかかえていたジェイラスの手が緩み、スッと離れた。
「そうか、ありがとう。助かったよエイヴリル」
そう言ってジェイラスはエイヴリルに微笑む。
「いいえ、私は知ってしまった以上、当然取るべき行動をしたまでです」
エイヴリルは嬉しそうに微笑むと、ゆっくりお辞儀をした。
だが次の瞬間、ジェイラスはオーレリアの手を握ると声をだして笑い出す。
エイヴリルは呆気にとられながら言った。
「ジェイラス様、どうされたのです? あの、もしかして、私がこんな証拠を出さずともジェイラス様は何かをすでにご存知だったのですか?」
不思議そうな顔でそう問うエイヴリルに、ジェイラスは笑うのを止め軽蔑の眼差しを向けた。
「勝手にレッドフォード家を名乗りあのような施設を運営し、私腹を肥やしていた証拠を自ら渡してくれるとはね。これで詳しい内情を知ることができた」
それを聞いたエイヴリルは驚愕し、悲しげにジェイラスをみつめる。
「なにを仰ってますの? まさか、ジェイラス様? このような証拠を目にしても、それでもなおオーレリア様を信じていらっしゃるのですか?」
「信じるもなにも、オーレリアは君が言うようなことはしていないというのが真実だ」
「やはり下級貴族である私の言うことなど、信じてくださらないのですね……」
その質問に、ジェイラスは呆れたように答える。
「今は位など関係ないだろう。ただ君の言っている真実と、僕の知っている真実が違うというだけだ」
「どういうことですか?」
「まず最初に確認したいんだが、オーレリアが『男性関係に奔放』といったばかばかしい噂話とやらはどこから出てきたんだ?」
「そ、それは詳しくは私にもわかりませんけれど、事実を隠そうとしてもこうやっていつかは白日のもとにさらされるんですわ」
「うん。で、証拠は?」
「それは……。確かに、今のところ確かな証拠はありませんけれど、調べれば必ず出てくるに決まっています」
「なるほどね。でもそんな証拠はいくら調べても出てこないと思うが? 君はそうなったとき、どう弁明するつもりなんだ?」
「証拠はあるはずです。それに、証人を探して連れてまいりますわ」
「証人? そんな証拠、いくらでも捏造できるだろう。それ以前の話として、まだ確証もないのにそこまでよく言い切れたものだね。まぁ確かに、オーレリアには言い寄る虫けらが多いのは事実だが」
「やっぱり、そうですのね。否定したい気持ちはわかりますけれど、でしたらやはり噂も本当のことなのではないでしょうか」
「いいや、違う。オーレリアは誰とも接触できなかった。群がる虫けらどもを追い払い、オーレリアに触れさせないようにしていたのはこの僕なのだから。たとえそれが著名なデザイナーだとしても、だ。だから断言できる」
「ジェイラス様、オーレリア様を信用しすぎですわ。きっとジェイラス様の目を盗んで色々なかたと逢瀬を重ねていたんです。オーレリア様にとって、そんなこと簡単だったはずですもの」
「無理だ。そもそも不器用で天然、世間知らずのオーレリアが僕の目を掻い潜ってなにかをするなんてできるわけがない。それに僕はオーレリアのすべてを監視し、把握してい……」
そう言ったところで、ジェイラスは大きく咳払いをして話を続ける。
「いや、とにかく純真無垢で絶えず僕の目の届くところにしか行かせていないオーレリアが、そんなことできるわけがない」
オーレリアは一瞬、とんでもないことを言われた気がしたが今はとりあえず黙って話を聞いていることにしてエイヴリルの方を見た。
するとエイヴリルは一瞬だけ悔しそうに奥歯を噛み締めると、突然ジェイラスに微笑んだ。
「そうですか、そう仰るならそうなのですね。よかったですわ、一つでもオーレリア様の疑いが晴れて。では、ドレスのことはどうでしょう?」
エイヴリルがそう言った途端、群衆の中からピンクのシルクハットにピンクの燕尾服をきた一人の奇っ怪な男性がオーレリアたちの前に飛び出した。
「はいはい、は~い! 僕のこと呼んだよね!」
その奇っ怪な男性がかぶっているシルクハットには、大きなピンクの羽根がついておりしゃべるたびに羽根がゆらゆらと揺れた。
ジェイラスは慌ててオーレリアを背中に隠す。
「貴様、ファニー。オーレリアに近づくなと言ったはずだ」
「もーう、番犬君ってばそうやってすぐ僕のチューリップを隠すんだから〜」
オーレリアは唖然としながら答える。
「チューリップってなんのことですの?」
ジェイラスが慌ててオーレリアに説明する。
「オーレリア、話していなくてすみません。あのファニーと言うデザイナー、どこかでオーレリアを見かけたそうで、ドレスのデザインをさせろとしつこいのです」
「そう! だってチューリップってば、ほんっっとに可愛いんだもん!! なのにそこの番犬君が僕とチューリップの仲を邪魔するんだよね〜」
「当然だ、お前のような危険人物とオーレリアを合わせる訳がない」
「だから〜、僕はドレスのデザインをしたいだけだってば〜」
そこで突然エイヴリルが叫ぶ。
「嘘ですわ! きっとお金をもらってそう言わされているのでしょう?」
ファニーは突然動きを止めると、ゆっくりとエイヴリルの方を見た。
「君、名前なんだったっけ? まぁ、いっか。それよりさぁ、僕が君のドレスのデザインを断ったからってぇ、僕が大金出さないとデザインしないような言い方しないでくれるぅ?」
エイヴリルは顔を引き攣らせながら答える。
「でも、本当のことですわよね?」
するとファニーは大きな声で笑い出した。
「あはははははは! やっだ〜! そんなわけないじゃ〜ん! 僕は大金積まれたって気に入らない人間のドレスのデザインは引き受けないの! それだけ! ごめんね〜」
そこでジェイラスが口を挟む。
「エイヴリル、これで納得したか? こういうことだ。そもそも、レッドフォード家がこんな変人にそんな大金を出すはずがない」
「変人はないよぉ~」
そう叫ぶファニーに対しジェイラスは追い払うようなジェスチャーをした。
その様子を見ていたエイヴリルは、悔しそうな顔をしたがハッとしたように言った。
「オーレリア様は屋敷を隠し持っていますわ!」
「サウスリーブの屋敷のことか? その屋敷のことも僕は知っている。なんのために屋敷を買ったのかまではわからないが。あの屋敷にはたいしたものは持ち込んでないよ。なんなら監理するお金が不足していて僕がこっそり金を出していたくらいだ」
オーレリアが驚いてジェイラスの顔を見つめると、それに気づいたジェイラスは申し訳なさそうな顔をする。
「黙っていてすみません」
するとエイヴリルは焦ったように言った。
「いいえ、屋敷のどこかに資金を隠し持っているかもしれませんわ!」
「まさか、あんな警備の薄い屋敷に高価なものなんて置けるわけが無い。ちゃんと調べなかったのか?」
それを聞いたエイヴリルは、悔しそうに唇を噛み締めると言った。
「でも、施設運営の動かぬ証拠書類がありますわ!」
「この書類のことか。だが、君は僕がこの施設のことを知らない間抜けだとでも?」
「えっと、ではもうお調べになっていらっしゃるのですか?」
「もちろん、悪事を働く者を野放しにしておくわけにはいかないからね」
「そうでしたの。でしたら私のしたことは余計なお世話でしたわね」
エイヴリルがそう答え、勝ち誇ったようにオーレリアを見つめると、ジェイラスがそれに異を唱えるように言った。
「なにを勘違いしているんだエイヴリル」
「えっ? ですが、ジェイラス様はオーレリア様が悪事を働いていたことをご存知たったのですよね?」
「だから、先ほどから言っているじゃないか。オーレリアはなにもしていない」
するとエイヴリルは困ったような顔をした。ジェイラスはそんなエイヴリルを鼻で笑うと質問する。
「ところでエイヴリル、君はこの証拠書類をどうやって手に入れたんだ?」
「えっ? あの、施設内部からの密告があったんです」
「うん、それが本当だとしてなぜ君に?」
「それは……言えませんわ。密告者の命が危険にさらされるかもしれませんもの」
「へぇ。あのね、僕はさっき言ったとおりこの施設を内密に調べ、施設内に人を送り込んでいたんだ。だからこんな書類などなかったのを知っている」
エイヴリルが驚愕の眼差しでジェイラスを見つめると、ジェイラスは軽蔑の眼差しで冷たく見つめ返して言った。
「徹底的に調べるのは当然のことだろう? 勝手にレッドフォード家の名を語ってこんなことをされているのだから」
「勝手に名を語る? ではジェイラス様は他に黒幕がいるとお考えですの?」
「その通りだ」
「ではその黒幕も誰だか調べがついたのですか?」
「もちろん。だからね、君たちの計画も知っている。まさかこんなに早く、しかもこんな場でそれを実行しようとするとは思いもしなかったけれど」
そう言うと呆れたように問いかける。
「身寄りのない子を引き取る施設を運営し、隣国に奴隷として売っていたのは他でもないリヴィア侯爵と君の方だろう?」
エイヴリルはジェイラスをまっすぐに見つめ返すと言った。
「お待ち下さい、それこそ証拠はあるのでしょうか? 証人がいるなんて仰るわけではありませんわよね。先ほど証人などいくらでも捏造できると仰ったのは、ジェイラス様ですもの」
「確かに僕はそう言った」
それを聞いてエイヴリルは満足そうに頷く。
「そうですわよね。そもそも、証拠なんてあるはずありませんわ。そんなことしていないのですから」
そう自信たっぷりに言うエイヴリルを無視し、ジェイラスはオーレリアに向きなおる。
「この件に気づいた発端はオーレリア、あなたが黒い噂のある施設に頻繁に通っているという噂を聞いたことからでした」
急に話をふられたオーレリアは慌てて答える。
「私がですの?! 私そんな施設に通ったりなんかしていませんわ!」
「はい、知っています。僕はオーレリアがいつどこにいるか把握していましたから。それで、その噂の出どころを調べ、何者かがオーレリアやお父様の名をかたり施設を運営していることを知りました」
そこでエイヴリルが口を挟む。
「どうして他の者が施設を運営していたとわかりますの?」
ジェイラスは振り向きもせず、鬱陶しそうにエイヴリルに答える。
「今、それを説明しようとしている。君は少し黙っていてくれないか?」
「わかりましたわ。私もジェイラス様に話を聞いてもらいましたもの、公平にジェイラス様の話も聞くべきですわね」
その返事にジェイラスは忌々しそうな顔をすると、オーレリアの方を向き安心させるように微笑んで話を続けた。
「僕はその施設に信用できる人物を送り、彼らがなにをしようとしているのか探りました。最初のうちは、オーレリアに罪を着せるためだけにあの施設を運営していたようです」
「私に罪を着せるためだけ……」
「そうです。理由はわかりませんでしたけど。それで、施設はその目的を果たすと同時にお役御免になるはずでした」
「はずでした? どういうことですの? 私がその施設を運営したと告発するのですもの、確実にその施設はなくなるに決まってますわ」
「ところが施設運営で儲けを出し味をしめたあの親子は、新たに新しい施設を増設しそちらにすべてを移し替えて、これからも運営を続けようとしたのです」
エイヴリルは、ジェイラスの背後でその話を否定するように『違う、違う』と呟き首を横に振りながら悲しそうに聞いている。
ジェイラスはそんなエイヴリルを無視し、落ち着いて淡々と話を続けた。
「そこまでわかっていたものの、やつらはなかなか尻尾をだしませんでした。そこで僕も金の流れを追うことにしたんです」
「お金の流れ?」
「はい。いくらなんでも金の行き着く先まで偽名を使うことはできないだろうと考えたのです。もっとも、彼らが欲をかかずに金すらオーレリアの名で借りた倉庫やサウスリーブの屋敷へ送りつけていたら、証拠をつかむことはできなかったでしょう」
「では、お金がどこへ流れたか調べがついたのね」
「そうです。リヴィア侯爵の亡くなった妹名義の古い倉庫、そこで保管されていました」
そこでエイヴリルが慌てた様子で訴える。
「ジェイラス様、すみませんが少しよろしいでしょうか? その倉庫にあるお金が、そんなお金だとなぜわかりますの?」
「残念だね、エイヴリル。もう言い逃れはできないよ。この件、すべて国王陛下には報告済みでね」
「だからなんだっていいますの? それだけではどうにもならないですわ」
ジェイラスは楽しそうに微笑んだ。
「リヴィア家が『報告のない財産を隠し持っている』という疑いで、あの倉庫に踏み込ませてもらった。油断したね、あの倉庫からすべてが書かれた帳簿が出てきたよ」
「帳簿……」
「そうだ、金にがめつい君のことだから、何度かチェックするために見たことがあるはずだ」
すると、エイヴリルはホッとしたような顔をすると大粒の涙をこぼした。
「あの帳簿を見つけてくださった……」
そう呟き、その場へ力なく座り込む。
オーレリアはその言い方に違和感を覚えて問い詰める。
「見つけてくださった? なにを他人事のように仰っていますの? その帳簿はあなたが悪事を働いた証拠なのでしょう?」
そう問いかけるもエイヴリルはぼんやりと空を見つめ、こちらの声がまるで届いていない様子だった。
「エイヴリル? 話を聞いてますの?」
それでもエイヴリルは何の反応も示さない。
オーレリアが何度かエイヴリルの名を呼ぶと、突然ビクリとしゆっくりとこちらのほうを向いた。
「はい、なんでしょう」
「『なんでしょう?』ではないわ。帳簿はあなたが悪事を働いた証拠だと言ったのよ?」
「はい、その通りです。それは十分わかっています。なので、言い逃れをするつもりもありませんし、責められて当然だとも思っています」
なんとなく様子のおかしいエイヴリルに戸惑いつつオーレリアは尋ねる。
「エイヴリル、なぜこんなことを? なぜ私に罪を着せようとしたんですの?」
「お父様の命令だったからですわ」
「リヴィア侯爵の? あなた、今度はリヴィア侯爵にすべての罪を着せて逃れようとしていますのね?」
「すみません、そんなつもりは……。でも、そうですよね、こんな言い方ではそのようにとらえられてもおかしくないですよね」
そう答えると、エイヴリルはしばらく考え言葉を選ぶように言った。
「お父様の命令に逆らわずに行動したのは私の判断です。すべて私が悪いのですわ」
オーレリアはエイヴリルの言うことになにか引っかかるものを感じながら問い詰める。
「じゃあなぜ命令通りに動いたのか説明してちょうだい」
「お父様の命令は絶対だからです」
これでは埒が明かないと思ったオーレリアは質問を変えた。
「では、なぜあなたはリヴィア侯爵の命令には絶対に従いますの?」
「私は幼少のころ、リヴィア家に養子として引き取られました。それからというものお父様の言うことには逆らわないように教育を受けたからです」
「逆らわないように教育ですって?」
エイヴリルは無言で力なく頷くと続ける。
「はい、オーレリア様。私はお父様に絶対服従し忠誠を誓っています。なぜなら私はお父様の所有物だからです」
「あのリヴィア侯爵がそんなことを? 信じられませんわ。彼は子煩悩で有名ですもの」
「はい、お父様はとても愛情深いかたですわ」
「愛情深い? いいえ、ただ命令に従わせるだけなんて、それではあなたはリヴィア家の単なる駒でしかないわ」
その言葉にエイヴリルは強く反応し、オーレリアを睨みつけると言った。
「いいえ、いいえ! 私はお父様に愛されてますわ! それに、お父様が命令されることに間違いはないはずです!」
「でも先ほどだって『帳簿を見つけてくださった』って言ったわよね、心のどこかではこんなことおかしいと思っていたのでしょう?」
「違います、違いますわ!」
そう答えるとエイヴリルの瞳から大粒の涙がこぼれ、絶望に打ちひしがれたようにその場に突っ伏した。
そしてその場は静まり返ると、エイヴリルのすすり泣く声だけが響いた。
それを見ていた周囲の者たちは、オーレリアも含めエイヴリルを親にいいように使われた末路だとして同情的な眼差しで見つめた。
そんな中、ジェイラスだけが冷めた眼差しでエイヴリルを見つめ突き放すよう言い放つ。
「悪いがエイヴリル。僕は君のことを調べ尽くしていると言ったはずだ。君は養子などではなく間違いなくリヴィア侯爵の娘だということも知っている。だから、僕はそんな芝居には騙されない」
すると、エイヴリルはゆっくり体を起こしながらニャ〜といやらしい笑みを浮かべ、ジェイラスを見つめると言った。
「あは、バレちゃった?」
「茶番はもう終わりだエイヴリル」
ジェイラスがそう言うと、衛兵たちがエイヴリルに駆け寄り無理やり立ち上がらせ連行しようとした。
その時エイヴリルがジェイラスに向かって言った。
「さっきの茶番。ジェイラス様以外は信じてましたわ。私そういう才能がありますの。捕まったとしてどうとでもなりますわ」
それに対しジェイラスは微笑んで返すと答える。
「残念だが、こちらもしっかり準備はさせてもらっている。国王陛下からはもう判決はくだされた。君の処刑は明日になるだろう」
だが、エイヴリルは余裕の表情で答える。
「あら、明日まで時間がありますの? 私には十分すぎますわ。それに妖精もついてますもの」
「そうか? だが残念だな。明日の処刑時間まで君は誰とも話せないことになっている。まぁ、せいぜい頑張るといい」
すると、エイヴリルは醜く顔を歪めつばを飛ばしながら叫ぶ。
「このぉ、オーレリア! お前のせいですべてがおかしくなったんだ! お前のことは恨んで呪い殺してやる。呪いに苦しんで死ねばいい!」
そうして暴れ出した。そんなエイヴリルを呆れたように見つめるとジェイラスは鼻で笑った。
「君のような人間は、高貴なオーレリアの魂に触れることなどできるわけがない。せいぜい地獄で自分の人生を呪えばいい」
「この野郎さっきから言わせておけば! 離せ! この! あいつらだけは絶対に許さない!」
そう叫びながらエイヴリルは連れて行かれた。
オーレリアはジェイラスの婚約者であるエイヴリルがこんなことになり、悲しんでいるのではないかと慌ててジェイラスの顔を見上げた。
「ジェイラス、私が言うのもなんですけれど、世の中あんな女性ばかりではありませんわ」
するとジェイラスは吹き出した。
「オーレリア、えぇ、わかっていますよ」
そしてジェイラスはオーレリアを熱っぽく見つめた。
「オーレリア、あなたはすぐに人を信じてしまう。僕がこれからも守らなければ」
そう言うとオーレリア抱き寄せ周囲を見渡した。
「本日お集まりの皆様、お見苦しいものをお見せして大変申し訳ありませんでした。本来あのようなことは水面下で行うことであり、公にするものではありません。不快にさせたなら申し訳ありません」
そんなジェイラスに周囲から
「よくやった」
「こんな素晴らしい跡取りがいるのだから、これでレッドフォード家は安泰だ」
など温かい声がかかる。
「ありがとうございます。こんなことになってしまいましたが、この場を借りて血のつながっていない姉のオーレリアと僕の正式な婚約発表の場とさせていただきたいのです」
すると周囲から歓声が上がり、オーレリアはあまりのことに驚いてジェイラスを凝視した。
そんなオーレリアをジェイラスは愛おしそうに見つめ返すと、縦抱きに抱きかかえくるくるとその場を回った。
オーレリアは目が回りそうなのをこらえながら必死にジェイラスにしがみつくと言った。
「ちょっと、降ろしてちょうだい!」
すると、しょんぼりしながらジェイラスはオーレリアを降ろした。そんなジェイラスにオーレリアは言った。
「ジェイラス?! 婚約者のエイヴリルがあんなことになってしまったからって、そんな投げやりにならなくてもいいのではなくて?!」
ジェイラスは苦笑する。
「オーレリア、ずっとなにか勘違いしているようですけれど、僕はエイヴリルとなんか婚約しませんよ?」
「えっ? そうでしたの?! でもだからってお父様の言う通りに私と婚約する必要がどこにありますの」
「いいえ、これは僕が望んだことです。それにオーレリアも望んだことではないのですか」
「私が? 冗談じゃないわ。なぜ私があなたなんかと!」
「ですが、かねてから僕が本当に好きな相手ができたら、その人と婚約させてほしいとお父様に常々仰っていたではありませんか。僕の幸せが一番だ、そうするのが自分の望みでもあると。僕はお父様にそう訴えるオーレリアを何度も見たことがあります」
見られていた! オーレリアはそう思うと恥ずかしさから顔から火を噴きそうだった。
「そ、そんなこと言ったかもしれませんけれど、忘れましたわ!」
「僕は覚えていますよ。ですからオーレリア、責任をとって僕を幸せにしてくださいね」
そう言ってジェイラスがオーレリアに深く口付けると、周囲の者たちが囃し立て二人の新しい門でに祝福の言葉を口々に贈った。
後日、オーレリアはジェイラスに指輪を森に返すように迫ると、ジェイラスはそれに賛同しオーレリアに指輪を託してくれた。
とは言っても、ジェイラスはレッドフォード家の人間ではなく、指輪に関してそこまで詳しくはないためハンフリーに相談することにした。
そうして二人はハンフリーに指輪を森に返すことを話した。
「確かにレッドフォード家にはもうそんなもの必要ないな。それに私もその指輪は災いの元になるようにしか思えないし、返したほうがいいだろう」
「それで、お父様は妖精がどこにいるかご存知ありませんこと?」
ハンフリーは少し考えてから答える。
「居るかどうかはわからんが、妖精が住まう湖と言われている場所が領内にある」
「では、そこへこの指輪を返しますわ」
「そうだな、そうするのが一番だろう」
こうして二人はその湖へと向かった。
その妖精が住まう湖は、馬をやすませながら一日も走らせれば着く位置にあった。
その湖はとても広大だが、水深が浅く透明度が高いので湖底に陽の光が反射し、エメラルドグリーンが輝いて見えとても幻想的な湖だった。
周囲にはそこまで背の高い植物がないため、遠くの山々が見え前方には独立峰が悠然とした佇まいでそびえている。
「今回の指輪の件はなくとも、ここに来てよかったですわ! こんなに美しい景色が見られたのですもの」
そう言って感動するオーレリアをジェイラスは眩しそうに見つめた。
「本当にその通りですね、オーレリアがこんなに喜んでくれるなんて僕もとても嬉しいです」
オーレリアはムッとしながらジェイラスのほうを見ると、自分を見つめるジェイラスの顔を無理やり湖の方へ向けた。
「もう! そんな歯の浮くようなことばっかり言って!! ちゃんとこの景色を見なさい、もったいない!」
「ですが、この景色はこれから何百年も見ることができるかもしれませんが、あなたは違います。日々違う表情を見せる。僕はそんなあなたのことを少しも見逃したくない」
「はぁ、またそんなことを言って。お父様はジェイラスの教育を間違えたんだわ」
そう言ってがっかりするオーレリアをジェイラスは抱きしめるとキスをした。
「本当に素直じゃありませんね」
「なっ! バカなこと言ってないで、ここには指輪を返しに来たんですのよ? 早く目的を達成しなければ」
「あぁ、そうでしたね。さっさとその指輪を湖に投げ込みましょう」
そう言う間もジェイラスはオーレリアを抱きしめ離さない。
オーレリアは指輪を取り出すと、なるべくその指輪を湖の中央へ戻そうと桟橋へ向かった。
「ここまでくればいいわね、指輪を投げるわよ」
背後からオーレリアに抱きついているジェイラスにそう言うと、オーレリアは勢いよく指輪を湖へ放り投げ祈りながら言った。
「ご先祖様が貴方を捕らえたりしてすみませんでした、今まで本当にありがとうございます」
そう囁くと、突然キラキラと光り輝くものに囲まれる。
「つまらないなぁ、あの女の娘ならもっと面白いお願いことをすると思っていたのに……」
その声に驚いて見上げると、そこに美しく光り輝く妖精がひらひらと舞っていた。
「まさか、あなたがレッドフォード家に富をもたらした妖精さんですの?」
すると妖精は笑い出す。
「富をもたらしただって?! 馬鹿な人間。僕は君たちの破滅を見たくてあの指輪を渡しただけだよ」
「でも事実、レッドフォード家は犠牲を出したものの繁栄していますわ」
「違うね、君たちは犠牲を出さずにあそこまで栄えた。僕の思惑通りに破滅に向かわなくて残念だ」
「でも、儀式を行ってきたって聞いてますわ」
「そんなもの形だけだよ。本当に面白くない。結局みんな誰も犠牲になんかしなかったんだ。あの指輪は欲をかけばマイナスに働くけど、そうでなければプラスに働く」
「ではやはりあの指輪のおかげで私たちは繁栄したんですわ。ありがとうございます」
「繁栄したのには力を貸してないよ。それはレッドフォード家の努力だろう? 人間は絶対に欲望を持って生きている。君たちはとっくに破滅する予定だったのに、面白くない。あのエイヴリルとかいう娘をたぶらかしたりもしたのに」
「エイヴリル? 彼女は関係ありませんでしょう? では、結局あの指輪に願いを言った者は誰一人としていなかったということですのね? よかったですわ」
「はぁ?! そうか君は忘れてしまっているんだな。君だけが唯一あの指輪に願かけした人物なんだけど」
「は? えぇ?!」
「しかもクソつまらない願でさ『一生家族が悲しみませんように』だってさ。僕はてっきり母親を生き返らせろとか、自分1人が幸せになれますようにとか言うのかと思ってたのに。根本から全てを変えちゃって」
「なんの事ですの?」
「いや、なんでもない。とにかく、僕の完敗ってことだ。レッドフォード家が僕たちの賭けに勝ったんだから、約束通り君には祝福を与えないとね」
「賭け? 祝福? どういう事ですの?」
「僕たちが勝手に賭けをしていて、君がそれに勝ったということさ」
そう言うと、妖精はオーレリアとジェイラスの頭上をくるくると回った。すると、突然まばゆい光がオーレリアとジェイラスを包んだ。
「レッドフォード家に祝福のあらんことを!!」
そう聞こえたかと思うと、オーレリアたちの周囲が黄金色に輝きあまりのマブシさに目をつぶるとあっという間にその瞬きが消え、もとの景色に戻った。
気がつけば妖精の姿も消えていた。
「今のは一体なんだったのかしら……」
「僕にもさっぱり。きっと妖精の気まぐれでしょう。気にしないことです」
「それもそうかもしれないわね」
「そうですよ。それより僕は誰にも邪魔されずにここで過ごせることをとても楽しみにしていたんです。オーレリアは? 少しは楽しみにしてくれました?」
「そ、それは少しぐらいは……」
目を伏せ、顔を真っ赤にしながらそう答えるとジェイラスはオーレリアをギュッと抱きしめ、頬に手を当てると深く口付けた。
★★★
ここからジェイラスサイドです。
僕は物心ついたときから親の愛情を知らずに育った。
両親は僕が物心つく前に事故で亡くなったそうで、父方の祖父母に育てられた。
祖父母は僕を邪魔者扱いし、小間使いのようにこき使ううえに食事も満足に食べさせてもらえなかったので、いつも飢えていた。
近くにいる大人たちも、厄介者扱いしからかうときだけ僕を呼びつけたりしていた。
あの日祖父から近所に伝言を頼まれ家を出たところで、とても仕立てのよい服を着た紳士が僕を見てとても驚いた顔をした。
「もしかして、ジェイラスか?」
「そうだけど。あんた誰?」
「私か? 私は君のお父さんの友人だよ」
彼はそう言うと優しく僕の頭をなでたあと、怖い顔をして僕の家に入っていった。
中から祖父母とその紳士が言い争う声が聞こえたかと思うと、紳士がすごい剣幕で出てきて僕に手を差し伸べる。
「ジェイラス、私の家に来ないか?」
「あんたの家に?」
「そうだ」
見るとその紳士はとても不安そうな顔で僕を見ていた。その表情から、なんとなくこの人なら信用できそうな気がした僕は差し出された手を取った。
こうして僕はレッドフォード家の人間となり、父と姉ができた。
父は最初からとても優しかったが、それに対して姉はとても冷たい感じがした。
なので、僕もあまり姉には関わらないようにしていた。
僕が七つになったとき、父が家督を継承すると言った。姉のオーレリアはその瞬間ものすごい形相で父を睨んでいた。
僕が家督を継ぐのが許せないのだろう。
養子に入った血のつながらない弟が家督を継ぐなんて、許せなくて当然のことかもしれない。
そう思っていたが、後日それが大きな思い違いであり今まで姉のことそのものを誤解していたと知ることになる。
指輪の件で姉が父を問い詰めているのを聞いてしまったのだ。
姉は不器用ながら僕のことを本気で心配してくれていた。
それからというもの、僕は姉のことを観察するようになった。
姉は僕のことをいつも心配し、だからといってこちらに近づこうとはせず一歩引いて見守ってくれるそんな存在だった。
僕が熱を出したときは、夜中そっと何度も僕の顔をのぞきに来たり、マナーがわからず困っているとさりげなく助けてくれたりもした。
そして影で僕のことを馬鹿にするような大人たちからも庇ってくれていた。
そんなオーレリアを見ていて、僕はいつの間にか家族の情を超えて彼女を愛するようになっていった。
あんなに情の深い、温かい気持ちを持った女性に僕は会ったことがない。
僕は、そんな素晴らしいオーレリアに釣り合うようになるため、必死で勉強しマナーや教養を身につけた。
オーレリアは家柄やその容姿からもとても評判がよく、散歩をすれば待ち伏せするものが現れたり、情熱的な内容の手紙をよこす者や高価なプレゼントをよこして気を引こうとする者もいた。
僕は父にオーレリアの相手を検閲しなければならないと説明し、その役を買って出ることによってそれらの輩をうまく排除してやり過ごしていた。
そうしてライバルたちを出し抜き、父にオーレリアと婚約させてほしいと正式に申し込んだのだ。
許可が下りたときには天にも昇るような心地だった。
僕はオーレリア自身に愛する人ができてしまうのではないかと気が気でなかったからだ。
だが、適齢期を過ぎてもオーレリアがよそ見をすることはなく不器用ながら、いつも僕のことを一番に考えてくれていたと思う。
それ以上に僕のほうがオーレリアを愛していたのは確かだったが。
そうして水面下で準備を進めていたとき不穏なあの噂を耳にし、調べるうちにエイヴリル・リヴィアのことを知ることになった。
彼女は悪事を働くことに罪悪感をもたず、人をいとも簡単に騙すことができる人間で、それこそオーレリアとは対極にいるような女性だった。
オーレリアを貶めようとしていることがわかると、あの姿を見ただけでも気分が悪くなりそうだった。
婚姻までには決着をつけよう。
僕はそう考え父や国王陛下にも相談しながら事を進めた。
そして、いよいよ大詰めを迎え大きな手がかりを手に入れると、満を持して婚約発表をすることにした。
まさか、あんな公の場でエイヴリルに絡まれるとは思ってもいなかった。
だが、なんとかこの問題を解決することができたし、僕の自信にも繋がった。それに周囲からも認めてもらうことができたことには、エイヴリルに感謝しなければならないかもしれない。
この舞踏会のあと、父は僕に指輪とオーレリアについてある話をしてくれた。
妖精から指輪をもらったレッドフォード家の当主は、実際に妖精に言われた通り養子を取り指輪に願かけしようとしたそうだ。
だがそのとき、一人の少女が現れ『その指輪を使うと不幸にしかならない、あなたは妖精に遊ばれている。妖精たちは最後には不幸になる人間を見て楽しんでいる』と語ったそうだ。
そう言われた当主はハッとして気づいた。自分が残酷なことをいとも簡単にやってしまいそうになっていることに。
そこで、指輪などに頼らないことを誓ったそうだ。
「それで、その話とオーレリアに何の関係が?」
「うん、我が家のこの伝承の文献を読んでいたらその少女の名前が記載されていることに気づいてな、そこにはオーレリアと書かれていた」
「お父様、まさかその少女が本当にオーレリアだと?」
「いや、わからん。が、あの指輪を使った事があるのはオーレリアだけだ。私はなにか関係があるように思えてならない。それと、オーレリアが指輪に願をかけた経緯だが、オーレリアからなにかきいているか?」
「いいえ。オーレリア自身もその件については何も覚えていないようです」
「そうか、よかった。あまり思い出してほしくない」
「なにかあったのですか?」
「オーレリアの母親だが、オーレリアを産んでから体を悪くしてな。勝ち気で活発なほうだったから、気も病んでしまってオーレリアを恨むようになってしまったんだ」
「母親なのにですか?」
「そうだ。信じられんことだがな。それで、指輪についてオーレリアに話したのは他でもないその母親なんだ」
「まさか、それでオーレリアが指輪を使ったのですか?」
「その通りだ。指輪を使ったあとオーレリアは一ヶ月も寝込み生死の境を彷徨った。そうして目覚めたとき、指輪に願をかけたことはすっかり忘れてしまっていた」
「そうだったのですか……」
「まぁ、とにかくオーレリアが助かって本当によかった。本当に素直で真っ直ぐないい子だ。大切にしてやってほしい」
「もちろんです」
僕は過去に戻って、母親に邪険にされ傷ついたオーレリアを抱きしめたくなった。
だが、オーレリアを抱きしめることは今でもできる。
僕は急いでオーレリアのいるところへ向かうと、背後から彼女を包むように抱きしめ耳元で囁いた。
「オーレリア、愛しています。この先何があろうとも、死が分かつまで僕はあなたのそばにいます」
オーレリアは耳を真っ赤にしながら言った。
「か、勝手にすればいいじゃない!」
「はい、そうします」
そう答えて僕はオーレリアにキスの雨を降らせた。
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