第11話 ふたりの歩幅 sideなつき
水族館を出ると、外はすっかり夜になっていた。
ライトアップされた施設の前で、冷たい風が頬をなでる。
「ちょっと冷えますね」
「……うん。でも、楽しかった」
そう言って笑った彼女の横顔が、やけに儚くて、目が離せなかった。
「家まで送ります。時間も時間だし、心配なんで」
「ありがとう」
館内のにぎやかさとは対照的に、夜の街はしんと静まっていた。
歩くたびに、靴音だけが小さく響く。
「……あの」
「うん?」
「ショーのとき……泣いてたの、なんでだろうって。きいていいですか?」
「私も……よくわかんないんだけど、懐かしいような、悲しいような気がして……でも、思い出せなくて」
さやさんは少しうつむいて、自分の指先を見つめながらそう言った。
(もしかして…さやさんも前世を……?)
「……この切なさや哀しさには、きっと何か意味があるんだと思います。
もし思い出して誰かに話したくなったときは……俺、いつでも待ってますから」
彼女は驚いたように顔を上げ、そして嬉しそうに微笑んだ。
――ふと、2人の手が触れ合った。
お互い驚いて目を合わせる。
手を繋ぎたい――
俺は、ほんの少しだけ勇気を出して、指先を重ねた。
さやさんは驚いたように瞬きをしたあと、そっと握り返してくれた。
何も言わず、並んで歩き出す。
その歩幅が自然に合っていくのが、なんだか不思議だった。
やがて彼女の家の前にたどり着くと、玄関の灯りがぼんやりと彼女の輪郭を照らした。
「……じゃあ、また」
「……うん。今日はありがとう。帰り気をつけてね」
そう言って彼女が玄関へ向かおうとした、そのとき。
俺は思わず、彼女の腕を軽く取って、ふわりと抱きしめていた。
「な……つきくん?」
「……ごめん。驚かせたよね。でも、なんとなく……今、さやさんのこと、抱きしめなきゃいけない気がして」
強すぎず、でも確かに。
腕の中の彼女は戸惑いながらも、静かに俺の胸に身を預けてくれた。
「ありがとう…」
さやさんはそっと目を閉じ、俺の腕の中で、そっと顔を預ける。
そのぬくもりに包まれて、ようやく心が落ち着いたように見えた。
(…あの時、どうしてこの気持ちに気づけなかったんだろう)
前世の俺は、大切な人をすぐそばにいながら、選ぶことができなかった。
あの後悔を、もう二度と繰り返したくない。
ただ、さやさんの鼓動と自分の鼓動が、静かに重なっていく。
言葉はなかったけれど、それだけで十分だった。
ふたりとも何も言わず、ただその場に立ち尽くす。
夜風が、どこか優しく吹き抜けていった。