第9話 揺れる水面と影の記憶
休日、待ち合わせの駅。
少し緊張した面持ちで待ち合わせ場所に向かうと、なつきくんはすでに待っていて…
絵になるかっこよさだった。
少し恥ずかしくなって立ち止まっていると彼が気づいてくれた。
「あっ、さやさん!おはようございます!
今日楽しみすぎて、めっちゃ早起きしちゃいました。」
「私も……楽しみにしてたよ?」
彼と目線が合うと、自然と笑顔がこぼれた。
電車に乗ると少し混んでいて、私は人に押されてバランスを崩しかけた。
「大丈夫ですか?」
すぐに壁側に私を誘導して、なつきくんが私の前に立ち、手すりを持つ。
不意に香ったシャンプーの匂いに、思わずドキッとする。
彼の腕の中で守られているようなその距離に、胸の奥がきゅっとなる。
水族館に到着し、チケットを受け取って中へ入る。
薄暗い館内、ゆったりと泳ぐ魚たちを眺めながら、自然と距離も心も近づいていった。
「……水族館なんて何年ぶりだろう。
幻想的で素敵な空間だね。」
「…ですね。」
言葉をほとんど交わさなくても、一緒にいることがこんなに落ち着いて心地よいなんて。
――2人は気づいていなかった。遠くから視線を送る存在に。
◇◇
「お昼にしましょうか!さやさんは席で待ってて。俺買ってきます!」
「ありがとう、待ってるね。」
なつきくんが売店へ向かったあと、少しぼーっとしていた私の前に、音もなく影が立った。
「へえ……あんたがなつきの…」
「……えっと、こんにちは?」
「ふぅん。なつきって、こんな子がタイプだったんだ」
その目には笑みがあるのに、氷のような冷たさを感じた。
「……なつきくんのお友達?」
「は?そんなのどうでもいいでしょ!」
不意に胸がざわついた。
彼女の目を見た瞬間、頭の奥がじんと痛む。
(……この感覚、なんだろう……)
「本当に邪魔。あんたがいると全部おかしくなる。なつきは私のものよっ!」
その瞬間、胸の奥でなにかが弾けたような気がした
――『レオン様は、私のものよ!』
頭の中に突然響いたその言葉に、私は目を見開いた。
(今の……誰? 私……?)
「聞いてるの?なんであんたみたいなのが……!」
あやねの手が振り上げられた、その瞬間――
「ちょ、こらストップ!」
振り上げた手首を知らない男の子が掴んでいた。
「手を出すのはマズいって、天羽。」
「……は?なんであんたがここに」
「俺も妹と来てるだけ。偶然通りかかったらビックリだよ」
助けてくれた男の子は私に視線を向けて、小さく微笑んだ。
「大丈夫っすか?俺はりく、なつきの親友っす!とりあえずこいつ、引き取るんで」
「は?あんたなんなのよっ!もうっ!」
あやねは怒りながらも、りくの手を振り払い、その場を去っていった。
「……すみません、びっくりしましたよね。」
「……ありがとう、助けてくれて」
「なつき、戻ってきたっぽいな…。じゃ、失礼しますね!」
そう言ってりくは軽く手を振って妹の元へ戻っていった。
「えっ、りく?なんでここに?」
戻ってきたなつきくんが、去っていったりくくんの姿に驚いている。
「携帯落としちゃって拾ってもらったの。知り合い?」
私はとっさに知らないふりをした。
「たまたま……だよな?
…親友なんですよね。」
「偶然ってあるんだね。」
真実は言えなかった。
けれど彼が戻ってきた今、この時間は大切にしたかった。
「ほら、冷めちゃうから食べよ?」
「はい。」
彼はニコニコしながら小さく頷いた。
彼の笑顔に、さっきの出来事が少しだけ遠くに感じられて……
気がつけば、私は穏やかな気持ちで彼を見つめていた。