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4 じわじわと染みる

 正直なところ、悠長に講義を受ける気持ちにはなれなかった。

 しかしタロが「自分のせいで講義を休ませた」と気にする可能性を考えると、おとなしく講義を受けるほかない。清春も物言いたげな顔をしていたが、タロが落ち込みながらも講義室へ向かうのを止めはしなかった。


 今までで一番長い九十分の講義を終え、三人は足早に講義室を後にした。

 ゆっくり昼飯を味わう気にはなれず、購買部でパンと飲み物を買って昨日のベンチへ移動する。

 昨日と同じにタロを挟んで座り、詰め込むようにして食べたパンの味は、よくわからなかった。

 

「さて、何から話そうか」


 タロがもそもそと食べ終えたのを確かめてから言えば、清春が「はいはい!」と手を挙げる。


「はい、清春」

「はーい。今のところ、訳わかんないことばっかりじゃん。だから俺が聞いてきた『わかってること』を話させてよ」

「大歓迎だ」


 今回の件について、わかっているのはタロの髪色がおかしくなってしまったこと。それがどうやら居住地に関わることらしい、ということ。

 その二点だけ。

 これではどうすれば良いのか推測のたてようもない。

 ならば、新しい情報を得てから考える方が、よほど建設的だろう。タロが食べ終えたパンのビニールをいつまでも握っているので回収して、畳んで結びながら朝陽は促す。


「長老と呼ばれている人の話を聞いてきてくれたんだったな」

「そうそう。本名はないしょらしいぜ。長老って呼んでほしいって。だから俺も長老って呼ぶな」


 そう言ってから、清春は話し始めた。

 


 長老ね、確かによひら寮に住んでるって。もう何年、住んでるって言ったかなあ? 十年は超えてるってよ。

 大学に十年もいられるのかって? そこはなんか、一年通っちゃ休学して、アルバイトして学費稼いで一年だけ復学してまた稼ぎに出て、ってのを何年も繰り返してるらしい。


 あの人も苦労人なんだよな。

 その分、人生経験豊富で面白いんだぜ。話聞くとさぁ、いろんな店の裏メニュー知ってたり、教授とか助教授がまだ臨時の雇われ講師だったころのこと聞かせてくれたり。


 あ、脱線した。悪い悪い。

 ええと、そう。よひら寮の話な。

 長老が言うには、ここ十年くらいの間にも青く染まることはあったらしい。

 でも人じゃなくて全部、物なんだってよ。


 部屋の隅に忘れてたプリントとか、着ないでしまってた服とか。そういうのを久しぶりに気づいて出してみたら、水色に染まってた、なんて。

 そんな話はちょこちょこあったらしい。

 気味悪がって寮を出たやつもたまにはいたらしいけど、基本的にはあそこがあんまり古くてもろいから誰も住まないみたいだな。

 水色に染まる頻度もそんな高くないらしいし。


 もっと昔の話は知らないのか、って聞いたんだよ。オレ。

 例えば、人がその水色に染まっちゃったこととかないの? って。

 そしたらさぁ、わかんないって。

 昔々に、霊感体質のやつが、そんなことになったこともあったっていう噂は聞いたことがあるらしいけど。

 長老が噂で聞くくらいだから、ずいぶん昔のことだよな。ほんとかどうか確かめようにも、いつの話なのかすらわかんなくて。


 あ、でもな。たまになんだけど、具合が悪くなるやつもいるらしいんだ。

 水色になった服を気にせずそのまま着てて、なんとなーく具合が悪くなるとか。

 そういうやつを何人か見てきたって。だから、たぶんあまり良いものじゃないだろうから、気をつけたほうがいいって。


「長老が言ってたぜ。タロ、体調悪いとかないか?」


 話を区切った清春がタロの顔を覗き込む。

 変色した髪が気になるのだろう。タロは目深に帽子をかぶったまま。

 

「ん〜? ちょっと顔が赤いか? タロ、すこし帽子さわっても良いか」

「俺……髪の毛、剃る!」


 清春が手を伸ばしたとき、タロが不意に叫んだ。


「急にどうした」

「だってだって、具合悪くなった人いるんだろ。しかも、自分に色がついた人なんていないって言うし、俺やっぱおかしいんだよ。わけわかんないし、仕事にも行けないし。それだったら俺、丸坊主にする!」


 丸坊主にしたタロを想像してみれば、おそらく似合うだろうと思えた。

 幼い言動とくるくる変わる表情も相俟って、野球少年のように見えてしまうかもしれないが。


「まぁ確かに、髪の毛ならば二度と生えてこないわけでもない。剃って何とかなるなら、それも有りだろうか」

「いやいや、朝陽はなに同意してんの。タロ、いきなり剃るんじゃなくて、まずは染めるとかどうだ?髪の毛を全部剃って、地肌に水色の斑点できたりしたら、どうすんだよ」


 清春の言葉はなるほど、その通りだった。

 

「体調不良を起こす可能性があるなら、安易に剃るのは考えものか。ならば、髪の毛を」


 染めるのもなしか。

 そう言おうとした。けれどそんな余裕はなかった。

 隣に座るタロの体がぐらりと、前のめりに倒れたのだ。


「タロッ!」

「あぶねえ!」


 ふたりそろって差し出した手が、タロを支えた。


「あ……俺……?」


 ぼうっとした声で、意識までは失っていないと知ってほっとする。

 清春がタロのひたいに手のひらをあてる。帽子は倒れかけた拍子に落ちていた。


「熱はなさそうだけど。タロ、気持ち悪いとかあるか?」

「んん……わかんない。なんか急にぐらっときて」

「よし、病院行こう。オレ付き添うわ」


 ぼんやりしているタロの肩を支えて、清春が立ち上がる。

 共に行こうと、朝陽も腰をあげたのだが。


「朝陽は原因探ってくれねえか」

「原因? タロの髪の変色のか。だが、今はそれよりも病院に行くのが先だろう」


 いくらタロが小柄とはいえ、ふらつく体を支えて歩くのは大変だ。


「オレ、トモダチ多いから手の空いてるやつ呼ぶし。でも、病院で治らなかったらやべえじゃん。だから、原因探るのも進めたい。これは他のやつに頼めることじゃねえから」


 清春の真っすぐな視線が朝陽を捕える。

 お前しかいないのだ、とすがるように見つめられて、朝陽は気づけば「わかった」と答えていた。

 

「清春がタロを支えているから、俺の手は空いている。だから、頼られよう」


 すこしおどけて言えば、清春がにひっと笑う。

 お面様の騒動が終わったときにふたりで話したときのことを思い出したのだろう。


「頼んだぜ、お人よし」

「ああ。そっちも、何かわかったら連絡を頼む」

「おう」


 頷いた清春は、手の空いている友人を呼ぶのだろう。携帯電話を取り出したのを横目に、朝陽は荷物を手早くまとめてふたりに背を向ける。

 タロのことは清春に任せると決めたのだ。やるべきことが決まったのなら、迷っている暇はない。

 

「気を付けろよ!」


 背中にかけられた声に片手をあげて答え、朝陽は降りやまない雨のなかを駆け出した。




 あてもなく駆け出したわけではない。

 向かう先は四片地区。タロが住まうよひら寮を目指して、構内を走り抜ける。

 雨のおかげか、常には群れるようにして移動する学生の姿もまばらで、ぶつかる心配もなかった。

 

 毎日、階段を上り下りしている成果だろうか。息が続くことをありがたく思う。

 学生寮だけあってよひら寮は大学から近い。

 正門でも裏門でもない半端な出入口を抜けてすこし行けば、草だらけの空き地や錆びた倉庫の合間に古びた建物が見えてくる。

 

 こじゃれた大学の建物やその周辺の手入れされた家々と比べると、一気に景色が色味をなくした。

 曇天でうす暗いせいもあるのだろうか。目にうつる何もかもが色あせて見える。


 視覚がおぼろげなせいか、湿った水と土の匂いを強く感じる。そこにタロの髪を染める水色と赤紫の斑点模様がちらつく。

 それらに朝陽は覚えがあった。

 記憶のなかの何かが揺さぶられる、けれど思い出せないもどかしさ。


 ──なにか、なにか思い出しそうなんだが。

  

 つかめそうでつかめない。

 走っているせいで頭が揺れるためか。浮かぶ何かは明確な形になってくれない。水たまりに雨が落ちるように、耐えず揺らめいて不明瞭なまま。


 もどかしい気持ちを抱えて走るうち、朝陽はあたりが水たまりだらけになっていることに気が付いた。


 ──土地が低いのか?


 進むごとに足が水を跳ねる。

 避けて通ろうにも、むき出しの地面はそこかしこで緑の葉が生い茂り、水たまりを踏まずに進むなら草に染まるほかない有様。


 ──いつから舗装が無くなっていたのだろう。


 ふとそんな思いが脳裏をよぎるけれど、振り向く間がおしい。

 濡れるのも気にせず駆けて、木造二階建ての寮にたどり着いたころには、朝陽は膝まで水に浸かっていた。

 持っていたはずの傘はどこかで落としてきたのか、雨にも降られている。頭皮をすべり額を流れる雨がうっとうしく、乱暴にぬぐったところで朝陽は目を見開く。


 腕に流れるものは水色をしていた。雨ではない。明らかに色づいた水だ。


「タロの髪と同じ色だ……」


 気づいて見れば、足元に溜まった水も空から降ってくる水も、すべてが澄んだ水色に染まっている。

 水溜まりに浸かった脚を持ち上げれば、ズボンの裾が水色に染まりつつある。


 寮の扉は中程まで水に浸かっている。あたりを飲み込む水溜まりは、寮を中心に深くなっているように見て取れた。

 おそらく、ここが異変の中心だ。


 気をつけろよ。

 清春の声が思い出されて、朝陽は寮を目の前に足を止めた。

 

 ──今ならまだ引き返せる。


 不可思議な現象に対して、朝陽ができることがあるのかわからない。

 それでも、このまま帰ることはできなかった。


 お人よしだと清春は言うけれど、そうではない。

 タロはもう身内も同然。できることがないか、足掻かない選択肢などなかった。

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