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1 色づく

 お面様の一件から朝陽は、雨谷清春と佐藤タロの三人で過ごすことが多くなった。


 ふたりはお面様の騒動のためにすべて同じ講義を受けているし、一年次は必修科目が多いため朝陽もほとんど同じ講義を選択しているので、大学内で共に行動するのは必然。

 自然といっしょに学食へ行ったり、図書館の学習室を交代で借りたり。


 雨谷のことを「清春」と呼び、佐藤のことを「タロ」と呼ぶようになるのに、そう時間はかからなかった。もちろん彼らは朝陽のことを名前で呼ぶ。

 

 ひとりではない心強さに助けられて、慣れないひとり暮らしがいくらか馴染んできた、六月のある日。

 梅雨入りの発表を体現するように、ここ数日は曇天からひっきりなしに雫が落ちていた。

 そのくせ気温は下がらないものだから、息の詰まるような蒸し暑さ。自転車で爽やかに風を切って走り抜けることができず、朝陽は徒歩で神社から大学まで通う日々。


 雨自体は嫌いではない朝陽だけれど、こうも蒸し暑いと気持ちが滅入ってきてしまう。


 ――なにか爽快な気持ちになることでもないだろうか。


 そんなことを思いながら学食で昼食をとっていたときのこと。清治がタロを向いて瞬く。


「イメチェン? にしてもささやかだな」


 何のことだろう、と隣に座るタロに目をやった朝陽は、なるほどと納得した。

 タロの黒髪の毛先がほんの一部、鮮やかな青色に染まっている。

 海の青というよりも空の青。水色に近いだろうか。

 

 ――雨に色をつけるとしたら、こんな色かもしれない。


 透明感のあるきれいな色に見とれていると、タロが自身の毛先をつまんで首をかしげる。


「いめ? ううん、なんか寝て起きたら、色ついてた」


 そんなことがあるだろうか。不思議に思った朝陽と同じことを清春も思ったらしい。


「傷んで赤くなるならよく聞くけど、青色だもんな」

「不思議なこともあるものだな。青色……というか、水色になった箇所だけやけに瑞々しいな。いまにも滴りそうだ」


 切りっぱなしのタロの髪は、格別な手入れをしてあるわけでもないようで、朝陽と同じくらいほどほどにぱさついている。そのなかで水色に染まった髪の箇所だけが、つやつやと濡れたように光っていた。

 自他共に認めるおしゃれな男、清春は興味を惹かれたのだろう。伸ばした指先にタロの髪をくるりと絡めた。


「うっわ、まじでしっとりつやつや! え、タロってシャンプー何使ってる?」

「んえ? しゃんぷ? 俺、あれだよ。真っ白くて四角いせっけん!」


 髪の毛を泡立てるジェスチャーをするタロに、朝陽と清春は顔を見合わせた。


「タロ。さすがに石けんはやべえって。美容とかそういうの以前に、毛が傷むじゃん。髪が傷んだら赤くなるって言ったけど、石けんで洗ってると青くなるかも知れねえよ。俺らが知らないだけで」

「絡まりやすくなって手入れも面倒になる。安いもので良いから、せめてシャンプーを買いに行こう」

「そうなの? でもお店のなか、いっぱいありすぎてわかんない」

「「一緒に行くから」」


 朝陽は美容に詳しいわけではない。むしろからっきしだ。

 それでもつい首をつっこんでしまうのは、タロがどうにも危なっかしく放っておけないところを持つからだろう。

 そんなわけで、本日の予定が決まった。




 講義を終えて、三人でドラッグストアへ向かう。

 大学からすこし歩いた住宅街のど真ん中にある、ローカルな店舗だ。このあたりの学生なら誰もが世話になっていることだろう。

 聞いたことのない店名だけれど、大きさはチェーン店に引けをとらないので朝陽もありがたく使わせてもらっている。

 

「元は昔っからここにあるよろず屋で、学生相手にもうけて段々店がデカくなってるらしいぜ」

「へ~」

「清春はどこからそういう情報を仕入れてくるんだ?」

「先輩だよ。オレ、サークルいくつか掛け持ちしてるから、色んな先輩と会うんだよね。今度、必修講義の過去問もらってくるからみんなでコピー取ろうぜ」

「やった~」

「ありがたい。夏休み前にはじめての試験があるから、どうしたものかと思っていたんだ」

 

 なんでもない会話を交わしながら手頃なシャンプーとコンディショナーを選ぶ。

 とはいえあまり金に余裕のないらしいタロの予算内で、ということでそう時間もかからずに商品は決まった。さて清算をしに行こうか、と思っていると清春が「そうだ」と声をあげる。


「あの人に聞いてみねえ?」


 清春の視線の先には、白い上下を身につけたドラッグストアの店員がいた。商品の整理をしているのだろう。立ち止まっては商品を並べなおし、また歩いては立ち止まるのを繰り返している。

 大忙し、というわけではなさそうだが。


「聞くとは、何を?」

「この髪のこと」


 清春が指差したのは、タロの頭。


「俺の髪〜?」

「そそ。何で青くなったのか、気になるじゃん」

「まあ、気にはなる」

「俺は別に〜」


 当の本人は特に気にしていないらしい。陳列された芳香剤の匂いサンプルに片端から顔を寄せて、鼻をひくつかせている。

 小学生になったばかりの弟がとる行動といっしょだ。


「そういえば、タロはアルバイトをしているのではなかったか。髪色が変わることで支障はないのか」

「おー、新聞配達だから大丈夫じゃない? 今朝この頭で行ったけど、誰にもなんも言われなかったよ〜」


 聞けば、新聞配達は高校生のころからしているらしい。

 何やら苦学生の香り、と思いつつ今はタロの過去ではなく現在の話をしに行くところ。

 店員に向かってすたすた進む清春に続いて、タロと朝陽もついていく。


「すんませーん。今いいっすか? ちょっと髪の毛のことで聞きたいことあって」

「はい、何でもお聞きください」


 にこやかに振り向いた店員は若い女性だった。

 名札には『なんでもお聞きください』と書いてあるが、そのとなりには『初心者』を意味する若葉マークも貼られている。


「こいつの髪の毛が急にこんな色になったんですけど、原因ってなんか思い当たります?」


 清春が示したタロの髪を見て、女性店員は「うーん」と眉を寄せた。

 

「水色、ですか……黒髪が傷んで赤くなることはよくあるんですけど……」

「そっかあ」


 やはり水色になることは一般的ではないらしい。

 タロ自身は相変わらずお試し品をつついており、この話題に興味がなさそうだ。

 対する店員は、難しい顔で考えこんでいる。

 

「水色、青系の色ですよね……うーん……」

「軽い気持ちで聞いただけなので、あまり考えこんでもらわなくとも」


 大丈夫、と伝えようとしたところで、店員がぱっと顔をあげた。

 

「そうだ、あれだ! ちょっと待っててくださいね!」 


 明るい声をあげたかと思えば、足早にバックヤードへと消えていく。

 ほどなくして戻ってきた彼女の手には、一冊の分厚いファイルがある。

 古いものなのだろう。ぎっしり詰まった紙は新しいものもあれば、変色したものもある。まだらな紙束のあちこちから飛び出した付箋が、そのファイルがそうとう雑多な情報をまとめたものだと伝えていた。

 

 付箋のちいさな文字を追っていた店員の手が、とあるページを開く。


「ああ、やっぱり。ここに書いてあります」


 店員の指差した箇所をみんなで覗き込む。

 『髪色についての相談、青くなる場合について』。そう書かれた紙はずいぶんと黄ばみ、端のほうにはひび割れもできており、書かれてからの時間の経過を感じさせた。


「ええと、『髪が青くなったという相談があった場合、相談者の住所を聞く』とあります。お客様のお住まいをお尋ねしてもよろしいですか?」

「俺? 俺はね、あそこ。学生寮に住んでるよ〜」

「学生寮というと……えっと、地名は」

四片(よひら)じゃなかったっけ? よひら寮って名前だったはず」


 タロの回答に清春が補足すると、店員は古びた紙を慎重にめくった。


「四片ですね。『四片地区に住んでいる場合は、時々あることだと伝えて良い。その他の地域の場合はわかりかねます、と伝えること』だそうです!」


 にっこり笑顔で店員が言うので、朝陽と清春は顔を見合わせた。タロはふたりを交互にきょろきょろ。


「時々あんの? まじで」

「地域限定の事象ということだろうか」

「うーん、その他には……何か書いてあった跡はあるんですけど、文字がかすれてしまって読めなくて……」


 店員が言うとおり、古びた紙の下のほうに書かれた言葉は、色あせて読み取れなかった。

 

「まあ、時々あることってんなら、大したことないんだろ。タロも別に困ってないし、良いんじゃね」

「うん。俺、べつに困ってない!」

「住んでいる地域の問題なら、そのうち誰かに聞けばわかるかもしれないしな。話を聞かせてもらってありがとうございました」


 朝陽たちが礼を言うと、女性店員はうれしそうにはにかむ。


「また何かありましたら、何でも聞いてくださいね! またのご来店をお待ちしています!」


 笑顔の店員に見送られて、その日はそれで解散になった。

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