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神社の管理人~ひょんなことから神社の敷地に住んだら大学生活が退屈する暇もなくなった~  作者: exa(疋田あたる)
暗きもの

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3 水辺にて

 電車を乗り継ぎ、数時間。

 京都で最後の乗り換えをしてしばらくすると、車窓から見える景色に湖がきらめくようになった。


 水面はどんどん広さを増していき、朝陽が降りる駅に着く頃には望む地上のほとんど全てが湖になっていた。

 

「すごいな」


 湖と空と山。

 それだけで視界が埋め尽くされる。

 初めて目にする広大な湖に、朝陽は思わず目を奪われた。

 対岸の見えない琵琶湖は、まるで海のよう。

 吸い寄せられるように近寄れば、打ち寄せる波は無いが、風がさざ波を立たせるのだろう。湖水がしゃぱしゃぱと岸辺を洗う。

 時刻は十六時過ぎ。

 まだまだ熱さがきびしいとはいえ、昼間の陽差しが勢いを弱めるころであるのに、水面は陽光を遊ばせて眩しいほどだ。


 ──なんと巨大な湖か。これだけ大きいのに、海じゃないのか。

 

 雄大な自然に畏れにも似た感慨を抱くと同時に「この広大な湖につながる川や水辺がどれほどあるのだろうか」と、へこたれそうな気持ちにもなる。

 危険ゆえに無関係な人を巻き込まないようひとりできたけれど、ちょっと後悔してしまいそうだった。


 ──やっぱり清春にも来てもらうべきだったか……いや、しかしただでさえ記憶を消されているのだから、近づけるのは危なすぎるし……。


 携帯電話が震えたのは、そんなときだった。

 画面を見れば、清春からのメッセージが届いている。


『夏休み期間のアルバイト、ひととおりメモしてきた。楽しそうなやつだけ先に送る』


 短い文言のわりに、添えられ写真は何枚もある。

 大学の学務科に置かれているアルバイト募集の書類を見てきてほしい、と頼んだのは朝陽だが、清春の仕事がはやい。

 出がけに頼んでから数時間で送ってきたということは、講義が終わってすぐ行動してくれたのだろう。

 

「それだけ信じて待ってくれているということだな」


 記憶もなく、記録もないのに、朝陽の言葉だけを信じて清春はあれこれ任されてくれている。

 その思いを無碍にするわけにはいかないと、朝陽は気合いを入れ直す。


「清春を連れてくるのは、三人で遊びに来るときだ。そのためにも、必ず連れて帰る。タロ、待ってろよ」


 つぶやいた、その瞬間だった。

 どぼ、と足が沈む。


「なんだ!?」


 驚いて見下ろした足元は湖岸のアスファルトであったはずが、泥濘に変わっていた。

 おぞましい冷ややかさが肌を這い上り、生臭さが噴き上がる。

 目の前にある湖のきらきらしさはかき消え、陽光がかすむ。


 澱みに沈んだ足首が何かに掴まれ、ぬちりと力を込められるのがわかった。


 ──引きずり込まれる!


 そう感じた瞬間、梅の香りが朝陽を包む。

 コテイがそばにいるのか。夜明けのような清廉な気配が背後ににじむ。

 それは泥の下にも届いたのだろう。足首を掴む力がわずかにゆるんだ。


 ──逃げなければ。


 朝陽はその瞬間を逃さず、後退した。

 足首に触れる怖気の走るなにかから逃れたものの、いまだ両足は泥の中。

 まともな地面を求めてもがくけれど、粘性の高い生臭さにまともな身動きが取れない。それどころかずぶずぶと深みにはまっていく。

 

 足が呑まれるごとに「もう無理だ」という諦めがじわじわと体に染み込んできて、抵抗する力を奪おうとする。

 まるで絶望に足を浸しているかのようだ。

 

「くっ、何なんだ、これ!」


 かすかに感じる梅の香が無ければ、抗う間も無く呑まれていただろう。さわやさな甘い香りが朝陽の気持ちを支えてくれる。


 ──それにしても気持ちが悪い。


 まるで湿った冷たい指が絡みつくような不快感は、抗う気持ちを削ごうとするかのよう。

 身動ぐたびにずぶ、ずちゅ、とまとわりつくのは本当に泥なのか。

 悠長に確かめる暇など、朝陽にはなかった。


 泥濘がごぼりと盛り上がり、姿の見えない何かが這いずるように近づいてくるのだ。

 ぬたぬたと左右にぶれながら動く何かは、決して素早くはない。

 けれど足を取られた朝陽はそれ以上に鈍く、絡みつくような泥を押し分けて必死に後ずさるが、蠢く何かとの距離はじわじわと縮まっていく。


「くそっ、抜けろ、抜けろっ」


 叫びながら動かした足はぐぼぐぼと不快な音を立てて、泥底の異臭をいたずらに吹き上がらせるばかり。

 いよいよ泥が大きく盛り上がり、姿を見せた巨大な丸い頭が朝陽の真上に影を作る。

 ぼたぼたと降ってくる生臭い泥とともに、ぐぱぁと開かれた大きな口。

 赤黒い闇が広がった、と朝陽は錯覚した。

 それほどに目の前の異形は大きい。


 ──図体のわりに目が小さいな。

 

 生臭い呼気を浴びながら、思ったのは至極どうでも良いこと。

 見上げるほど大きな頭がまだらに滑る皮膚の両端、ひとの拳ほどの小さな目玉がきろきろと動いて朝陽を捉えた。


 食いつくというよりは、顎が落ちてくるような動作で迫ってくる。

 朝陽は膝上まで泥に埋まり、逃げようがなかった。

 梅の花が守ろうとするようにいっそう強く香るけれど、降ってくる巨大な頭を止めることは到底できない。

 

 ──食われる。


 覚悟した朝陽だったが、異形の大口が閉じられたのは朝陽の鼻の先。

 どぽんっ、と泥を噴き上げて巨体が沈むのを眼前に見ながら朝陽が尻もちをついたとき、視界に白いものが舞う。


 梅の花だ。

 白く清廉な花びらがはらはらと降ってくる。風もないのに、朝陽を隠そうとするように舞い続けている。


「一度引け。やつが戻る前に」


 虚空に聞こえたコテイの声にはっとして、朝陽は沈みゆく体に力を込めた。


 ──相手の思うままに沈んでたまるか。俺はタロを連れて帰らなければいけないのだから。


 抗いようがない、と思いそうになる気持ちをねじ伏せて、自身を奮い立たせる。

 気力を取り戻した途端、泥の底に手足がついて力が入った。

 絡みつく泥を払って体を起こす。萎えてしまいそうだった足を踏み締めて立ち上がる。

 

 ──負けるものか。


 強く思えば、底なしだと思われた泥には底があった。

 泥が手足にべったりと絡みついているように感じていたけれど、その気になれば簡単に振り払える。

 触れた箇所にもたらす絶望の濃さの割に、抵抗できるものらしい。


 ──あるいは、俺へのこだわりがさほどないだけか。理由はどうあれ、逃がしてもらえるのはありがたい。

 

 思考する余裕を取り戻した朝陽は、泥に隠れた異形を刺激しないようにそっと動く。

 道を示すように舞いゆく白い花弁を追って暗がりを行けば、光が見えた。


 迷わず進めば、そこは夢で見た湖底の村。

 水面からは光が差し、静かな水底にうすい影をゆらめかせる。

 ちらりと揺れた光が目を焼く。

 不意に訪れた穏やかな静寂に、朝陽は瞬いた。


「また夢を見ているのか……?」

「夢ではない。(うつつ)でもないが。狭間ならば我が領域を築くも容易い」


 ふと現れたのは、白い髪の人。


「コテイ様、か?」


 白い姿と清廉な気配。

 香る甘い花の匂いは間違いなく梅の木の化身なのだけれど、視線が低いのだ。

 元は見上げるほどだった背丈が、いまや朝陽の腰ほどに縮んでいる。


 ──顔形もよく似ているようだけれど、もしや仲間の花が人の形をとったものだろうか。

 

 しげしげと眺める朝陽を小さな白い人がじとりと見た。


「器に引きずられていくらか形が変わっただけだ。自ら名付けておきながら、見失うのではない」

「ということは、やっぱりコテイ様ですか」


 確証が持ててやっと警戒をとける。

 コテイの領域ということは、危険はないということだ。

 

 落ち着いてよくよく見てみれば、確かにコテイを縮めただけの姿をしいてる。

 どうやら朝陽が用意した木が若すぎたせいで、容姿に影響が出ているらしい。人ではない存在のあり方を知らない朝陽にはそれがよくあることなのか否か、判断がつかない。

 けれども以前のような消える寸前の儚さが失われていて、安心する。


「俺の手元にあった梅の木があれだけだったので、気に入らなかったらすみません。けど、元気になったみたいで、良かった」

「不満ではあるが、不快ではない。馴染むに時間を要したが、力もいくらか取り戻した」


 むっすりとしながらもコテイは言って、広げた手のひらに白い花びらをひらりと舞わせる。


「それじゃあ、あなたがあの巨大なものを倒してタロを取り返すことは……」

「成せることと成せぬことがこの世にはある。ただ長く生きただけの花に、他を害する力など有りはせん」


 すこし期待しながら聞いた朝陽だったが、きっぱりと否定されてしまった。

 そう甘くはないらしい。

 ならば、と肩に手をかければリュックはちゃんと背中にある。

 下ろして見てみれば、全身を浸したはずの泥はいつの間にか消え失せ、リュックもきれいになっている。目に見えるそのままの物質ではないらしい。

 

「中身は……無事か」


 梅の木は折れることなくそこにあった。

 けれど麟太郎にもらったお守り袋がひとつ、無くなっている。

 朝陽には心当たりがあったので、慌てることはなかった。


「身代わり人形に救われたな」

「やっぱり。さっき、あの化け物が食べたのは麟太郎さんのお守り袋だったんですね」

「ああ、人を模した布人形であった。込められた念を人と思い違いしたのであろう」


 巨大な口が朝陽を食わずに目の前で閉じたとき、泥とは明らかに違う華やかな色味が見えた。

 一瞬のことで確証はなかったが、麟太郎のお守り袋が朝陽を助けたのだ。

 コテイの言葉を聞いて、朝陽は「どんな人形だったのだろう」と思う。


 ──麟太郎さんのことだからきっと、手が込んだ華やかな人形だったのだろう。ひと目も見ずに食わせてしまったな、せめて感謝しなければ。


 日の目を見ることなく手放すことになった人形に胸の内で感謝を唱え、朝陽は残されたお守り袋を手に取った。

 最後ひとつのお守り袋を両手で持って、祈るように額に押し付ける。


「どうか俺たちを守ってください」

「向かうつもりか」

「はい」

「このまま引き下がれば、あれは気づくことも無かろう」


 眉間にしわを寄せたコテイが、自分を心配しているのだとわかって朝陽は笑う。


「それじゃあ俺の目的は果たせませんから」

「だが、どう戦う。その身の代わりはもはやなく、我にあれに対抗できるほどの力もない。せいぜいが気を逸らし撹乱する程度。先ほども、身代わり人形に意識が向くまで何もできずにおったというのに……」

「戦いに来たわけじゃないので、むしろ今がチャンスだと思うのです」


 化け物には目がついていたけれど、それはひどく小さかった。

 そして確かに視線に捉えられたと思ったのに、お守り袋と朝陽とを見間違えたことから、きっと視力もさほど良くはないのだろう。

 コテイは「戦えない、力負けしている」と言うけれど、隙さえ作れば彼が力を貸してくれると言うことでもある。


 ──だったら、やりようはあるはずだ。


 朝陽は荷物のなかから袋を取り出した。

 麟太郎に渡された、ありがたい御神木で作られたとっておきの炭だ。

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