5 失われないもの
朝陽は、朝の涼しさのなか自転車を走らせた。
自分なりに必要だと思うものをあれこれ詰めたリュックは、限界ぎりぎりまで膨れている。
大荷物を背負って向かう先は、住宅街のなかにある呪芸屋だ。
「麟太郎さん!」
看板も出ていない店の扉を叩く。
無作法は承知だ。
けれど「朝はまったり過ごしたいのよねえ」と聞いたことがあったから、寝ているわけではないはずだと、声をあげる。
「んもぅ〜、誰? こんな時間に非常識よ」
やはりすでに起きていたらしい。
ぷりぷりと怒りながら扉を開けた麟太郎は、朝陽の顔を見てきょとりとした。
「あら、朝陽ちゃん。どうしたの? 手芸用の糸でも足りなくなった?」
「麟太郎さん。タロのこと、覚えていますか」
「タロ?」
ふしぎそうに繰り返されて、奥歯を噛む。
数少ない頼れる相手がまたひとり、いなくなったということだから。
けれど麟太郎さんは「知らないわ」とは言わなかった。
「……中へ入って。ちょっとそこで待っててちょうだい」
麟太郎は手芸用品が並ぶ店のカウンター用の椅子に朝陽を座らせ、奥の部屋へと戻っていく。
ほどなくして戻ってきた麟太郎の手には、ピンクとキラキラで覆われた箱があった。
麟太郎の両手に余るほどの大きさの箱をカウンターに置き、ふたを開ける。中から取り出したのは、これまたしっかりと麟太郎好みの装飾が施された封筒。封蝋はラメ入りのピンクだ。
宛名の位置に『昨日のアタシから、今日のアタシへ』と書いてある。
──不思議な宛名だな。
不思議に思う朝陽の前で麟太郎が封を切る。
取りだした一枚きりの便箋を広げて目を通し、麟太郎は指で眉間をぐいぐい押した。
「ふう……。まず言っとくわ。アナタが探してる相手のこと、アタシは覚えていない。ごめんなさいね」
「そう、ですか……しかし、どうして俺が人を探していると?」
「昨日のアタシからの手紙よ」
ひらり、麟太郎は広げていた便箋を朝陽に向ける。
そこにはいくつかの文章が箇条書きで書かれていた。合間に読み取れない文字の書かれた行が多いが、読める文章のなかのひとつに、たしかに『朝陽ちゃんと清春ちゃんが友だちを探してる』とある。
「この様子だと、手がかりになる部分は消されてるわね」
「消されてる……」
麟太郎は便箋をとんとんと指で叩く。
「消されているというか、認識できないようにされているといった感じね。こことここ、ぐちゃぐちゃで読めないでしょう」
「ええ。書き損じを消したわけでもなく、何か書いてあるのはわかるのに、日本語に見えない」
つい、読める行に目が吸い寄せられるが、意識して目を向けても読めない文がいくつもある。
「アタシはね、こういう便箋に書くときは間違えたら消さずに、もう一度同じ文章を書くって決めてるの。なのに、空いてる行があるってことは、昨日のアタシが覚えていて書いたことを消したものがいるってことよ。忌々しいわ」
「清春の記憶も、そいつが?」
「いっしょに探していた清春ちゃんも忘れてしまってるなら、そうなんでしょうね。記憶は曖昧なものだから、つけ入る隙がたくさんあるのよ。だから文字に残したっていうのに、それすらも食っていくなんて……」
ぎり、と唇を噛んだ麟太郎が真剣な眼差しを寄こす。
「朝陽ちゃん、手を引くことは」
「できません」
「……でしょうね。昨日のアタシもそう書いているわ。『説得は無理。助力せよ』ですって。なんて余裕のない文章かしら。かわいくないわ」
「でも、助力してくださるんですね」
朝陽が期待を込めて言えば、麟太郎はむすっとする。
「記録まで読めなくさせるなんて、確実にやばいヤツが関わってるわ。自分の命が大事なら、手を引くべきよ」
「はい。昨日も聞きました」
それでも昨日の麟太郎は助力を考えてくれた。
だから朝陽はまだ手を引かない。何より、諦めるつもりはない。
その意思を込めて見つめ返せば、じっとりとした目を向けていた麟太郎が表情をゆるめる。
「はあ……勝算はあるの?」
「わかりません。でも、俺はまだあいつのことを忘れていない」
「清春ちゃんが忘れているのにアナタだけが覚えているのは不思議よね。神社の敷地内に住んでいるから、手を出せなかった? となると、やっぱりとっても良くないものっていうことよね」
「あの神社はそんなに由緒正しいというか、霊験あらたかな場所なのですか」
朝陽が問えば、麟太郎は「あら」と驚いたように声を上げた。
「アナタ、あの神社の名前知らないの?」
「産土神社と書いてあるのは知っています」
毎日何度も見上げる鳥居に、社に書いてあるのだからもちろん知っている。
ただ、どのような由緒を持つ神社なのかは知らなかった。
「だから、産土なのよ。その土地を守る神様。その土地に生まれた人をみんな守ってくれる神様ってことよ」
「じゃあ神様にとって俺はよそ者では?」
「アナタにとっては氏神様になるんじゃない? 移り住んだ土地の神様だもの。どっちにしろ、悪いものから守ってくれる存在よ。その領域から弾かれたのなら、良くないものということね」
土地で生まれたものを守るのかと思いきや、よそから来た朝陽のことも守る対象にしてくれているらしい。
──日本の神様のゆるさというか、おおらかさというやつか。基準はわからないが、ありがたい。
「他に俺の記憶が消えていない要因としたら、このお守りが考えられます」
「あら、梅のポプリ」
袋が開いてしまったお守りを見せて、夢の話を聞かせる。
ひと通りを聞いた麟太郎は「ふぅん」とすんなり納得した様子。
「さしずめ、その方は朝陽ちゃんが探してる子の産土神ってところかしらね。良い縁が残ってた、ううん。途切れそうだった縁が、アナタに繋がったのね。途切れてしまわなかったのだから、探し人はそこは運が良いのね……大事になさい、その縁がきっとアナタの助けになるわ」
にっこり微笑む麟太郎に、朝陽は「はい」と頷いて返した。
「さて。それなら、探し人の居場所は白い神様が知ってるということね。だったら、アタシが渡せるのはこれだけだわ」
麟太郎が差し出したのは、片手に収まる布袋。麟太郎の店の看板によく似たデザインの装飾が施されている。
「この袋自体が、アタシとアナタを縁付かせてくれるもの。相手は人の繋がりを切る力があるようだから、アナタを繋ぎ止めるものをひとつでも多く持って行ってちょうだい」
「はい、ありがとうございます。これもお守り袋のように身につけていれば良いですか?」
「ううん、これは中身を使うのよ」
言って、麟太郎はその場で袋を開けて中身を見せた。
ごろりと入っていたのは、黒い塊。
「炭、ですか?」
「そう。それもありがたーい御神木で作られた炭よ。使い方は紙に書いて入れておいたから、移動中にでも読んでちょうだい」
「はい」
炭をどう使うのか。朝陽には想像がつかなかったが、麟太郎を信じて受け取る。
「あとは、白い神様の依代になるようなものがあると良いんだけど。ポプリじゃすこし弱いのよね……」
むう、と口を尖らせる麟太郎に、朝陽は「これ、どうでしょう」と背負っていたリュックの中身を見せた。
そこに入っているのはいつだったかタロに貸した手拭いや帽子、それから庵で育てていた盆栽だ。
「あら、梅の木ね! どこかで買ってきたの?」
「いえ。いただいたもので、何の木かもわからず世話をしていたのですが」
夢で梅の木を見たときに、気がついたのだ。
もらいものの盆栽は同じ木なんじゃないかと。
──タロがこの木を見たことある気がすると言っていたのは、もしかしたらあの村での記憶が残っているのかもしれない。
そうであれば良い。
朝陽としては、梅の花で白い人が夢に現れたのだから、梅の木があればまた会えるのではないかと思い、持ち出してきたのだが。
「良いわ! 最高よ。アナタと縁づいた梅の木なら、きっと白い神様と繋がる力になる」
麟太郎が目を輝かせて言うものだから、朝陽は今日までの全てに感謝した。
神社の管理人になったこと。寺の子と勘違いした清春がタロを連れてやってきたこと。神社に通う老人たちが若い朝陽を何くれとなく構ってくれたこと。その一環としていただいた盆栽が今、タロを救う助けになるだろうこと……。
「行ってきなさい。そして、帰っておいでなさい。次に来る時は五体満足、三人で手芸用品を買いに来るのよ!」
「はい」
〜いなくなったひと 完〜
次の更新は金曜日を目指しています。努力目標です。がんばります。




