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神社の管理人~ひょんなことから神社の敷地に住んだら大学生活が退屈する暇もなくなった~  作者: exa(疋田あたる)
つかれやすい

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5 よみちをいく

「タロッ!」


 必死で伸ばした朝陽の手が、タロを捕える。


「朝陽!」


 タロもまた恐怖に強張った顔で朝陽に手を伸ばした。

 ふたりの手は互いをつかみ、はるか崖下への落下を一瞬止めた、けれど。


「だめだよ、だぁめ。お兄ちゃんはボクと逝くの!」


 繋いだ手とは反対の腕に絡みついた黒い影が、子どもの声で叫びながらべたべたとタロの体にまとわりついた。 


「くっ、なんとか、両腕でつかまってくれ!」

「無理、無理ぃ! やだよぉ。俺、死にたくないぃ」


 影が遠慮なく動き回るせいで、朝陽はタロを両手で捕まえ繋ぎ止めるので精一杯。

 崖に腹ばいになって踏ん張るが、じわりじわりと引きずり込まれるのを止められない。

 タロのほうでも子どもを振り払おうと身をよじっているようだが、体が揺れて余計に朝陽が引きずられてしまうだけ。


 そうしている間にも、腕と言わず腹や胸まで這い上ってきた影がタロの胸ポケットを掠めた。

 カシャ、と音を立てて破れた小袋からこぼれたにぼしが、タロの足下の暗がりに呑まれていく。

 そのとき。


 にゃぁん。

 

 朝陽はかすかな猫の鳴き声を聞いた。

 誰かを探すような、どこか心細げな鳴き声。これがタロの言っていた迷い猫の声かと気づいたときには、朝陽は唱えていた。


「たち別れ、因幡の山の峰に生うる、まつとし聞かば、今帰り来ん」


 それは清春から聞いた、迷い猫探しのまじない。

 冗談混じりに教えられたその句が口をついて出たのは、どうしてだったのか。

 自分でもわからないけれど、そのまじないは確かに、届いた。


「にゃあん!」


 再び聞こえた鳴き声は、ずいぶんはっきりとすぐそばで響く。

 その声は不定形の影と化していたものにも届いたらしい。


「クロ?」


 あどけない子どもの声が呼んだのは、猫の名前。

 ずいぶんと久しぶりに呼ばれた名前に、黒い猫は駆けた。




 黒猫が子どもと出会ったのは、いろいろな人間と暮らしたあとのこと。

 だから子どもと一緒にいられた時間は、そんなに長くはなかった。


 それなのに、どうしてだろう。

 黒猫が寿命を迎えたとき、思い出したのは子どものことばかりだった。


 それまでにたくさんの人間が黒猫に関わってきた。

 大声をあげて追いかけ回すものもいれば、餌を寄越すものもいた。やさしく撫でられた日もあれば、蹴り飛ばされそうになった日もあった。


 いろんな出会いがあり、いろんな別れがあり、その一つ一つを黒猫はぼんやりしか覚えていなかったけれど、最期に黒猫を抱きしめた子どもの事だけは覚えていた。

 熱くて湿った、ちいさな身体。

 

 黒猫のことをクロ、と舌足らずに呼ぶ幼い声。

 食べ物はいつも手のひらに乗せて差し出され、食べ終えたあとに手のひらをざしざし舐めれば、けらけらと笑い転げていた子ども。


 遺していくことが心残りではあったけれど、黒猫はもう寿命だったから、猫の掟にならって子どもの前から姿を消して。

 ひっそりと息絶えた。

 そしてひとりきり、黄泉路をくだるつもりだった。


 なのに。


 ──クロ?


 置いてきた子どもの呼ぶ声が聞こえた気がして、黒猫は立ち止まる。

 

 ──クロ、どこなの。


 にゃあん。

 知らず、あげた鳴き声は黄泉路の闇に吸い込まれた。遠く、現世で生きる子どもには届かない。


 ──クロ、クロぉ!


 もう黒猫の声は届けられないのに、子どもの声だけが響いてくる。

 泣きそうな声。すがるような声。

 いいや、きっともう泣いてしまっているだろう。

 泣き虫な子どもは黒猫を捕まえて、遠慮なくぎゅうぎゅうと抱きしめながらよく泣いたものだ。


 ぽつぽつと降ってくる熱い雫を思い出したら、黒猫はもう居ても立っても居られなくなった。


 身を翻し、穏やかな静寂が待つ道の先に背を向ける。

 駆けて駆けて駆けて駆けて、けれども黄泉路を抜けられない。

 黒猫の身体はすでに死んでいる。魂だけで現世に戻ることはできなかった。

 

 すでに死した魂には、戻るための道が見えなかったのだ。


 それでも戻らねばとあがく間に、黒猫を探して子どもは崖から落ちた。

 大切な友だちが見つからないと、泣きながら息絶えた。

 亡骸は家族に弔われたけれど、取り残された魂は黒猫を探して彷徨い続ける。


 互いを探し求めながら、どれだけの月日が経ったのか。

 もはやわからなくなってしまっていたけれど。


 ──まつとしきかば


 声が、聞こえた。

 あの子が待っている。そうはっきりと聞こえたとき、光が見えた。

 暗いばかりの黄泉路の先に、ちいさな光。

 これは道だと、猫にはわかった。

 帰るための道。あの子の元へ、たどり着くための道。

 迷わず駆けた。

 

 泣くな、泣くな、もう泣くな。

 いま向かう、いま帰る。


 抱き続けた想いだけを糧にして、黒猫はいつもあの子が握りしめて運んでくれたにぼしの匂いめがけて、飛び出した。

 



 ──落ちる!


 朝陽は腹まで崖の縁に乗り出していた。

 あとほんの少しでも引きずり込まれれば、タロごと崖下に落ちる、と思われたとき。腰のあたりで何かが引っ掛かる感触がある。

 腕は痺れきって力を入れているのかどうか自分でもわからなかったけれど、最後まで諦めてなるものか、と地面に爪を立てて抵抗する。


 そのとき、朝陽の背を軽やかに踏んで、何かが崖下に向かって飛び込んだ。


 ──黒い猫?


 ちらりと見えたのはしなやかな姿。

 猫はタロの体を蹴って絡みつく黒い影に飛び掛かる。

 その瞬間。


「クロ!」


 歓喜に震える幼い声があがった。

 そこからの変化は瞬く間。

 黒い影が子どもの形を取り戻し、やわらかな猫を抱き止めた。


 タロの体から影が離れた瞬間、引きずり込まれるような重みが消える。朝陽はいまだ! と体を引き上げた。


「タロ、無事か!?」

「う……うん……なんとか……」


 疲れ切った様子ではあるが、タロは受け答えもできている。草で切ったのか脚に細かい切り傷があったり、腕に崖に擦れたすり傷はあるが、それくらいだ。

 黒い影に絡みつかれていたほうの腕に異変があるわけではないようで、朝陽はほっとした。


 ふと顔をあげると、崖の下。底の見えない暗がりに、黒猫を抱えた子どもの影が消えていくところだった。

 黒一色で見分けがつかないはずなのにどうしてか、確かに黒猫が寄り添っているのが見える。その姿がすっかりと闇に呑まれる寸前、見えないはずの子どもの顔が笑っているような気がした。

 そうであってほしいと思う気持ちが見せた、幻かもしれないが。


 恐ろしいものだった影が消えて、気が付けば虫の声と風の音が戻ってきていた。

 立ち上がろうとして、朝陽は気が付く。

 ズボンのポケットに入れていた派手なお守りの紐が、崖のふちに絡まり引っかかっていた。ポケットに入ったままのお守りの袋を取り出そうと触れれば、袋の頭がほどけて紐が外れる。 

 

「あのとき落ちなかったのは、もしかしてこれが引っかかって……?」


 必死だったから、実際はどうだったのかなんてもうわからない。

 けれどお守り袋の中身が空っぽだったことと、やけに頑丈なお守りの紐を見てしまえば、そう思えてくる。


 ――これは改めて、麟太郎さんにお礼をしに行かないとな。


 壊れてしまったお守りをしまい直して、あたりを見回した。

 足元しか見えなかった暗闇がおだやかな夜の闇に代わり、墨色に染まった周囲の景色が星明りにぼんやりと見て取れる。


「……清春が言っていた崖は、ここだったのか」

 

 あの子どもは、猫を探してここから落ちたのだろうか。

 色褪せた看板からは何もわからない。

 けれど探していた猫と出会えたのならば、もうここにはいないのだろうと思えた。

 どこへ行ったのかはわからないけれど、互いに望む場所に帰ることができていれば良い。

 しんみりとした気持ちで崖下の闇から視線を外し、座り込んだままの友人に目を向けた。


「タロ、帰ろうか」

「朝陽ぃ、立てない~」


 情けない涙声に、朝陽は力が抜ける。

 しゃがんでよく見てみれば、タロの右足首がやや腫れているようだった。


「足をくじいたのか? 仕方ないな……」


 振り向けば、遠く草原の向こうに町の明かりがぽつぽつ見える。追いかけている間は永遠に走っているような心地であったが、実際は大した距離を移動したわけではなかったらしい。

 くたびれてはいても、タロひとり、負ぶって帰れないこともないだろう。

 朝陽は気合を入れてタロの前に背中を差し出した。


 


 暗い帰り道。

 見慣れた景色は闇色に塗り変えられ、通り慣れた住宅街がどこか知らない町のよう。

 けれど、行きに感じたおどろおどろしさはどこにもなかった。

 夜ゆえの暗さはあるけれど、窓からこぼれる部屋の明かりが温もりを落とすおかげで、夜闇もどこかやわらかい。

 

 誰もが家に帰り家族と、あるいはひとりで思い思いに過ごしているのだろう。

 かすかな物音や人の気配がただようなか、朝陽はタロを背負ってゆっくりと歩いていく。


「朝陽ぃ、ごめんね」

「別にお前が悪いわけじゃないだろう。それになんだかんだ二人とも無事だったんだ。そう気にするな」


 終わりよければすべてよし、というわけでもないけれど。今回の騒動は避けようと思って避けられたものか、朝陽には見当もつかない。

 ならば五体満足で終われたことで良しとしようと朝陽は思うのだけれど、タロはそれで納得できないらしい。

 沈んだ声のまま「そうじゃなくて」と続ける。


「あのね、俺が憑かれやすいってやつ……心当たりあるんだ。俺、親とか親族とか居ないって話したでしょ? それだけじゃなくてね、十歳までの記憶、なくってさ。ほんとの名前もわかんないし、空っぽなんだ、俺」

「記憶が?」

「そう。十歳っていうのも、保護されたときにそれくらいの年齢だろう、ってことで登録されただけでね。ほんとはもっと年上かもしれないし、年下かもしれない」

「保護されたって、そのときの記憶は?」

「なあんにも。気づいたらねえ、そこにいたんだよ。琵琶湖のほとりだって。名前もね、わかんなくって。保護されたときにつけてもらったんだあ」


 えへへ、と軽やかに笑ってはいるが、タロの話す内容はひとつも軽くない。

 なんと返事をしたものか、朝陽が迷っているうちにタロが「それでねえ」と続けた。


「俺、家族いないでしょ。記憶ないでしょ。名前もほんものじゃなくって。だからねえ、俺。ほんとに空っぽなんだ」

「タロ……」

 

 朝陽はいよいよ言葉が見つからなくて、ただ彼の名を呼ぶ。

 タロはそれに「えへへ」と笑って、子どものように朝陽の首にしがみついた。


「だからさ、いまうれしいんだ。朝陽がいて、清春がいて楽しいこといったぱいで。勉強したことが頭のなかにぎゅうぎゅう詰まってって。俺、空っぽじゃない気がしてきて、すっごくうれしいんだ」

「タロ……幸せか?」


 あれこれ考えて、朝陽が口に出せたのはそんなあやふやな問いかけ。

 それでもタロは笑った。うれしそうに、子どものようにくすくすと。そして答えた。


「うん! しあわせ」


 顔を合わせていないからできた、恥ずかしくなるようなやりとり。

 その翌朝、タロは姿を消した。


 ~つかれやすい 完~

次回更新は金曜日を目指しています。がんばります。

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 タロの名前とか、なんか怪しいよね、とか思ってたら、もう姿を消したか…
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