1 同居人
長いように感じた梅雨も、あけてしまえば懐かしいような気がしてくる。
七月の半ばというのに日中はうだるような暑さだが、昼間が暑いほど早朝の涼しさのありがたみが増すというもの、
手にした如雨露で水をまけばささやかな風がひやりと吹いて、いっそう涼しい。
「暑いからな、しっかり水を吸って、うまく育ってくれよ」
朝陽がしゃがんで声をかけたのは、鉢植えの植物だ。俗に盆栽と呼ばれるもの。
地域住民たち、とりわけ老人たちにとっては年若い朝陽が神社の管理を真面目にしていることがずいぶんと喜ばれているらしい。
タロに貸した手ぬぐいをはじめ、あれやこれやと差し入れをしてくれるのだ。
庵の日陰に盆栽も、そうして迎えたものだった。
せっかく頂いたものを枯らすわけにはいかないと、慣れないなりに手をかけ世話をしているのだけれど。
「しかし、なんの木なんだろうな」
両手にすこし余るほどの大きさの鉢植えのなか、ずっしり太い茶色の幹から、頼りない緑の枝が数本伸びて葉をつけている。持ってきた老人は十年ものだと話していたから、太さのわりに背丈が低いのはあえて調節して育ててきたのだろう。
暗い色をした幹には艶があり、細い枝の緑色との対比が美しい。鉢植えをくれた老人は「来年の春、花が咲いてのお楽しみ」と言っていたので、少なくとも花を咲かせる木だということはわかっていた。
当然のように来年の春も朝陽がこの庵にいると思ってくれていることが、くすぐったいような嬉しいような。
「元気に育てよ」
鉢植えに声をかけて、余った水をあたりの木々にかけて。
神社の掃き掃除をすでに終えていた朝陽が庵に戻ると、室内で寝転ぶタロがいた。
数日前にゲームセンターで清春にとってもらったぬいぐるみを抱きしめたタロが、ひんやりタオルケットにくるまったままごろりと寝返りを打つ。その拍子に目が合った。
「あ、朝陽だ〜。おかえり! おはよう!」
「ああ、おはよう。ただいま戻りました」
朝のあいさつを交わす相手がいる日々も、そろそろ半月が経つ。
タロは、紫陽花の一件で寮が瓦解したせいで住む場所も家財も一切を失った。
補填は大学がしてくれるということで話がついたが、困ったのは住む場所だ。
在寮していた学生はタロと長老のふたりだけ。
長老に関しては寮がなくても困らないという。
清春いわく「今年は卒業の目処がたったから、彼女の家に同棲してたんだってよ。寮の部屋は物置兼、郵便受けがわりにしてたとかで。どうりでタロが会ったことないって言うばすだよなあ」だそうだ。
余談だが、就職先もすでに決まっており、卒業と同時に彼女と籍を入れるという。めでたい話だ。
ちなみに、寮が瓦解した件について、朝陽は咎められなかった。
「友人をたずねて来たら寮が壊れている」と大学の事務室に連絡したところ、咎められはせず、怪我はないかと聞かれてそれきり。
むしろ、住む場所のないタロを泊めると申し出たところ、感謝された。
新しい寮を作るにしても、時間がかかる。その間、仮の住まいとしてタロが住めるよう、大学側が神社の所有者である地域住民と話し合いをして、認めてもらったという。
「朝陽ちゃんの友だちなら問題ない」と満場一致だったと聞いて、恥ずかしいやらうれしいやら。
「俺ねえ、親族とかそういうの何にもいないから、家借りるの難しいんだよね〜」
タロはそう笑っていたが、表に出さない苦労はいろいろあるだろう。
──ここで同居している間くらいは心穏やかに過ごして欲しい、とは思うが……。
穏やかに過ごすことと、怠惰に過ごすことはイコールにはならない。
互いに気持ちよく過ごすためにも、お客さん扱いはしないと初日に話していた。
タロも納得しており、朝陽が掃き掃除を終えて戻るころにはいつも布団をあげて部屋のすみに片付けていたのだけれど。
──今日は寝転んで起き上がらずにいるということは、体調が悪いのか?
思い至った朝陽は「起きて朝食を作ろう」と口にするつもりだった言葉を飲み込んだ。
代わりにひざをついて、タロの額に手のひらで触れる。
「熱がある感じはしないが……」
顔色も悪くはなさそうだ。
「夏バテか? 寝る前に水分はとったか。昨日の晩は食欲もあったと思うが、塩分が足りなかったか? 確かお参りに来た方からいただいた塩飴があったはず」
念の為に体温計を引っ張り出して、タロの手に持たせる。脱水気味で体がだるくなっている可能性も考えて、経口補水液を枕元に置いた。
氷枕は用意がないので、チャック付きの食品保存バックに氷を入れてタオルで巻こうか、と部屋のすみのキッチンスペースで準備をはじめたのだが。
「えっへへ」
背後からタロの笑い声が聞こえて、朝陽は振り向いた。
見れば、ひんやりタオルケットにすっぽりくるまったままうれしそうに笑うタロと目が合う。
どうした、と問うまでもなく表情で伝わったのだろう。
タロがはにかみながら「あのさ」と言う。
「朝陽が俺のこといろいろ心配してくれるの、うれしくって。なんか、お母さんみたいだなって」
うれしげなタロとは裏腹に、朝陽はたいへん微妙な心持ちになった。
──男子大学生が同級生から「お母さんみたい」と言われるのは、褒め言葉なのだろうか。いや、友人からこれを言われた場合、性別に関係なく塩っぱい気持ちになるのでは……?
タロの様子を見るに、悪意はない。おそらく好意的な気持ちだけで発された言葉なのだろう。
だからといってよろこぶべきかと言われれば、何かが違う気がする。
「……タロ、やはりどこか調子が悪いんじゃ」
用意しようとしていた諸々をそっと置いて、タロの元へ。体ではなく心身の不調か? とそばにひざをついて顔を覗き込むと、タロは視線を彷徨わせた。
「うぅ〜……あのさ、朝陽。怒らない?」
タオルケットの端に鼻まで隠れて伺うタロの様子に、朝陽は幼い弟妹を思い出していた。
――こういう言い方をするときは、たいてい怒られると自覚があることをやらかした時だ。タロは大学生だが、子どものようなところがあるからな……。
「怒るも怒らないも、聞いてみなければわからない」
何かやらかしてしまったなら、無条件に許すわけにはいかないだろう。
そう思って、弟妹にするのと同じ返しをした。すると。
「う~……あのさ、これ……」
もぞもぞと葛藤していたタロがのっそりと起き上がり、体をすっぽりと包んでいたタオルケットを巻き取った。
現れたのは、パジャマがわりの短パンをはいたタロの脚。そして、両脚のすねにぽつぽつと小さくきらめいているのは。
「……鱗?」
「やっぱりそうだよね!? 何か、脚がむずむずして起きたらこんなの生えてて!」
「かゆいのか?」
顔を寄せ、まじまじと見てみる。
一枚一枚の大きさは小指の爪くらい。厚さもそれほど無いのだろう、硬質なきらめきを宿しながらもなかば透けており、皮膚の色がうっすらと見えていた。
指先で触れればざらりとした硬さが伝わってくる。いくらか力を込めてこすってみても、取れる気配はない。確かに皮膚から生えているようだ。
一枚ならばそう目立たず気づかないかもしれないが、両脚にぽつぽつと見える鱗の数は十や二十ではきかないだろう。
「かゆくはない。けど、生えるときにむずむずするみたい」
「生えるときに……ということは、起きてからも増えているのか? どれくらいの勢いだ。いや、まず心当たりは?」
「…………えっとぉ」
ゆるーり視線を逸らしたということは、心当たりがあるのだろう。
黙って待てば、タロはもごもごと話しはじめる。
「昨日の昼過ぎさ、朝陽がひとりで講義行ったとき、清春がサークルの集まりあるからって帰って、俺ひとりになったんだよね。そんで、暇だからぶらぶら歩いてたら『毎日が夏休み』の人たちと会って」
タロが口にしたのは、大学に数多あるサークルのひとつ。特定の行為を目的としているわけではなく、毎日を夏休みのように全力で過ごす、という人々の集まりだ。
面白いことを考えるものだ、とサークル勧誘のチラシを見て思った覚えがあった。
「みんなで沼のぬし釣りに行くっていうから、ついてったんだ。だってほら、そういうのってなんか、幼馴染同士でやる遊びみたいじゃん?」
目をきらきらさせて同意を求めるタロ。彼のフットワークの軽さは、なかなかのものだ。
思えば、お面様の件も清春の実家にくっついて行ったために起きたこと。
人懐っこいからといえばそうなのだが、清春のようにあちこちの集まりに顔を出して忙しく遊んでいるわけでもない。
──何がそんなに心をかきたてるのか。ローカル文化好き、とでも言うのだろうか。
朝陽も地域の行事の意味を知ったり祭りに参加するのは好きだが、タロの熱意の方向はそれとも違う気がする。
──よくわからないが、まあ今はわからないままで良い。それよりも優先すべきは目の前の問題だ。
「その沼が原因かもしれないわけか……今のところ、気分が悪かったりはしないんだな?」
「うん。それは大丈夫! なんともない」
からっと笑う顔に誤魔化しはない。
とはいえ、楽観視はできなかった。何せタロはしばらく前に紫陽花の念に憑かれたばかり。その時はめまいで倒れかけたのだから、今回も何事もないからと放っておくわけにはいかないだろう。
「よし、なら何ともないうちに対処法を探しに行こう」
「対処法って、どうやって?」
朝陽は鞄のなかに入れていた一枚の名刺を取り出し、タロに見せた。
「『呪芸屋』さんの麟太郎さんだ。あの人なら何かしら、知っているかもしれない」




