4)『アメリカン』はディスコ
1不器用に生きる男たち
月一回、第三金曜日の夜、『アメリカン』はディスコに変身する。それまでは土曜日の昼に来ていたが、前から来たいと思っていたこの夜にやっと来られた私は、立ったまま店内を見回した。いつもと違う空気に自分が場違いでないかと戸惑う。
テーブルは全部、廊下に出されている。店の奥が一段あがった舞台のようになっていて、ダンスフロアーだった。夢さんも、うっとりとリズムにひたりきった表情で踊っている。
「今日はセクシーだね」
ミッキーと呼ばれている小柄な警察官が踊りながら話しかける.
「いつもでしょう」
夢さんはそのグラマーな肢体をゆすりながら、当然だというふうに答える。
カウンターに、緑の格子縞シャツにベージュのズボンをはき、黒ぶちめがねをかけた中年近い男が腰かけていた。どことなくキザで自由人と知識人のふんいきを持ちあわせて、いつも大声で議論している男だった。前から一度話してみたかったので、その横におずおずと座った。
その男は、愛想よく話しかけてきた。
「僕はヒロ。よろしく」
こちらも調子にのって仕事を聞くと、
「牛乳の配達だよ。朝、早く」
一瞬、この男が冗談を言っているのではないかと、顔をみつめた。どこかの大学の助教授ぐらいかしらと思っていた。私の驚きを楽しむように、にやにやしながら男はつけ加えた。
「午後は日仏学院で、フランス語を習っている」
「それで牛乳の配達で生活を支えてるの?」
「両親や税理士の兄貴にたかって生きているんだ」
意味が分からず私は目を見張ったままだった。
「僕は元全共闘だったんだ」
デモで機動隊ともみあった時、逃げ遅れて捕まったそうだ。それから、保釈中に海外に逃亡し、見つかって強制送還され、その後、六年間独房に入れられたらしい。
「独房で…六年間も!」
「独房で出来るのは、本を読む事と文を書く事ぐらいさ。叫び声をあげたいくらい人としゃべりたかった。叫ぶ代わりに書いた。毎日書かずにはいられなかった」
私は話の重みに黙りこんでしまった。ヒロは話しているうちに怒りがこみあげてきたのか、声を張り上げて、まるで演説のように話し続けた。搾取、権力、支配、自由、権利、不平等、犠牲、歴史など大時代がかった言葉が機関銃のようにとびだす。上手とは言えない英語で、時々日本語が混じったりする。
あまりに大きな声に辟易したのか、夢さんが、まぜかえした。
「まあ、大演説ねえ。だけど他の人にもしゃべらせてあげなさいよ。あんたの声はもう、たくさんだわ」
男はしゅんとして、それでも弱々しく反撃に出る。
「ぼくは彼女に英語を教えているんだ。特別に無料でね」
夢さんの舌先はますます鋭く、痛快にとどめをさす。
「あんたは、女性と話せるのがうれしくてしかたないだけでしょ。払わなくちゃならないのは、あんたのほうよ。ほら、彼女はここに英語を話しに来たんだから、少しは、しゃべらせてあげなさい」
それを聞いて男は私のほうに向きなおり、素直にひとこと言う。
「じゃあ、ぼくの意見についてどう思う?」
高く響いたそのまじめな質問にみんなどっと笑い声をあげた。私もおもわず笑いながら、ちらっと心の底に痛みが走った。世の中にはテンポがずれていて、ドジばかり踏む奴がいる。要するに純粋過ぎて、不器用なのだ。
「踊ろうよ」
きまずい沈黙を破ろうとするかのようにヒロが言った。フロアーには誰もいない。踊りが上手でもない私は、ためらった。
「だいじょうぶ。誰か踊ったら、みんな踊りだすから」
ヒロのディスコダンスは上手だった。リズムにうまくのっている。ディスコになど行ったことのない私は見られるほどの自信がない。クリスやデイジーに「レッツ ダンス」と誘うが、誰も立たない。見かねたのか夢さんが来るとフロアーは急に華やかになった。他の人たちも加わりだす。
スローテンポの曲がかかったとき、男と私の目が吸いつけられるように会った。二人の手が重ねられ、体を寄せあって、静かに動きだす。彼はスローダンスもうまかった。
男性たちは入れかわり立ちかわり夢さんにダンスを申し込む。胸が形よく盛りあがった夢さんに皆、恥ずかしげもなく体をぴったりくっつけて踊りたがる。夢さんはどの男にもいやな顔はみせない。薄暗いフロアーにだんだん人数も増えてきて、私の気持ちもいくらか、はずんできた。狭いフロアーなので隣のカップルと肩がふれあったりする。
ヒロは私と踊りながら顔を横に向けて、隣で踊っている夢さんに話しかける。
「今度、僕のうちでバーベキューパーティーをするんだけど、来ない?」
「誰が来るの?」
「フランス人のプロフェッサーだ」
最近、ラジオ講座でフランス語の勉強も始めた夢さんの気をひくつもりだろう。
「そうね、おもしろそうだけど…」
と、言葉がとぎれる。
「だけど…ねぇ。いつも夢さんの答には、だけど…がつくんだ」
彼はためいきをついた。
なんだ、この人も夢さんファンの一人だったのか。あんなに夢さんにやっつけられたのに、まだこりないでお熱をあげているんだ。私のことはパーティーに招いてもくれないくせにと、急にしらけた。
私は喉が渇いているふりをしてカウンターに戻った。再び早い曲がかけられた。ヒロはいやがる若い女の子たちをさかんにひっぱり出している。
ディスコダンスなんて、どこがおもしろいんだろう。一人で一生懸命、体を動かしているなんて、滑稽で、むなしい気持ちになるだけだ。もっともヒロがこちらの方を向き、向こうが伸び上がればこちらが縮まり、ほほ笑みをかわしあったときは、楽しいと感じた。でもヒロはすぐ夢さんや他の女の子の方に向きを変えてしまったけど・・・
2やさしいミッキー
金曜日のディスコパーティーを楽しみにしていた気持もしぼんで、私はカウンターでカルピスのコップを手ではさんでいた。この日ばかりは夢さんはコーヒーを入れず、カルピスの入ったジャーをカウンターに置いておく。なによ、こんなダサイ飲み物でごまかして、とカルピスと夢さんまでしゃくの種になった。もう帰ろうかと腰を浮かしかけたとき、ビールを手にしたミッキーが横に来てくれた。
「僕、誰にでも、ステキだとか好きだとか言うけど、冗談で言ってるだけなんだ。本当は自分に合う子かどうか、試してる」
「ここはたくさんのカップルが生まれてるから大丈夫よ」
「夢さんも、ここで見つければいいのに。たとえば、僕」
この冗談に、私は笑った。けれど冗談ではなく、彼も夢さんに恋した人なのだろう。
「ねぇ、僕のこと、どう思う?」
「どうって?」
返事をごまかしながら、ちぢれ毛でチビのミッキーを見つめる。
「あそこにトニーがいるだろ。あの眼鏡をかけた奴」
私はうしろを振り返ってトニーを見る。トニーは背が高く、痩せて、きざっぽい男。ミッキーと同じ二十代後半だろうか。
「トニーと酒を飲みに行くと、最初は二人のまわりに女の子が集まるんだけど、いつのまにかトニーだけがとりまかれているんだ」
「どうして?」
「だってあいつは、ハンサムで頭も切れて、ジョークがうまいし」
急にトニーに興味を持って話してみたいと思ったけれど、そんなことはおくびにも出さなかった。
「じゃあ、トニーと飲みに行かなかったらいいじゃない」
「だけど、あいつはいい奴なんだ」
その瞬間、このちぢれ毛頭のミッキーをとてもいい奴だと思った。
「ねぇ、トニーと行かないで、あなたよりハンサムじゃない人と行ったらいいのに」
「そうすると女の子が寄ってこないんだ」
私は素直に笑った。
フロアーを見ると誰も踊ってない。片隅に腰をかけてぼんやりしているヒロと視線があった。踊りに皆を引きずりこむのに失敗したんだ。かっこいい全共闘にとびついたように、華やかな夢さんや若い女の子ばかりを追いかけるからよ。そそっかしくて、お人良しの元活動家に同情心がおこりそうになった。深く苦しんだことがあっただろう。その傷口に首をつっこみたい好奇心と、癒してあげたい母性本能が交差した。
首をふって、私は立ち上がった。
そろそろ九時半。郊外の家まで一時間半かかる。明日の朝も学校に行く子供たちに朝食を作ってから叩き起こさなければならない。
「もう帰るわ」
と、ミッキーに声をかける。
「居なくなるとさびしいな。今度デートしようか」
「冗談でしょ。女の子とみれば、そう言うくせに」
「いや、君だけには本当さ」
私は笑う。ミッキーって何て素晴らしい人なんだろう。帰る間際の私をこんなに幸せにしてくれるなんて。






