3)日本の中の外国
1『アメリカン』に行ってみる
『アメリカン』のことは『プラスワン』の仲間から聞いていた。新聞に取り上げられた記事も見た。『日本の中の外国』という見出しがついていた。大学の英語科を卒業して商社に勤めた女性が、英語力の不足を痛感し、外国にしばらく滞在したあと、英会話喫茶を開いたと紹介してあった。すぐに行かなかったのは、外人スタッフが居ないと書いてあったからだ。日本人だけで英会話をして、役に立つはずがないし、どこが楽しいのかと思った。
けれどしばらくすると、主婦としての日常の刺激の無さにやり切れなくなった。『プラスワン』で知った英会話喫茶の味が思い出された。一度、行ってみようかと、私は『アメリカン』の電話番号を回した。
南森町駅から五分ほど歩き、表通りから少し入った古いビルに『アメリカン』はあった。地下に通じる階段の金属製手すりに、小さな案内板がくくりつけられ、「英会話喫茶『アメリカン』日本語禁止」とマジックで書いてあった。それを照らすしゃれたランプシェードと思ったのは、近くに寄ってよく見ると英字新聞が薄茶色くなっただけのしろものだった。
階段を降りると、上部を丸く切り取った小さな木彫のドアがあった。まるで、ほら穴の入り口のようだ。思い切ってそれを押すと中は薄暗かった。古びた黄土色の壁が本当の洞窟のように見えた。カウンターの向こうの奥に、五、六人が一つテーブルを囲んでいるのが目に入った。カウンターの中に居た女性が戸口にいる私の方にやってきた。
「グッドアフタヌーン!プリーズ カムイン」
ただでさえどぎまぎしているのに、初めから英語であいさつされ、すっかりたじろいだ。ポニーテールにした小さな顔の中の生き生きした目が微笑みかけていた。冬だというのにTシャツにミニスカートといういでたちだった。それにくらべてズボンにオーバーを着込んだ自分はいかにもオバンくさかった。この人が新聞に出ていた夢さんという経営者なのかしら。その雰囲気と、つやつやした顔は二十二、三にも見えた。年齢は三十二歳と書いてあったから、私とは二つしか違わないはずなのに。
「あの、新聞で見たんですけど…」
おずおずと日本語で言いかけた。みなまで言わないうちに快活でなめらかな英語が返ってきた。
「お電話いただいた方ですね。どうぞ皆さんの仲間にお入りください」
他の客たちに紹介するために、彼女は踊るような足取りで歩き出した。ミニスカートがひらひらし、くびれたウエストが魅力的だった。
テーブルを囲んでいた連中はまるで前からの知り合いのように、迎えいれてくれた。私が座ったとき、連中の一人の家に皆で遊びに行く相談をしていた。
「あなたもいらっしゃいよ」
当たり前のように、初対面の私も招かれた。うれしいというよりびっくりした。
でも『アメリカン』ではこれが当たり前だった。一歩、足をふみいれた瞬間から、だれもが仲間になるのだ。
2『変な人』になる
ある土曜日の午後、『アメリカン』の扉を開け、どんどん奥まで歩いて、一つテーブルに集まっている人々に加わった。
長い髪をたらし、スリットのあるスカートをはいたクリス。まだ少年の匂いをただよわせている医者の卵。塾を経営している初老の男性。毎土曜日の二時から夜の九時まで、ニコニコして人の話を聞きながら、ほとんど口を開かず、コーヒー一杯で座り続けるおじいさん。
「まあ、キャベツみたいに着ぶくれしているじゃない」
クリスが私に言ったのが、始まりだった。
「何よ、あんたなんか、色が黒くて痩せて、ゴボウ、えっと、待ってね、辞書で調べるから。ゴボウの英語は、えーと、あんたなんか、バードックじゃない」
クリスがゴボウなら、色が白くて痩せた医大生はキュウリ、塾教師はお腹が出ているナス、おじいさんはひねショウガ、私はキャベツ、いや、ひからびているザクロ、いやそうじゃない、じゃがいも、ピーマンとお互いにもっとひどいあだ名をつけようと、テーブルはつかみかからんばかりに、つたない英語がとびかった。
そんな私たちをカウンターの中の夢さんが解釈した。「あなたたち、けんかしてるんじゃなくて楽しんでいるのね」
そう、私は楽しんでいた。こんなにもいろんな種類の人たちと会えて、友だちになれることがうれしかった。
ます調で話そうか、友だち言葉がいいか、関西弁がいいか、標準語がいいか、迷ってしまう日本語でなく、年上の人にも、男の人にも、みんなが同じめちゃくちゃ英語で話した。
『アメリカン』では英語でおしゃべりを楽しむのが原則だが、複雑な話になるとどうしても日本語を使ってしまう。それが夢さんに聞こえると「ノー、ジャパニーズ」というお叱りの言葉が飛んだ。
夢さんが『アメリカン』をやっている目的は、日常生活の隅々まで英語で言い表せるようになろうということらしかった。だから夢さんは『アメリカン』の中だけでなく、外でも英語しか話さない。通りでも、地下鉄の中でも、レストランでも、英語でしゃべり続ける。周囲の人たちが、中国人だろうか、フィリピン人だろうかと、奇異の目を向けるのも平気だった。
初めは驚いていた夢さんのこんなやり方を私もいつの間にか真似しだした。『アメリカン』で英語でしゃべっているので、連れだって外に出ても、そのまま英語で続ける。電車に乗って、周囲の人が耳をそばだてているのを感じても、下手な英語で話続けることを止めなかった。
そんな風に世間の目を気にしないで好きな道を極めていくことが、アメリカンの仲間になることだった。それは、今まで私が属していた世間から見ると「変な人」になってしまうことだったのだろう。
『アメリカン』に来る前は男性と二人っきりで話し込む事など、主婦の立場上、いけないと思いこんでいた。日常接する異性は八百屋のおじさんくらいだった。
しかし『アメリカン』では、差し向かいで男性と話に打ち込める。その時の心のはずみをもっと味わいたくなり、私は『アメリカン』行きを、土曜の昼から夜に代えた。
男性と話すことに慣れると、図にのって、飲み屋で二人きりの二次会もするようになった。口説かれるのは、まだ自分が女であることを確かめる勲章のようだった。私立の女子高に行った私が経験できなかった男女共学の高校生時代を時が戻って体験できているような心のときめきがあった。普通なら相手にしてもらえないハンサムな大学生と、暗い道を話しながら梅田まで歩いたりする。人生は我慢するものから楽しむものとなった。