2)別世界
第一章 別世界
1『アメリカン』への途中
自宅でしている英語塾の生徒が来ない日を選んで、週に一回は朝からせっせと掃除や洗濯を済ませ、夫がその夜も遅いことを確かめ、子供たちの夕食をテーブルに置いて、夕方、家を出た。昼間、子供の学校行事に出る以外には、ほとんど人と話すチャンスがない私にとって、『アメリカン』行きは唯一の気晴らしだった。
梅田行きの電車に乗る。反対側方向の電車はパート勤めの人たちの帰宅時間で満員になりかけているが、私の電車はガラ空きである。主婦がこんな時間に大阪中心部への電車に乗ることが後ろめたい。梅田へ着くと、一駅の地下鉄代金を倹約して、二十分ほど歩いて、『アメリカン』へ向かう。仕事を終わった人たちの群が反対側から押し寄せる。その流れに逆らいながら、電柱にベタベタと貼られた宣伝の醜さから顔をそむけながら、歩く。黒い上着に蝶ネクタイの男が、超ミニの女たちのポスターの前で、呼び込みをしている。それは郊外の住宅地に住む世間知らずな主婦である私とは、無関係の世界に思えた。
私は生活のために働いた経験がなかった。若くして未亡人となった母が水商売を含めた色々な仕事をしながら、私を大学にまでやってくれた。母に買い与えられる本を読むのが私の仕事だった。結婚後は企業戦士の夫のおかげで、子育ての合間を趣味の英語やフランス語の本を優雅に読んで過ごしていた。
しかし物質的に支えてくれる母や夫が社会と格闘している間、私は人との接触の少ない家で孤独感を膨らませていた。次から次へと新しい仕事を始める母も、会社帰りの付き合い酒、休日のゴルフ、海外出張や単身赴任を含めて家に居ない夫も、自分の好きなことだけをして、私のことなど思っていないように見えた。
梅田の雑踏が嘘のように裏通りの人影がまばらになってくる頃、低い柵に囲まれた公園の緑が見えてくる。私の胸はわくわくした。その角を曲がれば、『英会話喫茶アメリカン』の小さい電光看板が薄闇に光っている。これから数時間を別世界に遊べるのだ。そこは英会話が少しばかりできる私の属せる場所だ。仲間がそこに集まってくる。
その仲間たちは現実をプリズムのように、いろいろな角度から光を当てて見せてくれる。それは私が今まで知らない色に輝いた。
2英会話喫茶『プラスワン』にて
『アメリカン』に足を踏み入れるきっかけは、その前に通った英会話喫茶『プラスワン』だった。三十代前半の私は主人の転勤先だったニューヨークから帰国し、大阪郊外に新築した家で近所の子供たちに英語を教え始めていた。
「良いわねぇ。あなたって、何の悩みも無いでしょう」
お姑さんと暮らすママ友グループの一人に言われた。
しかし、私は狭い地域での主婦と子供だけの世界に息が詰まりそうだった。家で夕食を取ることも少ない夫との家庭に、まるで自分一人で子育てをしているような辛さを感じていた。
そんな時、新聞に英会話喫茶『プラスワン』の広告を見つけた。千円で時間制限なしの文句は、自分の趣味に高い費用をかけたくない主婦には魅力的だった。
『プラスワン』は、大阪梅田の今は無きアーケードの中にあった。ごちゃごちゃした飲食店などと並ぶ古ぼけた建物の二階だった。『ミッション・オブ・ザ・ユース』というキリスト教一派のアメリカ人たちが、イエス様の話など持ち出さない宗教くさくない雰囲気で、毎日、交替で相手をしてくれた。団体生活をしている彼らが何よりも大事にするのは人とのコミュニケーションだった。テレビを見ていても、話しかけられたらテレビを消して答えるのが規則だという。それを聞いた時、衝撃を受けた。お金や学歴と違う新しい価値観がそこにあった。それを実行して生活している人たちが居る事を夫に話しても理解しては貰えず、家では元の環境に戻ってしまうのだったが、少なくとも私の不満に正当な原因があると感じた。毎週一回、午後を過ごすようになった『プラスワン』は、英語の上達だけでなく、家庭の代わりとして心を満たしてくれる場所だった。
そこで『ミスター・エンプティヘッド』に出会った。そう英語で書いてある名刺を渡され、その文字に圧倒された。エンプティヘッドは、空の頭という意味だ。自分のことを空っぽ頭呼ばわりする人間がいるだろうか。何て変な人だと思った。ところが説明を聞くと、空の頭なら柔軟に何でも入るからという意味でつけたらしい。それでもやっぱり奇妙な人だと思った。れっきとした日本人なのに、訳の分からない英語名入り名刺を配り、おまけに奥さんや子供の英語の名前も、その名刺に並んでいた。
『ミスター・エンプティヘッド』は毎日、『プラスワン』に現れた。話題が切れると、英語 単語ゲームの『スクラブル』をする。英和辞書を丸覚えするほどの彼に勝つことは難しい。英語に対する彼の執念は、後に英語教師への転身を成功させたと人伝えに聞いた。彼は私が最初に出会った「変な人」だ。
『プラスワン』に通い出して一年もした頃、閉店の紙が壁に張られた。大阪のその辺りは高層ビルが建つことになり、その古い建物も取り壊されるようだった。
英会話喫茶の魅力に取りつかれた私は、神戸の『サンミハル』に行ったり、東京に行った時は、真っ先に恵比寿の『コムイン』に駆けつけた。しかし神戸も東京も、通える範囲ではなかった。