90話 〈氷の悪魔〉の真実
エヴァの発した一言に、俺はしばらくただ見返す事しか出来なかった。
これまでエヴァとずっと一緒に居て、いつも隣から見て来たからこそ、確信とも言える程に予想出来ていた言葉。それが実際にエヴァの口から告げられ、わかっていたはずなのに、俺の思考は完全に止まってしまった。
「な、何言ってんだよ」
『お願い……もう……』
その瞳には嘘や誤魔化しは一切無い。エヴァは、心の底から死を望んでいる。
『もう二度も使わないって決めた黒氷を使った。……一度目はクロトを傷つけた。今回は運が良かっただけ。でも、これが続けばいつかクロトや仲間を……それだけじゃない。いつかクロトに嫌われるかもしれない……』
「そんな事……」
果たして軽々しく、“思わない”なんて言ってもいいんだろうか。違う、そんな言葉を掛けてもなんの気休めにもならない。
こんな時、なんて言う事がエヴァの心を支えてやれるんだ。俺の気持ちを、どう伝えればいい。
『生まれてから、誰にも愛されてこなかった……もうずっと、生きる意味が私には無かった。学園に入学した時、その意味をクロトがくれた。私は生まれて来て良かったんだって、他の人と同じように、泣いて、笑って、人生を……このエヴァリオン・ハルバードという人生を生きてもいいんだって、そう思えた。でも……その結果に皆を傷付けてしまうくらいなら……また、誰かを失うぐらいなら……死にたいよ……』
「エヴァ……」
出会った当初から、エヴァの心に秘められた、苦しいぐらいに素直な気持ち。
「……」
そうだ、きっともっとシンプルでいいんだ。
俺が思った事をそのまま伝えればいい。何も隠す事は無い。何も偽る事は無い。俺が心の底から想う気持ちを、真っ直ぐ言葉にする。
「俺が……違う。俺はこれまでも、これからも、死ぬまでずっと、エヴァを愛してる」
「え……」
「今まで愛されなかった分も、俺が愛する。怖いと思う気持ちは俺が一緒に分かち合ってみせる。だがら……死ぬなんて言わないでくれ。俺と一緒に生きていて欲しい」
「…………」
エヴァが目を見開き、涙がポロリと頬を伝う。
その時、不意に覗いたエヴァの胸元から黒い石が見えた。皮膚と一体化しているそれに不思議と注意が向く。
直感でわかった。これは闇の力を封じたの魔石だ。つまりは、黒氷の原因でもあるんだろう。ここに、エヴァの秘密の全てがある。
俺の手は無意識にそこへ引き込まれる。そして、人差し指が魔石に触れた時……俺は夢を見ていたような気がする。長い長い、エヴァリオンという少女の人生を……
◇
私は寒い冬の日に生まれたらしい。
ハルバード家最期の代、つまり私の母上と父上は中々子に恵まれず、私は待ちに待った希望だったそうだ。私をお腹に宿した母上、そしてそれを知った父上は泣いて喜んだと聞いた事がある。
私が女児だとわかるまでは。
当時から女公爵は存在していた。
エルフやドワーフ等の妖精族で形成された完全実力主義のエレノア公爵がそうだ。だが、女公爵に向けられる視線は不安や疎み、不信など様々だが総じてプラスな物は少ない。エレノア公爵はそれを持ち前の計算高さと人望、更には策略の上手さで黙らせた。だが、それはエレノア公爵だから、という部分も多く、誰でも出来る事かと言われれば、否定せざる得ない。
ハルバードの名に人一倍強いこだわりと誇りを持っていた父上、そしてそれに感化された母上は、嘆くと同時に私を恨んだ。
女公爵というだけで名が穢れるという、ある意味では正しく、ある意味では間違った考えを持っていたからだ。
母上と父上は私に厳しく、冷たかった。
両親は男子でなかった事に大きなショックを受け、心に病を背負っているのだ……と、幼心の私は思ったのを今でも覚えている。
それでも、まだ十歳にも満たなかった私にはとても辛く、荒んだ幼少期を過ごしたと自分でも思う。
どうにも抑えきれなくなった時、私は使用人の一人で、よく世話をしてくれるレボを頼った。レボは見た目こそ白髪のおじさんだが、魔術がとても上手かった。
「ねぇ、レボ」
「なんでしょう? エヴァお嬢様」
「私は生まれない方が良かったのかな……?」
「……!? ……そんなことはありません」
「でも、母上は……父上は……」
「エヴァお嬢様のお母上、お父上はハルバード公爵家を背負っておられます。そこについて回る責任や苦労を知っておられます。それをエヴァお嬢様に味合わせたくないという想いが、冷たさを生んでしまうのではないでしょうか。お父上……いえ、スザルク・ハルバード様は不器用なのです。お母上もエヴァお嬢様を愛しておられます。お二人を信じてあげてください」
「よくわからないよ」
「まだ難しかったですね。いずれ、エヴァ様にもわかる日が来ます」
「いつ?」
「そうですね……エヴァ様にも守りたい物が出来た時、きっとわかるはずです」
「うーん……」
あの時のレボの言葉は幼い私には理解出来ず、でも生まれてきても良かったんだという安心感が胸に広がったのを鮮明に覚えてる。
その後、結局私以外の子に恵まれる事はなく、私がハルバード公爵を継ぐ事がほぼ決定された。最初はかなり冷たく扱われた私だったが、そうとわかると父上は私に魔術を教え込むようになった。恐らく、魔術に卓越しているハルバード家の名をこれ以上汚さないようにだろう。
けれど私は病弱で、魔術の訓練中に倒れる事がよくあった。そしてレボの言う通り、苛立ちを完全に隠し切るほど父上は器用ではなかった。次第に教え方は雑になり、言う通りに出来ない私に暴力を振るうようになった。
恐怖を感じなかったといえば嘘になる。
それでも私は今まで相手にしくれなかった父上が、初めて私に対してしてくれる事に、心の何処かで嬉しいと感じていた。興味も向けられず、冷たく、居ないもののように扱われるよりは、暴力を振るわれたって、それだけの熱量を向けられている事が、私には生まれて初めての経験だったのだ。
この時のことをレボに話すと「スザルク様はエヴァお嬢様の事を愛しておられます」としか答えてくれなかったけど。
そうして更に時は経つ。
◇
「エヴァ、お前は昔から体が病弱だ。そのせいで魔力が安定せず、せっかく生まれ持った魔術の素質も、発揮されていない」
父上は私が七歳になった頃、突然そんな事を言い始めた。
「だからな、これを使おうと思う」
父上が取り出したのは黒とも紫とも取れる色の楕円形の石だった。とても黒い、禍々しい力を感じさせるその石は鈍く光っていた。
「父上、それは……?」
「これは闇の魔術の力を秘めた魔石」
「闇の……魔石?」
「ああ。闇術の一つ、浸食を封じた魔石だ。魔石とは本来使えない力を使えるようにするため、または眠っている潜在能力を引き出すための物で、その種類によっては副次的な効果に体を丈夫にしたり、身体能力を高める力がある。これからお前は女である事を、その身に宿した氷術を使って覆さなければならない。そのための力だ。」
「……はい」
父上が手を開くと魔石はふわふわと浮いた。そして導かれるように私の胸骨の辺りに来て、すり抜けるように私の胸に埋め込まれた。
あの時の感覚は、きっと死ぬまで忘れないと思う。自分ではない何かが体に入ってくる気持ち悪い感覚や自分の物ではない力が自分に宿る不思議な感覚。
ただひたすらに不快感と不安が襲ってくる。
そしてその時、何者かが入って来た。
それは、言うなればもう一人の私だった。正確には黒氷術を使った時の私。
その後私の体はすぐに気絶してしまったらしいが、私の心は“そこ”にいた。真っ白な空間。どこを見渡しても見えるのは地平線だけ。そしてもう一人の私はそこに立っていた。
真っ黒な髪を前髪ぱっつんでロングストレート。赤く濃い目が光っている。背格好や顔は全く同じ。違うといえば髪と目の色ぐらい。
『よぉオレの本物さん』
「あ、あなたは?」
『んー、まぁもう一人のオマエだ。闇の魔石が埋め込まれた時、魔石に閉じこめられていた闇の力がオマエの人格と融合し、二つに分離した。片方がオマエ、そしてもう片方がオレだ』
「よくわからない」
『まぁそうだろうな』
「あなたはどうして生まれたの?」
『……さぁな。オレだって生まれたくて生まれたわけじゃない』
「そっか、じゃあ私と同じだね。よろしく」
『よ、よろしくって……オレがお前の人格を乗っ取るかもしれないんだぜ?』
「そうなの?」
『い、いや……オレの力はこの魔石分しか無い。人格を乗っ取るなんて殆ど不可能に近いさ。まぁ、お前が精神的に不安定になったりすればわからないけどな』
「ん……大丈夫だよ、よろしくね」
『変なやつだな。とりあえず、オレはいつでもお前の心の中にいる。気を抜いてるとその体はオレが貰っちまうからな』
「うん!」
この時、異様に嬉しい気持ちになったのを覚えている。公爵の跡取りとして育てられた以上、誰彼構わず仲良くする事を父上は望まなかったから、私には友達が居なかった。初めて出来た友達……と言えるかはわからないけれど、とにかく、初めての経験をした。
そこで私の記憶は途切れた。
次に目が覚めた時には普段通りベッドの上にいた。
◇
闇の魔石を埋め込まれてから私の病弱な体は少しずつ回復していった。魔力も順調に増加し、氷術もかなり上達してきた。父上はそれが嬉しいのか、前みたいな怖い雰囲気は少しずつ無くなった。
それと同時に母上は私にありとあらゆる教育を施した。公爵としての礼儀や作法から始まり、経済学は勿論のこと、大陸地理、帝国歴、兵法まで……
魔術よりもそっちの方が好きだったけど、勿論父上は魔術にも手は抜かない。
闇の魔石の力は体を丈夫にしたり、魔力を引き上げるだけではない。父上の言った通りむしろそれは副次的効果に過ぎない。メインは浸食を使えるようにする事。魔石はすぐにその真価を発揮し始めた。
と言っても浸食そのものを使えるようになったわけじゃない。魔石は闇の魔力を蓄えており、そこから浸食を放出する。だけど、私はそれを自分の意志で放出する事が出来なかった。私の肉体的な器と、この魔石自体の強さ。それらがうまく嚙み合わなかったのかもしれない。
やがて突発的な放出や、逆に放出出来ない事による闇の蓄積が身体的特徴として現れ始め、だんだんと闇に蝕まれるようになった。
◇
そして遂に事は起きる。私が十歳になって半年も経たない頃。
闇の魔石を埋め込まれてから三年目。体を蝕む闇の力を抑え続けてはいるものの、体を丈夫にするはずの魔石のせいで体は弱り、私は寝込むほどになっていた。
闇が体を蝕むというのはとても表現しにくいが、病気と似た感じで体が目に見えて弱っていった。
最初の頃は我慢して普通に生活出来ていたけれど、次第に弱り、自分で立つ事はおろか、起き上がる事さえも出来なくなっていた。
今まで色々な事を教えてくれた母上や父上は、この時を持って私を完全に見限り、三日に一回、様子を見に来るか来ないか程度になった。
それ以外の時間は使用人のレボや世話係と話す日が続いた。
「私だ。入るぞ」
「スザルク様! は!」
昨日来たばかりなのに珍しく父上が私の部屋に来た。
何も言わずともそれまで話をしていた世話係は雰囲気を感じ取り、いそいそと出ていった。
「どうしたんですか、父上」
父上は私を何も言わずにただじっと見つめた。もう顔を傾けるぐらいしか出来ない私にはその表情はよく見えなかったけど、なんだか泣きそうな顔をしていた気がする。
「ああ、エヴァ。具合はどうだ?」
「いつも通りです」
「そうか……すまないな。私のせいでそんな体にしてしまって」
この時、私の頭は半分寝ていたのだろう。今までの父上とはかけ離れた言葉になんの違和感も感じなかった。
「いえ、私の心が弱かったせいです。気にしてません」
寝たきりになって気にしない人間など居ないと思う。でも私はほとんど本心からそう言った。この体に何も思わないわけでは無いけれど、それでも父上を憎んでいたわけでは無い。
「そうか……一つ、報告があってな」
報告? なんだろう。
まだ公務的な事をした事がない私に、公爵としての報告が来るはずはないし。そもそも父上がわざわざ私に言いに来るなんてよっぽどの事だと無意識に理解した。
「サーラが……お前の母が、死んだ」
その瞬間、私の思考は停止した。
母上が、死んだ。居なくなった。どうして? 殺された? 違う、死んだんだ。
その時、私の頭の中には同じような言葉が何度も浮かんでは消え、自問自答が繰り返された。それが表情にも出ていたのか、父上は小さく俯くだけで何も言わない。
高速で様々な考えが頭を横切る。
頭の何処かでは理解していても、別の場所では自問自答の嵐は止まない。そして長くて短い自問自答の結果、私は母上の死を誰かのせいにせずにはいられなかった。到底この頃の私の心では、その事実を受け止め切れなかったのだ。
そして母の死の責任は、私の目の前の人物。つまり父上に向かった。
……この男が殺ったのか。こいつが……違う、父上はそんな事しない。こいつが母上を……違う! 違う! 違う!
”オレに体を渡せ……すぐに殺してやるよ”
そんな声が心の中に響き、私は眠りに落ちた。自分でも驚くほど一瞬で意識が闇に落ちた。
次に意識を取り戻した時には全てが終わっていた。
部屋に居たはずの私は何故か屋敷の外に居て、凍り付いた屋敷を見ていた。屋敷は巨大な氷柱が中央に突き刺さり、そこから枝分かれした小さな氷柱によって串刺し状態になっていた。
氷は黒く、独特のオーラを放っている。
変化は色々とあった。歩くのも困難だったはずの私の体は、今までの生活が嘘のように動けるようになっていたり、闇の魔石の中に蓄積されていた力が殆ど空になっていたり。
意識がはっきりして来るとまず母上の死を思い出した。
次に頭に響いた声。すぐに殺してやるという言葉が頭に反響し、気づけば私は屋敷を駆け回っていた。
世話係も使用人も、皆屋敷に突き刺さった氷に巻き込まれて死んでいた。そして私の部屋。私の記憶では最後に父上がいた場所。
案の定、そこには父上の死体があった。屋敷に突き刺さったのと同じ黒い氷が胸に深々と突き刺さっていた。
私は急に怖くなった。
さっきまで生きていた人達の死。そしてそれを私がやってしまったのだという恐怖。私は屋敷を飛び出し、逃げ出した。
不思議とその時、悲しみは感じなかった。悲しみはすべてが落ち着いた後、やって来た。
◇
三日後。エルトリア帝国城。玉座の間。そこへ駆け込んでくる伝令兵。
「伝令! 伝令!」
「む? どうした?」
「デルタアール皇帝! 報告します! ハルバード公爵家が……ハルバード公爵家が全滅、及び全壊! 屋敷は黒い氷に貫かれ、ハルバード家に居たスザルク様を含む全ての人間がたった一人を除いて死亡した模様です」
「なぬ!?」
「いかがいたしましょう?」
「黒い氷……まさかハルバード公爵家が保有している氷の悪魔が目覚めたのか……」
ハルバード公爵家は『氷の悪魔 ネグラ』を屋敷の地下に封印していた。それは遥か昔、先々代のハルバード公爵が封印したものであり、伝説級に数えるにはあまりにも強力すぎる魔物であった。
それが復活したとなればエルトリア帝国滅亡の危機だ。
「それが、目撃した者の証言によると……ハルバード公爵家を黒き氷で包んだのはそのご子女、エヴァリオン・ハルバード様だそうです……!」
伝令の思わぬ言葉に驚いたが、同時にネグラの復活したのではないという事に皇帝はどこかで安心していた。次にエヴァの事が気がかりになり、すぐに探しに出させた。
国王はあまりの驚きで見えていなかった。その背後でブルックス大臣が不敵に笑っているのを。
後日、ブルックス大臣によって広められた噂により、エヴァは三年と少々、氷の悪魔と罵られ過ごすことになる。




