3.依頼
議員の息子は中井沢恵太。その恋人が奥ノ田美代。ふたりは結婚を前提に付き合い始めたが、いきなり美代が別れ話を切り出し、腹を立てた恵太がつきまとうようになった。そしてノイローゼになった美代が首を吊った。
検索と新聞記事からわかるのはこれくらいだ。簡単なお泊まりセットと鍵と資料を後部座席に積んで勇司を迎えに行った。物件は勇司の住むアパートの隣だが、その前に恵太からいっしょに具体的な話を聞きたかったからだ。連絡した議員事務所で会社の名前を出したら事務所で応じてくれるという。あちらの依頼にせよ、スムーズすぎてなにかしっくり来ないのは直感なのか。イヤな予感とまでは言わないが、ちりちりとした引っかかりを感じた。
アパートの前では天然パーマのロン毛をポニーテールにした勇司が手を振っていた。ひょろりとして見えるが細マッチョ系で運動神経抜群、加えてくりっとした目で人懐っこく笑う勇司は性別関係なくモテる。にかっと笑った時に見える犬歯がやたら目立つので、まるで牙のようでワイルドだとよく言われるらしい。
お待たせ、と助手席のロックを外すと、乗り込んできた勇司は額に滲んだ汗を手の甲で拭いていた。車のエアコンを少し強めにして発進させる。日が長くなってきたので夕方でもまだ昼間のような暑さだ。
「ゆうべさ、窓開けてちょっと隣のアパート見てたんだけど、確かになんかうるせぇな。あんまり窓開けねぇから今回言われるまで気にしたコトなかったぜ」
「隣でも認知できるってすごいな、お前」
「ちょっと耳澄ませば誰でもわかるだろ、あんなの」
「いやいや、普通はなにも聞こえないもんなの。ほんっとお前は視たり聞いたりするモノの区別がついてないな」
ちらりと横目で見る勇司は不貞腐れた顔でこちらを睨んでいた。
勇司は俺同様に視えないモノが視えたり、聞こえないモノが聞こえたりする。いわゆる霊感が強いタイプなのだが、本人はあまりに区別が出来なさすぎて、すべてが日常で現実でなにがおかしいのかがわかっていないらしい。
俺たちは親同士も仲が良くてずっと近所に住んでいて、いわゆる幼馴染みで腐れ縁というヤツだ。どういうわけかふたりとも、物心ついた頃から生きた人間以外のモノが視えていて、俺はそれが普通ではないと悟っていた。しかし勇司は頑なに、生きてるの死んでるの異形のモノだの分けられずにいて、納得できないまま今に至っている。あんなに生きている人間とはかけ離れたモノをどうして見分けられないのかが不思議で仕方がないし、そもそも気持ち悪くないのか?と感性にも疑問が残る。しかしこいつの場合、区別がつかないのは悪いばかりでもなく、物理的にもリアルと変わらないらしいのだ。なのでもしかしたらと事故物件に連れて行ってみたら「邪魔すんな」とデコピン一発でそこにいた地縛霊を弾き飛ばしてくれた。それで売り込んでみたらこうして事故物件を回されるようになったというわけだが。
「それであんたは今回のでバイト辞めるんだな?」
「ん? そのつもりだけど、都合悪かったか? 金払いはよかったもんな。バーのバイトよりも稼げてたんじゃね?」
「んんん、どうも事故っちまった店長、長引きそうで店閉めるって話が出てんだよ。一気に収入なくなっちまうのも微妙にこう……」
「じゃ、いっしょに就活するか?」
勇司はぶんぶんと頭を振って否定した。ポニーテールの尻尾が顔にびしばし当たってるけど痛くないのか?
そんな他愛もない話をしているうちに着いた議員事務所では、すでに議員の親父さんと息子である当事者の恵太らしきふたり連れが居心地悪そうに入り口で待っていた。議員の父親は当然として、当人もスーツ姿だが着慣れていない感じがした。
Tシャツにジーンズのラフな格好の勇司に少し眇めた目を向けたが、眼鏡スーツ姿の俺が所長の名刺を渡して「祓い屋とかではありませんが、たいていは彼が追っ払ってくれています」と言うと、それならまぁ、と言う顔で事務所の応接室へと案内された。
不安げに見送る秘書や関係者たちには、人払いを、と命じて部屋に入る。三人掛けのソファに俺と勇司、その向かいに二台あるひとり掛けには、議員の中井沢祐太郎が、その隣には恵太が腰掛けた。
「早速ですが、亡くなった奥ノ田さんとはどのくらいの……たとえば結婚前提だったとか」
「いや、そんなんじゃないっ。ストーカーなんてのも言いがかりなんだっ」
恵太は腰を浮かせて前のめりで叫んだ。窘めようとした父親の手を振り払い、テーブルに手を突き、血走った目を見開いて吐き出すようにさらに訴えた。
「誰も信じてくれないんだっ。結婚なんてとんでもない。そもそもあいつから付き合ってくれって迫ってきたんだ。どっちかって言ったら、美代の方がストーカー気質だったんだよ。それがどうしてあんなことになったのか……」
恵太が嘘を言っていたり、体裁を取り繕おうとしているようには見えなかった。ちらりと勇司を見ると、しきりに鼻を擦っている。なにか「ニオう」のだろうか。
「それでは、恵太さんとしては恋人でもないつもりだったと?」
恵太には他にも何人か女がいる。事件の時にはそれが発覚してSNSや掲示板ぽいところで炎上していたのは確認できた。しかしその中には美代らしい女はいなかった。
「んと、あんた、動物飼ってる?」
ぐずぐずと鼻頭を擦りながら勇司が尋ねた。やはりなにかニオうようだ。その仕草と事件に関係なさそうな質問に、恵太は少し落ち着いたのかソファに座り直した。
「アレルギー? ペットは俺もあいつも、周りにも飼ってるのはいないはず。ただ聞いていないだけで付き合ってる誰かが飼ってるってのはあるかも知れんけど」
付き合いが複数なのを隠す気はないらしい。
「それでは、あなたはあのアパートへ行ったことは?」
「引っ越しの時に手伝いで行ったけど、その時はあいつの友だちも大勢いたぞ。調べればすぐわかるし、俺がいちばん先に帰ったのも知ってる。彼氏甲斐がないとかそいつらにもツッコまれてうんざりだったくらいだから。それくらい俺からは接触もなにもなかったのに、なんかいつの間にか、俺がストーカーで迫ってたって話になってたんだよ。なんなんだよもう」
最初の勢いは嘘のように俯いて頭を抱えて嘆くように零していた。
「では、あなたを陥れることで得をする人に心当たりはありませんか?」
ここで父親の祐太郎が口を挟んだ。ごく中肉中背のおっとりしたサラリーマンといった風情だ。市長選で演説していたのを見かけた記憶はあるが、そういうことをできるタイプには見えない。それでも所長に圧をかけられるのだから、見た目ではなくて権力ってバフがかかると別人のようになるんだろう。
「それはわたしの職業柄、いくらでも思いつきます。今回は市長選に落ちましたが、次の選挙で争うことになる候補者は全員が敵なので。ただ、今回の恵太の件についてはタイミングとしては少し外れているのが疑問でして」
「だとすると、お父様よりも恵太さんご本人が恨まれている可能性を考えましょうか。すいませんが調べさせてもらったところ、お付き合いがとても多いという印象ですが、その関係から恨まれているということは?」
「俺はっ。確かに遊んでいる女は多いって自覚してるけど、ほとんどが本命持ちなんだよっ。マジで遊んでるだけで、本気で俺と付き合いたいヤツはいないってっ。それこそ美代だけだったよ、そう言ったのっ」
俺も色恋沙汰には疎い方だが、こういうのは本人がわかっていないだけで……と眉を寄せていると、勇司が脇腹をつついた。出よう、と目が訴えている。なにか気になることがあったのか。確かにここで得られる情報はこれ以上なさそうだ。
「状況はだいたいわかりました。あとは実地で確認して、出来るならば噂が広まらないように対処する方法を考えましょう。人が居着かないと今どきは誰でも事故物件として調べられますから、いつまでたっても事件が風化してくれません。そうなると不動産側にも不利益しかもたらしませんので」
ふたりは安心して肩の力を抜いた。そして車を出すまでずっと頭を下げて見送っていた。