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狐狩り~あやかしぶん殴ります~  作者: 桐谷雪矢
第一章 事故物件に棲む獣
2/7

1.アルバイト

 ああ、まただ。

 うっかり舌打ちしそうになるのを堪えて、東雲雅弥(しののめまさや)はソレからそっと目を逸らした。ソレは首から朽ちた紐を垂れさせた、どす黒く煤けた人影だった。煤け具合からは焼死体を思わせるが、首の紐は吊ったようにも見える。年齢も性別もわからない。真っ黒い洞のような眼窩からはどろりとした粘液が滴り、聞こえる呻き声は声と言うには濁りすぎていた。例えるなら発する声に全て濁点がついているようだ。

 ただの地縛霊的幽霊というよりはすでに怪異じゃないか。バイト中でなければ即刻回れ右したい。ぞわりとむかつく胃をなんとかなだめた雅弥は、素早くにこやかな営業スマイルに切り替えた。慣れたくはないが視えるモノは仕方ないと諦めている。

 近くの事務所に勤めているという女性は築年数の割にきれいな室内に目を輝かせていた。

「こちらの部屋へ内覧に来られたお客様には、このシンプルなアイランドキッチンが人気のようですね。全体にリフォームしたばかりなので水回りも流行りを取り入れましたから、こだわりのある方にもご満足いただけると自負しています。あと、作り付けの収納が多いのも売りになっていますね」

 手元のタブレットで間取りや価格、周辺の特徴などを確認しながら賃貸物件の案内をしていく。浮いているアレには近寄らないように視ないようにと下見の客を誘導するが、恨めしげな視線がちくちくと背中に突き刺さるようで、目もないくせにこっちを見るなと雅弥は心の中で毒づいた。

 元事故物件だがずいぶん前のものなので伝える義務はないと聞いている。いないのだろうと思っていたがとんでもなかった。少しでも勘が良ければ長居しないだろう物件なのは間違いない。客の様子を注意深く観察するが、おそらくそういったモノは視えなさそうだ。ただ、住んでいるうちに感化されて視えるようになってしまったり、被害を受けてしまう可能性は捨てきれない。

 浮いている禍々しいソレの向こうに見える窓からは、眩しい初夏の日差しが差し込んでいた。


「東雲くんに若い女性客を回すと、たいていキメてくれるから助かるよ。イケメンはお得だねえ。あ、こう言っちゃうとなんかのハラスメントになっちゃうのかな」

 ぽっちゃり気味の所長はにこにこと嬉しそうにぺろりと指を舐めて書類をめくっていた。雅弥にとってそんなハラスメントはどうでもいいが「気にする人は気にしちゃうと思うので、その手の言動は注意するに越したことはありませんね」と無難に返した。いくつか取れた契約のほとんどが女性客なのは間違っていない。長いストレートの黒髪を後ろでひとつに括り、すらりとした細身の眼鏡スーツ姿は、本人が思っている以上に女性客へのアピールになっていた。その上、見たくないモノに視線を合わさないようにしている目つきが傍目にはクールに映るらしい。

 そんなことよりも雅弥には今どき指を舐めて紙をめくる仕草の方が気に障った。レジで現金払いの時に指を舐める行為を見かけると、キャッシュレスが浸透している世の中に感謝するくらいだ。

 帰りたい、と時計を見ればそろそろ五時。帰り支度を始めたところに、散らかったデスクを物色していた所長が思い出したように言った。

「ああそうそう、例のヤツ、一件お願いできるかなあ?」

「いつからいつになりますか? あちらの都合もありますから、今日の明日では無理でしょうし、そろそろ面倒がってますから、よほど積むなり、なにか手を打たないと受けてもらえないかも知れないですね」

「積む積むってば。東雲くんにだって結構頑張ってんだよお。でね。最近ここら辺で増えてんだよねえ、不審死?てヤツ」

「最近じゃまだ告知義務が残ってるでしょう。いいんですか?」

 今どき珍しいヤニだらけの歯を見せてにたりと笑う所長に毎度吐き気すら覚える。どうやったらそういう気持ちの悪い笑い方ができるんだ。幽霊の方がマシだと思う時もあるが、雅弥は金のためだと自分に言い聞かせた。

 雅弥は正規社員でも派遣でもない。内海という学生時代の知り合いから「緊急入院することになったのでその間代わりにバイトしてくれないか」と頼まれてここにいる。フリーターで定職に就いていなかったところに、破格の時給を提示されては断る理由はない。募集をかけている新入社員が来るまでの間つなぎだからと所長にも頼まれたが、この所長が面接をしているのでは向こうからキャンセルされていてもおかしくないだろう。

 入院したという内海とは連絡が取れなくなっていた。はじめは普通のバイトだと思っていた雅弥だが、案内に行かされる物件がことごとく「出る」物件ばかりで所長に問い詰めたことがある。どうやらそういう訳ありを誤魔化して業績を伸ばしているらしかった。そこで、気付く客がいる物件から地縛霊だの怪異だのを取り除いて契約が取れたら、別口でギャラを貰いたいと持ちかけてのこの話である。今日の場合はまったく気付く素養がなかったので放置でいいだろうと雅弥は判断していた。

「内覧の時にねえ、なんかいるんじゃないかって言われちゃったのよ。で、内海くん怖がりだからビビっちゃって。ほら、半年前の、結構なニュースになってた、アレ」

「ああ、あれ、うちのだったんですか。僕がバイトに入る前ですよね。確か、ストーカーに殺されるって騒いでた女が吊っちゃったっていう」

 ニュースになるような事件なら田舎町ではすぐに特定できるが、あまりテレビを見ない上に痴情のもつれに興味がないので、近所らしいとしか把握していなかった。

「本当に自殺だったのかって疑われていたのに、いきなり報道もなくなって忘れてましたよ。もしかして内海のヤツ、それで入院しちゃったんですか?」

 霊障の類いならばリスクも考える必要があるだろうと雅弥の目つきが険しくなった。

「うん、それがね、ストーカーってのがなんと市議会の偉いさんの息子でねえ。揉み消したって話なの。で、内海くんが言うには、女がなんか投げつけてくるらしくて、すっかり怯えちゃってさあ。パニック起こして困っちゃって、落ち着くまで病院に入ってもらってるんだよ」

 ───リスクなんてもんじゃない。最初に電話があった時、内海はどんなだったか。思い出そうにもその時はそれほど真剣に聞いていたわけじゃないし、詳しくは会社で聞いてくらいに端折られたので、申し訳なさそうだった気がする程度の記憶しかない。恐怖でメンタルぶっ飛んじゃっての入院だったりしたら、ホントにヤバいのは物件よりもこのブラック所長だ。

 片付けていた書類を無意識に握って皺だらけにしていることに雅弥は気付いていない。

「ちょっとそれ、相当マズい物件だったりしません? こちらにも被害が出るような案件でしたらさすがに受けるわけには……」

 断ろうとすると更に気持ちの悪い歪んだ笑みを浮かべ、内緒話をするように顔を寄せてきた。

「ギャラはいつもより弾むからあ~。偉いさんから頼まれてんだよねえ~。ほら、いつまでも事故物件で人が入らないと噂になっちゃうからねえ」

 心底イヤそうに顔を背ける。女性社員にもこんな調子では、おそらく新入社員は期待できそうもない。所長を追い払うように手元の書類をわざと大きく手を広げて皺を伸ばす。

「そろそろ退社時間なので、失礼してもよろしいでしょうか。ああそれと、一応その物件の資料をお借りしたいのですが」

 断ろうと思ったが、これはうまくやれば辞める理由にした上で更にぼったくれるかも知れない。引き受けてもらえそうだと踏んだ所長はにこにことファイルを差し出した。

「東雲くん、そういうお堅い態度だから、彼女のひとりもいないんだよお。あ、それとも今からデートだったりしゃう? あ、ごめんごめん、だったら早く帰らないとだねえ~」

 お花畑の所長に心底苛つきながらも、ファイルを鞄にねじ込んで部屋を出た。エレベーターに乗り込むと大きな溜め息を零す。

「さすがにやってらんねぇわ。マジで今回のが終わったら辞めてやる」

 自販機で買った缶コーヒーを片手に運転席に乗り込むと、無造作に鞄に入れたファイルを取り出した。所長の作った資料は雑な手書きで読みにくい。いい加減パソコンで作れと思うが、これが最後だからどうでもいいか。

 現場はどこだっけと書類の上を指で辿る。市内、町内、丁目と辿り、俺は息を呑んだ。見間違いじゃないよな。伊達眼鏡を外して胸ポケットに入れると、もう一度目を凝らして確認する。おいおい今まで気付いてなかったのか、これ。見慣れすぎた場所だろうが。

 あぁ、と声にならない唸りを漏らして天井を仰ぐ。

 これはどうあいつに切り出したものか。というか、気付いているのだろうか。

 気になる事案だがまずは帰ってからだと、缶コーヒーを喉に流し込んでから、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。

 

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