2.幼馴染み
「あ、勇司? んんそう、察しがいいな。例のお泊まりバイト、頼まれてくれないか?」
仕事やバイトから帰宅したらまずシャワーを浴びるのを日常のルーティンにしている。特に今日みたいなイヤなモノと遭遇した時は尚更だ。しかし今日は依頼された案件の方を優先した。
帰宅早々に電話をかけた相手は、腐れ縁の星崎勇司だ。ネクタイを緩めて窓際のデスクに向かう。ノートパソコンの電源を入れると喋りながら検索を始めた。
『またかよ。いいけどさぁ、そこ、しのも頼まれバイトなんだろ? そんなにへいこら言うコトきかなくてもよくね?』
勇司は俺のことをしのと呼ぶ。他の友人からもやっぱりしのとかしののんとか呼ばれているのは、東雲とか下の名前の雅弥と呼ぶより言いやすいかららしい。俺も星崎よりも勇司の方が呼びやすいから名前呼びだ。
「まぁね。俺もさすがにあの所長にゃむかついたよ。内海のヤツ、入院しなきゃならなくなったからって、ヘルプ頼んできてそれっきりだったろ」
内海は共通の同級生なので情報は共有している。
「所長が今日になって、事故物件でパニック起こして困ったから入院させたんだって言いやがった。内海も具体的には言わなかったし、連絡つかなくなったからどうしようとは思ってたけど、もっと早くに聞き出しておくんだった」
『なんだそれ。要は怖い目に遭っておかしくなっちまったってことかあ? 確かに学生時代から怖がりだったのは知ってるけどよ。にしても、ひでぇな。辞めちまえ辞めちまえ、そんなとこ』
「もちろんそのつもり、ではあるけれど、今回のはちょっと個人的にも気になるからさ、最後ってコトで頼まれろ。聞いたらお前も気になるから」
『へぇ?』
面倒くさそうだがちょっと興味はある、といったニュアンスの返事だ。
喋りながらも検索したデータと書類のデータを照らし合わせて確信した。一見ごく普通の1LDKのアパートだがその場所は。
「聞いて驚け。場所。お前んちの向かいのアパートだ」
『んあ? ちょ、そんなん楽勝じゃん、泊まればいいだけだろ? だったらうちと隣と行ったり来たりしやすいじゃんか』
うきうきと声が弾んでいる。確かにこいつならその反応だな、と思い直して続けた。
「事前情報としては、女が物を投げてくる可能性が高い。割と凶暴っぽいな。これで内海はパニック起こしたらしい。お前、向かいってか実質隣なんだからなにか知らないか?」
『隣……隣か……。そういや、夜になるとたまに騒々しい時があるような』
「それかも。暴れてるのかな。で、いつから泊まれる?」
『ちょ、そんなあぶねえとこに泊まらせるのかよ、鬼か、あんたは』
「だいじょうぶだろ。ま、オレもそこまで内海が怖がったの、どんなんなのか興味はあるから、いっしょに泊まってもいいし。頼むぜ、天然魔除け」
電話の向こうで、おしっ、とガッツポーズをとっていそうな声がした。
『いつでもいいぜ。なんなら今からでも。バイト先のバー、店長が事故っちまってさあ。しばらく休みなんだ』
「いや、鍵も預かってないし、ギャラもまだ提示されてないからな。明日の夜から入れるって言っておく」
それから少し他愛もない話をして通話を切ると、スーツを脱ぎ捨てながら洗面所に向かった。
確かにかなりのバイト代をもらっているから辞めるのは惜しいと言えば惜しいが、他の社員もなにかと用事を作っては会社に戻ってこないし、ましてや昔の知り合いがメンタル壊されたっぽいと聞いては怒りすら湧いてくる。特に親しいほどでもなかった俺のところにヘルプを入れてきたのは、学生時代にオカルト系の話をよくしていたのを覚えていたんだろう。
洗濯物を網に入れて洗濯機に投げ込み、後ろで縛っていた髪を解く。背中まである黒いままの髪は就職活動には不利だったが、今のところはフリーターと雑所得で日々は成り立っていた。今回のバイトで貯蓄も増えたから悪いことばかりじゃなかったと思っておこう。
なんにせよ、面倒は明日に回すことにした。やることはたくさんあるのだ。
翌日。
会社に行くと真っ先に部屋の鍵を借りた。
「やる気になってくれたんだねえ~、さすがだよ、東雲くん~」
相変わらずの所長だったが、なにか様子が変だった。経験上こういう時はたいてい背後になにか連れている。伊達眼鏡越しに目を凝らすとやっぱりだ。所長の肩に手を掛けている煤けたモノは昨日の物件にいたヤツじゃないか。うっかり俺が連れてきてしまったのか、あの下見の客が連れて立ち寄ったのか。しかしソレはどうやら所長が気に入ったようで、昨日ほど睨みつけてもこなかった。趣味が悪い幽霊もいるんだな。
「昨日、積むっておっしゃったので、先方にもそのように伝えたところ、それならと受けてくれました。ただ、かなり危険な物件のようなので、保険としてもそれなりにいただけたらと」
「積むよお、積むってば。言ったよねえ~、偉いさんからの依頼だって。金に糸目はつけな……っごほんっ、いや、ちゃんと払うから……」
「所長? まさかの事件の当事者からの依頼なら、積むどころかむちゃくちゃぼったくってるんじゃないですか? ああ、だったら直接その偉いさんに交渉するのも手か……」
含みを持たせてぼそりと呟くように言うと、所長はやめてやめてと手を振った。マジか。
ともあれ、辞めると先に言わずに今後も期待させるような態度でいた方がいいかも知れない。たっぷりもらって辞めよう。そんな下心を読み取ったのか、所長の背後のソレがまた睨んできた。そういえば、地縛霊ならずっとあの部屋にいるんじゃないのか?
「あと、偉い人から当時の状況など具体的に聞いておきたいんですが、紹介してもらえませんか? 対処の仕方も変わりますし」
直接交渉なんて手段を先に零したせいで所長は少し渋ったが、自分の名刺を出して「事件は調べたらすぐ出るし、この名刺見せたらわかるから」となんともはっきりしない態度でなぜか頭を抱えていた。
その様子に背後のモノがにたりと笑った気がした。