第二話③
右肩から足首にかけて、剣はスズナの体を切り裂いた。
血飛沫はあまり飛ばず、その代わりに見たこともない程の血液が溢れ出た。
赤い空間を上塗りするような濃く、ドス黒い赤を見て、恐ろしさのあまりに体が硬直しかけたが、無理矢理にでも動かして、スズナの元へ駆け寄る。
そうはさせないと、化け物は俺を食い止めるようと攻撃を仕掛けてきたが、気にせずそのまま真っ直ぐ突っ切ってスズナの元へ走る。
相手の攻撃は地面に突き刺さり、そのまま爆風を起こして、俺は飛ばされるようにしながらスズナの元へ辿り着いた。
スズナは見るも無惨な姿となってしまっているが、不謹慎にも、俺は少し安心した。
虫の息ほどとなっているが、息はしている。
ならば俺なら救う事が出来るのだ。
俺は緊張と体を動かしたことから激しく呼吸をしながら、スズナに女神の力を使う。
数回では済まず、結局10以上の回数を費やして、ようやく回復する事に成功した。
傷は見る影すら残さずに完治した。
一安心と言いたいところだが、スズナの意識がはっきりとしていない。
あれ程の攻撃を喰らったんだ、放心状態となってしまっても不思議なことではない。
「……何だ?」
不思議な事に、視界が暗くなり始めていた。
俺はスズナを見失わない為に抱きしめて、辺りを警戒する。
少ししてからようやく気がついた、俺は恐る恐る自分の目に触れると、ドロリと何度も触れた事がある液体に触れてしまった。
俺は目を拭うように衣服で顔を拭き取ると、拭いた服から滴る程の血液が付着していた。
目や鼻からの吐血、これは初めて事だ。
視界が滲んではっきりと辺りを確認する事が出来ない。
後ろを振り向くと、化け物が剣を空に掲げて構えていた。
俺は直ぐには理解ができず、一歩遅れて動き始めた。
スズナを抱えて化け物から距離を置こうと走り続ける。
けれど、逃げ切る事は叶わず、片足を切り落とされてしまった。
肉が裂かれたのと骨が斬られた事により、耐え難い痛みが下半身全てを襲う。
だがここで立ち止まってはいられない為、俺は女神の力を使い、足を再生させて走り続ける。
相手は何度も何度も、飽きもせず攻撃を続けてきて、俺はとうとう限界となりながらも、体力すらも回復させて走り続けた。
――
「ヒロ……さん?」
あれからどれ程の時間が経っただろうか。
彼女は知る余地もないだろう。俺は戦いを始めた時と、何ら変わらない状態で今こうして立っているのだから。
スズナを壁の方に寄せて、俺はいよいよ1人で戦いを仕掛けようとしていた。
だがその手間が省けてよかった。彼女が意識を取り戻したのなら、他に作戦がある。
「スズナ……話がある」
「何でも…言ってください。ヒロさんに無理させた分、私も頑張りますから」
勇ましく、俺よりも前に出ようとするその姿勢は、素晴らしい人物だと感心した。
彼女は今も相手を見て震えている。
恐れながらも仲間の為に戦うこの姿は、女神すらも敵わないほど、尊く美しい。
「ありがとうスズナ。戦う意志を見せてくれたのはとても嬉しい…だがスズナ、お前は逃げてくれ」
俺は遠回しにではなく、はっきりとそう伝えた。
するとスズナは、不意を突かれたかのように、目を丸めて口を開きながら驚いた顔を向けている。
「……何を、言ってるんですか」
「先程、俺を連れて天井を目指すのは難しいと話していただろ?つまりは1人なら、可能って事じゃないのか?」
スズナは図星を突かれたような顔を浮かべた後、それがバレないようにしたのか、顔を隠した。
「出来ません……ヒロさんを……仲間を置いて行くくらいなら!!私は共に死ぬ事を選びます!!」
顔を隠しているが、震えた声で話していることから、泣いていることは直ぐにわかった。
彼女の足元には、ポタポタと雫がこぼれ落ちている。
「素晴らしい心掛けだ。お前ならきっと、魔王を……いや、英雄になれるはずだ」
俺は彼女を見ていて、ある一冊の書物を思い出していた。
子供向けの展開も何もない、ただの英雄の物語。
俺に夢を与えてくれた物語だ。
「私にそんな器はありません……英雄なんて言葉を使うなら、きっとヒロさんの方が、」
「俺にその言葉は似合わないんだ。何せ俺は、その夢を捨てたからな」
「……やっぱりあの本、お好きだったんですね」
どうやらバレていたみたいだ。
小っ恥ずかしいが、隠す理由はもうないだろう。
どうせ話すのは、これで最後なのだから。
全てを話そう、今まで隠していた自分の思いを。
「すまないな、下らない嘘ついて…。叶わないと知った子供時代から、ずっと俺は夢に蓋をして生きてきたんだ。まさか、最後になって思い出すだなんて、思いもしなかったがな」
「なら……諦めないで下さい。ここを一緒に生き抜いて、今から目指せばいいじゃないですか!!」
彼女はそう言った直後、俺の姿を見てひどく後悔するような態度を見せ始めた。
何故なら、彼女は俺の体を見てしまったのだ。
敵が威嚇の為に振り翳した剣により大きな風がおこり、俺のフードが脱げてしまい、姿が露わになった。
見るに耐えない姿だろう。
骨は朽ち始めて変形しており、肉は痩せこけて残ったものはただれていて、皮膚は乾燥して中の肉を見せるかのように爛れている。
おまけに目や鼻など、至る所から出血を繰り返している。
女神の力の影響か、回復と損傷を繰り返し、血が止まる事を知らないのだ。
今の自分の姿は、自分ですら確認したくない。
嫌なものを見せてしまったな。
「……わかっただろスズナ、俺に次なんてものは、残されていないんだ」
「私の……せいだ。私は、もう女神の力を使わせないようにしていたのに……」
彼女は後悔するように涙を流し始めた。
俺はフードをかぶって彼女に近づき、涙を拭った。
「気にするな。お前のせいなんかじゃない。これは俺自身の責任……いや、俺の為にやった事なんだ」
どう言った意味なのかと、首を傾げる彼女に俺は答える。
「次はないと、これが最後だと言った話をしただろ?だから俺は、ここで最後の英雄ごっこでもしてやろうと思ってな。仲間を庇って死んでいく、正しく英雄だと思わないか?」
そう言いながら俺は笑みを浮かべた。
これは彼女の為に向けた笑顔ではなく、最後に夢にみた事を、真似事とはいえ実現出来る喜びからきた、嘘偽りのない笑顔なのだ。